冬の温もり
※エリックが山で暮らし始めた『夫婦の暮らし』より少し後の、冬が深まってきたころの話です。
最近、エリックには気になっていることがある――。
「――今日もすごい雪だ」
水汲みから戻ってきたエリックは、冬を迎えてから毎日降り続ける雪に肩を震わせながら家の中へ入った。
まだ吹雪いてはいないが、それでも王都暮らしが長かったエリックから見れば驚くくらいの雪が毎日降っている。
「お疲れ様です。お茶を飲んで温まってください」
「ありがとう、メイジー」
汲んできた水を水がめへと移し入れると、外から帰ってきたエリックのために、メイジーが温かいハーブティーを用意してくれた。
彼女お手製のハーブティーは、その日の気温や体調などで種類を変えているらしく、温かい湯気と共に漂ってきた香りはエリックにとって初めてかぐものだったが、いつも飲むと体の調子が良くなるので、これも魔女の名を冠する理由だろかと思えた。
「お菓子もどうぞ」
「ああ、ありがとう」
ソファに座ると、メイジーが焼き菓子も出してくれた。
メイジーは一日の間に何度かお茶とお菓子で一休みをすることを好み、エリックは王都で騎士をしていたころには仕事柄荒々しいことの方が多かったので、この穏やかなひと時をとても気に入っている。
湯気の立つ温かいカップを取ってエリックが中身を飲もうとしたとき、隣にメイジーもやってきて――互いの肩がくっつくほどすぐ側に座った。
ハーブティーを飲もうとしたエリックの手が思わず止まる。
そんなエリックの様子に気づかず、メイジーは焼き菓子を口に運んでいた。
菓子の割れる小さな音だけが聞こえる。
エリックはその音を聞きながら、まだカップの中身を飲めずに固まっていた。
メイジーの緩やかに波打つ髪がふわふわと触れて、エリックをそわそわと落ち着かない気分にさせる。
最近エリックが気になること、それはメイジーがぴったりとくっついて座るようになったことだった――。
もちろん、メイジーがくっついてくることが嫌なわけではない。
二人は夫婦だから何も問題はないし、エリックはメイジーの肩を抱き寄せてもかまわない間柄だ。
ただ、エリックが山へ戻って来たばかりのころは、夫婦となっても恥ずかしそうに手の平一つ分ほど離れて座っていたメイジーが、最近になって突然ぴったりとくっついて座るようになったことが気になった。
あまりにも突然だったので、何かしらの理由があるのかもしれないと、エリックは考えた。
そういえば、メイジーがこんな風にくっついてくるようになったのは、いつ頃からだっただろうか。
確か、あれは初雪が降ってしばらくして、それまでの寒さが序の口だったと痛感するほど、一段と冷え込んだころあたりからだ。
そう思い返して、エリックは一つの考えにたどり着いた。
「……メイジー」
「はい」
エリックがすぐ側に座るメイジーに声をかけると、メイジーはにこやかな笑顔で顔を上げた。
息がかかりそうなほどの近距離で見つめる。
「寒いのかい?」
「え?」
エリックの問いかけに、メイジーは目を瞬かせた。
「最近くっついて座るから、もしかして寒いのかい?」
冬の寒さには慣れている様子だったが、それでも寒くないわけではないだろうから、もしかしたらメイジーは寒くてくっついてくるのではないかと、エリックはそう考えた。
そんなエリックの問いかけに、メイジーは瞬かせていた目を大きく見開くと、普段から薔薇色の頬をさらに真っ赤に染め上げた。
「ご、ごめんなさい……っ」
「メイジー?」
「寒かったわけではないんです。でも、勝手にくっついてしまって、ごめんなさい……っ」
急な謝罪の言葉と共に、メイジーの体がソファの端まで離れた。
手の平一つ分どころか二つ分以上も距離が開いてしまったことに、エリックが慌てる。
