0. 平和と安寧と
皇紀205年。
その年は、200年続いた魔獣や魔族との戦いに終止符が打たれた年だった。
国王による宣言が出され、魔族の筆頭格であったヴァンパイアを含め、殆どの勢力が殲滅されたと国民に伝えられた。
国民は国王の与えられた平和と安寧を享受し、伸び伸びとした生活を営み始めていく。物流は魔獣を恐れる事なく滞りなく行われ、徴兵された人民の半数以上が解放されて各々の職業へと復帰していった。
ただ、魔獣退治を一手に担ったギルド組織は解散を余儀なくされ、街の浮浪者が大量に増えた年でもあった。
秋の終わりの黄色く乾燥した野が広がる郊外。その上には色ガラスのように張り詰めた青空が広がる。冬の訪れを告げるように、冷たい秋風が地に伏した夏の残骸を吹き流す。
そこにぽつんと戸を構えているある酒場は、まるで俗世からわざと離れようとしているかのよう。
人も通らないところに何故酒場があるのか。更にそこは二階建て、人を多く入れられるはずなのに何故街に出ないのか。
その答えは、近隣の大きな街のイザリアに住む住民だけが知っていた。
アルトライゼ国内の中でも指折りと評されるSランクの称号を得ているギルド組織、その名を鉄綺団。
特に危険な魔獣と相対することが多い彼らは、わざとその身を潜めるかのようにして郊外に本部を構えていた。二階建てである所以はそれほどに規模が大きいことを示している。
市民に安寧をもたらさんと奮闘する彼らは、できるだけその危険から遠ざけたかったのだ。
それ故、そこで起きていたとある事件が人に伝わることはなかった。
魔獣が殲滅されたと報告する伝文、そして国王から全てのギルド組織を解体させる勅令が下されたことを────
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王都から一人の伝者がこのギルドへと遣わされてから事は始まった。
俺がマスターを務めていたギルドである鉄綺団に、突然国王からの勅令が報じられた。
その日はたまたま他の団員に休暇を言い渡していた為、広々とした酒場には団長である俺の他に二人の副団長しか残っていなかった。
妙に寂しげなその空間に、伝者である老人の嗄れた声が響き渡る。
その内容は、俺たちにとって到底受け入れがたいものであった。
「……ねえ、何言ってんの?」
厳粛な雰囲気を破ったのは副団長のノエルだった。
「……以上が王からの勅令です。これより全ギルド団体は順次に────」
「嘘よ! そんなのありえない!」
銀の髪を揺らしながら、彼女は下された勅令に対して必死に首を振る。
魔術の名家に生まれたノエル=バーネットは絶大な魔術センスを持ち、稀代の魔術師と称えられていた。
どんな時も冷静さを保ち、戦場で的確な指示を送れる彼女はこのギルドに置いて最も優秀な参謀もあった。
しかしそんな彼女の声は、今まで聞いたことのないほどに震えていた。
「それに、私らにそんなことを急に言われても!」
「無理は承知の上ですが、王からはそう言づけられて……」
「ふざけるのもいい加減にしろ!!」
巨漢の男、同じく副団長のミルドがドスの利いた声を上げる。
座っていた椅子から勢いよく立ち上がり、その狂言の主へと詰め寄っていく。
「国王が何だか知らねえが、それを俺たちがすんなりと受け入れるとは思うなよ!」
「ですが、伝者である私にそのようなことを申されても……」
「ごちゃごちゃ抜かすんじゃねぇよ!!」
ついに片手で胸倉を掴みにし、その小さな身体を壁へと押し付ける。いくら伝者が小柄で年老いた人間だからと言って、それを片手で持ち上げる力を持つ者はそういない。
ギルド一、いや王国一の膂力を持っている巨漢のミルドだからこそ為せる所業だ。
「手を出すな」
拳を振り上げようとしたところで、俺は静かに釘を刺す。
「……だけど団長、俺はこいつの言葉を黙って聞いてられないんだよ!」
「もう一度言う。手を出すな」
少し語気を強めてもう一度宥める。
その制止が気に食わなかったらしく、若干のしかめ面を浮かべながらもミルドは乱暴に手を放し、元の椅子へと再び腰を掛ける。
