第5章 レモンパイと身の上話 1
エデイラとディクテは砂漠の学園にはほんの数日滞在しただけで、またすぐにそこを出て、ディクテ所有の別荘に向かった。
アーロ家の式典に備えて準備をしなくてはならなかったのだ。
式典が行われる場所は、カタイから海側に馬で半日ほどの丘陵地だ。
エデイラが滞在しているのはディクテの別荘。
ちょうどそのあたりにわたくしの私有地がある、と彼女が申し出てくれたので助かったが、半面、あまり一緒にいては万が一の時彼女に迷惑をかけやしないかと危ぶんだのも本当だ。エデイラひとりなら、幸い季節は夏に向かう途中でもあり、野宿も平気だ。
「あなた、野宿はおやめなさい……」
「だってこの顔ですよ、襲われませんよ」
「そういう問題ではありません」
顔に二本走る流星のような傷跡を指して言ったのだが、ディクテは顔をしかめた。
「この際だから言いますが、あなたは美しい顔をしていますよ」
「またまたー」
「この件に関しては深い隔たりがあるようですね……」
ともあれ、ディクテが別荘を使わせてくれたおかげで落ち着いて襲撃の準備ができる。
エデイラの作戦はこうだった。
洞窟の奥に、アーロ家が大切にしている「宝物」がある。それが剣なのか、文書なのか、はたまた宝石なのかわからないが、とにかくそれがアーロ一族の確かな血筋を示しているらしい。
それをエデイラは、事前に盗み出すつもりだった。
洞窟入り口には厳重に鍵がかかっている。「宝物」そのものもそうかもしれない。丘陵地は辺鄙な場所にあるため、警備はされていないだろうというのがマリアカルラの見立てだった。
「けど、まあ、備えあって憂いなし、ですからね」
今エデイラは別荘の一角で剣の手入れをしている。
この剣は砂漠の学園でゾラ様を通して手に入れてもらったもので、女のエデイラでも使いやすい、大きすぎないよいものだった。
「部屋でやったらいいのに」
「ご冗談でしょう、あんな上等なお部屋で剣などさやから出せませんよ」
「ほこりがつかないの?」
「剣は飾りじゃありませんから。汚れたら洗えばいいんですよ」
エデイラは馬車の隣にある井戸の近くにあぐらをかいて、剣と、細身の隠し武器をいくつも並べては、布で磨いたり砥いだりしている。
天気のいい日で、高いところで鳥が鳴いていた。別荘の窓を開け放っているらしく、使用人たちの活気ある気配も伝わってくる。
別荘は品のある伝統様式にのっとった作りで、大きくはないが落ち着いたたたずまいをしていた。
エデイラは客室のひとつを丸ごと与えられて、おかげで昨夜はぐっすり寝た。
「ここの使用人は信頼できるわ。わたくしが来たことも、あなたがいることも、外へは漏れないはず」
「先日の夜会の時にお世話になった家でも思いましたけど、あなたは人徳があるんですね」
「あったら幽閉されていないでしょう」
「そのような立場であっても無条件に協力してくれる人が各地にいることこそが、人徳だと思いますけどね」
「……本当に、護衛はいらないの? 今ここにはいないけれど、必要なら貸してあげられると思う」
「それは、不要に願います」
ずっと武器に視線を落としていたのに、そこだけきっぱりとディクテを見てエデイラは言った。
「遠慮しているんじゃないですよ。ひとりで動いた方が好きに動けるし、そちらのほうが性に合ってるんです」
「そう……ならもう言わないけど」
ひとりで行かせることこそが心配なのだ、とは、思っていたがディクテは言わなかった。アーロ家の当主のやることだ、なにもなくすんなりいくとは考えにくい。だがエデイラは朝一番で馬を飛ばして洞窟を下見してきたという。鍵がかかっているほかは、マリアカルラが言ったとおり、ひと気もなく閑散としていたらしい。
「式典は明後日ですから、明日の朝には行って、終わらせてきますよ」
「気をつけてね」
「私を誰だと思ってるんですか? これでも何度も同じようなことをやったことがあるんですよ」
話しかければ答えはするが、目線は武器に注がれている。これ以上ここにいてもかえって邪魔になると判断して、ディクテはしゃがみこんでいた腰を伸ばした。
「まあ、気の済むまでおやりなさい。──落ちついたらわたくしの部屋にいらして。お茶でもしましょう」
「わかりました、伺います」
◇◇◇
武器の手入れをひととおり済ませてからディクテの部屋に行くと、彼女は鮮やかな赤いドレスに着替えていた。
エデイラは思わず目をぱちくりさせてしまう。
「お着換えですか……」
思わず声にまでだしてしまった。
貴族や王族は一日何度も場面に合わせて着替えをするものだと頭ではわかっているけれど、それは用途によって変えるものであったような。
確かさっきまでディクテは、昼用のコルセット抜きの気楽なドレスを着ていた。それが今ではあでやかに鎖骨を見せるデザインの昼用来客用ドレスになっている。
「あなたとお茶をすると言ったら、こうなったわ……」
ディクテはというと、本人も釈然としない表情で言う。
「ああ、なるほど……」
エデイラはその場面が想像できた気がして、口をつぐんだ。
ここの人たちはおそらく、ディクテのことを敬愛しているのだ。だから、いつ訪れるともわからない主人のドレスを日々縫いためていたのだ。いざという時、女主人に対して恥ずかしくないものが着せられるように。お客様に対しても恥ずかしくないように。いつか彼女が来てくれた時、がっかりさせないために。
そして、ようやく今、待っていた人が来てくれたのだとしたら。
(それは、力も入るだろう……)
エデイラが揃ったのを知って、中年女性の使用人がワゴンに乗せたお茶とお菓子を持ってくる。
ワゴンに乗っているのはレモンパイと、焼き色を付けたクリームカラメル、それに一口サイズのサンドイッチだった。使用人はテーブルにそれらを並べ、パイを切り分け、丁寧な手つきでお茶を注いでいく。その間ずっと、ディクテは肘掛椅子に腕を置いて黙っていた。
そうしている姿はいかにも女主人という貫禄があって、自分自身もメイドの期間が長かったエデイラにとっては、目に嬉しく、かつ、見ていて心地よい光景だった。
使用人がドアのそばまで下がっていってから、エデイラは褒めた。
「よくお似合いですよ」
「これのこと?」
ドレスに目を落としてディクテは言う。
その表情が冴えないことにエデイラは気がついた。
「──あの」
「なあに」
「ひとつ、わかったかもしれないことがるんですが。言ってみてもいいですか」
ディクテの沈黙を肯定と受け取って、エデイラは続ける。
「あなた、実は、ドレスが嫌なんじゃないんですか?」
ディクテが視線を動かさずにまばたきをする。図星を突かれた視線だった。




