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少年の願った結末

 皇紀208年。

 その年は平穏を貫き続けたアルトライゼ王国が跡形もなく崩れ去った、とあるクーデターが勃発した年だった。

 初夏の朝焼けと共に始まったその戦いは、王都すらも焼き尽くす程の傷痕を遺し、多数の犠牲者を出しながらも鎮圧されていった。

 しかしその災禍から一月経った今でも、主犯格の少年の首は今も見つかっていない。王都憲兵から逃れて身を潜めたのか、戦火に巻き込まれて跡形もなく燃やされたのか、自ら死を選んで仲間にその首を預けたのか。


 その真相は未だに不明だが、その少年の名は間違いなくアルトライゼの歴史に深く刻まれるに違いない。


『白鳩』と名乗ったクーデター集団の首領、破壊し尽くされた街に立ちながら平和を謳い続けた少年、ゼノン=アタナシウス、と。


 ────天蓋の様な雲は渦巻くようにして空を覆う。降り注ぐはずの陽光は、分厚い壁に阻まれて地上に届かずにいた。

 折角新調した銀の鎧もその陽の光を浴びることなく傷つき、血痕で汚れていった。

 乱戦となった戦場では最早時間など関係ない。今が黄昏か黎明か、理解している兵士は少ないだろう。


「……ここも、ずいぶんと壊れたな」


 煤けた顔を拭いながら見渡した先は、最早人の気配など残っていなかった。

 王都ゼルトラ。かつては栄華を極めた街として王国のお膝元に君臨していた場所は、俺たちの手によって破壊し尽くされた。二度と時を刻まない時計台に、一階部分だけが残り続けているアパートメント。側に流れる川は酷く濁った赤色に染まっていて、腐った鉄の匂いを辺りに漂わせている。


「一体、何人死んだんだ……」


 荒廃した街には幾つもの亡骸が転がっている。どれが敵でどれが味方か全くわからない。パチパチと燃え盛る戦火がそれらを焼き尽くし、辺り一帯には異臭が漂っていた。


 俺が陣頭指揮を取っていた本陣は憲兵隊の攻撃により壊滅状態となり、一時間ほど前から戦況は乱戦へと移行している。指揮系統を解き、分隊、小隊関係なくバラバラになって各々が思うがままに敵へと攻撃を仕掛けている。

 だがそれは苦肉の策だ。統率が取れていない軍ほど弱い物はない。例え百の個々の人間が突撃を仕掛けても、十の訓練された一個分隊だけで防衛ができる。数の暴力で押し切れるほど、戦争は甘くはない。

 

 それ故、あちこちからは『救難』を知らせる狼煙が立ち上がる。薄墨色のそれは空へと舞い上がり、街に吹く一陣の風によって東へと流されていく。


 しかし、救出に向かえるほどの人員もここには残されていない。護衛を務めてくれていた兵士も皆、散り散りになってしまっている。中途半端な戦力で向かえば待ち伏せに狩られれば本末転倒だ。


 彼らを率いる立場にいる俺は、その光景を見ながら唇を噛むことしかできなかった。


「遊撃隊より報告! 左翼壊滅! 指揮系統が麻痺している模様です!」

「ゼノン団長! 右翼も第二陣まで突破されました! 残るは右翼本陣のみです!」

「……分かった」


 立ち尽くすしかない俺に次々と伝者が駆け寄ってくる。煤けた鎧と所々に点在する血痕から察するに、余程激しい戦場からの要請だろう。

 その内容は聞いてて飽き飽きするくらいに似たような内容だ。


「増援を願います! 左翼は指揮統率が取れてません! 敵方の残党狩りが既に始まっている様で────」

「いいえ、本作戦では右翼が生命線なのです! どうか先に右翼への兵力増強を!」


 言葉が錯綜する。

 右翼。左翼。増援。作戦。兵士。指揮。撤退。壊滅。

 耳に入る言葉は決まってこんな感じだ。それらが辛うじて紡がれていって、ようやく文章として出来上がっている。

 

