24 融解
――――俺は、小さいころに両親を亡くした。
いや、正確に言えば亡くしたらしい。
俺が四,五歳の頃に二人は突然行方不明になり、遠縁の叔母の家で十年ほどお世話になった。幼子にとっては非常に衝撃的過ぎたのか、それ以前の記憶は吹っ飛んでいて、もう頭の中には残されていない。
遠すぎる過去の記憶は自然と抜け落ちていくものだが、俺は二人の名前はおろか、顔も声も性格という重要なことすらも抜け落ちていた。
父の大きな背中も、母の深い慈愛も忘れて、俺はこれまでを生きてきた。
だが一つだけ、俺の脳の奥底にしまわれていた記憶がある。思い出せ得る最古の追想、声ではなく、脳内に文字として刻み込まれているその記憶。
それは、魔術についての記憶だ。
俺の魔術は身体能力を極限まで高めることができるものであり、その詠唱が「一閃」であること。発現の仕方は頭の中で撃鉄を思い浮かべ、それを弾くようにして力を込めて下ろすこと。
脳みそに焼き付かれていたその記憶は、確実に俺の魔術の基礎となって今もこの身にあり続けている。教えに逆らうことなく、疑問を持つことなく、俺は一閃を使い続けて力をつけていた。
だが年月が経つにつれて魔術についての知見もひろまっていく中、他人の魔術を目にする機会が増えていく中で、ある一つの疑問が俺の中で降って湧いてきた。
通常の魔術師は魔術についての知識が深まっていくたびに、それを自分の中に組み込んでまた新しい魔術を生み出すことができる。魔術にも様々な系統があり、自分の持つ魔術回路の形や長さに似た魔術系統があれば取り込むことができる。たとえば、炎を右手から出す魔術なら火炎系の魔術と相性が非常に良い。ベルクリフのように身体を固くさせる魔術を持っているのなら、身体強化系の魔術を覚える素養がある。
人間が知識を得て成長するように、魔術も知識を得て成長していくのだ。
だが、俺は一切成長することはなかった。成長しようにも、適合する魔術がなかったのだ。
どんな文献を読み漁っても、魔術専門学校に行って調査をしてもらっても、俺と同系統の魔術は存在しなかった。
自分の魔術のルーツを知ろうにもあるのはあの教えだけ。どうやって覚えたのかも、両親がどんな魔術を持っていたのかも分からない。自分という存在が不安定になり、ノイローゼ気味になった時もあった。
研究室を訪れては落胆する日々の中、ある女性の学者が俺に声を掛けてくれた。
『魔術の基礎は、自分の強い信念から来るものなの』
長いこと研究室に籠っていたのか、整えられてないぼさぼさの髪で、古書を片手に得意げに話しかけてきたのをいまでも覚えている。
その人曰く、魔術師と詐欺師はよく似ているらしい。魔術は信じれば信じるほど力を増していく。炎や水を放出するような対外的なものについてはどれだけ世界を騙せるか、暗示のように内在的なものについてはどれだけ自分を欺かせられるか。
世界を騙すにはそれ相応の説得力が必要だ。魔力なり魔術回路なり、客観的に見て使えるほどの能力が有れば信じてもらえる。
だが、自分を欺かせるにはそんなものはいらない。ただ、「そうである」と人外なほどの思い込みがあればこの身は自在なものに変化できる。頭のいかれた狂信者ほど優れた魔術師が多いのはこれが理由だ。自分に酔いしれ、自分だけの世界を常に内在させる。その世界では魔力も魔術回路もかさ増しし放題だ。
『だから、自分のルーツとかは関係ないの。大事なのは君自身。どれだけ君が自分の魔術を信じれるのか、その基礎ができていれば過程なんて関係ないのさ』
その言葉を聞いた時から、俺はルーツについて疑問を持つことをやめた。いくら考えたって無駄だ。今の俺じゃどうやっても解決することができない。
それよりも自分の魔術を信じてやるのが一番なんだ、と。
