その②
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御堂の地下牢で与太丸たちが襲撃という食事を堪能していた頃、朽ちかけた御堂にまたもや新たな珍客(女の子)が足を踏み入れていた。
あどけなさが残る面持ちからして年の頃は十代半ばぐらいだろう。
その容姿は醜さなど微塵もない。
煤汚れたジャージ姿の少女の胸元に縫い付けられたネームシート、『かまいたち・あかね』と拙い文字がマジックでしるされていた。
うち、やっとここまで来たのです。
少女は荒れた手で太ももを何度もさすると熱っぽく潤んだ蜂蜜色の瞳が小さく揺れた。
何者かへの苦手意識を含んだ、とても怯えた視線を辺り一面に振りまく。
もう疲れきったです……足は痛いし、お腹空いたし、それにもう逃げきれないです。
すぐそこまで迫った何者かに切羽詰まった恐怖が煽られる。
その感情に呑み込まれたのだろう沈んだ表情から生きた屍のように生気の片鱗も感じ取れない。
板張り床に付いた膝も恐怖を代弁するようにガタガタと笑い、引き裂かれたジャージから見えるふとももは鋭い牙に深くえぐれれたように裂傷して血まみれだ。
絶望にかられた少女は「フゥ」と唇から溜息が溢れると仰向けに両手を広げて力尽きてバタリと倒れこむ。
御堂の天井に描かれた見事な龍が俯瞰した瞳でギロリと倒れ込んだ少女を睨んでいた。
「はぁはぁはぁ」
瞳を閉じた少女の唇からこぼれる息は荒い。
ただ、少女は幸運だった。
この何もない辺境にぽつりとたたずむ、御堂と巡り合えたのだから。
太ももに負った怪我、並の人間なら致命傷になりうる深傷だ。
ガラクタのように動かなくなった足を引きずりながらの逃亡、高濃度の放射線が蔓延する世界では死に等しい行為だった。
うち、頑張ったもん。
だから少女は心で笑ってしまった。
死の旋律がすぐそこまで迫った少女。
そんな憔悴しきった少女は朽ちかけた御堂にとって突然の来訪者。
天井で雄弁に佇む龍の絵が不満げに睨みつけてくることも、現世で生きていると実感してしまう、そんな気持ちになることが愉快げにおもえてならない。
「兄者……うちいっぱい頑張ったよ……研究所からここまで逃げのびたことだけでも上出来ですよね」
言葉は絶望に浸っていた。
少女の手のひらではすくいきれず、こぼれ落ちるほどの持ちきれないほどの絶望だった。
「お腹すいたなぁ……このまま飢えて死んだらあっちの世界で兄者や遠野のみんなと逢えるかな」
緊張の糸が切れてガクリと肢体から力が抜け落ちる。
蜂蜜色の瞳を開くと深い溜息がこぼれた。
うちの命もここまでかな……。
とめどなく湧き上がり心を支配していく絶望感が死の恐怖も薄めてくれる。
――ねぇ……シロを知らない?
その声音が脳裏に響く、優しくて畏怖の念を抱いてしまう音色。
蜂蜜色の瞳が僅かに揺れた。
驚きと動揺、そして不意にひろがる怯え。
その脳裏にひろがる声色に含む無稽の威圧が少女の匂をたどって追跡してくるアレ(、、)よりも生命の危機にかかわると本能が無意識に警戒を発した。その想いが心に怯懦を花咲かせる。
――怯えないで……今は食べないから。
「ひぃーっ、い、今は食べないということはそのうちむしゃむしゃと美味しく食べてごちそうさまなどいって、つまようじで奥歯をしいしいする予定なのですかーっ!?」
――お腹すいたら食べる……ところでシロ何処?
「うちなんか食べても美味しくないですよ! 絶対に骨っぽいです。ううっ、騒々しい青春真っ盛りもしてないし、恋もしないうちに御堂に逃げ込んで食べられちゃうなんて悲劇のヒロインなのですーっ」
――悲劇……それ美味しい?
「食べ物じゃないし、美味しい訳ないでしょ! ああっ、そんな、人の不幸は甘い蜜方式で尋ねないでください」
――甘い蜜……舐めたい……けど難しいこと……与太丸……わからない。
「与太丸? キミは与太丸って言うの」
――うん……与太丸は与太丸って言うの……シロに教えてもらった呼び名。
「頭痛のように響く迷惑な声、これってテレパシーだよね。ねぇ、姿を見せてもしかして研究所から逃げてきたの?」
――研究所? それ食べ物?
あかねの胸の中では恐怖が膨張して決壊しそうなほど滲んでいた心を奮い立たせて問いかけた。
沈黙はゼロの起源。
言葉に反応するようにややあってゼロの空間から薄い闇がまとまる。
小さな溜息とともに穏やかな風貌の青年が無様に横倒しになっている仏像に腰をおろして興味を惹かれたような色を宿した混沌とした瞳でだらしなく腰を抜かしているあかねをとらえる。
少なくともその醜くない容姿と均整のとれた肢体は俗世間が蓄積した価値観からすれば極上の人型(、、)だろう。
肢体を包む煤ばみ薄汚れた巫女装束に意識をもって縛るように食い込む数珠。
その身を覆う艶やかな肌に触れることが畏れおおく感じるほど肉体的な露出がない。
「えっと、貴方はうちを殺す気?」
――貴方って? もしかして与太丸の事? 殺す……食べること?
