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第4章 不安は不安を 4

「安心して、おねえさま。この子絶対なにもしません。でも、もしもの時はぼくがお守りしますから」


体が斜めになるまで引っ張っても大型犬がびくとも動かないので、少年は犬とエデイラの前に立ちはだかった。犬を通せんぼするような格好で両手をひらく。


「やわらかそうなお体……。斜めに斬れますね。上からでも、下からでもいけます……」

「エデイラ、およしなさい」

「丸太よりやわらかそうです」

「エデイラ!」


熱っぽくうわごとのように言うエデイラの肩をつかんでディクテは揺さぶった。


使用人はというと、剣呑な気配を感じ取ってはいるのだろうが、狭いホールなのがあだになって身動きがとれずに視線を泳がせていた。大声を出して人を呼ぶべきか、迷っているようだ。騒ぎを起こせば夜会は台無しになってしまい、その場合、自分が責任をとらせられるというところで迷っているらしい。視線がかなり泳いでいる。


速やかに事態を収束させなくては、とディクテは思った。


「エデイラ、この子に責任があるわけじゃありませんよ」

「わかっていますよ」

「だったらその殺気をどうにかなさい。さっきから、口からぶつぶつ洩れています」

「だって、誓いを、立てたのですよ」

「エデイラ!」

「旦那様の、お恨みを、お晴らし申し上げるって、私は」


ディクテの言うことはわかっていた。

この子が悪いわけではない。しかもこの子は、マリアカルラの弟でもある。


だがそれがなんだというのだ?


ヴァージデルには破産を、アーロは身分の剥奪を。

それがエデイラの望みのはずだった。だが、ここに、格好の的がいるではないか。


(しかも、無防備で……)


エデイラが肉食獣だとしたら、舌なめずりをすべき場面であって、しかもエデイラは狩りをする獣として訓練されてきたのだった。

この子を殺せば、あの当主はどう思うだろう? この夜会は台無しになって、それこそ好都合ではないか?


「私は最後の生き残り……復讐を遂げる必要がある」

「おねえさま?」


少年の聡明そうな眉が不安げにひそめられる。


「だって約束したんです。あの夜に、きっと、私たちの誰かが生き延びて敵を倒すと」

「エデイラ、もうやめなさい」

「今がその好機というなら、なぜ、私は思い留まる必要があるのでしょうか?」

「お黙りなさい!」


ディクテのその時のふるまいは、勇気があると言ってよかった。平手でエデイラの頬を強めに一度叩いたのだ。


「あなたは愚か者です、エデイラ。なぜわたくしがあなたを止めたのか、あとで存分に説明して差し上げますから待っていらっしゃい!」

「あ……」

「とにかく、あなたは間違っています。いいですね」


「いや」

まるで子供が駄々をこねるように、エデイラは首を横に振った。

「だって、そのおメダイ」

「耐えなさい」


凛としたディクテの声が刺すようにエデイラの耳に届いた。

「そして顔をお上げなさい。そんなふわふわした頭でなにかして、どうにかなるとでも思っているのですか」

「ディクテ……」


「あなたが見たくないものがここにあるのは容易に推測できます。それから逃れたくてすべてを壊してしまいたいのも。──でも理性を失って復讐が遂げられると本気で思っているのですか。不安は不安を呼び、恐怖は恐怖を呼ぶだけよ」

「そんなんじゃありません。不安でもないし、まして、恐怖など」

「直視するのが怖いのでしょう」


ぐっと、エデイラは詰まった。


「この機会を逃したら後悔するんじゃないかって、不安なのでしょう」


エデイラは答えられなかった。

エデイラの殺気が少し収まったその隙に、ディクテはするりと使用人に近づいて、この人ちょっと酔っているのでごめんなさいねと言いながら、彼の手のひらに金貨を一枚すべりこませた。