例え、この魔術は一生成長しないんだとしても────
「一閃――――――――!!」
その瞬間、視界に色がなくなり、目の前の風景はモノクロに堕ちていく。起動した時点で神経が壊れたのかもしれないが、それにも構わず右手で大剣の柄を握る。
きっかけはふとしたことだった。昔、思い悩んでいたことを久しぶりに思い出した。
本を読んでも、誰の魔術を見ても、俺の魔術は一切成長の兆しを見せなかった。そしてそのうち、上達を諦めてたった一つの魔術を信じる道を選んだ。
これは昔までの俺の答えだ。だが、いまの俺なら別の答えが選べる。
同じ系統の魔術がないのなら、勝手に成長すればいい。自分で別の魔術を作り出せばいい。
信じることこそが魔術の基礎なら、『成長する』と信じ込めばまた新たな魔術が生まれるはずだ。
魔術というものは、詠唱によって威力が変わってくる。一小節より二小節。二小節より四小節。長い詠唱ほど魔術の規模は大きくなっていく。当然、その魔術が身体に合わなければ回路は壊れていくが、今の俺にはもはやどうだっていいことだ。
信じろ。欺け。自分の中にある世界を作り出せ。俺は何にだってなれる。この魔術は、別の次元へと昇華する。
身体の中の撃鉄が落ちようとしたその瞬間、魔力が身体を循環し始めるその瞬間を狙って――――
「――――――――凍結」
『俺の身体は凍り漬けになっている』。
眼を瞑り、全てを止める。身体、内臓、回路、全てを凍らせて動きを止める。
ヒュドラの気配はすぐそこに。ひんやりとした空気が頬を裂く。だが、止める。突き刺した大剣の柄を握ったまま、引き抜かずに止め続ける。
瞬きに満たない間でしか、自分を欺かせることができない。だが、今の状況下においては、瞬きの間でさえ欺かせれば、勝利への道が開かれる。
魔力を回すだけで回路が壊れるのなら、ぎりぎりまで回さないでおけばいい。一太刀で決まる勝負において、回路を形成する時間すらも惜しい。
瞬きのその一刹那、そこに現れる絶好のチャンスを見逃さずに、残されたすべての魔力を腕に注ぎ込んで斬る。それまでは、ただ待って欺き続けろ。
――――――――まだだ。
眼と鼻の先に紅色の蛇の口が迫る。口に残る強烈な血の残り香を振りまきながら、薄汚れた鋭い歯が俺の身体に襲いかかる。
――――――――まだだ。
逃げ出したくなる脚を堪えて、振りぬきたくなる右手を抑えてこの身をヒュドラへとゆだねる。
なされるがまま、地面ごと身体が呑み込まれる。巨大な筒が身体を覆っていく。
筒の中はピンク色の肉に囲まれた空洞の奥から強烈な死臭が漂っている。人十人を軽く溶かせるほどの力を持つ胃液が、すぐさま俺の元に落とされていくるに違いない。溶かされれば身体ごと消えてなくなり、魔術による修復もまず不可能だ。この中に入った時点で、まともに出られる方法は残されていない。
だが、
「────────融解!!」
『身体の氷は融けていく』。
自由になった右手を、左から右へと半月上に振りぬく。
今しかない。相手の懐の奥底、そこにあるのが俺の狙っていたチャンスだ。
十人以上を呑み込み、すぐさま自分の糧とするには強力な胃液が必要だ。もちろん、消化するためにくっついてきた装備その他諸々も溶かせるほどの強さも当然に必要だ。
一度呑みこまれればもう助からない、全ての物質を溶かせるからこそ、このヒュドラはSランクだと評されてきた。
だが、それは諸刃の剣でもある。触れれば溶ける最強最悪の兵器に一番近いものは、他ならぬ宿主の肉体だ。いくら斬っても再生する身体でも、元が溶かされてしまえば消えてなくなるだろう。勿論、溜め込んでいる腹壁には対酸性を持っているため、自分が溶かされることはまずない。