「ご決断を! 左翼を見殺しにする気ですか!?」

「切り捨てるべきです! 右翼の持ち堪えなしにこの作戦は成功しません!」


 声を震わせながら二人は俺に迫りくる。

 大量の涙が彼らの頬を伝う。仲間内に交錯する思いが、堰き止めていた涙腺を決壊させたのだろう。


 右翼にいる仲間、左翼にいる仲間。彼らの必死の叫びを聞き届けた伝者は皆、揃って泣いていた。

 救援を聞き入れた瞬間、伝者の目の前に二つの浮かび上がる。右翼と左翼、どれを選んでも大勢の仲間を切り捨てることに他ならない。それを承知して、俺に提言している。


 だが、それと同時に彼らは気付いているだろう。


 そもそも、俺たちに選ぶ()すらない、ということを。


「……ここに来る道中で見ただろう。一時間ほど前からここ中央本陣は崩壊して乱戦へと移行している。今の俺たちには彼らを救う力はない」


 どれを助ける、ではない。どれを切り捨てる、でもない。そんな悠長な択は残されていない。俺たちクーデター軍と王都憲兵との戦いは、既に終わろうとしているのだ。


 目の前に重なる死骸の山がそれを示している。退陣する兵力すらもここにはない。そもそもこの作戦は不退転が前提にある。


 最早、この国には俺たちの居場所なんてない。


「右翼本陣、並びに左翼へと伝達。

 『これより全部隊の指揮系統を解く。各人は速やかに乱戦へと移行せよ』」


 淡々とした指示が、焼き尽くされた街に響く。

 全指揮系統の放棄、それは実質の敗北宣言とも取れる。まともな戦いを仕掛ける気概があるのなら、捨て身の覚悟で全ての兵力を一点に集中せねばならない。

 その策を取らないということは即ち、この戦いの勝ちを捨て去ることと同義だ。普通の兵団ならば一つや二つの諫言が飛び込んでくるだろう。

 

 しかし、


「…………っ、了解しました」


 静かに、そして重く伝者はその言葉を聞き入れた。

 その身体は、色々な感情に押し潰されて震えていた。


 恐らく彼らも分かっていた筈だ。

 いや、助けを求めた仲間も分かっていたことだろう。分かっていながらも、一縷の望みにかけて救援に縋るしかなかった。


 改めて突きつけられた現実、俺たちは今絶望の淵に立たされている。


 だからこそ、


「ほら、早く行け。あいつらが待ってるだろ?」

 

 そんな時こそ笑うんだ。


 口角を上げ、その顔に笑顔を必死に浮かべるんだ。


 指揮官は部下に対しては威風堂々たる態度を取らねばならぬ。どれだけ敗色濃厚であっても、先に心が折れる訳にはいかない。最後までその場に立ち、兵士に勇気を与えなければならない。


 これは、俺が始めた戦いなのだから。


「……分かりました。団長、ご武運を!」


 そう力強く言い残した伝者達は瓦礫の上を駆け、それぞれの戦場へと戻っていく。

 彼らには馬は残されていない。戦闘が始まってすぐ馬やロバは狙って殺されていった。脚を挫いて流動的な伝達や補給を遮断するのが目的だったのだろう。

 ここが恐らく転機だった。こちらも策を講じてはいたが、兵力が僅かに及ばなかった。それでもここまで生き残れたのは、やはり何かしらの運もあったのだろう。


「その武運も、もう尽きてしまったみたいだな」


 ふと、曇天の空を見上げる。

 あいも変わらず暗い雲が覆っていて、もう時期雨が降るのだろうか、幾重にも重なる雲は唸りを上げながら泳いでいる。

 その雨は恵みの雨か、それとも────



「発見しました!」



 憲兵の声が響く。 

 右翼後方、三十メートル程離れた廃墟のアパートからだ。しかし上手く身を隠しているのかその姿は見えない。


 そばに立てかけていた大剣を手に取り、その襲撃に備える。


「本陣跡にいるということはあいつが親玉か!?」

「恐らく……!」

「構えろ! 奴は手強いぞ!」


 声色から察するに敵数は三人、分隊としてはかなり少ない人数だ。

 しかし指揮統率はしっかりと取れている。単独行動は取らず、仲間に合わせるようにして身を隠している。仲間が少ないのは恐らく、乱戦で隊員を多く失ったからであるからか。

 

