第3章 甘く、甘く、甘い 3
カタイ、というのがその国の第二都市の名前だ。
大陸全体から見ても一、二を争う華やかな都市であり、首都よりもむしろ文化も流通も盛んなそこに、ヴァージデル家の本家はあった。
「さて、見に行くとしましょうか」
エデイラとディクテが外出許可をとったことをどうやって知ったのか、マリアカルラは当然のように自分もそこに加わった。
ゆるく波打つ栗茶色の髪を格式高く結い上げて、日傘もさした彼女は、大都市の目抜き通りを迷うそぶりもなく歩いてゆく。その背筋は美しく伸びており、大貴族の子女というものは、遊びに行く時でも油断した格好はしないものなのかなあ、などとエデイラはぼんやり考えた。
高級住宅地の洗練された一角がヴァージデル家だが、門の前まで行ってみなくてもすぐにわかった。人の気配が、まるでしない。
そばまで行ってみると背の高い門は閉ざされ、立ち入りを禁止する旨の立て札があった。
錬鉄製の門の隙間から覗いてみても、しんとしている。
「……あのう」
思わず自分も小声になって、エデイラは言った。
「これって、どなたもいらっしゃらない……のでしょうか」
「そうね」
ディクテとマリアカルラが同時に答える。
「あっという間ね」
「ぐずぐずしていては、負債が増える一方でしょうし」
「あなたって、そういうやり方をしたのね」
「やる時は一気に、でしょう」
二人はなにやら物騒なことを言いあっている。
門の前からでは屋敷の一部分しか見えない。広大な敷地に立つ様式美の粋をきわめた建物を見上げながら、エデイラはつぶやいた。
「ここにお住まいだったかたは、今、どこにいらっしゃるのでしょう」
「さあねえ。この街にはいないと思うけれど」
「わたくしが逆の立場なら、国外の友人を頼るわね。一族の人間はもう頼れないでしょうし」
「破産させたって、本当だったんですね……」
「いやだわ」
ディクテは大仰に眉をひそめた。
「当たり前でしょう、なにを言ってるの?」
「この人信じてなかったのよ」
「失敬な。わたくしの言葉をなんだと思っているんでしょう」
「まあまあ、なんでも自分の目で見て確かめるって大事なことよね」
上流階級の二人は肩を寄せて言いかわしている。
「まあ、どちらにせよ、二度とここに戻っては来られないでしょうね」
「恥ずかしくてねえ」
くすくす笑っているのがなぜなのか、エデイラには理解できない。そうだ、とディクテが思いついたように言う。
「エデイラ、あなたもしよかったらこの家、買う?」
「はいっ?」
思わずすっとんきょうな声が出てしまった。
買う、と言われて買えるものなのか。いやそもそも、家というような規模ではない。ここから敷地すべてが見渡せもしないわけだし。
だがディクテにとってはなにほどのことでもなかったらしい。
「買うなら差し押さえてもらって」
「私も口をきいてあげられるかも」
「わたくしも、多分」
「あのいえ、いえその」
二人があまりに真顔だったので、冗談なのか本気なのかわからなくて、エデイラはしどろもどろになって辞退したのだった。
「さてと」
日が高くなってきたのを見て、ディクテが言った。
「これだけでも十分カタイに来た甲斐はありましたけど、せっかくデートに来たからには、どこかで甘いものでも食べませんか」
「あ、それならいい場所があるわ」
マリアカルラの瞳が日傘の下できらりと光った。
◇◇◇
シックなロイヤルブルーの窓枠と、同じ色の男性用ショートエプロン。
それがその店のトレードマークらしかった。
短めのエプロンを腰の低い位置でしめた男性店員が、銀のトレイを片手に働いているのが外から見える。
「いらっしゃいまっせー!」
勢いよく店内から案内係が出てきたので、エデイラはちょっとあとじさった。
「三名様、ですねー! ご予約は、なし、ですねー!」
店員の口調は一律語尾を上げぎみで、エデイラの耳にはやけにすわりが悪く思える。三人が店内に足を踏み入れた瞬間、左右からそれぞれ男性の店員がたたみかける。
「お姉さん、あなたの食べたいのは……パリパリのリッチェ、ですか?」
