第3章 甘く、甘く、甘い 4
エデイラは考えるのを放棄したい気分になって、少年給仕たちから目をそむけた。菓子のおいしさにつとめて集中しようとする。
「エデイラ、あなた、おかわりは」
「おふたりに倣いますよ」
「紅茶は? 熱いのは?」
「もう十分いただいてます」
「エデイラ、あなた、なに怒ってるのよ」
「別に」
「あのねえ」
マリアカルラが呆れたような声になる。
「その露骨すぎる態度でごまかせると思ってるの? 否定してもいいけれど、そしたら、ふてくされてるってみなすけど、それでもいいのね?」
「……別に、あなたに怒っているわけでは」
あやうく子ども扱いされそうになって、エデイラはぼそりとつぶやく。
「こんなお菓子に安くない料金を払う私たちのことを軽蔑してるの?」
「違いますよ」
「じゃあ、なによ」
「言ってもいいなら言いますけど」
「言いなさい」
「彼らの給仕の仕方がどうにも気に入らないんです、それだけです」
「……え?」
上流の二人は声をそろえた。
「まず、重心が高すぎます」
「は、はあ」
「それになんなんですか、ガチャガチャとうるさい。足音だって鳴らしすぎじゃないですか」
ディクテとマリアカルラは顔を見合わせた。エデイラがなにを言っているのか、正直よくわからなかったのだった。
だが彼女の機嫌が悪いのはよくわかる。つとめて表情にあらわすまいとしているが、じっとテーブルを見つめてばかりいる。不快なものを目に入れたくないせいだ。
「……エデイラって、年下の美形は趣味じゃなかったのかしら」
「わたくしも、彼女の男性の好みがわかるほどには親しくなくて」
「そうじゃありませんっ」
苛立った声で言われて、二人はきょとんとした顔になる。
その心底わかっていない様子に、エデイラは、本当にもうどうしようもない、というように両手をわぎわぎさせる。
「あああイライラします」
「ですから、なにが」
「こんな麗しい女性たちに対してですよ! 見た目はともかく、あの中途半端なサーブの仕方! 自分中心でしかない声のかけ方! 自分が主役じゃなくてお客様が主役のはずじゃないですか!」
ふたりは無言で顔を見合わせた。
「もったいないというか残念というかオーナーを出せというか! もうっ、心から私に代わらせてほしいです」
二人はまたしても無言で目をぱちくりさせ、その直後、同時に吹き出した。
「やって! やって!」
「所望します!」
「いいですよ、喜んで。あなたたちお二人がゲスト役ならお仕えしがいもあるというものです」
もうそこから声の出し方をがらりと変えて、エデイラは音もなく椅子から立ち上がった。
つかつかと歩いていってカウンターの向こうから新しいお茶のポットを大きなナプキンごと借りてくると、ひた、と二人の斜め後ろにステイする。
「……あら、あら」
「まあ」
そこは二人とも見る目があるのだった。
かたや第三王女、かたや国内最高位の貴族の令嬢である。
ゆえにどちらもメイドや従僕のいる生活には慣れている。その二人が目を見張ったほど、エデイラの立ち姿は静謐で目立たなく、それでいて目を見張るものだった。
二人はおもむろに紅茶のカップに手を伸ばす。
無言で残っていたのを飲み干したのは、もちろん、エデイラに続きをサーブしてもらうためだ。
本来メイドというものは、言われてもいないことに自分から口を出すものではないとされている。たとえ主人のカップがからになっても、お代わりを要求されるまではじっと待機しているのが本当なのだ。なぜなら主人はもうそれで十分だと思っているかもしれないのだから。
だがエデイラのサーブはそこから一歩進んで、相手がしてほしいと思っていることを敏感に察知し、それとなく需要をすくいあげるやり方だった。
ディクテが砂糖をひとつも入れなかったことも、マリアカルラが猫舌であることもさりげなく把握した上で、『こうですよね、知ってますよ!』とでしゃばるのではなく、『これこれこうでよろしいですか?』とやんわり許可を求めてくるやり方が心地よい。
「不思議だわ……」
新たに注がれた紅茶をすこしさまして一口飲んで、マリアカルラが言った。
「少しも邪魔じゃない。そこに人がいるって気がしないの。これ、もちろん褒めてるんだけど」
「わかるわ」
「なんだけど、すごく存在感がある。この人がいてくれれば大丈夫──少なくとも今この瞬間は私は『大丈夫』なんだって……」
「安心感?」
「そうだわね。それともうひとつ、この人が仕えてくれる自分なら、まあ、捨てたもんじゃないなあっていう」
「主人としての矜持?」
「──あなた、なかなか賢いわね」
褒められているんだか上から見られているんだか、それとも冗談を言っているのかよくわからないマリアカルラの感想に、ディクテは声に出さずに笑った。
それから斜め後ろに控えているエデイラを振り向いた。
「エデイラ、あなたはどう思う」
「私ですか」
「これだけ褒められた気分は?」
「光栄です」
そういう声も普段のものとは微妙に違う。
髪が潔く短いのも手伝って、女性のメイドなのか少年の従僕なのかちょっと迷う見た目なのも面白くてよかった。
その証拠に、周囲の席の女性たちがちらちらとこちらを見ている。それらの目に浮かんでいるのは場の空気を乱しているといった類の非難ではなく、単純に、羨ましさだった。
「驚いたわ。私が知ってる使用人の誰とも違う感じ」
「おそれいります」