「畜生! あいつらのせいでシャーザーもラルフも殺されて……!」

「早まるな。戦場では落ち着きこそが肝要だ」

「抑えろ、ルーサー。三人でなら叩ける」


 若い声色の男が他二人に宥められている。

 すぐに激情してしまうあたり、若い男は初陣なのであろう。それなら尚更にやり辛い。

 これから俺は、この人たちを斬らなければならないのだから。


「相手が誰であろうと訓練通りにやるぞ。

 市街地戦闘『C2.D4』だ。D4が通らなかった時はA3で叩く」

「了解しました」

「……了解です!」


 何かの兵法書からの引用だろうか、こちらには聞こえない半ば暗号方式で策を伝達する。それを仲間は承知している辺り、座学もしっかりと取り組んできたのだろう。


 国王に反旗を翻した国賊を討つために。

 

「良いか。あいつは()()()()()の首謀者だ。その実力も見合ったものだろう」

「……上等。敵討ちにはもってこいの首だ」


 ぞわり、と廃墟から殺意が発せられる。もう間も無くして開戦の時だろう。


 これまでギルドに所属し、魔獣たちと相対していた俺たちにとって開戦の合図という概念はなかった。魔獣が潜んでいるであろう場所を索敵し、発見したのならすぐに開戦。脳味噌がない奴らには間合いなどはない。見つけたら瞬時に叩き潰さんとこちらに迫ってくるため、先手を取らなければ殺されかねない。


 この戦いを通じて、唯一学べたことがある。それは人と相対する時、相手は決まって一呼吸をおくことだ。


 そしてその一呼吸は、魔獣との殺し合いをし続けてきた俺たちにとって致命的な隙でもある。


「……『一閃』」


 一つの魔術式を呟く。


 声は静かに、されど身体は火照る程熱を帯びていく。両腕の血管に、筋繊維に、骨髄に、魔力が満ち満ちていき、次第に両腕は魔術を行使する撃鉄となる。

 身体は既に人の限界を超えていた。地面を蹴れば空を見渡せるほどまで飛び上がり、拳を振るえば人数人は吹き飛ばせる風圧が起きる。


 魔術とは、人の及ばない領域へと辿り着かせる叡智の結晶だ。獄炎が如き猛火を放つ。木の棒を鉄が如き硬さへと変質させる。半身しか残っていない身体を全て再生させる。この世に非る幻想を具現化する。

 人はこの世に蔓延る魔獣や魔族に抗う術として魔術を習得した。弱い人間がこの世界で生き残るために、長年の時を経て完成させた結晶だ。

 

 だからこそ、そんな魔術を人に対して使うことは到底許されざる行為だ。


 その愚かさを、戦いを始める前の俺は知らなかった。その力は万能で、目の前に立ちはだかる全てを破るものであると信じ切っていた。


 だがそれを悔いるにはもう遅すぎる。


 既に俺は、数多の亡骸の上に立っているのだから────

 


「な────────────!?」

 


 三十メートル程の距離を、一足で詰める。


 辺りには風圧が巻き上がり、小さな瓦礫は簡単に飛ばされていく。

 目の前には隠れていた三人。

 彼らの瞳孔は、異常な程小さくなっていた。


「か、構え────」

「遅い」


 指揮官が声を上げる前に、鋼鉄の刃が鮮血を帯びる。人の皮膚は柔らかい。力は入れずとも大剣で撫でるだけで首が飛んでいく。

 斬られたことも理解できてないのか、残った胴体は倒れることなく剣を構えようとしている。

 