足元から崩れ落ちたままのあかねがプルプルと震えている。
あかねの蜂蜜色の瞳に映る与太丸の洒脱した雰囲気とあいまっている遊び心のある子供のような純真さがはっきりとみてとれたからだ。
「いやーっ、同じ絶滅寸前の妖怪同士で共食いはしたくないよーっ。うちはかまいたちのあかねっていいます。これでも3兄妹の美人末っ子として少しは名をうっていたのですよぉ。ううっ、まだ、百年弱しか生きていないピチピチなのにぃーっ」
泣き出しそうな顔をしたあかねは瞳をウルウルと充血させて「お願いたすけて」とばかりに両手を胸元で合わせて懇願する。
――妖怪? 妖怪って何?
「もうもう完全にうちをからかっていますね? それとももしかして研究所で脳みそいじられたの?」
真剣な表情のあかねの蜂蜜色の瞳がとらえる与太丸そのものの存在の異質さ。
息を飲むほど美しい外見への意識を蝕むほどの不可解な雰囲気。
あかねは小さな驚きとともに内面に湧き上がる畏敬の念を押さえ込みながら汗ばんだぺったんこな胸をなでおろして敵愾心も警戒心もない与太丸にここまで生き延びてきた世界の現実や悔しい想いをして見聞したことを歯噛みして語りはじめた。
「うちと同じ穴のムジナなら頭悪そうな脳みそをふりしぼってしっかり思い出してよ。うち達遠野の里の妖怪をはじめ北西南東に存在する日本中の妖怪の長達の話し合いで一致団結して人間を危機的状態まで激減させたカナンなるもの達に戦いを挑んだこと覚えているよね?」
プルプルと首を横にふった与太丸がよほど馬鹿っぽく見えたのか過剰な驚愕を隠そうともしないあかねは大きく嘆息する。
少しだけ不満げに眉を寄せるとその肢体は脱力したようにすきま風が吹きすさむ板張りの壁に寄りかかった。
「うちはね仲間達と妖怪達の憎しみと恨みが凝り固まった研究所から逃げてきたんや」
――足から血がでてる……美味しそう、人間が滅んだ? もうシロはいないの?
不意にあかねが真面目な雰囲気を漂わせて倒れた仏像の背中に鎮座している与太丸に真摯な視線を向ける。
「うちの傷口を下心たっぷりのスケベな視線でジロジロみないでください。シロ? シロって人間なの? もしその人間が生き残っている輩なら隠れ忍の里か散り散りに廃墟に生息しているかもね」
――お前シロみたいな事を言う……だったらすぐに隠れ里……行く。
与太丸は軽く仏像を蹴るとその身体が綿毛のようにふわりと宙を舞いあかねの眼前で着地する。
あかねは湧き上がる好奇心と畏敬の念に板挟みされながらもその出来事が予定調和だったかのように目の前に降り立った与太丸にしゅんとしおらしく懇願の視線をむけた。
「じゃ、じゃあ、うちが与太丸をシロとかいう人間に逢えるように忍びの里に連れて行ってあげる。だから、うちのお願いごときいて」
――ヤダ。
「ひどいですーっ、うちにそんなこと言わないでーっ。ううっ、助けて助けて助けてよぉーっ」
間をおかず放たれた味も素っ気もない返事だ。
その言葉受け入れられない! とばかりにガビーンと驚愕の面持ちを浮かべてへなへなとその場に崩れ落ちたあかねの蜂蜜色の瞳でとらえた与太丸の姿は悪戯っぽい小さな薄ら笑いを浮かべて威厳と尊厳を色濃く映し出す雰囲気をまとっていた。
「じゃあ……じゃあ、うちが兄者の約束を守って(、、、、、、、、、)与太丸ちゃんのお世話をするからーっ! もうもう、妹でも姉でも彼女でも奥さんでも何でもなってあげるからうちをたすけてよーっ」
グギギギギ――
埃がかぶった天井から静寂を破る音が蠢くとあかねは「ゴクリ」と喉を鳴らす。
息を殺しておぼろげに揺れ動く天井に目を凝らす。
板間の隙間、それは間違いなく追手だ。
軋むその奥に鋭い覇気が動く。
「うえーん。うちは刃物恐怖症やから尻尾の鎌がつかえへんのやぁ。もう、あんなとこ(、、、、、)に帰りたくない」
素人目だってはっきりわかるほど蜂蜜色の瞳から光がかき消されている。
思わず喉が詰まっていた、凝然と見開かれた瞳に凍りつく恐怖が宿る。
――御堂の上にいるのってカナンなるものなの?
場違いなほど落ち着いた声があかねの脳裏に響く。
あかねは感情が奪われた無機質な表情で静かに頷く。
その反応に口元に笑みを湛えた与太丸は信じられないことにゆっくりとゆっくりと煤ぼけた巫女装束をその肉体を宙に浮かせて、無邪気な子供のようなワクワク感を身にまとい龍が描かれた天井をすり抜けてその姿が消えていく。
あかねは心臓が飛び上がっていた。
拭いきれないほどの汗が身体を纏う服やズボンにまとわりつく。
さらに命を助けてもらえるかもしれない期待感が仄かに芽生える。
「与太丸ちゃん……ごめんなぁ。うちのゴタゴタに巻き込んでしもて……だけど生き残れたら絶対に約束は守る。かまいたち一族の誇りにかけて」
くりっとした蜂蜜色の瞳で天井を見上げるとプルッとした唇を一文字に結び、肩まで伸びた黒羽色がさらりと揺れた。
清廉さと幼さが入り混じった美しい相貌に朝霧のごとく先の見えない不安が少々気圧されたように浮かんで見える。
グオォォォー
天井のその先……屋根の上から断末魔が聞こえるとぽたりぽたりと板間から染み出るようにぬるりと紅い血が滴り落ちる。
暗い御堂内の見なれない天井から滴り落ちる血を眺めるあかねの暗澹とした沈黙の息遣いだけが生を感じさせるものだった。




