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その③

   ◆

昔はこの車道をまたぐ歩道橋を沢山の人間が行き来していただろう。

錆び付いた鉄柵の上から見下ろす世界は小動物が闊歩した静寂に包まれた草陰や葉叢の世界が広がっている。


「やーめーてーっ、与太丸ちゃ――ん」


――お前……餌……カナンなるもの美味。


「いやぁぁぁぁぁぁぁ――っ、うちは美味しゅうないよーっ」


――だから与太丸は食わない……お前は何でもなると言った……餌。


「びえーん、ひどすぎますぅーっ。うちは釣りの餌じゃないのです。このキュートな乙女(かまいたち)をもっと優しくあつかってくださいーっ。そうでないと裏山の神木に与太丸そっくりの藁人形を五寸釘で打ち付けながら泣いちゃいますよーっ!」


 ――藁人形? それ美味しいもの?


「何でも食いっけなのですかーっ!?」


 頬を真っ青にしたあかねの蜂蜜色の瞳がとらえる視界は完全な絶壁だ。

 地面から程よい距離に吊り下げられたあかねの姿はまさしく釣りの餌。

 ズズズッと涙目で鼻をすすったあかねの悲鳴。

 与太丸は風化しそうな鉄柵越しにずいっと顔を覗かせた。


「もう涙がちょちょ切れそうです……ここら辺りは野良たちやカナンなるものの縄張りなのですーっ。早く逃げないとカナンなるもの達がわんさかきて、脳みそ弄りまくられますよ!」


――お前泣いてばかり……さっきの奴……美味しかった。


「カナンを捕食するなんて芸当、そんな事を真顔で吠えるのは与太丸ちゃんだけですよ。まぁ……たしかに美味しそうなカナンもいますが……って、早くうちの縄を解き放ってーっ!」


 ――安心しろ……与太丸もグルグル巻き。


「どこに安心できる要素があるのですか」


 カナンなるものが食べ物だと壮大な誤解をしている与太郎にあかねは空を仰ぎながら「ぷはぁ」と深い溜息を吐いた。

 その溜息の先で蜃気楼のように空間が揺らぎ生者の気配が現れる。


「う、うわぁ、私のシマで妖怪同士がSMプレイですって! なんて羨ましい……じゅるる」

 大空からの遠慮のない下降視線が降り注ぐ。

 与太丸とあかねにむけた端整な顔を真っ赤にした少女。

 ほうきにまたがりフリルのスカートをひらひらなびかせながら悠然と舞い降りてきた。

 腰元で纏められた長い黒髪、心臓が早鐘を打ちそうなほど眉目秀麗な相貌に全体を黒でまとめたゴスロリファッション。

 ただ、立ち振る舞いや雰囲気は洗練されており清楚に微笑んだ姿はまさに女神のうつしみを彷彿させる。


「このような片田舎の辺境の片隅で何を……って、あれっ!? ……その美形に小汚い巫女装束……ややっ、学園都市の人の子が持っていた写真で見たことがありますわ、もしや、むっかしに銀髪の一族に騙されて五光堂の地下牢に縛られていた与太丸ではありませんか?」


 少女はおどけたようにフリルのスカートを優しく撫ぜて小さく頷く。

その柔らかくつぶらな唇から甘い吐息が感じられそうな可愛らしい声でつぶやいた。


「び、びえーん。カナンなるものがおりてきたのです。折角、研究所から命からがらほうほうのていで逃げてきたのに。嫌なのです、もう、あんな、権利の欠片が一寸もないところにはもどりたくないです」


 あかねはぴーぴーと泣き叫び声で不満と不安を吐き出した。

 そんなあかねの悲鳴に鼓膜が破れた錯覚を体験した少女は機嫌が悪くなったのだろう、愛想笑いの消した表情で歩道橋に舞い降りた。


「相変わらずとんだ失礼さんですわ。その目はこちらの世界でも節穴のお下品さんですね。私の何処を見てカナンなるものに見えてしまいますの」


 あかねは一瞥してぷっと頬を膨らませた少女は腰元に手を当てると物珍しい者と遭遇したという感じだ。 


「この縄に縛られたドM貧乳妖怪。穢れ無き至宝や辺境のロブスター使いとうたわれている、わたくしをカナンなるものと一緒にしないでくださいます。あのような脳みそをすいながら強者に尻尾をふって媚びへつらう下賤なもの達などと同類にしないでくださいます……わたくしは、け、けっして貧乏に負けてゼニのために人間を助けてしまって、学園都市から左遷されてこのようなところにきたのではありません……はずですわ、シクシク……貧乏なんて……」


――お前、与太丸のこと知っているの? ……もしかしての知り合い?