「ハルク隊ちょぉ────」


 その死にいち早く反応した一人の首も跳ねる。

 一凪で胴元を離れたそれは、空で螺旋を描きながら乾いた大地を赤に染めていく。


 首を跳ねれば蘇生魔術を持ってしても再生することはできない。人である俺は、人の弱点を当然熟知している。

 ふわりと漂う鉄の匂いは廃墟からなのか、はたまた人の残骸からか。


「…………ふ、ふざけんな!」


 刹那、残りの一人の声が響く。


 振り向くと腰を抜かしたのか、最後の兵士が座り込みながら剣をこちらに向けていた。呼吸は荒ぶり、剣を持つ手は震えている。失禁したのだろうか、彼の股は少しだけ濡れていた。


「お前が、こんなことしなければみんな死ななかったんだ! 俺の親父もお袋も! 一緒に戦ってきた仲間も!」


 それでも、彼は目の前の恐怖に必死に屈していない。その眼はまだ戦う意志を残している。瞳には、まだ炎が燃え盛っている。


「平和だったこの国を、何の憂いもなく暮らしてた人たちを殺して楽しいのかよ!?」


 地面を殴りつけ、掠れた声を必死にあげながら俺を見据える。その眼差しはまるでピンと伸びた針のように鋭かった。


「おい答えろよ! ちゃんと俺の眼を見て話せよ!」

「…………訳がない」

「聞こえねえんだよ! もっと胸張って話せ! お前がやってきたことなんだからさぁ! なぁ、本当は楽しかったんだろ!?」

「……楽しい訳がない」


 胸の奥底から言葉を引き摺り出す。彼の気持ちは痛いほどわかる。家族を、仲間を急に奪われた悲しみは俺も味わったことがある。

 しかし、兵士の罵倒は止まらない。その針は嵐となって無数に身体に突き刺さっていく。


「んな訳ないだろ! じゃあなんでこんな事始めたんだ!? 何か高尚な目的でもあるんなら、今この場で言ってみ────」

「この国の、()()()()()を取り戻すためだ」

「…………は?」


 だがそれに屈することはない。どれだけ後ろ指指されようとも、俺はクーデターを決行すると決めたのだから。


 俺の言葉に驚く兵士に構わず、大剣を立てかけて腰を下ろす。

 

「……お前、戦いの最中だぞ!」

「そっちが聞いてきたんだ。俺はただそれに答えようとしただけだ。話をするには対等な関係にないとな」

「気違いじゃねえのか! 敵に向かって何をいまさら!」

「そうかもな。でも、どうしても話がしたい」


 あちらも初めての経験だろう。兵士瞳孔が驚きのあまり肥大化している。本来ならば刃を交え合う相手と腰を据えて話をする機会なんて、剣を手にして生き続けてきた俺ですらも聞いたことがない。


 それでも、俺はあの兵士と話がしたかった。彼らは、俺たちのことをどう思っているのだろうか。


「……この国、アルトライゼが主張する平和は、俺らに取っての絶望でしかなかった。生きる意味を奪われて、出口のない鳥籠に閉じ込められた世界を国王は平和と呼んだ。

 だからクーデターを起こして国を転覆させて、俺たちが一から本当の平和を作り上げようとした」


 張り詰めた空気の中、俺は自分の想いを吐露する。

 この戦いは元は平和な世の中を取り戻す為だ。俺たちが国の真相を調べていくうちに、国王が曰う平和など偽りのものでしかなかったことを知った。

 そして平和を打ち砕くことこそが本当の平和へと繋がるのではないかという考えにたどり着き、俺たちは反旗を翻した。


「……なぁ、そのお前が言う平和って奴は、こんな地獄の様なもののことを指すのかよ! 何も関係ない人を殺して! 綺麗だった王都を全てぶち壊して! もうこの国は元の生活が出来ねえんだぞ!」


 されど罵倒の嵐は止まない。愚論を叩きつけた俺に対し、彼は正論を重ね続けて対抗する。

 かつて裕福を表した都であるゼルトラは見る影もない程に、俺達の手によって破壊し尽くされた。建物に火を着け、民衆を追っ払い、王のお膝元である街を制圧して王城を取り囲んだ。


