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She is a vampire【挿絵あり】  作者: べなお
◆Ⅲ Awakening

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第三十二話

挿絵(By みてみん)

 神器の柄から手を放し、その場に崩れ落ちる望。柄まで漆黒なそれは、望の手から離れようとも、その形をもとの長剣の姿へ回帰させることなかった。気力体力ともに限界を超えていた。しかしまだ何もかも終わったわけではない。


 望は疲弊しきった自らの体に鞭を打ち、何とか立ち上がって漆黒の塗り壁に手をついた。そのまま壁伝いに向こう側にたどり着き、その光景を目にした。


「…………」


 見るも無残な惨状。


 惨劇。


 染谷の四肢は貫かれ、死してなお倒れることも許されない。その肢体は深々と鋭利な刃で貫かれ、鮮血を溢れさせていた。そしてその刃の一本が染谷の口腔を貫き、神器”両面宿儺(シレウェ・ナザラタ)”を捉えていた。神器が構造を破壊されその機能を失った為か、染谷の両腕は萎びたようにやせ細り、拳は黒く焦げたようにくすんでいった。


 望は染谷の胸に触れ、まだ息があることを確認。しかしこのままでは長くはもたないだろう。ただこのまま百十番にかけるわけにもいかない。この状況を説明できる自信は、今の望には体力的にも実際的にもなかった。


 仕方ない。何から何まで結局彼女に頼りきりだが、ここはもう面子を保っている場合では――


「染谷君、一体、貴方は何をしているのかしら。私はそこの坊やを片付けなさいと言ったはずだけれど。それがどうして貴方が倒れるようなことになるのかしら」


 望は自らの聴覚を疑った。しかし何者かの声が、壁の向こう側から聞こえてくるのだ。そんなはずはない。有り得ない。屋上への扉は染谷が施錠していた。まだそれが開かれた様子はない。そもそも、人の気配は自分と染谷以外にはなかった。プシュケーを感覚していたのだから見逃したはずはない。ということは、この声の主は今しがた、そこへ突如として唐突に現れたことになる。そんなことは――


 いや。


 それができる存在を自分は知っている。


 声は壁の向こう側から、聞こえている。そこはつい先ほどまで望がいた場所だ。


「無様ねえ。貴方には失望したわ。そんな人間一人処理できないだなんて、腕が落ちたのではないの? これでは私の眷属として生かしておくことも、考え直さなくてはならないわ。……嗚呼、せっかく私が授けた牙をそんなにしてしまって」


 それは女性の、声だった。聞いたことはない。望の記憶にはない声だ。しかしどこかで似たような波長の声を聴いた気がする。そう、それはいつも聴いていた。いつもきこえていた声とよく似ていた。


 声の主が壁の右側からその姿を現した。学校という場所において違和感のない女子のセーラー服。背丈は八重垣と同じくらいだろう。腰まで伸ばした見事な艶のある黒髪が、いつの間にか顔を出した月の明かりに面妖にも映えていた。そして陶器のように整った顔。その顔を、望は目にしたことがあった。実際に顔を合わせたことはない。しかしその顔は写真では見たことがあった。


「望月、燕…………」


 逢見学園生徒会長、その人だった。相対するのは初めてだったが、その噂は彼女から聞いていた。しかしそれによる望の中のイメージとは、眼前の彼女はかけ離れていた。表情からは感情がまるで抜け落ち、生徒会誌の写真にあったような温厚そうな雰囲気は消え失せている。


「その通り。私は望月燕だったわ。けれどもうやめたの。だからそのような俗物にまみれた名前でこれ以上呼ばないでくれるかしら? 叶望君」


 こちらのことは知られているわけか。当然だ。


「あんたが全ての元凶――染谷や他の人間にあんなものを植え付けて縛り、逢見市の人間から血を集めさせた吸血鬼ってわけだ」 


 そして浅間栞の真の敵。染谷明をあそこまで追い込んだ諸悪の根源。


 望月燕は怪しく破顔すると、唇の両端からその白い八重歯を覗かせた。あれは神器でもまやかしでもなく、本物の吸血鬼の牙である。望の僅かに残った感覚が、それを望に教えた。