勢いよく壁にぶつかった伝者は、その迫力に押されたからか今にも逃げ出しそうだ。
「すまない、うちの団員が粗相を犯した。後でキツく叱っておく」
「なっ、元はと言えばこいつが出鱈目抜かすから────」
「出鱈目抜かすから、なんだ。お前は一国の王に逆らうつもりなのか?」
「…………っ、すまない、団長」
打って変わって反省した表付きでミルドは俯く。先ほどの勢いは一瞬で消滅し、辺りは再び厳粛な雰囲気へと戻っていく。
俺のそばに座っている二人は怒りのあまり震えていた。もし、団長である俺がこの場にいなければすぐにでも殴りかかっているだろう。
しかし、二人がここまで怒る理由は頷ける。
なにせこのままでは、俺たちの積み上げてきたもの全てが奪われかねないからだ。
「すまないがもう一度読んでくれ。改めてその内容を確認したい」
「……では、僭越ながら王に代わってギルドマスターであるゼノン様へ勅令を下します」
伝者は恐る恐る一枚の羊皮紙を手に取り、その全文を読み上げた。
『全ギルドへと通達する。
先日、我が国を脅かし続けていた魔族の殲滅が完了したとの報告が来た。これにより全ギルドは一週間以内に解体し、解散の手続きを進めることを命ずる。
なお、残存勢力は王都所属の憲兵が処理する。
そのため、許可なしの戦闘を行った者には半年以上の懲役を科す。
諸君らの懸命な努力により築かれたアルトライゼの平和と安寧の御世は、王である私が守り抜くことをここに誓う』
それはギルドの解体を告げ、王による直接統治を宣言する実質の解雇通知だった。
勅令の言う魔族とは、恐らく『ヴァンパイア』のことを指している。
近年急速に力をつけ続け、遂には魔物を従える王たる存在へと成り上がった勢力だ。成り上がりで横柄な態度をとるヴァンパイアに嫌気がさし、離反している魔族もいるようだがさしたる脅威ではない。それを『残存勢力』と呼んでいるのだろう。
本来ならば平和を喜び、安寧を享受するべきなのであろうが、俺たち鉄綺団はそうはいかない。
なぜなら、
「────俺らが追ってきていた獲物を横取りしやがって!」
悔しげな表情を浮かべながら、ミルドはテーブルを殴りつける。
「ルイ、ミーサ、アルル、ごめんね……」
隣に座っているノエルは、頭を抱えて未だに俯き続けていた。小さな声で呟いているのは亡くなった仲間たち。皆、ヴァンパイアとの戦いで戦死した者だ。
ちょうど今、このギルドはヴァンパイアとの最終決戦の準備を進めていた。
以前の戦いでは多数の戦死者を出しながらも想定以上の損害を敵に与えることができており、次でその戦いを終わらせられるところまで来ていた。
亡くなった仲間たちの弔い合戦であることから士気は異常なほど高まっていた。がしかし、復讐の炎は時には自らも焼き尽くしかねない。一瞬の気も抜けない戦いにおいて、冷静な思考は必要不可欠だ。
それ故に一度団員には帰郷を命じていた。心と身体を落ち着かせ、来たる最終決戦へと英気を養わせようとした。
だがその決戦が始まる直前になって、俺たちは解散をせざるを得なくなってしまった。
そして仇敵であったヴァンパイアも、どこかの誰かによって滅ぼされてしまった。そのやり場のないその怒りでつい激情してしまうのも無理はない。悲しみの声ばかりが、この広い酒場に響き渡る。
国王からの勅令は絶対だ。内容に疑義を持っていてもそれに逆らうことはできない。従わなければ国賊として始末されるだけだ。
だがそれでも、ただ一つだけ問わざるを得ない点があった。
「……王はその魔族を殲滅した人物を知っているか」
俺の質問に対し、伝者は首を横に振った。
「申し訳ありませんが、勅令以外の情報は存じておりません」
「じゃあ、王都で殲滅した者の詳細の噂は流れているか」
「……この件について、王は厳格な情報統制を敷かれております。今、この情報を知る方は王の側近とSランクのギルドのみです。一週間後には民衆とAランク以下のギルドに通達される見込みのようですが」
「……情報統制、か」
一つ腕を組み、吹き抜けの天井を見上げながら思案にふける。
問わざるを得ないこと、とは殲滅した『当事者』の存在だ。
