第二十四話
時は夕刻に差しかかろうとしていた。場所は第二の殺害現場である公衆トイレ。デジタルカメラを構えながら、その液晶に切り出される画像の中に何か手がかりを見つけようとするが、どうにも芳しくない。望の目には、それはただのどこにでもありそうな寂れた便所以外に映ることはなかった。こうして殺害場所を回ることにどれだけの意味があるか疑いそうになるが、しかし他の有効な手立てが思いつくわけでもない。
「今日は、ここまでか」
明日は六月に起こった三件の現場を回る予定。しかし最早望も、革新的な何かがそこにあるとはとても思えなかった。事件の跡は今日回った二つの場所には既に残ってはおらず、当時のことを覚えている人も少ないだろう。そもそも素人の望が聞き込みなどしたところで、まともに取り合ってくれる人間がどれだけいるだろうか。また警察に目をつけられる恐れもある。しかし今日の二件よりは時系列的には最近の三件である。僅かな希望をかけ、地道に積み重ねていく他に方法はないように思われた。
電車で帰路についた望は、駅前のファーストフードで夕食をとることにした。疲弊した頭と体で、帰ってから料理する気になれなかったからでもある。眠そうな顔をした中年男性の店員に注文を伝え、しばらくして出されたハンバーガーとポテトのセットを受け取ってカウンターの席へ。ほぼ氷の烏龍茶を流し込んで体を冷やし、ポテトフライを摘みつつ再び思考を巡らせる。
店内はそれなりに混んでいて、カップルやサラリーマンなど客層は様々。駅前だけあって来客は多く、その中に多様な人種が含まれるのだろう。そこから何を連想したかといえば、連続猟奇殺人の被害者達である。本当に彼らは、無差別に神の気まぐれによって選び取られた、理不尽な犠牲者でしかないのだろうか。なにかが頭の内側で、引っかかっている気がする。
ハンバーガーの包みを開けると、不覚にも挟まれたケチャップから血の想像を喚起させて食欲をなくす。
血。
血液。
本当に吸血鬼は今回の件には無関係なのだろうか。自分は何かとんでもない思い違いをしているのでは……
「おやおや、これは誰かと思えば、叶望君ではないですか」
突如として、あたかも気の知れた友人との待ち合わせていたかのような振る舞いで、一人の男が向かいの席に腰かけた。夏休みにも関わらず学ランを着込み、背丈は望より僅かに高い。中々に整った目鼻立ちに銀縁の眼鏡。レンズ越しに、憎らしいほどにこの世を皮肉ったような良いとは言えない目つきがこちらを覗いている。
「…………何の、用だ」
高坂。
逢見学園に入学して早々、望をスクールカーストの最下層に貶めたあの溝口修平のグループの一人。あの夜の一件の後、学校にも来ずに何をしていたのかと思っていたが、どうやら人間不信になって引きこもっていたというわけでもないらしい。自然と身構えるは望。
「そう硬くならないでください。いやあ、あの時はやられましたよ。まさか君が本当はあんなに強かったなんてね。あのテコンドーで鳴らした副会長、染谷明とも良い勝負かもしれないですねえ」
どうにも相手の思惑がつかめない。
「……そう怖い顔をするな、といっても無理があるんでしょうねえ。私は君に対して恐ろしい仕打ちをしてきましたから。謝罪を受けてくれるのなら、いくらでもしましょう。もう溝口……彼等とも関係は持っていません。父親に散々怒鳴られましたよ。おいたがすぎると、ね。僕自身調子に乗っていたところがあるのは認めましょう。溝口君がその時の僕には興味の対象でしてね、そこそこ楽しめたのですが、もっと興味のそそられる対象を見つけたのですよ」
そうまくしたてると、高坂はいかにも高級そうな腕時計のつけられた腕をこちらに向け、掌を表にしてみせた。
「貴方です、叶望君」
「何を言ってる」
「僕は貴方に興味があるのですよ、溝口修平よりもね。僕の目に狂いはありませんよ。家柄のせいか、色々な人間を……様々な人間を見てきましたからねえ。その中でも貴方はとびきりだ。今の貴方からは芳醇で危険な香りがします。破滅するにしても、大成するにしても、おもしろい」
以前からおかしな奴だと思ってはいたが、どうやらその予想は的中していたらしい。あの吸血鬼狩りと同じくらい、会話が成立しそうにない。そう思わせた。言葉を返す気も起きず、沈黙を守る望に対して彼は。
「まあいきなり打ち解けられるとは思っていません。今日は君の姿をたまたま外から見つけたものでね、折角と思って声をかけさせてもらったまで。深追いはしませんよ。噛みつかれたくはありませんからねえ。それに今も、何かやっているようだ」
「お前……」
こいつは、何か知っているのか。
「溝口君達は休み明けには復帰するでしょう。もう、以前のようなまねはできないと思いますからご安心を。あれは僕が結構頑張っていたのですよ。学校のクラスという空間を、階級化して封建制を敷く。上手く立ち回るのも意外と大変でね。ほらあの溝口君は見ての通り馬鹿なのでね。祭り上げるのは楽でしたが、体制を維持するのに苦労しましたよ。まあ良い勉強にはなりましたが」
あたかも仕事の苦労話でもするように、彼は語る。
「忠告しておきましょう。今この街は普通じゃない。異常だ。何か凶悪で、禍々しい存在にとりつかれている。くれぐれも取って食われることのなきように。これ以上は僕も喋れません。それではまた」
引き留める間もなく、高坂は席を立ち踵を返した。その後には、先ほどからの店内の喧騒が鼓膜に再び流れ込んできた。突然のことに、周囲への感覚が遮断されていたらしい。無理はないだろう。最近は色々なことが起き過ぎている。疲れが来ているのかもしれない。
飲み干した烏龍茶のカップを捻り潰し、残っているハンバーガーを丸呑みにした。
まだ足りない。まだまだ足りない。そう彼は言う。まだ、足りないのだそうだ。彼女を救うのには、まだ十字架を背負わなけらばならない。この身にかけられた呪いを持ってして、更なる罪を重ねなければならない。一度は何とか遂げることができたが、次はどうだろう。もう一度それを犯したとき、果たして自分は今の自分のままでいられるのだろうか。
構わない。自分のことはとうに諦めている。もうこの身は既に半身を泥沼に突き入れている。もう後戻りはできない。取り返しはつかない。しかし彼女だけは、彼女だけはそうなってはならない。彼女だけは何としてでも救わねばならない。そう硬く胸に刻み、心にかかる邪念を振り払う。それはすぐに済んだ。だんだんと、自分が人間性を失っていくのを感じる。私という人間が姿を変え、恐ろしい怪物へと変異していくように。
それで良い。
例え怪物になろうと、罪人になろうと、構わない。構わないから、どうか彼女だけは、彼女だけはこの地獄から引き揚げて欲しい。自分は地上に戻れなくともよい。けれど彼女だけは、どうか彼女だけは。
その為ならば、どんな悪行にも罪にも、この手を染めることにしよう。
沈んでいく。沈んでいく。沈んでいく。更に沈む。沈んでいく。




