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12. 九つの首とウラミアの森

 春に三日の晴れなしとはよく言ったもので、峠を下り終えた空は朝から曇天の雲模様が続いている。

 雲間に差す一筋の光すらも見えず、じめりとした湿気が肌にまとわりつく中、二人の歩は緩まずに進んでいく。

 されど昨日のような疲れは感じない。下りが主であったのと、背負う荷物が半分ほどになったからだろう。

 適度に休憩をとりながら歩き続けて数時間、舗装された道がちらほら見えはじめてきた頃、小さな街並みが視界に入ってきた。

 

「……あれがウラミアか」

「正解だ。イザリアよりは小さいけどそこそこ繁栄はしているぞ。近くに大きな牧場があるから肉も新鮮で旨いからよく調査中に立ち寄るんだ」


 干し肉を齧り付きながら気持ち早足でテンは歩く。

 彼女の肉への執着心は、なんというか、眷属以上のものがある気がする。

 肉というよりかは食への欲なのだろうか。


「よく食べるな、お前。年頃の女の子なんだから太ることとかは気にならないのか?」

「何を言ってるんだ? 身体は大きい方が力は出るだろ」

「……太った方が良いのか」

「当たり前だ。兵士は身体が資本なんだから食べて力を蓄えるべきなんだから」


 なんと身も蓋もない言葉。

 およそ十四の女の子が吐き捨てる言葉じゃない。

 山育ちな分、体重という概念も欠如してしまっているかもしれない。

 

「着いたら一休みするぞ。美味しいステーキが出るところがあるんだ。そこで腹ごしらえしてから調査だ」

「……そりゃ良いな」


 苦笑いを浮かべながら俺は返答をする。

 これだけの食欲を持ちながらも、華奢な身体を保ち続けているのはその道の才があるとしか言えない。いつしか魔獣が居なくなったときには大食いで金を稼いでいくのが良いのかもしれない。


 そんな俺に構うことなく、テンは背中の麻袋の中に手を入れていた。

 


***************************************************************

 


「旨かった。やっぱりレアの方が私には合ってる」


 上機嫌なテンと共に、目的の森の中を歩いていく。

 跳ねるような軽やかな足取りから察するに、此度の昼食は非常に満足だったのだろう。

 テンの奢りで俺も同席していたのだが、その食べっぷりは異常だった。その度合いが桁外れで、こちらの食欲が失せてしまうくらいに。


「……食わせて貰った俺の立場からなんとも言えないけど流石に食べ過ぎだ。身体を動かすんだから少し抑え目で十分だろ」


 すっかり膨れ上がった腹を抱えながら、俺はテンの後ろに着いていく。


 およそ二百グラムだろうか、分厚いヒレ肉に黒胡椒を振りかけただけの豪快なステーキは俺の腹には一枚で十分過ぎた。付け合わせの野菜をつまみながらもようやくそれを胃の中に押し込めた時間が三十分ほど。

 だが、向かいに座っている少女の目の前には何枚もの皿が積み重なっていた。三十分で六、七枚をぺろりと平らげ、あまつさえ荷物の干し肉をつまみながらでいる。

 さらには「食ってくれ」と言わんばかりに、空になった俺の皿には次々と付け合わせの野菜が転がってくる。満腹になった俺の胃袋は悲鳴を上げ続けていた。

 

「なんだ、元ギルドマスターだかなんだか知らないが随分と軟弱な身体をしてるな。内臓の強さは身体の強さって良く言うだろ?」

「どこで習ったんだそれ……?」

「シスターから聞いた。強くなるにはそれが一番だって」

「……随分と肉体派な思考なシスター様だな」


 どうやら、テンの住んでいる教会のシスターからの入れ知恵らしい。その言葉に嘘偽りはないものの、およそ少女にかける助言じゃない気がするが。


 ……この話題はもうよそう。堂々巡りだ。人には人の常識があるのだから干渉しすぎるのも良くないだろう。


「で、話は変わるが目標の目星はついてるんだろうな」


 俺の問いかけに応えるように、テンは獣のようにすん、と鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。


「……うん。前情報通り匂いはこの辺りからする。しかも結構強めな匂いだ」

「強め、とはどういうことだ?」

「喰われてから時間がそれほど経ってないか、肉への欲が溜まりに溜まっているか、それとも少し前にヴァンパイア自身がここに立ち寄ったか。雨はここ最近は降っていないし、匂いが薄まることはないと思う」


 顎をさすりながらテンは思案にふける。


 自身が鼻の効く眷属であることを活かした考え方が故、以前の俺の索敵方法とは全く違う。血の痕跡を分析して必死に辿るしか術がなかった俺のやり方よりも匂いの強弱を軸にして索敵を測る方が明快だ。


 血痕とは違い、匂いは簡単には消すことのできない重要な痕跡だ。ダイレクトに目標へと迫りかねない索敵方法だからこそ、テンはこれまで様々な首を上げてきたのだろう。


「私が仕入れた情報だと一週間前に三人の人間が森に入ってから行方不明になっている。でも、それがヴァンパイア自身が集めたものとは思えない。奴らは余程のことがない限り食物を街から拐おうとはしないし、何か別の供給があるのだと考えている」

「俺も同じ考えだ。今のヴァンパイアは『殲滅』扱いされているからな。下手に動くことはないだろう」


 世間体ではヴァンパイアはいなくなっている。

 そんなことを気にしなければ良い、と思えばそれまでなのだがあまり得策ではないだろう。ノイン、という輩の話を聞く限りでは人間を粗末に扱うつもりはないはずだ。悪戯に人を殺めたり、虐殺の形は取りたくないに違いない。


