風の気配
キッチンカーを買ったのは、高校三年の夏だった。
きっかけは、特にない。落ちこぼれたわけでも、大きな夢があったわけでもない。春に配られた進路希望調査票に「未定」と書いたまま、夏になっても、それが「進学」にも「就職」にも変わらなかった。それだけの話だ。
商店街の外れに、小さな喫茶店がある。創業四十年の店だ。高校一年の春から、週に4日アルバイトをしている。
マスターは60代後半だろう、無口な男だ。注文を受けると、豆を計り、その都度挽き、紙のフィルターを湯で湿らせてから、ゆっくりとお湯を注ぐ。一杯を淹れるのに、5分はかかる。客はそれを知っていて、待つ。この店では、時間の流れが少しだけ違う。
街の外れに、廃車置き場だか中古車屋だか分からない店がある。
赤錆色の看板には「中古車・解体」とだけ書いてある。その敷地の隅、雑草に埋もれるようにして、一台の車が置かれていた。
小さな軽トラックの荷台に、箱を載せた形の車だ。濃い茶色に塗られた車体は、あちこち塗装が剥がれていて、錆も見える。タイヤは潰れ、窓には新聞紙が貼られていた。
田舎と言っていいこの街では、見かけることはないが、荷台の箱の形から、キッチンカーだろうと思った。
鮮やかな色の車体で、ビルの並ぶオフィス街の昼食時や、イベント会場などで活躍する様子をテレビで見たことがある。だが、目の前のキッチンカーは、そんな華やかなイメージとは程遠く、見捨てられ、錆びて、朽ちようとしていた。
その日から、時々、その車を見に行くようになった。
学校からの帰り、バイトに行く前、少しだけ遠回りをして、雑草の向こうの車体を眺めた。別に、何か考えていたわけではない。ただ、あの錆びた箱の中が、どうなっているのか、見てみたいと思った。
7月になって、思い切って店へ入った。
事務所のドアを開けると、ラジオを聞きながら車の部品をいじっていた男が、ゆっくり顔を上げた。日に焼けた、頑固そうな顔。喫茶店のマスターよりは、少し若いだろうか。
「あの、隅の車、いくらですか」
男は、愛想のない声で「35万だ。見てみるか」と言った。
「見せてください」
外へ出て、車の扉を開けてもらう。中は、思ったより広かった。内装は全て剥がされており、鉄板がむき出しになっている。床にはあちこちに錆が見える。隅の方は腐食が進んで、錆の向こうに、外に生えている草が見える箇所もある。
「ここに来てから10年は経ってる。車体の痛みが酷いから、板金が必要だな。ブレーキ周りのオーバーホールも必要だし、素人が手を出しても苦労するぞ」
「いくらか、安くできますか」
「お前、いくら持ってるんだ」
「33万までです。それと、免許がないんで、冬に取ります。それまで、ここに置かせてもらえませんか」正直に言った。
男は、しばらく黙っていた。やがて、缶コーヒーを一口飲んで、言った。
「置いておくのは構わん。その代わり、週末は庭の草むしりと、部品の整理を手伝え」




