21. 道標
「ふ、ざけたこと……?」
「ああ、とんでもなくふざけている。そんな気持ちでよくもここまで生き延びれたと思えるくらいだ」
「────っ、!」
さっきみたいに頭がうまく回らない。『ふざけている』という文言が延々と目の前で回り続けている。
だが、その原因はさっきとは全く違う。この混乱はテンが生き返った時のような、驚きからくるものではない。
ただ単純に、脳みそが彼女の言葉を受け入れようとしないからであった。
「……なんでだよ。俺は色んな人をいっぱい殺したんだ。だからその報いを受けるのは当然の話であって、お前がどうこう言う立場にないだろ!?」
底からあふれ出してきた疑問を精査すらせず、そのままテンへとぶつける。自分でも若干の敵意をはらんでいると自覚しつつも、それを正すことなく彼女にたたきつける。
「一人で道を間違えて死ぬなら別にどうってことない。でも、俺は違うんだ。みんなを巻き添えにして、そしてそれらを踏み台にして俺だけ生き残っているんだ。俺は罪を償わなくちゃいけないのに、どうしてお前はそんなこと言えるんだ!」
「そうだな、罪は償わないといけない。それが死を以てして満たされるなら、私も反対しない」
「ならなんで、なんでふざけてるって言えるんだ!」
「その考え方だ。そんな腐った思考回路をしてるのがふざけてるんだよ」
剥き出しになった心を必死に覆い隠すために、俺は言葉を並べ続ける。説得力だとか論理とか、そんなものを考える暇なんてない。奥底に潜んだ俺を見つけられたくないがためだけに、ただ湧き出た文句を表に出し続ける。
対照的に、テンは冷静であり続けた。俺のみっともない言葉の嵐すらも眉一つ動かさずに聞き続け、談笑しているときのような口調で会話をする。
俺は無性にそのスカしている感が気に食わなくて、更に心を覆い隠す壁を厚くしていく。
「じゃあ教えてくれ! こんなふざけた俺にでも分かるように、お前の考えを詳しく教えてくれよ!」
その質問の瞬間、数舜だけテンの顔が固まる。そして、その後何事もなかったかのようにゆっくりと口を開いた。
「そもそも、お前の思う『正解』ってなんだ? 誰が、どんな基準で決めてるんだ」
「――――っ、誰がってそれはお前……」
それは至極当然の質問だ。俺の考えを論破するのなら、俺が主張している「正解」の道を問いただすのは当たり前だ。そして、それをすぐに返せるのもまた当然。返せなかったら、その論理は破綻していることになる。
そのはずなのに、
「…………、ぁ、あれ?」
答えは、ついぞ浮かんでくることはなかった。
「誰が決めるんだ。その時のお前か? 死んでいった仲間か? 殺してくる敵か? それとも、お前を支持してくれる民衆の声か?」
言葉に詰まる俺に対し、テンは容赦なく質問を投げかけてくる。
即興で何かを返そうにも、回らなくなった頭で思考を深めるのは不可能だった。
「基準はなんだ。善悪か。それともお前の気分か。教えてくれ、お前のその『正解』ってやつを」
立場はすっかりと逆転していた。問いかける側にいた俺は、いつの間にか問い詰められる側へと落とされてしまった。
さっきのような勢いはとっくに消え失せている。根底が崩れてしまったからには戦うこともできない。俺の抱えていた論理とか考えとかやらはただの一本の細い蝋燭で、吹けば一瞬で消えるくらいの灯でしかないんだと気がついていなかった。
「……私はただ、『正解』を曖昧にしながら縋ろうとするその思考回路が腐っているって言いたいんだ。なにもゼノンの全てを否定したいとは思っていないし、何ならその答えも私は知っている教えることができる」
今まで俺を見下ろしていた彼女は、俺の目線に合わせるようにして腰を落とす。
さっきまで忌み嫌っていたその碧の瞳は、今は何ともなく見ることができる。意外ときれいなんだな、と思わず口から零しそうになる言葉を手で押さえ、代わりに質問を投げかけた。
「なら、教えてくれ。『正解』って誰が決めるんだ?」