そしてつかつかとエデイラの前に戻ってくると続けた。


「きちんと、まっすぐ、現実を見なさい。一番つらい時にそれができないというのなら、それはあなたを育ててくれた人の恥になるのですよ」

「──!」


もっとも言われたくなかったことを言われて、エデイラはだらりと両手を下げた。握りこんでいたこぶしがゆるゆるほどける。


「ひどい、こと、言う」

「もちろん言います」

「メイドではなかった頃も含めて、今まで言われた言葉のなかで一番ひどいと思いました」

「あらそう」


つれなくそう言ってから、ディクテは心もとなげな表情になっている少年の前にしゃがみ込んだ。目線を合わせて穏やかに話しかける。


「驚かせたわね、ごめんなさい」

「いえ、ぼく……」

「このお姉様はね、とても苦しい夢を見ているの」

「──夢?」

「そうです。悪い夢を見ることはありますか?」

「あ、あります」


この場をどうやっておさめたらよいかと、ディクテは先ほどから頭をしきりに巡らせていた。

あまりにも口から出まかせを言っても、この少年は見た目の割に賢そうだ。おそらくこの場だけはごまかせるだろうが、本質的な解決にはならないだろう。使用人は金と威厳で黙らせようというのはあっさり解決したが、問題はこの子だった。


ディクテは膝を抱えてしゃがみ込む格好で、まっすぐに少年の瞳を見つめながら続けた。


「悪い夢を見た次の日、どうなります?」

「あの、とてもいやな気持ちです。それからよく眠れなくて、とてもつかれるの」

「そうですね。このお姉様もひどくお疲れなの。もうずっと悪い夢から離れられないでいらっしゃるのよ」

「それはひどいです。ぼく、夜に咳がでて眠れないとき、夢のなかでもずっと咳をしてるの。眠っていてもずっとつらくて、起きたら、ちょっとだけ泣いちゃうんです」


そうね、つらいわよねとディクテは柔らかく微笑んだ。

「このお姉様も今そんな気持ちよ」

勝手なことを言わないでください。エデイラが力なくつぶやいたが、ディクテは無視した。


「気分転換になると思って、無理に夜会に連れてきたわたくしのせいよ。驚かせてしまってごめんなさいね」

「いえ、いいんです」

「ですから、連れて帰って休ませようと思うの。どうかしらね?」

「それがいいとぼく思います。おつらいのは、おかわいそう」


育ちのよさそうな素直な動きで、少年はこくりとうなずく。


「夜、健やかに眠るというのは大切なことね。あなたもオベロンとご一緒にもうお休みなさいな」

「はい……そうします」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう……またいつか」


犬はまだエデイラに対して執着を見せていたが、少年が声を鋭くして呼ぶと、しぶしぶいうことを聞いた。


「エデイラ、こちらに来なさい」


今度はエデイラがディクテに呼ばれる番だった。

場をとりなしてもらったことに、ありがたさ以上に気恥しさを感じてすぐには動けないでいると、ディクテはためらいなくエデイラの手をつかんだ。


「犬でも呼ばれたらちゃんと従うのに、あなたは手を引いてもらわないと歩けないのですか」

「だって、犬だもん。旦那様の犬です」

「馬鹿なことを」

「馬鹿なことじゃないですよ。……帰るの?」

「帰りますよ。帰りたくないなら置いていきますけど」

「一緒に帰る……帰りますよ」


「こういうのも、いいものね」

階段を下りて、まだまだ人でにぎわう大ホールから遠ざかる。人の流れとは逆行する形で待たせておいた馬車に乗りこむと、ディクテはつぶやいた。


「なにか言いました?」

「こういうのもいいものだって言ったの」

「だから、なにがですか」


ディクテはもう答えなかった。

自分も誰かの役に立てる。そういう誇らしさが胸をあたためていて、そのせいで、なにかを忘れているということに気が付いたのはその日のベッドの中でだった。


おかげで二人は、後日顔を合わせた際、マリアカルラにいやというほどお説教される羽目になる。


あなたたち、一言もなく帰るってどういうことなのわあわあ。

確かに用が済んだといえば済んだのでしょうけど、私があなたたちのことをどれだけ探したと思ってるの。

うちは無駄に広いから迷子になったのかとか、心配したのに。使用人に聞いても誰もあなたたちのことを見ていないっていうし。ディクテ、あなた、歩く道々チップをばらまいて帰ったでしょう。本当に迷惑だからやめてちょうだい。

いい年した女性がふたり揃って、どうして伝言を残すなりなんなり尋常なやり方ができないのよ。とにかく私怒っていますからねわあわあわあ。

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