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20. 一人、絞首台に立つ

「────────っ」


 声が、出ない。頭が、漂白される。身体が、凍る。


 胸の中に響く警鐘は鳴り止まない。逸る呼吸を押さえつけられない。どくどくと、胸に開けられた大きな孔から血が零れだしてきているかのよう。

 そこでようやく俺は理解した。何よりも痛いものは敵の刃ではなく、信頼していた仲間からの失望なのだと。


「き、気が」

「『気が付いていたのか』だと? 当たり前だ」


 びくり、と身体が震える。

 今はテンの一挙一足に恐怖を覚えてしまって、まともな言葉を紡ぎだせる気すらもしない。彼女は味方のはずなのに、どうして相対するのを嫌がってしまうのだろうか。


「獰猛化しているときの『私』は今の私とは違うって言っただろう。だから獰猛化が解除されて『私』が消えたとき、自然と今まで隠れていた私の意識が浮き上がってくる。その私は致死の攻撃を食らっていないから意識は無事に身体に定着してくれた。眼も手足も使えなかったけどたまたま左耳が無事に残っていたから、せめて音だけでも聞いて状況を確認しようとしたんだが……」


 刃を向けられ、冷や汗が頬を伝う。瞬間、


「聞きたくなかった言葉も聞こえてくるなんて、思ってもなかった」


 かすかに失望が見え隠れした彼女の言葉が、容赦なくこの身を貫いた。概念でしかないその剣は腸の中で具現化し、ぐちぐちと徐々に傷跡を広げていき、果てない痛みを味合わせてくる。

  

 ああ、吐きそうだ。自己嫌悪と後悔の念がとどまることなく渦巻いている。こんな腐った性根の奴なんて、俺だったらとっくに見捨ててしまっている。捨て台詞の一つや二つを吐いて、さっさとその場から離れていくに違いない。


 それなのに、


「本当に、残念だ……」


 なのに、あいつは俺のことを見つめ続けている。俺に身を抱かれたまま、碧の瞳はこの身を捉え続けている。


そして、


「そんなの、私の()()()ゼノンじゃないのに」

「……は?」


 肩を竦めながらぼそりと呟いたその言葉が聞こえた瞬間、俺は自分の耳を疑った。


 ────『憧れ』ってなんだ。こんな生きるのに相応しくない人間に、お前は憧れを抱いているのか。それなら今すぐにそれを捨ててくれ。その澄んだ目で見つめられると、俺はいてもたってもいられなくなってしまう。


「私の知っているゼノンはとても勇敢で、その度胸相応の剣術も魔術も兼ね備えている。それに、的確な策を練られる聡明さも、人をまとめ上げる統率力だってある。まだ仲間になって日は浅いけど、実力は身に沁みてわかる」

 

 彼女は雄弁にして理想のゼノンを語る。

 俺はそいつと自分の認識の中のゼノンの矮小さと交錯し、その歪みがひどく締め付けにかかる。

 彼女が思っているそいつは外面だけ良い奴なだけだ。その実、間違いばかりを犯して他人にその尻拭いをさせる卑劣な奴なのはさっきの言葉で分かっているはずだ。


「そしてなにより、簡単に勝利を諦めようとしない、強い信念を持った戦士だ。強敵であってもめげずに敵の力量を量り、策を巡らせ、戦場を何とかしてコントロールしようとする」


 しかし、テンは真相を未だに理解していないのか、未だに理想上のゼノンを褒めたたえている。

 理想は肥大化しやすい。夢想の中のものは全て我がものに、故に真理を知らない限り際限なく変化し続けていく。

 理想が破裂しない前にに、俺自身がそれを止めないと。


「……違う。違うんだ、テン。俺はそんなに出来た人間じゃないんだ」


 疼く腹を抱えながら、必死に彼女の理想を打ち砕こうとする。

 あの瞳と目を合わせようとするたびに、全身が剣山の上に押し付けられた感覚に陥る。それでも、耐えがたくなって背けようとする思いを堪え、胸の底から言葉を紡ぎだす。


「お前は知らないと思うけど、俺はいつも道を間違えてしまう。正しい道を選べずに、失ってきた命が数えきれないほどある。でもそれを、今までの俺は見ないようにしてきた。積みあがった死体の山を無視して、俺はいま生きているんだ」