「お姉さん、それとも……しっとりのフロッレですか?」
「…………」
エデイラはその場で足を止めて固まってしまった。
なんだろう、これは。甘いものを食べに来たはずだが、カフェとはこういう接客のものだったろうか。
ちょっと間違った魚河岸に来たような気分でエデイラが顔をこわばらせていると、ディクテとマリアカルラに肘でつつかれた。
「なにをしてるんです、早く入りますよ」
「え……」
「人気店なんだから、もたもたしていると席が埋まってしまうわ」
「あ、はい……」
こういうものなの、とマリアカルラが口早に耳打ちする。
眉目秀麗な男性店員が明るく楽しく給仕をしてくれるカフェなの、だからそういうものだと思って楽しむのよ、と。
窓際の丸テーブルに案内された三人には、金の巻き毛の店員がぴたりと付き従っている。
「どっち」
「えっ」
マリアカルラに尋ねられて、あたりを観察していたエデイラは肩をびくつかせた。
「どっちを食べるの? 早く選んで。二種類しかないんだから迷うことないでしょう」
「あっはい、ええと」
観察すると、店内にいるのはほぼすべてが女性客で、頼んでいる菓子の種類も同じものだった。
「パリパリがリッチェ、しっとりがフロッレ。簡単でしょ? 私フロッレくださいな」
「わたくしはリッチェ。飲み物は紅茶を」
「かっしこまりましたあー!」
見た目は天使のような少年店員が、かわいらしく小首をかしげて注文をとる。見れば、店員はすべて小柄な少年で、ほっそりした体型を引き立たせる揃いの制服を着ていた。
ともすれば自分より年下の店員を相手に、エデイラは珍しくひるんだような気持ちになって、ようやくのことで言った。
「わ、私も、リッチェで」
「かっしこまりましたあ!」
語尾を上げる陽気な接客に、どうも、慣れない。
小麦粉とバターで作った薄い薄い生地にクリームを詰めたもの。それがこの店で出している菓子だった。
「これ、どうやって食べたらいいんですか。手ですか」
「手でよ」
マリアカルラはもう何度も来ているような慣れた様子で、皿の上の菓子を指先でつまんでぱくりと口に入れた。ディクテもさくさくの生地を持ち上げてかぶりついている。
それに倣ってエデイラも食べてみると、クリーム菓子は思ったよりもおいしかった。
薄いうえにもなお薄いパイ生地は見た目のはかなさとは裏腹にしっかりしていて、指でつまんでも崩れたりしない。だが前歯でかみしめると心地よい音を立てて崩れる。
中にはなめらかで芳醇なクリームがたっぷり入っていて、洋酒とバニラの香りが華やかだった。
「おいしいでしょ?」
前のめり気味にマリアカルラがたずねてくる。
確かに菓子はおいしかった。紅茶も、接客の軽薄さとは裏腹に、きちんとした手順でいれた深い旨味を持っている。
「ええ、おいしいです。というか安心しました。単に味がおすすめだから連れてきてくれたんですね。接客ではなく」
「なによ、ここの男の子たち、粒ぞろいだって有名なんですからね」
「少年か少女かよくわからないあの感じがですか」
「美形っていうの、ああいうのは!」
真っ先に食べ終えたディクテの横には、タイミングを見計らって左右から少年給仕が膝まづいていた。片方の少年は指先を洗う水を入れた器を、反対側には手をふく布を持った少年がいて、ディクテがなにもしなくても彼らが手を洗ってくれる。
なるほど、このかしづかれてる感じがこの店の付加価値なのだな、とエデイラは思った。
ディクテはさすが第三王女だけあって、世話されることに慣れており、落ち着き払って少年たちに身をまかせていた。
「おかわりは、どうなさいますか?」
「連れがまだ途中だから、済んだら考えるわ」
「かっしこまりましたー!」
左右で声をそろえるのを横目で見ながら、マリアカルラがエデイラの耳に口を寄せた。小声で言う。
「これが通い詰めて常連になると、ダークモード接客になるらしいのよね」
「ああ、そういうの、が、お好みなんですね」
「だってほら、どんな感じか知りたいじゃない? うふふふふ」
「上流の女性が考えることはよくわからないです……」