ゴスロリファッションの少女を見据えた与太丸は興味津々でじーと見つめた。


「いえ、わたくしはシロと名乗っていた人間だった者が大切に持っていた写真に与太丸の姿を見ただけですわ……この世界では。あのシロといった人の子が同じ牢で嬉しそうに懇切丁寧に説明してくれたときはお話を思い出しますわ」


――牢? お前は悪者? カナンなるものなの?


「わたくしがカナンなるもの? 冗談と趣味はそのSMだけにしてほしいですわ」


「誰が好きでこんな格好するかーっ!」


 あかねの魂の雄叫びを無視した少女はふわりと高架に降り立つ。


「わたくしはこの辺りを一帯のビルの端っこの部屋を縄張りにしているミンメイという者でしてよ。ところでそこのSM女がつけている妖怪のネームシート。東の学園に属する研究所のものではありませんか。昨日、学園都市内でおきた混乱に乗じて数匹の妖怪が脱走したと聞き及んでいます。与太丸は報奨金目当てに捕まえたのですか? それならば一蓮托生。ここで出逢ったわたくしにも権利がありますわ。もう三日も食べていませんので……ごはん恵んでください、いえ、ごはんをご馳走になってもよろしくてよ」


「びえーん。よだれをたらしながらみつめないでくだしゃい。うちは雑魚なのです、引き渡しても二束三文なのです。もっと懸賞金のかかった大物を捕まえてください」


「むふふ……この不景気ですもの二束三文でも腹の足しになりましてよ」


「ひえーっ、だめですぅ、説得失敗しましたーっ」


 無骨にくすむ鈍色に風化した歩道橋の錆びついた鉄柵越しに両手両足をしっかりと縛られて吊り下げられたままの戸惑うあかねは懸命に逃げ出そうともがく。

 その姿は水たまりに落ちた芋虫を連想させる滑稽さがあり真紅の瞳を細めて鋭い視線で様子をうかがっていたミンメイの口元が僅かに失笑していた。


――やっぱり……お腹すいた……このミンメイ……食べる。


「与太丸……この世界(、、、、)の貴方を少し買いかぶりすぎていましたわ。まだ、赤子姿(、、、)のほうが可愛いらしさがありましてよ。わたくしをなめないでいただきたい。わたくし……いえ、カナンそのものに対抗するため(、、、、、、、、、、、、、、)創られし魔装少女のこのわたくしを!」


 何かノスタルジアを感じているようなミンメイは柔らかな仕草でそっとほうきを右手に持ちかえると漆黒のドレスをなびかせる。

その落ち着きを払ったミンメイの魅力的な唇から可愛らしい声音が紡がれる。

 呪文の詠唱が始まると幾何学模様の魔法陣が幾重にも折り重なり与太丸とあかねがいる歩道橋がギリギリと音をたてて取り囲まれる。


――ギリギリとうるさい音……もしかして歯ぎしり?


「絶対に歯軋りじゃないですよーっ、与、与太丸ちゃんこれはヤバすぎます。あいつはカナンなるものではなかったです。もっとたちが悪い魔装少女ですよ」


――魔装少女って何?


