表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/26

11. 一つの感情と青い月下

 しん、と凍りつく夜空に焚き火の弾ける音が響く。青の月は宵闇を晴らし、荒れ果てた大地に光を注ぎ与えてくれる。

 先の魔獣のような、闇夜に紛れた急襲はもうないだろう。

 見張りをテンに任せて、疲れ切っていた俺は焚き火の近くで横になっていた。身体を極限まで楽にし、地と一体になるかのように。


 されど、頭は休まらなかった。

 さっきまでのテンの話の衝撃がまだ頭を揺らし続けている。その興奮が覚めやらずに心臓は早鐘を打ち続けている。目蓋を閉じることなく、空に浮かぶ星を眺めるしかなかった。


 彼女はヴァンパイアに血を吸われ、眷属の身体へと変貌していった。しかし、その血の吸う量が少なかったからか完全な眷属とはならずに、幸か不幸か自我を失わない程度の理性を保ち続けてしまった。

 そしてその理性と欲望の鬩ぎ合いに苛まれながら、何度も自制を効かせながら、とうとう彼女は実の両親の身体に手を付けた。

 既に息絶えた身体とはいえ、肉親を食すのは余程の覚悟が必要だったのだろう。齢十四の少女が受ける仕打ちでは到底ない。そもそも人を喰らう事すらも耐え難き事だっただろう。

 

 しかし、彼女は乗り越えた。

 理性を跳ね除け、肉親を喰らい、人間を捨てた。

 尋常な人間ならば、とっくに精神は壊れているに違いない。それでも、彼女は生きることを選び続けた。


 俺はそのことに口出しすらできずに、逸る鼓動を抑えながらただ、星空を眺めるしか他なかった。


「……さっきの話の続き、していいか?」


 静寂を斬り裂いたのはテンの声だった。

 

「あの後、私は街に降りてとある肉屋の元で丁稚奉公の形で働いた。給料はほとんど出なかったけども、余り物の肉が貰えて、しっかりとした住居に住めることだけで幸せだった。それと、名も知らない私を雇ってくれたあの人に最初に出会えたことも幸せだった」


 焚き火に背を向けながら、己が過去を語る少女の背中は小さい。

 きっと、一人が嫌だったのだろう。

 心の拠り所を失った彼女は、また別の居場所を見つけに街へと降りていった。


「半年くらいか、そこで肉を捌く仕事をし続けていると段々と血や肉への欲求が薄れていった。

 多分だけど、眷属に成りかけた時に飢えることなく大量の血と肉を食べることができて、その後も生肉に困ることはなかったからその欲がほとんど満たされきったのだと思う。あの夜みたいに見境なく肉を求める衝動は起きなくなっていた。

 それでも、私の身体は人間じゃなくなっていた」


 紡ぐ言葉は小さく重く。

 親も居場所も失った彼女は、とうとう自分すらも失っていた。


「身体中が血が通ってないかと思えるくらいに冷たい。火にあたっても厚着をしても暖かいと思えたことがない。

 それと、人間の血を一滴でも飲めばあの衝動が目覚めてしまうんだ。さっきのような紅の眼が浮かび上がって、目の前にある肉を喰らうまで理性が失われてしまう。その時の力は、多分眷属となった時の私の力なのだと思う」