その問いを待っていたかのように、彼女の顔は初めて綻んだ。
「他ならない、『今』のお前だ。後の世に生きるお前こそが、今までの自分の選択を正解に導ける唯一の存在なんだ」
「今の、俺自身……」
「そうだ。基準とやらも今のお前が決めればいい」
それから流れるように、彼女は語りだした。
「人間は過去を変えられない。勿論、人の道を外れた私も、魔獣も、ヴァンパイアも、全員過去には触れることができない」
優しく、俺の貧相な心に寄り添うかのような声色に、いつしか俺は心をゆだねていた。
「だからこそ、せめて過去の自分だけは肯定してやってくれ。一人で答えを導けないまま彷徨っている過去の自分に寄り添えるのは、自分だけしかいないんだ。それに――――」
そして、少しだけ目を伏せながら、それでもきっぱりと視線を上げて、胸を張って彼女はこう言った。
「私も、時々後悔することがある。あのまま、私のお母さんとお父さんを喰べずに一緒に死んでいったほうが良かったのかもしれない。そう思ってしまう時が来るたびに私の胸は張り裂けそうになってしまうんだ」
「……テン」
そうだ。彼女も俺と同じように、正解と間違いの二択を選び続けてきている。いや、この世に生きる全ての存在が常に道を選び続けてきている。
決して、俺だけが道を誤ったのではない。少し考えれば思いつく簡単なことを、どうして今まで見ないフリをしてきたんだろう。
「でも、私は喰べることを選んだ。選んで、そして苦しんだからこそからこそ私は今、こうして生きている。お母さんとお父さんを身体に宿したおかげで、私は仇を討ちに行くことができる。その道を選んでくれた勇気ある過去の私にできることは一つ、その選択全部が『正解』だって信じて疑わずにこれからも生きていくことだけだ」
声を張って、堂々と。その様子に後悔など微塵にも感じられない。
人でなくなるという到底理解できない苦痛を、彼女は堪え続けて生きている。ひとたび自己嫌悪に陥れば呪いのように付きまとう負の感情を乗り越えて、あの笑顔を見せている。それのなんと綺麗なことか、過去の俺は気がついていなかった。
「積みあがった死体の山の上に立っている、それがなんだ。今更そいつらに謝っても満足いく返事なんか返ってくるわけがない。今頃になって罪を償うために死んだって誰も喜ばない、ただの自己満足だ。
なら、今のお前はそいつらのために何をするべきなんだ?」
碧の瞳が問いかけてくる。それに対し、俺はすっと立ち上がった。
さっきまでの俺とは違う。視界は良好。頭は冴えている。俺の為すべきこと、俺が生きている理由。その全てを滞りなくすらすらと述べることができるはずだ。
頭上では死が口を開けて待っている。生々しい吐息が、俺をあっち側へといざなおうとする。
「……ふざけろ」
そう呟いて、俺はその誘いを振り払った。
「あいつらの死を無駄にしないために、俺は胸を張って、これからもこの道が正解だと信じ続けて歩く。誰が何と言おうと、これは俺が選んだ道だと信じ続ける」
雑念は消え去った。後悔は彼方に置き去りにした。絶望は一刀にて切り捨てた。
そして俺の目の前に、一本の道が形どられて行く。やけに白っぽくてまだ不安定な様でありながら、その道はずっと奥へと続いている。そこから数歩後ろ、置き去りにしていた大剣を拾う。これがこの先の道を照らす行灯。どんなくらい闇でも道を開いていける、唯一無二のお供だ。
「正解なんて誰にも分からないなら、俺が正解を作り出す。自分がやってきたこと全てを肯定して、これからすることを未来の俺が肯定してくれることを願い続ける」
しゃがんでいるテンの前に背を向けて立ち、大剣の切っ先をヒュドラへと向ける。
「……ああ、その通りだ、ゼノン。お前が歩んできた道のりくらい、悔いなく見返せるようにやってくれ」
――――ああ、あいつはきっと、この上なく綺麗な笑顔を浮かべているに違いない。
後ろからかけられた言葉の勢いに乗り、俺は大剣を勢いよく振り下ろした。