1. 三枚の銀貨と賞金稼ぎ
ある晴れた昼下がり。澄んだ春の群青模様はどこまでも続くかのよう。
ここ、イザリアの街は活気に溢れていた。商人は稼ぎ時だと声を張り上げ、道行く人に商品を見せびらかす。人波は多く、往来を忙しなく走る馬車も途絶えることはない。魔物が居なくなってからと言うものの、この街はその勢いを絶やすことはなくいる。
ふと見ると、街の裏にそびえる山には紅い煙のような山桜が咲いていた。その香りを乗せた春風に吹かれながら、雑踏の中で本日の成果を確認する。
「今日もこれっぽっち、か」
腰に付けた麻布の袋に、二、三枚の銅貨を入れる。
ストン、と何も触れ合わずに財布の中へと収まる銭に、思わず顔をしかめる。
このままじゃ二食はおろか、一食すらも危うい。
「昼は抜き、だな……」
さっきから鳴り出している腹を必死に押さえながら、気晴らしに街をフラフラと彷徨う。商売盛りの商人の傍を、生き死人のようにするりと通り抜けていく。
背中に背負った鈍の大剣が身体に負荷を掛け続けてきて余計に腹が減る。何度も売ろうかと考えたが、その度に寸でで思いとどまってしまう。仕方なく鳴き続ける腹の虫を拳で黙らせるばかりだ。
半年前から始めた日雇いはその日に金が手に入るが仕事は選べない。明け方に仕事を紹介してくれる仲介人のところへと向かい、そこで初めて労働場が言い渡される。つまりは、奴らが仕事場を自由に決めれらてしまう。人身売買と言っても差し支えないだろう。
なまじガタイがいい分、薄給激務の土木現場へと回されてそのたびにいいように扱き使われてしまう。こんな生活が半年続けば身体のメンテナンスなんてする余裕もなく、慢性的な痛みがあちこちから出てくる。が、医者にかかる金もなくそのままで放置し続けている。
日々の生活のために早々に防具を売りさばいてしまい、唯一着ることができる麻布の服もボロボロになってしまっていた。
身体の負担と見合わない給料に嫌気がさし、はぁ、と一つため息を吐く。
すると────
「……誰だ?」
目の前には、雑踏に逆らうようにして立つ一人の少女がいた。
骨の髄まで見透かすその双眸は、碧の色だった。
陽光に照らされたショートの黒髪は漆黒の如く艶を持っていて、どこか見慣れないあどけなさを残した顔立ちと白い肌はどこか気品がある。纏うは茶の毛皮に厚手のマフラー、そして東洋の趣がある紫紺の着物。俺の方辺りまでの身長、そして幼い顔つきからするに齢は十代前半か。容姿、服装共々殊更に思い当たる節は見つからない。
だが、一抹の既視感も胸中の隅にはあった。
「なぁ、俺になんか用があるのか?」
およそ一分後。一向に話しかけて来ない少女に痺れを切らして話しかける。人混みの中での立ち話だと周囲の目が気になって仕方がないが、目の前の少女を無視するわけにもいかない。
がしかし、
「……」
「おい、ちょっと!」
耳栓でもしているのだろうか、俺の静止も聞き留めることなく、愛想もないまま少女は雑踏へと消えていった。背丈の小ささ故か、追いかけようにもこの人混みから探し出すのは至難の業だ。
「なんだったんだ、一体……」
青天の霹靂、とまではいかずとも通り雨程度だろうか。生まれて二十年と少し、魔獣とは幾度となく相対してきたが知らない女の子に眼を付けられたことは一度もない。
首を傾げながらも、後ろからくる人波に押されて再び歩を進める。
今俺が気にすべきものは知らない少女の素性じゃない。さっきから鳴き続けている腹の虫をどうにかしなくてはならない。拳にも随分と耐性をつけてきたようで、一発だけでは足りずに二、三発ほど喰らわせなければならなくなってきたがこれでは俺の腹が持たない。
