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22. 主従

「■■■■■■■■■■■――――!!!」


 初めて、その咆哮を耳でとらえた気がする。


 俺の剣が肉を裂いたその瞬間、ヒュドラは枷を外されたかのように大暴れし始めた。蛇は慟哭に似た雄たけびを上げ、目の前でうろついていた餌を土ごと呑み込まんとする。


「――――――っ!?」


 しかし、俺の身体は既に宙に浮いており、辛うじてその牙から逃れていた。


 時間にして数える隙も無い、その瞬きの出来事に俺はついていくことができずにいた。


「大丈夫か!?」


 身体に密着している形で後ろにいたテンの声で頭が動き始め、ようやく状況に整理がついた。

 いち早く察知した彼女が右手で俺を抱えて飛んでくれたのだろう。


「……っ、ああ、大丈夫だ」


 言葉を吐いて落ち着きを取り戻す。ここは既に戦場と化している。無駄な思考すらも許されない。大剣の切っ先を揺らしながら魔力の貯蔵を確認する。

 ……魔力は十分。放出しながらでも三分は動き続けるはずだ。


 肩の力を抜き、体内に魔力を循環させようとする、が。


「――――ぁ、っ、ぐぅぁ!」

 

 稲妻が身体を駆け巡り、漏れ出しそうな悲鳴を必死に喉元で抑え込む。


 魔力を流そうとするだけでそこかしこに痛みが噴出して、ぎちぎち、とおよそ聞き覚えのない不快な音と共に身体が軋む。


 恐らく、テンと合流しようとしていた時点で限界が来ていたのだろう。魔力を放出させるバルブは既に調節が利かなくなっていて、一たび開けば身体が耐え切ることができないほどの魔力が流れてしまう。運が悪ければ、全身に通っている魔力回路から魔力が漏れ出し、最悪二度と魔術が扱えない身体になってしまう可能性もある。


「は、ぁ、くっそ……!」


 想像するだけで恐怖が渦巻き、手足が震える。

 一度魔力を放出すれば二度と魔術を扱えなくなるかもしれない。戦いしか知らない俺にとって、魔術を奪われるということは苦痛以上のものだ。それに、戦う術を失くしてしまえばヴァンパイアとも対峙できなくなる。人生の意義を失ってしまえば、この先どうやって俺は生きていけばいいのかすらも分からない。

 かと言って出し惜しみをして勝てる相手でもない。魔術を使わなければ、二人とも死ぬのが目に見えている。


 どの道を選んでも、きっと俺は大切なものを失ってしまうだろう。


「なぁ、本当に大丈夫か?」

「……心配ない。戦える」


 心配そうにしているテンに対し、俺は気丈に振舞うことしかできなかった。

 

 彼女に悟られてはならない。これは俺が解決するべき問題だ。

 優しいあいつのことだ。相談すれば魔術を使わせない方を選んで、自分の身を粉にして戦うに違いない。

 だが、それだけはあってはならない。直接関係のないテンを巻き込む必要はないし、巻き込んでいい答えが得られるとも思えない。


「……仕方ない」


 魔力回路をいったん閉じ、再び剣を構える。生身でどこまで戦えるかは知らないが、今すぐに捨て身の特攻を仕掛ける理由もない。戦況の動向を見てからでも、切り札を切るタイミングは遅くない。

 

 が、しかし。


「■■■、■■■、■■、■■■!!」

 

 肝心のヒュドラは仕掛けようとはせずに地面をのたうち回り、ずんずん、と地鳴りをただ響かせるだけだった。周りについている何かを振り払うのに必死で、その邪眼はこちらへとむけようとはせずにいる。見ると、あれだけ艶やかだった蛇の皮膚は、いつの間にかどす黒い黒にへと変色しようとしていた。

 少し前までは周囲に満ちていた俺たちへの殺気は、いつの間にか薄くなってった。


「どうなってるんだ、おい……!」


 状況が呑み込めないまま立ち尽くす俺の横で、


「……そうか、なら合点がいくな」


 と、顎に手を当てながらテンは頷いていた。


「ゼノン、あれは結構()()()()状態だ」 

「きている……!?」


 そうだ、といいながら彼女はマフラーを解いて首元の咬痕を見せると、少しながら黒ずんだ皮膚が日の元に現れた。


「この黒ずみは多分、()()()()だ。命令に従わない眷属に対して、主人が体内に流した自分の血から毒素を侵食させて痛みを与えて無理やりにでも拘束しようとする」

「拘束、だと」

「さっき、私たちが喰べられていなかったわけは、理由は分からないけど恐らく拘束されてたからだ。ゼノンが斬りつけたからヒュドラは耐えられなくなって、拘束を破ってまで私たちを喰べようした。そして今は破った罰を受けさせられているのだろう」