 恐らく、王都を失ったこの国は崩壊するだろう。そして首謀者である俺の名、ゼノン=アタナシウス最悪の国賊として歴史に名を遺すに違いない。


 だがそれこそ、俺が望んだ新たなる平和へと一歩となるだろう。その途中で受ける悪魔のような仕打ちにも、俺は喜んで受け入れる気概でいる。


「……分かってる。その覚悟を背負って俺たちは────」

「『分かってる』!? 自分の言ってることがどれだけ残酷か理解してるのか! ただ自分勝手に平和を押し付けやがって! 俺たちにとってはな、お前らが居ない方が平和だったんだよ!」


 兵士は涙ながらに声を張り上げる。

 恐怖で掠れた喉を震わせ、この戦いの元凶となった人間を非難する。

 その瞳に映っているのは、まさに侮蔑だった。

 

「お前はなんだ、悪魔か!? 人をこれだけ殺しておいて仲間も大勢死んだだろ! その亡骸を見て、お前は何も思わねえのか!」

「……思わないわけがない。俺がした事は最低最悪な事だ。魔獣でもなく魔族でもなく、ただの同じ人間を敵味方問わず俺は殺した。この戦いの中で、何度も俺は自分で命を断とうとしたか覚えてない」

「ならどうして止めようとしなかったんだ! お前が死を選ぶだけで救えた命もあっただろう! 死ぬんだったら早く死ねよ! このゴミクズ野郎が!」


 激情の声は更に勢いを増す。

 止め処ないその言葉の嵐は、天に渦巻く雷雲のように唸りを上げる。

 されど、それ如きに折れる訳にはいかない。


「……それだけはできなかった。先に逝った仲間を裏切るなんて俺には無理だった」

「なんだそれ! てめえ一人の命と幾万の人の命を天秤に掛けることもできねえのかよ!」

「何度も掛けたさ。俺が迷う度に、幾度となく命を秤に乗せてみた。そして全て同じ方向へと傾いた」

「掛けたのなら話は早いじゃねえか! お前の方がこの国よりも────」

「重かった。俺の命は、この国よりも万倍も重かった」


 目を伏し、そして開く。これが俺なりの、彼に対する答えだった。


「な、にふざけたことを──────!?」


 兵士の瞳に映る炎が揺らぐ。彼の戦いの意思が少しだけ薄れていったその瞬間、


 一筋の光が空を裂く。


 と、同時に轟雷が地に落ちる。

 街を一瞬で駆け巡った轟音は、俺たちだけしかいない廃墟に響き渡っていく。


「雨……」

 