黙らせるにはやっぱり飯しかないのだろう。
と思って財布の中身を確認するもからっきし。虫はここぞとばかりに暴れまわる。
「やっぱり金か……」
気の抜けた声は春風に流れてどこかへ飛んで行った。晴れ渡る群青の下にもかかわらず気分は曇り空。どうやら春一番でもこの曇天は吹き飛ばせないらしい。
美味しい話の一つや二つ、転がり込まないかと歩き続けていたその時────
「よう、ゼノンの兄ちゃん!」
「っが!?」
挨拶と共に急に肩に衝撃が走る。ビリビリと身体中に響き渡り、思わず背筋を伸ばしてしまう。
こんな荒々しい挨拶をする人は一人しかいない。
「……ベルクリフか」
さっきの少女が無口ならば、こいつはおしゃべり野郎だ。
振り向くまでもなく、その男の名を呼ぶ。応える代わりにベルクリフはがはは、と大きな笑い声をあげた。
こいつも俺と同じ、傭兵上がりの日雇い労働者、もとい筋肉ダルマだ。
よほど身体に自慢があるのか黒のタンクトップにダボダボなチノパン。その身体でさえも畏怖を感じえるのに、日焼けた肉体とスキンヘッドに口元の髭が威圧感に拍車をかける。
何かと同じ仕事場に当たることが多く、いつの間にか飯を食べに行く仲にまでなっていた。
一応、俺が元Sランクギルドのマスターだと言うことはこいつには伏せている。おかげで年下だからか、事あるごとにいじられて仕方がない。
「なんだ、随分しけたツラしてんな!」
今日はやけにご機嫌なのか、終始笑顔で俺の隣を歩く。懐事情も相まって、こいつの言動一つ一つに嫌気が差してくる。
「……銅貨二枚で何を食えってんだ。しけた顔にもなっちまうよ」
「お前まだあの地獄で働いてんのか!」
「ああ、そうさ。俺は日の出る前からこっちは郊外の橋の建設現場に駆り出されるんだ。それで重い石を運んでは積み重ねの繰り返し。おまけに監督役のジジイの催促が耳にへばりついてやがる」
吐き捨てるようにして今日の現場の悲惨さを語る。身体が丈夫だから、というシンプルかつ理不尽な理由で扱き使われるのはもううんざりだった。
あれだけ上機嫌だったベルクリフも、この話を聞いてからは憐憫の表情を浮かべていた。
「……あー、そいつは、気の毒だったな」
「お気遣いどうも。だけど、俺が生きていくにはあれに耐えるしかないんだ。お前も十分わかってるだろ?」
生きてきて二十年と少し、されどまともに扱えるのは剣と魔術のみ。何かを売るほどの商才があるわけでもなく、何かを作れるほどの器用さもない。戦うしか能のない傭兵たちは、いざ剣を取り上げられたら何もできなくなってしまう。
ギルドを解体された彼らのほとんどは職に困り、俺と同じように日雇いで食いつなぐ日々を今も過ごしている人も多い。
戦いがない限り、俺たちに仕事場はない。
そのはずだが、
「なんだ。ゼノン、俺たちにうってつけのあの仕事知らねえのか」
「……は?」
驚きのあまり、俺はベルクリフへと顔を向ける。
その口元はつり上がり、妙に俺を小馬鹿にする雰囲気を漂わせていた。
「なんだよ。あるなら言ってみろ」
ダメ元で吐き捨てるように聞いてみる。
普段からいい加減なことを言っているこいつの事だ。ギャンブルで一山当てるくらいが関の山に違いない。
「ちょっと疑ってるな?」
「美味い話ほど裏があるもんだ。傭兵上がりの俺らが稼げる仕事なんてこんな平和な世の中にはない」
そう。傭兵にうってつけの仕事というならば、それはこの国で戦争が起きているということだ。
しかし平和な世の中である今、火種すらも見つかりはしない。例え起こそうとしても、すぐ憲兵によって消化されるだろう。