「ご名答。よくできました、と言うべきかしら。まさか染谷君を倒すとは、ねえ。そんな存在がここにまだいたとは、私も思っていなかったわ。彼からはまだ血を貰っていなかったわね。一体誰の血だったのかしら」


「……浅間栞だ」


 望は自分の中に、何かどす黒いものが燃えたぎっていくのを感じた。


「あんたは知ってるはずだ。浅間栞。それはあんたが救った、たくさんの生徒達の一人だ。あいつはあんたに感謝してたッ。あんたのおかげで、あいつはッ、一度諦めた人生を、取り戻したっていったんだぞッ! 知らなかったなんて、絶対にいわせねえぇッ。どうしてあんたのような人間が、そんな風になっちまったんだよッ」


 意識せずとも次第に大きくなる怒号。どうしても抑えきれなかった。この目の前の女に、ぶつけなければ気が済まなかった。この怒りを、この悲しみを、この憤りを。吐き出さなければ気が済まなかった。


「……そんな娘も、いたかもしれないけれど。ごめんなさい。吸血鬼になる前の事はあまり良く覚えていないのよね。その浅間……だったかしら? その娘は私が救った生徒なのね? そう。そうなの」


 彼女はこの世のものとは思えない、醜悪と歓喜で顔を塗りたくった。瞳孔を開き、口元を歪ませ、頬を紅潮させ、彼女はどうやら、歓喜していた。そのあまりにも嫌悪感の感じさせる変化に、望は吐き気を覚えて口元を覆う。


「そう、そう、そう。素晴らしいわぁ。そうなのね。それは素晴らしい。素晴らしい。染谷君も分かっているじゃないの。貴方の失態は取り消すわ。命も取り留めてあげましょう。これを片付けるまで少々まっていなさいな。……嗚呼、それにしても気分が良いわ」


 望には、目の前で起こっていることに理解が追い付かなかった。分からなかった。この目の前の女は、明らかに自分の理解のできる範疇にない。生徒会の長にまでなった者が、いったいどうしたらそんな所に堕ちることになるのだろう。自らの常識が、道徳が揺らいでいく。


「どうして……何がそんなにおかしい」


「何がって、全てがよ」


 彼女はその醜悪な笑みを更に濃くした。


「誰かに助けを求めなければ生きていけないような奴はねえ、死んだらいいのよ。ああ、いやだ。汚らわしい。吐き気がするわ。思い出したくもない。嫌だ嫌だ。奴らは一度助けると、その先も求めるんだわ。その先も永久に救いを乞い続ける。あたかも助けてもらえるのが当然とでも言わんばかりに、権利だけを主張する。弱さを盾にとって、権利を振りかざすんだわ。そして助けなければ非難を始める。奴らは生ゴミだわ。そんな者達は死んで当然なのよ」


 望には、最初に彼女が何を言っているのか全く分からなかった。


「私も、最初は希望を抱いていたような気がするわ。死ぬ思いで、ろくに寝もせずに働いた。自分が誰かを救えるのなら、役に立てるのならと、必死になって闘った。誰かを救ったことも一度や二度ではないわ。生徒会に入り、ありとあらゆる手を使って学校内の統制を保ち、人間関係を正常化した。私以外の誰にも、それはできなかった。けれどそれは全て裏切られたのよッ」


 望には、彼女の絶望が分からなかった。彼女が何を抱えて、何を思って、今そこに立ち、その増悪にまみれた言葉を吐いているのか、望には分からなかった。ただただ、圧倒されるのみ。


「もういいのよ。言葉が過ぎたわ。どうせ凡人には理解できないことだもの。貴方は……まあまあ頑張ったようだけれど、ここで終わり。この私が、直々にプシュケーを吸い尽くしてあげるわ。感謝しなさい」


 彼女の声が、鼓膜を震わせ、聴覚に侵入し、頭の中を無限に反響していった。それは声に含ませた彼女のプシュケーだということに、気が付く前に、望は――


 危機を感じた時には、既に意識が落ちて。


 落ちて、落ちて、落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて――

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