 そう。俺は本来、十字架を背負って生きていかなければならない罪人だ。期が来れば今までのツケを清算しなければならないはずだった。そのはずが、当の本人は十字架を投げ捨て、また別の罪を犯そうとする。

 全く。言えば言うほどに、ゼノンという人間はできの悪い人間なのが浮き彫りになる。


「さっきだってそうだ。俺はヒュドラの実力を見誤ってしまって立てた策全てが通らず、そして俺自身奴に立ち向かえるほどではなかった。そしてお前の力に頼らざるをえなくなり、結果、お前に深い傷を負わせてしまった。

 そいつらは全部、正解を見つけることができなかった俺のせいだ」


 不思議と、自分を責めていると痛みが薄れてくる。罪を告白するだけでここまで気持ちが楽になるのか。宗教が流行る理由も段々と分かってきた。 

 テンも理解してくれているのか、眉一つ動かさずに頷きながら聞いてくれている。それだけで全身に多幸感が湧き出てきて、傷の修復速度に拍車がかかってくる。


「だからあの時、テンが喰われた瞬間、俺にもようやくツケを払わなければならない時が来たと理解したんだ。仲間の死を踏み台にして栄光を手に入れた奴を、この世界が許してくれるわけがない」


 懺悔する。散っていった英霊に、今まで見逃してくれていた世界に、そして彼女に向かって。

 上を見上げてみると、未だにヒュドラの口蓋が俺たちを捉えている。妙に暖かな吐息が身体を覆い、その懺悔を祝福してくれるかのよう。きっと俺がもう一度負けた、と言えばすぐに喰われてしまいそうな、そんな気がなんとなくする。


「……正解の道を選び続けられない人間は生きていけない」


 ────絞首台へと上がる固い足音が聞こえる。


「他人を不幸に追いやる人間なんて地獄に行っても足りない」


 迷いなく登り続けるのは大きな純白の十字架を背負った青年。その顔は妙に柔らかくて、その刑を受け入れようとしているようにも見える。


「だから、死ななくちゃならない。地獄に行ってなお足りないなら足りるまで罰を受ける。それが俺に課せられた使命だ」


 上り詰めたその先、一番上からの景色は闇に包まれている。あるのは一本のロープ。少し下を見ると、何かが大量にうごめいている。大した恐怖感はない。既にこの身はなくなるべきだったもの。義務感のもとに命を捧げるのには何の抵抗もいらない。


 すう、と息をはく。縄に手を掛け、首元へとゆっくり通す。


 後、一言。それを言えば俺は解放される。その瞬間、絞首台が忽然と消え、身体は下にいるものの見世物になるかのようにして宙に浮く。苦悶の表情を浮かべる青年に対し、そいつらは石を投げる。善を説きながら、目の前にぶら下がる悪を貶すだろう、

 ……上等。とうの前にその準備はできている。


 さあ、言おう。敗北の言葉を。この世界に向けて、胸の底から、吐き出すように。


「だから、俺は」


 そのひと瞬きで、この身は────


「負けた、とでも言うのか。そんなくだらない、ふざけたことで」


「…………は?」


 一声で、世界がぐるりと流転する。下だったものが上に、上だったものが下に。漆黒の景色は純白へ。今まで立っていた絞首台は消えた。だが、俺の身体はしっかりと地についていて、力なく座り込んでいる。


 そして、目の前には。


「何度も言わせるな。ゼノン=アタナシウスはその程度の人間ではない」


 座っている俺を見下ろす、見慣れた碧の瞳の少女の姿があった。






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