ギルドが解体させられた今、傭兵には用済みなのだ。
「────ところがどっこい。そいつがあるんだ」
尚も自信満々にしてベルクリフは胸を叩く。
そして、「ちょっとこっちに来い」と手招きされるがままに、俺は入り組んだ袋小路へと入る。
「……一体こんなとこに連れ出してどうするつもりなんだ」
「こいつは秘密の仕事でな。信用のある奴にしか紹介できねえんだが、特別にお前には紹介してやるよ」
そう言うと、ベルクリフはポケットから一枚の羊皮紙を渡してきた。赤字で『WANTED』と大きく書かれたその紙には、見慣れない職業が記されていた。
「賞金稼ぎ……?」
それは二十数年生きてきた中で全く聞き馴染みのない職業だった。
「そう! 賞金を掛けられた人や魔獣を倒せば金が貰えるって寸法だ。ちょいと危ない時もあるが、その分見返りも半端ねえから辞められねえんだ!」
ガハハ、とベルクリフはまた一つ大きな笑い声を出す。
「……なるほど。確かに『裏』はあるな」
「だろ? だがな、俺たちとっちゃそんな裏はどうってことない訳よ」
金が貰える以上、対価を支払う必要がある。
賞金稼ぎを務める上で払う対価とは『命』だ。話を聞く限りでは、命懸けで標的を殺して首を上げると莫大な金額が手に入る。
しかし、俺たち傭兵は金と命を常に天秤にかけ続けてきた仕事をしてきた。今更それに躊躇する筈もないため裏もあったものではない。
だが、
「いや、俺は辞めておく」
その紙をベルクリフの身体へと押し付ける。
「おいどうしたってんだ。金が欲しいんだろ? 折角俺が紹介してやったんだ。みるだけでも良いから来いって」
「……許可のない戦闘は罪に問われるぞ」
声を潜めてベルクリフに忠告をする。
ギルド解体後、憲兵以外が戦闘を行うと禁固刑が科される。その行為が見つかれば即刻牢獄行きは免れないだろう。
「恐らくはこれが『裏』だ。そんな事し続ければいつしか牢獄行きの羽目になる。ここらで手を引いておくのが身のため────」
「だからこそ稼げるんだ」
ニヤリ、と小声であいつは囁く。
その手には陽に照らされ、煌びやかな光を帯びた銀貨が三枚握られていた。およそ俺の日雇い労働者一月分、一週間は優に過ごせるほどの金額だった。
「……お前」
「そんなことは百も承知だ。だがな、金には変えられねえ。この銀貨を見るだけで腹がいっぱいになっちまいそうだ」
ベルクリフの銀貨を見据える眼は尋常じゃない。血走った眼で銀の光を楽しんでいる。その光に興奮を覚えているらしく、その巨躯は荒れた呼吸によって忙しく動いていた。
一目、その反応を見た俺の脳裏に浮かんだのは『危険』だった。
今のベルクリフは金に眼が眩みすぎている。恐らく冷静な判断が出来ていない。一歩踏み間違えれば奈落に落ちる橋に乗っていることを、あいつはまだ気付いてないのだろう。
あまつさえ俺は元ギルドマスターだ。率先して剣を持てば説得した部下たちに示しがつかない。
この平和な世界を王に預け、俺たちはギルドを解体した。目先の金程度で再び剣を持つ気にはならない。
「俺は降りる。正直危険だ」
吐き捨てるようにそう言って、足早にベルクリフの元から離れる。
興奮し切った今のベルクリフに関わってもあまり良いことはない。根性なし、の悪口くらいは飛んで来ようが甘んじて受け入れよう。恐らくは諭しても戻ってこれない立場に行ってしまったに違いない。
しかし、
「……まあ、しょうがねえか」
ベルクリフは一転した態度で落ち着きを取り戻していた。
予想外の呟きに思わず足を止め、ベルクリフの元へと向き直る。