「メイジー、違うんだ。くっついて座ることが嫌なわけではないんだ。ただ、最近から一段と冷えるようになってきたから寒いのかと思って尋ねただけで、俺は体温も高いから、全然くっついてくれてかまわない」
離れてしまったメイジーに、エリックの口数が普段より多くなる。
エリックとしても自分の不用意な一言で、メイジーが遠慮して近づかなくなっては困るので、少し焦っていた。
しかしメイジーはエリックの焦りには気づかず、恥ずかしそうに自分の顔を手で覆って呟いた。
「いえ……あの、寒いというより……癖、なんです……」
「癖?」
エリックが尋ね返せば、小さく頷いて髪が揺れ動く。
先ほどエリックの肩にふわふわと触れて、落ち着かない気分にさせた髪だ。
しかし、手の平二つ分以上遠くなった今の方が、エリックは落ち着かなかった。
ソファの端で、メイジーが小さな声で呟く。
「……昔、祖母がまだいたころ、冬になるとよく祖母にくっついていたんです。寒いからということもあったのですが、冬は家の中で過ごすことが多くなるので、編み物をしていた祖母の膝にくっついて眺めたり、昔語りを聞いたり……」
今は亡き先代の魔女である祖母と過ごした、懐かしい日々の思い出だった。
両親を早くに亡くしたメイジーにとって、この山で暮らした家族であり、厳しい北の山を守る役割を教えてくれた祖母。
侵入者から恐れられ魔女という名を持ちながらも、メイジーから見れば大らかで優しさにあふれた、大好きな祖母だった。
祖母と孫娘だけで山を守る暮らしは大変だったが、雪が解け花が咲けば二人でよく山の中を散歩したり、季節の変わり目には家じゅうのカーテンを付け替えたり、そして寒く厳しい冬には暖炉の前の椅子に座って編み物をしている祖母の膝の上に頭を預け、何をするわけでもなく静かにくっついて過ごしていた、そんな日々の思い出だ。
「頭を撫でてくれる祖母の手の温もりが心地よくて……。多分、冬になって無意識にその癖が出てしまったんです……」
顔を覆った指の合間から、真っ赤になった頬が覗く。
エリックはメイジーの言葉を聞いて、幼かった彼女が祖母にくっついて過ごす冬のひと時を思い浮かべた。
きっと先代の魔女は、くっついてくる孫娘が可愛くて頭を撫でていたのだろう、そんな優しい冬の光景を。
「なるほど……」
「ごめんなさい……。エリックさんに祖母を重ねてしまうなんて……」
「どうして謝るんだい? 君の大事な祖母君と重ねて貰えるなんて光栄なことだよ」
エリックは先代の魔女と会ったことはないが、この国の民なら誰もが知っており、敬われていた存在。
そして、メイジーの大事な家族だ。
メイジーがそんな祖母と過ごしていた日々の癖を無意識に出していたというほど、自分に心を許してくれたことがエリックには嬉しかった。
「メイジー」
エリックは名前を呼びながら、メイジーの方に向けて腕を広げた。
顔を覆っていたメイジーは、エリックを見て目を瞬かせ、それから少し遠慮がちに近づいた。
ぎこちなくエリックの腕の中に身を預ける。
ついさっきまで無意識にくっついてきていたのに、意識すると遠慮がちに寄り添うメイジーに、エリックは愛おしいという気持ちを感じて肩を抱き寄せた。
緩く波打つ蜂蜜色の髪を指先で撫でながら、耳元に顔を寄せて普段より小さな声で囁く。
「冬だけでなく、いつでもくっついて欲しいくらいだよ」
俯いているメイジーの顔はエリックから見えなかったが、髪の合間から覗く耳まで赤くなっていて、そっと口づけを落とした。
肩を抱く手に力を込め、心地よい温もりを感じる。
寒い冬も良いかもしれない。
そんな風に思えた冬の日だった。
初めにメイジーが爆弾発言を落としたわりに、一歩近づいては二歩下がったりしながら仲を深めている二人です。
読んで頂きありがとうございました!