 言葉を失ったその空間に、しとしとと薄墨の天蓋から雫がこぼれ落ちる。煙を多く吸ったせいか、出来た水溜まりは少し濁っていた。

 雨はその強さを増していき、戦火はたちどころに勢いを弱めていく。この分では、街に流れている血も全て洗い流されるだろう。


「国よりも一人の命の方が重い、か」


 兵士の呟きも、廃墟に伝う雨音によってかき消されて行った。

 ふと目の前を見ると、その顔はいつの間にか柔らかくなっていた。先程までの勢いはとうに消え失せたかのようで、そこにいるのはただの人間だった。


「……最後に聞きたい」


 彼はゆっくりと、その乾いた口を開いた。


「お前は、本当にこの国の平和は間違っていると思っているのか?」

「あれは人間にとって窮屈過ぎる。今は安全でも、未来の人達は苦しむだろう」

「今を生きる人間を殺してでも、か?」

「ああ」

「その所業を後悔していても、か?」

「ああ」

「そしてお前自身は自害するつもりはない、と」

「その通りだ」


 その問答の最中、雨足は際限なく強くなっていく。

 まるで、天がその不毛な争いに終止符を打つために地上を洗い流しているかのよう。


「強情な奴だ……」


 彼の顔は既に強張りを失っていた。きっと、その顔が彼本来の持つ表情なのだろう。


「……もう良い。殺してくれ」


 死を願ったその顔は、何故か綻んでいた。


「剣を取らないのか?」

「ふん、俺には自分勝手で我がままな悪魔を斬る力なんてない。そもそも、万単位の人間を統べる首領が末端の兵士に斬られる道理なんてないだろ?」


 呆れたようにして俺を見つめる。綺麗なダークブラウンの瞳は、どこか遠いところを見ているようだった。


「その万単位の人間もとっくのとうに殺されたんだがな」

「そうだろうな。俺たちには()()()()がついてるんだ。一人で何百を超える人間を喰えるだろう」


 敵意がない事を示す為か、彼は手に持っていた剣を放り投げた。廃墟に響くその鋼の音は残響となって辺りに木霊していく。


「……俺も思ったんだ。あいつらを、()()()()()()を受け入れるのはどうなんだろうって」


 ヴァンパイア。それはこの王国に蔓延る魔獣を統べる魔族であり、俺たちが討ち滅ぼすべき敵だった。人を喰らって生きる彼らが王国側についたからこそ、俺たちはクーデターを起こした。

 話を聞く限り、使えていた兵士たちも疑問に思っていたのだろう。


「でもそれが最善なのだと信じて俺は命を賭した。国王が作った平和が、国王が考えた策が一番だと思って、俺は剣を取った」


 彼の独白は、俺の耳に辛うじて届くくらいに小さくなっていた。もう話す気力もないのだろう。

 それでも止めることなく、彼は口を動かす。


「なぁ、教えてくれ。正解はあったのか? 人間がこの先生き延びる為にどうすれば良かったんだ? お前達みたいに反旗を翻すべきだったのか?」


 雨粒が彼の顔へと零れ落ちる。煤けた肌に艶が戻っていく。濡れたその瞳は雨粒か涙か、知る由もない。


「……分からない。正解は未来の誰かが決めることだ。今ここに生きる全ての者の選ぶ道に、正解なんてないと思う」


 ぐっ、と力を込めて剣の柄を握る。その鋒は、寄りかかる無防備な人間に向けて。


「ただ、俺は自分の決めた事をやり遂げるだけだ。例えそれがどれだけ残酷でも悪魔の所業と評されても、俺が決めたことが間違いだなんて誰も分からない。

 だから俺は選んだ答えが正解だと信じて、ただ真っ直ぐに突き進んでいくだけだ」


 戦意の失った兵士を殺すのは人道的ではない。捕虜にするのが通常の戦争だ。だがそれは命の選別になる。失った仲間達を、俺が殺した誰かを裏切ることになる。


 だからこそ、俺はこの剣を振りかざす。老若男女問わず、ただ自分の選んだ道を突き進むために。

 その鋼は、目の前に立つ者全て斬り捨てるだけだ。


「……悪いが斬らせて貰う」


 鋒を天へと向ける。

 雷雲は一層に唸りを上げ、薄墨の空を泳ぎ続けている。雨はここ二、三日は止みそうにない。


「はっ、お前は敵を斬る時に伺いを立てるのか? クーデターの首謀者も意外と優しいもんだな」


 彼の顔に一筋の笑みが浮かぶ。それは単なる諦めの笑いではない。何か、答えを得た笑いだった。


「……じゃあな。地獄で待ってるぜ」

「ああ。またな」


 刹那、ばしゃり、と鮮血が飛び散る。

 生命の欠片が薄汚れた廃墟を赤に染め上げる。

 宿主を失った身体は力なく、寄り掛かった壁から崩れ落ちていった。


「……正解、か」


 鋼についた血を振り払いながら思わず口に出たその呟きは、一陣の風に吹かれて消えていった。本陣跡に立てた旗は、その風に煽られて寂しくたなびく。

 

 大きく描かれた白鳩は、いつの間にか赤に染め上げられていた

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 魔術の表現が面白いですね。 読み始めたところですが、少しずつ読ませてもらおうかなと思います。
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