 万が一存在がバレてしまった時、人間とヴァンパイアの間で戦争が起こるのは避けられないだろう。


「一週間も経っているのなら匂いはもっと薄れていてもおかしくない。だからヴァンパイア自身がここに立ち寄ったのか、それとも目標の肉への欲が強いのか」

「肉への欲が強いと匂いが強くなるのか?」

「基本、眷属(私たち)は主人に養ってもらわなければならない。だから、血が足りなくなったときに匂いを発するようになっている。

 言うなればSOSサインだな。眷属の匂いが強ければ強いほど生命の危機に晒されていることを示している。そこで助けるかどうかは主人の匙加減だ」

「……なるほど」


 段々とぬかるむ地面を進みながら、俺はその推理に納得する。

 確かにヴァンパイアの眷属と戦うとき、特に獰猛化した仲間と相対したときは俺たちでも分かるほどの強い血の匂いがしていた。当時は特に気にすることはなかったのだが、あれは一種の救難信号だったと思えば合点がいく。

 

 血に飢えれば飢えるほど、その匂いは強さを増していく。事態が急を要すればするほどに匂いは溢れ出していく。

 となれば即ち、


「目標は獰猛化が激しいってことだな」


 テンは俺の答えの代わりに、目の前にある開けた場所を指差した。

 

 そこはまるで初陣のときのような、鬱蒼とした森の中に作られたオアシスのよう。半径は数十メートルほどだろうか、歪な円を描きながらその場所は俺たちの前に立ちはだかる。

 しかし、以前のオアシスとはある一点だけが違っていた。


「沼地……か」


 それは生き物にとってはオアシスとは程遠い、大きな沼地だった。

 

 清涼な水はそこにはなく、茶の濁った水が大地を浸す。泥に塗れた枯れ木は何本も水底に突き刺さり、通常の沼地には生息しているはずの黒藻すら茂っていない。周りに緑が生茂る中に出来上がった、まるで一点の染みのよう。明らかに異物なそれは、我が物顔で森の中に鎮座していた。


 迂回をしようと思えばできる土地だが、テンはその場で立ち止まったまま指を指し続けている。

 

「……おい、何かあるのか?」


 困惑した俺に向かって、テンは凛とした瞳で断言した。


「匂いが強い。ここが発生源だ」

「なっ────────」


 息を呑み、思わずもう一度沼地を見返す。

 そこには生命の息吹すらも感じない、死んだも当然の沼だ。いくら眷属とはいえ、そこに住むことは叶わないだろう。


「あ、あんなとこにか!?」

「ああ。原理は分からないけど、確かにここが一番強くなっている」

「嘘、だろ……!」


 テンは既に臨戦態勢へと移行していた。

 腰に据えた短刀を取り出し、身を低く屈めている。呼吸は敢えて鎮めているかのようで、吐く息は段々と長くなっていく。


「構えろ。人の匂いはもうあっちにバレている。腹が減っているならいつ来てもおかしくない」

「……分かった」


 それに倣い、俺も大剣を柄を持って鋒を沼地へと向ける。と、同時に魔力も練り上げていく。


 ……一閃が都合三十回ほど。息つく暇がなくとも戦える魔力は体内に溜め込められた。

 後はこちらから攻めるか待ちに徹するか。


 いかに獰猛と言えど、俺とテンの実力ではそうそう苦戦する相手には出会わないはずだ。初陣では死にかけたミノタウロスでも二人なら軽く捻り潰せる。

 相手次第では待つよりかは攻めた方が楽に戦いを進められる。


 手が出ない相手となれば、それこそヴァンパイアか、Sランク級の魔獣か────

 


「────来る」


 

 ボコボコと沼地が泡立つ。


 濁った水は踊るように水面を激しく揺らし出す。枯れ木はずぶずぶと大地へと沈み込み、沼地の中心へと全てが流れ込む。

 それは因果によって引き寄せられるかのように、争いようもない引力があらゆるものを沼地へと引き摺り込む。

 現に、ぬかるんでいた地面は流砂の如く沼地へと流れ出す。俺たちはその地面に足を取られないようにして距離を取る。


 次第に泡立ちは勢いを増し、振動はその大地を揺らし続ける。

 ただでさえ異質なその空間に、更なる異常が産まれようとしていた────

 


「で、かい…………」



 水面を割って出現した目の前の異形に相対し、出てきた言葉はそれだった。

 異形の首は九つ。沼から蛇顔を出したそれは、余りにも大きすぎた。

 一つの首は二、三人は軽く飲み込めるほとの太さ。恐らくはミノタウロスさえも一呑みだろう。

 しかしそれだけに飽き足らず、あろうことか更に八つの同じ首。紅色の眼に浮かぶ長細い黒の瞳孔が、一斉にこちらを見つめる。

 浮かび出した首元の鱗は、泥に塗れて艶を増すばかり。不可思議な模様は眼を通って神経を辿り、直接脳髄を混乱させる。


「……ゼノン、こいつを見たことあるか?」


 警戒を解かないままにテンは声を振り絞る。


「直接見たことはないが、書物で読んだことはある」


 沼地に住む巨大な九股に分かれた蛇。独立に首を伸ばしていれど、彼らは一つの魔獣。

 その細長い舌先で簡単に人を拐い、牙に仕込められた猛毒で抵抗を許さずに一呑みで食す。

 見たことはないが知識はある。

 何故なら奴らはヴァンパイアと同格、かつて別のSランクギルドの()()だったからだ。


「……ヒュドラ」


 その名はある地域の言葉では『水蛇』。

 かつて偉大なる大魔女が産み出したと云われる、沼地に生きる大蛇が目の前に現れた。


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