 彼女の腰には二つの小瓶がぶら下げられている。

 一つはさっき使って空に、もう一つは綺麗な赤の液体を収めていた。


「その血は誰かから貰ったのか?」


 その問いかけに、テンはゆっくりと頷いた。


「……郊外にある教会のシスターから貰ってる。

 地下酒場の存在を知った私が肉屋を辞めた時、金もなく露頭に迷っていたところをシスターが引き取ってくれた。

 それに、私が自分の素性を一番初めに明かしたのは彼女だった。戦うために血が欲しいと言ったら、知り合いの診療所から輸血用の血を取ってきてくれたんだ」

「じゃあ、お前が眷属だってことをそのシスターは……」

「理解してくれた。得体の知れない、人間じゃない私を優しく包み込んでくれた。ここが私の居場所だと安心させるみたいに。あの日は久しぶりに人の暖かさを感じた日だった」


 心なしか、テンの声は弾んでいる。それ程にもシスターとの出会いが嬉しかったのだろう。

 新たな拠り所を見つけた彼女は、ようやく自分の肌で人の優しさに触れた。その冷たい肌はきっと暖かくなったに違いない。



 ────その他にもテンは色んなことを俺に話してくれた。

 傷の癒え方は異常なくらいに早くなって、身体の力は前よりも何倍も強くなっていた。それを活かすために地下酒場へと脚を運んだのが五ヶ月前。丁度ヴァンパイアの噂が出始めた頃らしい。

 二ヶ月ほどでAランクへと昇格し、今は賞金首調査をし続けてようやく三ヶ月が経った頃のようだった。

 他にも、野菜を口にすることができずに肉しか食すことができなかったことも話してくれた。

 稼いだ金は全て教会に寄付していることも、血の匂いに異常なほど敏感になったこと。



 そして、今まで誰ともパーティを組んだことがないことも。



「……言った通り、私は今まで人を知らずに生きてきた。だから人の気持ちがよく分からない。人に共感ができないし、人を信用することができない。パーティを組むなんて選択肢は私にはなかった。

 この調査に出るまで、私が心を開いたのは肉屋の夫婦とシスターだけだった」

「『この調査に出るまで』……?」


 その言葉が少しだけ気になった。

 疲れが少しだけ取れた身体を起こし、彼女の方へと向く。


「じゃあ、何で俺と組んだんだ?」

「ゼノンと組んだのはあくまで私の目的のため。身体にこびりついたヴァンパイアの匂いからして、こいつは過去に戦ったことがある。上手く利用すれば力になってくれるに違いないと思った」

「そうだとしたら、調査へと連れていってくれたのも……」

「調査へと同行させたのは目的が大体同じで実力もありそうだったから。それ以上でもそれ以下でもなかった。この調査の出来次第では一人で行動することも考えてた」

「じゃあ、初めて会った時お前が立ち止まっていたのは……?」

「街中で血の匂いがしたからだ。いざ探してみたら身なりがあまりにも貧相で、勘違いだと思ってその場を離れたんだ」

「……グサッと来るな」


 つまり、テンは酒場で匂いを嗅いでようやく俺の実力を信用したらしい。俺の身なりといい、歯に物着せず自分の気持ちを吐き出すテンに思わずたじろいでしまう。


 苦笑いを浮かべた俺とは対照的に、テンは少し沈んだ様子だった。


「でも、ゼノンと一緒に調査をして初めて私は人の心が理解できた。ゼノンがヘルハウンドに襲われた時に、上手く攻撃をいなせなかったのは私のせいだと気付いた時に」

「……それは荷物の話か」

「そう。それまでの私は自分のことしか考えてなくて、荷物なんて誰かに持たせれば良いと思っていた。他の人がどれだけ疲れてるか、なんて知る由もなかったんだ。

 この人が今動けないのは私が荷物を全て預けてしまったからなんだって、ようやくそのことに気が付けた」


 ため息まじりにテンは言葉を吐き出す。

 確かに、あの時の彼女は異常なほどに自分の非を主張していた。俺の指示を無視し、血を飲んで『獰猛化』してまでもヘルハウンドとの死闘を繰り広げた。


 血塗れに成りながら宵闇を斬り裂く彼女は、何故か脆く見えてしまった。


「……その、なんだ。こんなこと、終わった後に言うのもおかしいことだけど悪かった。流石に怒っているよな?」


 こちらの顔色を窺うかのようにしてテンは振り向く。その碧の瞳は、初めて会った時よりも濁って見える。表情も見たことのないほどに硬くなっていて、何処となく暗い表情が何故か頭に来てしまった。