「意外だな。意気地なし位は言われる覚悟でいたんだけど」
「俺もちょっと悪い噂をこの前聞いてな。もう少しだけ稼いだら辞めようかと思ってたんだ」
急にしおらしくなったあいつは頭を掻き、少し悩んでいた様子だった。
この位なら笑い飛ばしていたはずが、いつもの勢いはどこにいったのだろうか。
「……その噂ってのは一体なんだ」
再びベルクリフの元へと向かう。
あの威勢のいいベルクリフが萎縮している。その理由となる噂が少しだけ気になった。
「あんまり大声で言えないことなんだがな……」
するとベルクリフは警戒するように周囲を見回し、俺の耳元でこう囁いた。
「……ヴァンパイアがまだ生き残っているらしい」
「────────────」
思わず息をのむ。
二度とその名を聞くことはないと信じていた。彼のもの共が殲滅されたからこそ、俺たちは剣を手放したはずだ。
「……せ、殲滅されたんじゃないのか」
「ああ、俺もそう思ってたんだが証拠もあるらしい」
「証拠……?」
「どうやら、賞金を掛けられた奴ら全てに、咬み付かれた痕が残されているみたいなんだ」
「な────────」
咬痕。それはヴァンパイアが遺す特有の痕跡だ。
奴らに血を吸われた動物は大抵絶命するのだが、稀に一命を取り留めることもある。
しかし、命はあると言えど地獄の苦しみを味わう。
今までのような食事は出来ず、彼らは生き血を求めてしまう。血に飢え、誰彼構わず殺して生き血を啜る。理性は次第に溶けていき、人はおろか動物でさえも元の生活は営めなくなる。
やがて行き場のなくなった奴らに、ヴァンパイアは血を与えることで獰猛な眷属を作り上げていくのだ。
その危険性は重々承知だ。
今までその咬痕をいくつも見てきたのだから。
何度も、獰猛化した仲間と戦い続けてきたから。
「賞金を掛けている奴も中々のイカレで、狙ってその咬痕がある奴に賞金を掛けているらしい。その分金払いも良いんだがそんなの命がいくつあっても足りねえ」
妙に忙しなさげにベルクリフは身体を揺らす。大抵なことには動じないあいつがここまで震え上がるのは、その危険さを十分に理解している証拠だ。
Sランクギルドが相手にしていた魔族がいるとなれば誰だって身を引くだろう。出会えば必死、Aランクギルドであっても瞬殺されかねないその強さに慄かない人なんているわけがない。
だがそれでも、
「だからお前の判断は正しい。俺も悪いこと言ってしまった。この話は忘れて元の仕事に────」
「いや、紹介してくれ」
「…………は?」
俺の言葉に、ベルクリフは気の抜けた声を上げた。
口も開いたまま閉じずに、その両眼は俺を見続けていた。
「いや、俺はもう辞めるって言ってんだ!」
「じゃあ最後に俺を紹介してから辞めてくれ」
「ふっ、ふざけたこと言ってんじゃねえぞ……」
震えた声は暗い裏路地によく響く。俺の言葉が受け入れられないようで、あいつはしかめ面をずっと浮かべていた。
例え危険だと言っても、俺には譲れない理由がある。仲間を殺した奴らを、殲滅されたと報告を受けていた奴らをギルドマスターである俺が逃すわけにはいかない。
そいつらが再びこの世に現れているとするなら、迷いなく俺は再び剣を取る。道半ばで散っていった英霊たちの無念を晴らす場があるのなら、俺は命を賭して剣を振るうつもりだ。
当事者が存在しないヴァンパイア殲滅、そして突然の国王からの解体宣言。その謎が解ける機会を逃すわけにはいかない。
この国が平和でないのなら、俺が王に代わって本当の平和を取り戻してやる。
「────なるぞ。賞金稼ぎに」