 改めてヒュドラの方を見ると、段々と黒ずんでいく範囲が広くなっている。尾の方から背を伝い、そして頭部にまでさしかかろうとしている。あれらが全て毒素だとしたら、痛みは想像を絶しているだろう。

 その証拠に紅の眼は白く薄れていて、最早何物も視界に映せてはいない状態だ。


 だが、一つ気がかりな点がある。


「じゃあ、黒ずんでいるお前も拘束の影響を受けているんじゃないのか!?」

「……かもしれない。だけど、常に獰猛化していない私はその影響を受けにくいらしい。実感はそこまでないし痛みも感じはしない、が――――」


 少し悩ましげに首元を撫でながら、テンは顔をしかめた。


「獰猛化すれば、その影響を受けるかもしれない。今の私はヴァンパイアを主とは認めてはいないが、あっちの『私』は無意識だ。知らない間にヴァンパイアを主と認めてしまう可能性もある。獰猛化するのはリスキーな択だ」

「繋がりはこっちで切ることはできないのか?」

「それには主人の鞍替えが必要だ。新しく誰かに咬まれるか、無意識の私も認めるくらいの強烈な主従行為で別の人と新たな主従関係に就かせるか。比較的繋がりは薄いから必ずしも咬まれる必要はないけど、今のところそのほかの手立ては見つからない」

「そうか……」


 こめかみを抑えながら、テンと同じく思案に耽る。

 テンの獰猛化が難しい、となれば俺も前線に出る必要がある。しかし、魔術を使わずに戦い抜ける自信はないに等しい。弱っていても相手はSランクの魔獣、剣技だけでどうこうできるとは到底思えない。


 ならば、


「――――魔術を、使うしか」


 少し赤みがかった左の手の平を力いっぱいに握る。

 今の状態で魔術を使うのは死同然の行為、もしかしたら回路を開ききった瞬間に身体が動かなくなる

かもしれない。

 何もできないままに身体ごと呑み込まれて、仇も討てずに夢半ばで散るのは嫌だ。かと言って、力を出し惜しんだままテンを巻き込んで二人とも死ぬのはもっと嫌だ。


 こんなことは天秤にかけるまでもない。なのに、なのに。


「……ゼノン?」


 握りこぶしの震えが止まらない。金縛りにでもあったかのように、手の力を緩めることができない。

 今まで死を受け入れていたはずのこの身をどうしても惜しんでしまう。生き続けることが贖罪なのだと、その言葉に縋ってしまう。


 死にたくない。でも、死なせたくない。

 相反する二つの想いが去来し、またぎちぎち、と不快な音を身体は鳴らす。


 ああ、ダメだ。見つからない正解を見つけようとしている。

 それは未来の俺が決めるんだ、そう固く決意してもどこからともなく、お前に未来なんてあるのか、と誰かが耳元で囁いてくる。だから無意識のうちに見つからない答えを探そうとしてして、でも見つからなくてまた最初に戻ってしまう。

 思考は円環状に速度を増し、行ったり来たりの堂々巡りを始める。身体は宙に浮いたかのようにふわふわとしていて、されど耐えがたいほどの重圧に押されていて、それが何故だか心地よくて。


 いっそこのまま永遠に悩み続ければ、どれほど良いか――――

 


「ゼノン!」



 左手に熱を感じ、急に現実へと身体が引き戻されていく。

 円環から抜け出した先には、あの碧の眼差しがあった。

 

「テン……」


 彼女の両手は俺の震える左手を包み込んでいる。

 死蝋じみたほど白く冷たい肌なのに、包み込まれた左手はやけに温もりを感じた。


「覚えておいて。私は、ゼノンが何を選んでも絶対に着いていくって。ゼノンが胸を張って選んだことなら私は一生肯定し続けるから」


 からっとした笑顔は、この戦場に相応しくないほどに朗らかなものだった。

 

「……ああ、分かった」


 凍り付いていた左手が溶けていく。

 臆面もなくそんなことを言われたら、誰だって笑顔になってしまう。

 これじゃあ、どっちが指示する立場なのかも分からない。着いていく、と言われたのは俺なはずなのに、何故かテンに引っ張られている感覚がある。

 歪な上下関係だ。首輪をつけて従えようとするのに、力が強すぎてリードで引っ張られてしまっている。飼い主が弱いのか、飼い犬が強すぎるのか、いっそ逆転してみればいいのではないかとも思えてしまって――――


「……あった」


 ついに見つけた。この状況を打破する術を、そして新たな主従関係を作り出す方法を。


「テン、今から言うことだけを守ってほしい」


 少しきょとん、となっている彼女の方へと向き直り、思いついた作戦の概要を伝える。

 ただまあ、作戦といっても一つだけなのだが。


「俺が戦っている最中は手を出すな。俺が『良し』って言うまでずっと待っていろ」


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