第二十六話
そうマタギが言うと、望を段ボール部屋に待たせて外へ出ていった。できることなら、望も早くこの不快な閉鎖空間から脱出したかったが、そこは堪える。しばらくしてマタギは、一人の男を連れて入り口の暖簾を上げた。
それは薄汚れたワイシャツにベージュのパーカー、擦り切れたジーンズという出で立ちの髭をたっぷりとこしらえた禿頭の男だった。マタギは男に説明し、男はそれに対してもの難しい態度で接している。男はマタギに斎藤と呼ばれていた。
「……私は奴を殺ったかもしれない男に心当たりがある」
「……それは、本当か?」
ツマミと酒を受け取って、斎藤なる男は語り出した。この男、その生活に堕ちる前はまともな仕事をしていたのか、説明の仕方がやけにこなれていて妙に理解しやすい。
春先のことだ。ダンボールアパートメントを訪れた一人の若者があった。週末の深夜、満月の日だったと斎藤は言う。若者は高校生程の男、身なりは小綺麗でこのような場所に縁があるとは思えなかった。
少年はどうやら家出をしてきたらしく、しばらくここに置いて欲しいと言ってきた。斎藤は隣人達と顔を合わせて相談し、面談事を避けようと一度は突っ撥ねたが、少年の意思は思いの外硬かった。ついには斎藤達が折れ、当面の間少年がここに留まることを渋々ではあるが認めた。
斎藤達も最初は、その少年もすぐに根をあげてもとの生活に戻りたくなるに違いないと考えていた。しかしその予想に反して、月が変わる頃にも少年がホームシックにかられている様子はなかった。あまりの堪えなさに、斎藤自身が心配になって少年に話を聞こうと赴いた程だ。しかし少年はやって来た日以降、何かを語ることはなかった。
やがて少年の存在が日常的な風景と化し、誰もが彼を追い払うことを諦めかけた頃、事件は起こった。
「鵜飼が殺られたあの日、跡形もなく消えたんですよ。生活用品から何から何までと一緒にね。まるで最初からいなかったと思うほどに」
鵜飼というのはどうやら、第三の被害者の名らしい。恐らく”マタギ”同様、本名ではないだろう。確かにこれまでの連続殺人で唯一の男性の被害者である。
「……そう言えば、そんな、奴がいたな。愛想の欠片もない、何考えてるのか、分からない気持ち悪い、奴だったか」
と口を挟むはマタギ。その顔は紅潮し、既に事件の事などどうでもよくなっている様だ。望は既に酔っ払いの存在を視界から排除し、その正体不明の少年について思考する。ここまで当てもなくやってきて初めて浮上した容疑者。しかし、そんなに簡単にたどり着けるものなのだろうか。真相という場所に。何かが頭の裏側に引っかかる感覚を覚えてならない。
しかし看過することもまた、他に糸口の無いこの時には有り得なかった。
「そいつの特徴は? どこに行ったのか、心当たりは」
「…………分かりません。背丈は確か、百七十程。髪の毛は短く刈っていて、しかし常にフードを被っていて顔までは」
そこでふと一つのことに思い至り、望は齊藤へそれを投げかける。
「確かそいつは、高校生位の年に見えたって、言ってたな」
齊藤は目を閉じ、ゆっくりと自らの記憶を確認するようにしながら再度言った。
「……あれは中学生では、ないと思います。どことなく大人びた雰囲気を持っていました。――どこか苦しんでいるような焦り、も」
「……わかった。ありがとう。あんたも、手間を取らせて済まなかった」
齊藤は非常に丁寧にこちらへ会釈を。対照的にマタギは。
「おうにいちゃん、……また、なんかあったら、つまみもってまた、こいやっっ」
お昼を傍に見つけた喫茶店で軽く済ませ、望は次の取るべき行動を決めた。昼食の際についでに携帯電話で調べておいた事柄をメモした紙片を片手に、次の目的地を定める。彼らからは非常に重要な事実を聞くことができた。突然姿を消した少年の居所は闇のままだが、少なくともその手がかりはこの手にしっかりと握られている。
少年は”高校生”である可能性がどうやら高い。そしてそんな彼が、勝手に一人家を抜け出して果たしていつまでも野放しにされているだろうか。残念ながらそうはならないだろう。彼の家族は、在籍する学校の人間は、必死に血眼になって彼を探しているはずである。自分のような、突然ある日いなくなっても誰も気にしないであろう人間の方が、きっと少数派であること明らか。ならどうすべきか。方法はただ一つ。
その手に握られた紙片には、逢見市に所在する高等学校の名前と住所を列挙してあった。この中から、ある日突然学校へ来なくなった男を探せば良い。言うは易しだが、行うは難し。要するにここからは根気の勝負である。逢見市に現在高等学校は六校存在する。警察でもないただの高校生の自分が、怪しまれず情報を収集する方法も考えねばならないだろう。しかし。
「ここまで来たら、もう意地だ」
そこからは地道な作業。望一人で歩き回るには逢見市は些か広かったが、他に助けを求められるような人間に心当たりはない。孤独にも望は七月の残りほぼ全てを、逢見市中を歩き回ることに費やした。週末以外は朝から歩き詰めで、気のせいか足腰が強くなったように思うほどである。
その間に事件の更なる被害者が現れることはなかった。六人で終わりなのか、それとも今は束の間の休息をとっているだけなのか、それはわからない。
事件について考え続ける間に思うことがあった。この事件に異様に固執し、本来なら交友、あるいは交遊などして過ごすべき休暇を割いてまで当て所なく街を彷徨う自分は、もしかしたら異常な人間なのかもしれない。不意に夢に見ることがある。漆黒の帳の降りた街を徘徊する自分。力なき標的の匂いを嗅ぎつけ、力の為せるままに蹂躙し、有無を言わさず痛めつける。そして生血をその自らの八重歯で啜る自分。その度に望はベッドから飛び起き、それが夢であったことに安堵するのだ。
ラミアには自ら助けを求めることはしなかった。彼女の助力を得られれば、恐らく瞬く間に事件は解決するだろう。しかし彼女には既に釘を刺されている。人間同士の問題に、彼女は手を出すことを良しとしない。これは自分自身で解決しなければならない問題だ。人生には誰の助けも得られない、自らの力で進むしかない瞬間が幾度となく存在する。まさに今がその時なのだ。
それがわかっているのか、週末を迎えてもラミアは事件のことについて触れようとはしなかった。いつものように振る舞い――つまる所、いつものようにからかわれるということだが――いつものように望に接する。この件がもし解決した暁には、また彼女の酒に付き合うのもいいかもしれない。と思うくらいには望の精神は明らかに疲弊していた。しかし、机の上に置かれた、浅間の前で購入した文庫本が視界に入る度に、望は思い直す。何としてでも犯人を捕まえる。そして、然るべき償いをさせる。それまでは、自分は倒れるわけにはいかないのだ。
そうだ。何もかもが終わったら、八重垣を誘ってみるのはどうだろう。俺などに気を使われることを彼女が許すかどうかわからないが、竹刀の練習相手もとい練習台くらいになると申し出れば、八重垣命も気を遣うこともないはずだ。しかしあれから多少は力をつけた望である。今度はそう簡単にやられる気はない。
そんな風に気を紛らせながら、望は再び寝台の上で瞼を閉じた。暑苦しい熱帯夜だが、疲れから次第に意識は遠ざかって行った。