ギルドはランクごとで職業が割り振られている。俺たちの鉄綺団はSランクと評されており、強大な敵の討伐を国から任されている。無論、他にもSランクのギルドは存在するが、互いの獲物を取り合わない暗黙の了解がある。
しかし、それはあくまで不文律。破ろうと思えばいつでも破れる。
そしてヴァンパイアの一族はSランクのギルドでも苦戦する強敵であり、Aランク以下のギルドでは言わずもがなだ。
殲滅できる人物は限られてくるに違いない。
必然と、一つの疑問が湧き出てくる。
「────だったらどのギルドが裏切ったんだ!」
「────どこにやられたの!」
二人が一斉に立ち上がる。やはりあいつらも俺と同じ疑問を覚えていたのだろう。
彼らの顔は、怒りでひどく歪んでいた。
「団長、今すぐ出るぞ! 片っ端から聞き出してやる!」
「こっちも黙っちゃいられない! 何としてでも誰かから吐かせてやる!」
「やめろ。騒ぐな」
語気を強めて二人を制す。
それでも、熱は収まらずに燃え広がっていく。
「もう俺は我慢出来ねえ。仲間を殺してきたあいつ等に落とし前をつけるのは俺たちだったはずなんだ!」
「獲物の横取りは暗黙の了解なのよ! それなりの仕打ちを受けて然るべきなはず!」
「おい、落ち着け!」
ここまで不安定な二人は見たことがなかった。思わず俺も椅子から立ち上がって声を荒げる。
「これ以上はやめろ! 無駄な争いはするな!」
「頼む、団長は黙っててくれ!」
「……命令違反は重罪だ。これからのお前の態度によっては────」
「どうせギルドはなくなるんだ! 今更規則の話をされてもどうってこたぁねぇ!」
「な────────!?」
これまで従順だったミルドの反抗に驚きを隠せない俺を横に、ミルドは足早に酒場の出口へと向かっていく。そのミルドに呼応するかのように、ノエルも俺の側を通り抜けていった。
「ノエル!」
「……ごめん、団長。私らは団長のように冷静にはいられないから」
「お前ら……!」
二人の後ろ姿には尋常じゃない覚悟を灯していた。団員の中でもより一層仇討ちに熱を上げていたあいつらの耳には、最早俺の言葉すらも届いてないような気もしてしまった。
「ノエル、行くぞ。一緒に仇を討つからな」
「……勿論、そのつもりよ。亡くなっていった仲間の弔いすらもできないなんて私には考えられない」
二人は確実に命を投げ打ってまで他のギルドと戦うだろう。亡くなった同胞の魂を追いかけるように、精魂尽き果てるまで戦い続けるに違いない。人一倍情に厚いあいつらだからこそ、ここまでできるのだろう。
だけどそれが、たまらなく腹立たしかった。
「お前らがここに入った理由はそれか!」
酒場から出ようとする二人に、胸の奥底からの言葉をぶつける。
「お前らは平和のために、誰かを守るためにここまで戦ってきた。それならば、人々の脅威が居なくなったこの世界を喜ぶべきじゃないのか!」
「今更そんな綺麗ごと言わないで! こんなことするのは間違ってるとは思うけど、それでもこうしないとやり切れないのよ……!」
「……悪いがノエルの言う通りだ、団長。俺たちはすっぱりと割り切れねえ性なんだ」
扉に手をかけた二人は俯きながらに自分の想いを吐露する。決して最良の選択ではない。それを知っていても、自分はこの道を進まなければならないのだ、と。
「……最近、夢を見るんだ。亡くなったあの子たちが私の目の前に立っていて、『頑張れ』って言ってくれる夢を。私の命は、あの子たちのために使うべきなの」
「生き残った俺たちの背中には、死んでいった仲間の想いが乗っているんだ。だから残された俺らはあいつらのために、せめて仇討ちくらいはやっとかねえと気が済まねえんだよ」
声を絞り出す二人の叫びを聞く度に、俺の心に針が突き刺さっていく。あいつらの気持ちがよく分かってしまうからこそ、ずくずくと徐々に痛みが奔っていく。
俺たちは今、数多の亡骸の上に立っている。散って行った彼らは皆、俺たちに夢を託して行った。いつしかその夢は積み重なり、息苦しいくらいに重くなって行った。
「団長なら分かってくれるだろ? 背負ってるあいつらの想いをどこかで晴らさなきゃいけねえ。これが俺らができる、最高の弔いなんだ」