捨て身の覚悟で自ら喰われ、酸が降りかかる瞬きにも満たない間に肉を切り裂くようなイレギュラーさえなければ。
「ぁ、ぃぐ、ひっ――――」
全てが、融けていく。解けていく。身体が息を吹き返す。血液が、魔力が循環を始める。
全てを、蝕まれる。喰いつくされていく。身体は活動停止を要求し、心臓は早鐘を打つ。
放出の限界を超えたバルブの弁はどこかに飛んで行ってしまっていて、回路から溢れ出てしまった魔力は行き場を求めてありとあらゆる管へと侵入していく。神経は既に機能を停止していて、身体の制御の仕方も忘れてしまった。身体に張り巡らされた血管はぶつぶつと音を立て、はじけ飛んでとんでは消えていく。
今の感覚は幽体離脱に近い。俺が俺ではなくなっていて、俯瞰的な視点から誰かを除いている感じ。
「ぁ、ぁぁ――――」
意識は遥か彼方に追いやられて。次第に、勝利への道標を示してくれるこの大剣すらも握れなくなって――――
「――――ぁぁあああああ!!」
血管を遡る魔力に負けず、右手を振るい続ける。
このままのたれ死ぬのだけはダメだ。俺にはまだ役割が残っている。
しがみつけ。しがみつけ。力は入れなくていい。ただ勢いに流されるだけでも十分だ。振りぬくまでその手は放さずにいろ――――
ガキリ。
何かを砕いた音。確認しようにも視界は乱れて何も映らない。だが、辛うじてつながっている感覚が震えを感じ取ってくれた。
――――大剣の描く軌道上、刃先にあたるものの存在は決して許さない。
ピシリ。ピシリ。
鱗か何か、固いものが切れていく。柄は反動で震え、生きのいい魚のように手の中で踊る。それを手放さないように、必死にない力を振り絞る。
――――水平の延長線上、刃の及ばない先までも存在を許さない。生み出す風の圧が刃となり、その先にいる悉くを滅ぼす。
グチュリ。
柔らかい何かが切れていく。描く半月は頂点を越した。あとは勢いそのまま下り坂を駆け抜けていくだけだ。
――――木々を、雲間を、空を裂く。遥か彼方、この刃が届かぬところはない。爆ぜるようにして、刃は天を駆けていく。
それは比喩でもなく、嘘でもなく、夢絵空事でもなく。ただ「そうである」という確信をもって。魔術の持つ無限の可能性を信じて。
この剣には、無限の刃が連なっているのだと――――
「――――――――『無尽』!」
一閃無尽。閃きの間に、無尽を斬り捨てる。
半月を描き終えた大剣は、勢いそのままに地面へと突き刺さった。辺りに衝撃が響き渡って、ただの肉塊となった両腕に波となって伝わる。
遠いところで、何かが聞こえてくる。高音で、およそ人間が出せそうにない悲鳴。ぞくり、と少しだけ恐怖感を覚えるも、靄のかかった頭の中で整理したらすぐに高揚感が勝った。
色が失われた世界。その中でも確かに俺の目は捉えたのだ。
曇天の合間から覗く太陽の光が、一列になって高い放物線を描く水滴を照らしている光景を。
そして、真っ二つに割れた大蛇が宙に浮かんでいる光景を。
福音ともとれるその叫びに乗って、蛇は元居た沼地に落ちる。そして水滴はしばらくすると群をなして雨となり、一滴残らず向きを揃えて蛇の元へと降り注いだ。
酸の雨を浴びる蛇は、まるで燻されているかのような煙を出しながら破壊と再生を繰り返す。鱗とモノクロの肉が、固まっては溶けていく。この次第では、十分後にでも死滅するだろう。
安心感と多幸感に包まれながら、俺は膝を着いた。もう二度と、自分の力では立ち上がれないだろう。
だが、まだ終わっていない。まだヒュドラも俺も、役目を終えていない。俺たちにとって、重要な役割をはたしていない。
俺は大剣を地面に落とし、おもむろに右の肉塊を天へと上げ、小さくつぶやいた。
「――――よし」
まだ、『躾』が終わっていないのだから。