手放しで称賛するマリアカルラと比べ、王女のほうは落ち着いていた。
濃いめの紅茶を一口飲んで、
「さすがね、エデイラ」
ずばり、欲しかった言葉をくれるのは、人の上に立つ血筋の才能なのだろうか。
「あなたを育てた人の素晴らしさがよくわかるわ」
「嬉しいです。──それで?」
「それでとは?」
デモンストレーションはこれで終わり、と言わんばかりに口調をがらりと変えてエデイラが言う。
「私と彼らのどっちが上だと思いますか?」
「え、そこ?」
「競い合うのね、勝ち負けなのね」
「やだあ、この人けっこう負けん気強い!」
「なに言ってるんですか、当たり前じゃないですか!」
二人は体を折り曲げて笑い始め、その笑いはややしばらく止まらなくて、マリアカルラなど足までばたつかせて喜んだものだから、ついには店員から演技ではない素の困り顔で注意されるに至って、上流階級の二人は真っ赤になって恥じ入ったのだった。
◇◇◇
騒がせた詫びもかねて、三人とも、お代わりを頼んだ。
ひとしきり笑って妙にしんとした空気の中、エデイラはかねてから聞いてみたかったことを尋ねた。
「差し支えない範囲でいいんですけど」
「なによ」
「あなたが、私に協力して下さるという理由のことです」
マリアカルラは砂糖をふたつお茶に落としてくるくる混ぜている。
そこに拒絶の空気は感じなかったので、エデイラは続けて言った。
「なぜ、協力して下さるんですか。ご自分のご家族のことですのに」
風の通るあの回廊での会話を思い出す。
彼女は多くを語らなかったけれど、でもそこには、父親への憎しみがにじんでいた。
「お嫌いなんですか、ご家族のことが」
「憎んでいるのは父様よ」
周囲に聞こえないような、小さな声で彼女は言う。
「いえ……家族まとめて憎んでいるのかもしれない。表だって私を非難しはしなかったけれど、結局は父の言うなりになった母のことも、いざという時助けてはくれなかった兄様のことも、あんなに親身になって話を聞いてくれたくせに、いざ決議となると反対票はゼロだった親戚のことも、全部憎んでいるのかも」
マリアカルラの栗茶色の髪が光を受けてピンクがかって輝く。やや古風な形に結い上げられた髪には一筋の乱れもない。
「まとめて全員滅んでしまえって、思ってるわ。笑えるでしょ、笑っていいのよ。ゼロよゼロ。全員一致で、父様に賛成したのよ」
「なにが……あったのか、聞いてしまってもいいんでしょうか」
「聞きたければ話すし、聞きたくなければ話さないわ。気持ちのいい話ではないと思うし」
「聞きたくないなんて、言うはずがないじゃないですか。あなたさえよければ、聞きたいです」
絶妙なタイミングでディクテが言う。
「わたくし、席を外したほうがよければ外すわよ」
別に、とマリアカルラが首を横に振る。
「かまわないわ。どうせ上流階級ではアーロ家長女の婚約破棄は有名な話なのだし。現に、あなただって私の噂を知っていたから、この人に名指しで声をかけさせたのでしょう」
ディクテは否定も肯定もしなかった。
それをさらりと受け流し、マリアカルラは話しだした。
自分には元々許嫁がいたこと。そのこと自体は大貴族の娘であれば至極当然のことで、それを気に病むような教育は受けてきていなかったこと。今思えば検品制度のような婚約から結婚へ続く流れだったけれど、当時は疑問にも思わなかったこと。婚約者との仲は悪くなかったが、ときめきもなかったこと。
そんなある日、マリアカルラは家庭教師の若者と親密になる。はじめは苦手な外国語の勉強を習っていただけのことで、逃げたりさぼったりすることばかり考えていたのが、次第に彼の熱意に負けて、苦手なりに真面目に授業に出るようになったこと。そうしてみると、彼の教え方が際立って上手なことに気が付く。それだけでなく、マリアカルラのために、どうすれば苦手意識を払拭できるか、その人は、彼女が思うよりはるかに多くの時間と労力を割いてくれていることに気づいてしまった。
そこからはもう、恋だった。
彼は身分こそそう高くなかったが、語学においては才があったので、普通に考えればそう悪い相手ではないはずだった。
「普通に考えれば、だけどね。私が商家の娘さんか、せめて中流貴族であれば問題にならなかったかも。でもうちは違った」
国内最高の血筋を誇るアーロ家の長女が、しかるべき身分の相手と一緒にならない選択肢など、もとよりなかったのだった。
マリアカルラは悩んで悩んで、特別可愛がってくれていた親戚の一部に相談したりした。きょうだいのように仲がよかった婚約者にも相談した。
相談した相手はみな、マリアカルラを責めたりしなかった。やさしく話を聞いてくれた。
そんな当時の自分を口汚くののしりたい、とマリアカルラは吐き捨てた。
「あまりにも、頭の中がお花畑よ。今にして思えば、誰も味方なんていなかったんだわ」
「そんな」
「そうなのよ。現にあの人たちは、私を責めもしなかった代わり、励ましたり応援したりすることもなかったんだから。そこに気が付けなかった私が子供だったんだわ」
「子供って……その当時、おいくつだったんです」
「十三歳」
それは無理もない、とエデイラは思った。十三歳など、本当に子供ではないか。
同意を求めてディクテを見たが、ディクテはひっそりと目を伏せたままだった。
「あれよあれよという間に父様に密告されて、私、最後の挨拶もできなかったのよ」