でも、これは間違っている。この道は、あいつらが歩こうとしている道は絶対に正解じゃない。
「────んな訳ないだろっ!」
腹の奥底から、あいつらを否定する。
脊髄から駆け上がって喉元を突き破らんとする熱い何かを、必死に堰き止めながらその道を否定する。
「誰かの血で、それも同じ人間の血で仲間の死を弔おうだなんてするな! 悪戯に命を奪おうとするお前たちのやっていることはヴァンパイアと同じだ!」
「…………っ」
張り詰めた空間の中、俺の怒号だけが響く。
俺が言葉を発して数分か、握り拳を作ったミルドが身体を震わせながら俺に反論をしてきた。
「じゃあ団長はどうするんだ! このまま解散命令を受け入れるのか!? 背負ったあいつらの想いはどうやって弔うんだよ!」
「背負えば良い! 俺たちがずっと、これから先死ぬまで背負い続ければ良い!」
「背負い続けるなんて悔しくねえのかよ! 無念を晴らそうとは思わねえのかよ!?」
「悔しいに決まってる! でも俺たちは、それを耐え忍ぶしか他に道はないんだ!」
激しい問答の末、俺は右拳をミルドの前に見せつける。
そこには、
「……血」
呆然とするミルドの下には、赤の雫が形取る大きな水溜りができていた。ぽたりぽたりと、握り拳の間から今も流れ出している。
「悔しいんだ、俺も。できればこの手でヴァンパイアを殺して、あいつらの無念を晴らしてやりたかった」
伝者から話を聞いてからというものの、俺の右拳は閉じたまま開かなかった。やり場のない想いを、せめてもの慰めにと力いっぱいに拳を作った。
既に痛みすらも感じていない。頭はもう憎しみに溢れていて、それ以外のことすらも考えることはできずにいる。
「だからと言って誰かを殺さないで欲しい。俺はもう、血を見るのは飽き飽きしてるんだ」
昔馴染みのあいつらだからこそ、余計に人の道から外れて欲しくはなかった。人の血で仇ではない誰か弔っても、それは堂々巡りでしかない。また誰かが弔いのために戦いを起こすに違いない。
もう、そんな地獄を見たくはないのだから。
「そんなに殺したいのなら、先に俺を殺せ。あいつらを、俺の血で汚す覚悟があるのなら何も言わない。俺を捨ててまでお前らがその道を選ぶというのなら、俺を斬ってくれ」
二人の目を見据えて、俺は静かに両手を広げる。
あいつらの顔に浮かぶブラウンと琥珀の瞳は、やがて少しずつ滲んでいった。
「……できる訳、ないでしょ」
どすん、と膝をつく音が響く。視線を落とすと、二人は人目を憚らずに大粒の涙を床へと零していた。
心に空いた大きな空洞を、あいつらは何かで満たそうとただ必死になってしまっただけなのだろう。その気持ちも俺は痛いほど分かる。
それでも、失った仲間たちのために俺たちは前へと進まなければいけない。正しい道を選びながら、行き場のない仲間の想いを背負いながら。
「……見苦しいところを見せてしまった」
「その、私が言うのは何ですが……本当にお気の毒です」
伝者は深々と、そして丁寧に頭を下げる。
彼もまた、この平和のために身体を捧げている。
今頃各地のギルドでも同様のことが起きているだろう。怒り。慟哭。衝突。気性の荒いギルドならば最悪晒し首にされかねない。
平和のために、皆何かを犠牲にしているのだ。
「先の勅令、鉄綺団を代表して承る」
「……では、こちらに了承の印を押してください」
伝者は勅令が書かれた羊皮紙をテーブルに広げ、その詔書の一番下の欄を指さす。
「署名は不要です。何か判を押していただければ受理した、と看做しますので」
煌びやかな装飾に包まれたその詔書には、昔ながらの筆記体で勅令が記されている。
飲まざるを得ない王の言葉を目の前にし、俺は血に濡れた右手を差し出した。
「……ならば血判で押させてもらう」
「な────────」
返答も聞かずに血に濡れた右親指を押しやる。
血を流し続けた俺たちの答えを、この詔書に全て載せるつもりで力強く押す。
後に残った朱の印が、全ての団員の想いを語る。
『人が血を流さぬ世を必ず創るのであれば、我らは喜んで剣を手放そう』
この血判が、最後に流す血なのである、と。