「もうもう世間知らずもここまでくればアッパレなのです。アッパレすぎて腹が立ってきました。こんなところで死にたくないですぅーっ、兄者たちの仇もとってないのに」


――ねぇ、早く教えて。


「びえーん。もし生き残れたら魔装少女でもカナンなるものでもうちの初恋の話しでも何でも教えてあげます。だけどパンツの色だけは駄目ですーっ。あんな布っきれつけたことないので……ああっしまった、殺される前にとんだ乙女の恥じらいをカミングアウトしてしまいましたぁーっ」


 あかねは涙いっぱいで絶望の色が滲んでしまった綺麗な瞳をパチパチと瞬かせると頬を鉄柵の間に押し付けて諧謔じみた言葉を叫んでしまう。

もう乙女の恥じらいどころの騒ぎではなかった。

 人気のない大通りの真ん中に鎮座していた歩道橋がグラリグラリ振動する。

 与太丸とあかねの見上げる先。

 幾何学模様が回転しながら空間を照らし鴉羽色よりも純粋に暗く輝く闇が本能で感じ取れる。

 怯えるあかねとは違い与太丸の瞳は好奇心を色濃く浮かべていた。

唇を嗜虐的にグッと歪めたその表情は歓喜を必死に呑み込んでいる。


「やっと出逢え(、、、)まのしたのに、少しお灸を添えてあげますわ。もう後悔しても遅くてよ。こんなところで魔力とカロリーを使うことは不本意の極み……素直にパンがなければお金をお出しの喝上げ精神にのっとってそのメス妖怪を学校の施設研究所(、、、、、、、、)に連れて行って懸賞金を山分けにすればお腹のたしになりましたのに」

 冗談にも聞こえないミンメイの可愛らしい声が高らかと響く。

 幾何学模様で囲まれた闇に振動すると大空や大地が息づく温もりが遮蔽され無機質で寂寥感が跋扈する空間が形成される。


「わたくしの空腹に……いえ逆鱗地にふれてしまうとは、その身を大地にひれ伏してごめんなさいとさけびなさーい! 第三自警団所属ミンメイ、推して参ります」


 甲高くそして可愛らしい声が音をたてて与太丸とあかねに届く。

戸惑いながら目を白黒させて見上げるあかねに対して与太丸は巫女服を翻して整った雰囲気を纏って鋭い視線を幾何学模様の魔法陣に巡らせる。

 ひえぇぇー、これは絶対にやばいですよーっ。

 あかねは緩んだ紐を外すと真っ青な顔で両手を頭の上に置いて抱えこむと震える息をこぼしながら唇をギュと締めてその場に屈み込む。


「むふっ、兄っちを発見しました。こんな三流魔装少女と戯れるなんて……もう、除夜の鐘の煩悩よりもエロドSです。ああっ、そのサドスティク的なバイオレンスはドМな私に向けてください」


 突然の闖入者にミンメイは姿勢を低く落とすと両手で握っているほうきを正眼に構えて防御姿勢をとるがその面持ちは警戒の表情から驚愕の表情に変貌する。

 幾何学模様で構成された闇の空間が突如乱入した緋影の口元にあてられた人差し指から一滴の水滴がぽつりと空間に落ちるとその闇は瞬時にかき消される。


「あ、貴女、何様ですの! わたくしのご飯の資金(懸賞金)……いえ、研究所から逃げ出したモルモットの捕獲を邪魔立てするなんて」


「ぷぷぷ、ご飯もまともに食べられない魔装少女なんて……三下のクズです。それにこの辺りの第三自警団といえば先ごろカナンなるものの大群と殺りあって壊滅したクズ達」


「クズですって……あれは仕組まれたことですわ。そうでなければあんなところ(、、、、、、)にカナンなるものがいるはずありません。それにわたくしを含め皆、都市より左遷されてきた魔装少女のみで編成された自警団なんておかしいですもの」


ミンメイの目尻から悔しさがこもった涙の欠片がはらはらと頬を伝い零れ落ちていく。


「もうもう兄っち、零落しきった魔装少女なんか食べてもお腹を壊すだけです。さぁ、私をお食べになって、ほらほらお尻もおっぱいも魅力たっぷりですよ」


――そんなことより……あかね、動かない。


「まぁ、泡を噴いて倒れているなんて……なんて奇天烈な妖怪なのです」

「ううっ、この世界のあかねも相変わらずですこと……ところで、わたくしを無視なさらないでくださいますか」

ひょんなことから静寂がおとずれてしまった。

その中心で情けなくぐったりと倒れているあかねを取り囲んで数奇な運命で導かれた与太丸、緋影、ミンメイが愉快そうにお互いの顔を見渡しながら。



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