「当たり前だ。俺はお前に怒っている」

「……うん。怒ってくれた方が私も嬉しい。だから、これからもっと人の気持ちを考えて────」

「違う、そのことじゃない。お前の異常なほどの()()()()()()に俺は怒っている」

「……は?」

 

 きょとん、とした表情のテンに構うことなく、俺は身体の奥底から湧き出る不満をぶつけ続ける。


「お前はまだ人のことを完全に理解できてない。心を許した人間も片手で数えるほどだろう。

 だからこそ、お前は『責任』を背負ったことがない。人の気持ちを慮ることができる人だけが感じるその重圧に、お前は今押し潰されようとしている」

「せき、にん……?」


 初めての言葉に彼女は目を白黒させる。

 無理もない。その言葉は、自分の過ちに気付かなければ一生関わることのなかっただろう。


「お前は簡単に自分の命を差し出しすぎだ。さっきの戦いだって自分がどうなっても良い、の思いだけで動いてただろ」


 誰の血か分からずに濡れたテンは、明らかに自己の身を案じてすらいない。宵闇の中、紅の眼だけを頼りに戦闘を始めるなんて無謀すぎる。


「助けて貰った身分なのは重々承知だ。お前のあの捨て身がなければ俺は下手したら殺されてたかも知れない。

 でも、助けたお前が一人で死ぬ方が俺は嫌だ。それだったら俺の言う通りに見捨てて逃げてくれた方が万倍マシだ」


 今の彼女は、言うなれば小さな薄氷だ。

 出来かけのその氷は少しの重みでもすぐ壊れてしまう。その氷を厚くする方法も知らず、大きくする方法もまた知らない。全てを受け止めようとしてピシピシとヒビがあちこちに入っている。


 誰かの手を借りなければ、恐らく生きてはいけない。


 だからこそ、


「お前には俺と言う仲間がいるんだから、全部の責任を一人で背負おうとするな。俺だって一緒に背負ってやる。

 一人で戦おうとするな。隣にいる仲間も信じてやってくれ。お前の動きにはついてけないけど、せめて囮くらいの役割は十分に果たせるはずだ」

 

 右手で胸をどん、と叩く。


 自分を犠牲にしながらも誰かを救う姿は見飽きた。遺された者のやるせない感情だけは、もう二度と味わいたくない。

 一人で全てを抱え込もうだなんて、誰も考えて欲しくなかった。

 

「責任、か……」


 ポツリと呟いたテンの言葉が宵闇に響く。

 一人でいた彼女は、誰かと生きていく術を全く持っていない。これからも多くのことを学び、そして失敗するだろう。

 その失敗を、致命的なものにはさせたくなかった。


「……やっぱりゼノンは変なやつだな。会ってまだ少ししか経ってない人のことをここまで気にかけるなんて」


 テンは徐に立ち上がり、横になっている俺の元へと歩を進める。


「それが普通なんだよ。仲間のことを気にするのは当たり前なんだ。今から俺がそのいろはを────」

「違う。それは決して普通なんかじゃない」


 俺の目線に合わすようにしてテンは腰を下ろす。

 曇りきっていたさっきまでとは違い、その碧の眼はガラスのように澄んでいた。


「お母さんとお父さんといた時でも、肉屋のおじさんとおばさんといた時でも、シスターと過ごしていた時にも感じなかった感情が、今有るんだ」


 彼女はそっとその胸に触れ、目を瞑る。

 

「……何か暖かい感情が、私の冷え切った身体を巡ってるんだ。だから多分、ゼノンのしていることは普通じゃない。私のことを他の人よりも凄く気にかけてくれている」

「そんな、大層なことは俺は……」

「してるんだ。少なくとも私はそう感じた」


 謙遜する俺をキッパリと切り捨て、テンは手を差し伸べてくる。


「改めてよろしく、ゼノン」


 月を背にした彼女は、燐光を帯びてやけに眩しい。

 屈託のないその笑顔に釣られて、俺も顔を綻ばせる。


「こちらこそよろしくな、テン」


 握り返した彼女の手は、やけに暖かい気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