84. 紅蓮心華
赤い女の放った言葉に、理里は顔で疑問符を描いた。
「なんだって……? いったいどういう」
「何のつもりだ、ルピオネ!!!!」
問いかけようとした理里を、手塩の大声がさえぎる。
「なぜだ、なぜ貴様がヒッポノオスを攻撃する! おまえは、我々の側の人間ではないのか!!」
「……口を慎めよ、人間如きが」
ルピオネ、と呼ばれた女は舌打ちする。
「貴様と吾では英雄としての次元が違う。吾は夜天より再臨せし星将の一角、それも太陽神の加護を受けた至高の兵だ。その吾に意見するか、並の英雄ごときが?」
「立場など関係ない! 彼は……ヒッポノオスは、私の部下だ! その処断は私に決める権限がある!!」
「いいや。つい先ほど、その男は十二神裁判にかけられた」
「なん、だと……!?」
手塩の表情が、変わる。愕然と彼は崩れ落ちる。
「その男は神々に対して反逆の意思を示した。よってオリュンポス十二神は円卓に集い、その男の処遇を決定した。
罪状は反逆罪。判決は満場一致で有罪。刑罰は死刑の後、深淵にて無限落下と確定。そして、近くに居た私がその執行を任された」
「そん、な……私には、何の連絡も」
「見ればわかることだ、必要ない。貴様に伝えれば、何らかの妨害をしてくることが予想されたからな……情に厚すぎるのだよ、おまえは」
「きさま……きさまァッッ!!」
手塩はずかずかとルピオネに歩み寄り、その胸倉を掴む。
が、
「おいおい、まだ罪を重ねるつもりか? わたしの行動は神の思惑。それを邪魔するというのなら、貴様もまた反逆罪に問われるが?」
「……っ」
籠愛に突き刺さっていた槍は、いつの間にかルピオネの手元に戻っていた。手塩の腹筋に、その先端が突き付けられている。
「……ああ、そこの女もな。そいつを治療したら、それは神々への反逆とみなされるぞ」
「っ!!」
薬瓶を取り出していた麗華は、すぐにそれをを背中に隠した。
手塩が声を荒げる。
「下衆が! 貴様もそこのトカゲ男と変わらん、ただの化け物だろうが!」
「……なんだと? その妄言、女神ガイアへの冒涜と知っての狼藉か」
じりじりと近づく、ふたりのひたい。
ついに手塩が、拳を振りかざした時――
「……申し訳ございませんっ!!!」
麗華が、高い声をあげた。
「数々の無礼、お許しくださいルピオネ様……わが主は、悲しみのあまり錯乱しております。どうか寛大な御心にて、お見逃しくださいませんでしょうか」
「麗華さん、何を」
「黙ってっ!!!!」
叫んだ。
麗華が叫んだ。嗚咽まじりの、涙声で。
「どうかお許しください……この通りでございます。どうか、あなたさまのお慈悲を我が主に」
麗華は、土下座していた。凍った地面の上に、脚と手の平をつけて。
「……その風習は、この国特有のものだろう? 異邦人たる我らがそれを共有しようとは、いささか滑稽だが」
ルピオネが鼻で嗤い、麗華を軽蔑のまなざしで見下す。
「…………も」
低い声。
手塩が、ルピオネの胸倉を放した。そして彼は、ゆっくりとその場に膝をつく。
「申し訳、ありませんでした……」
麗華と同じように、彼は両手と頭を地面に付けた。
ふたりの英雄の土下座。それをルピオネはまじまじと見ていたが、
「……ふむ。そこまで謝意を示されては、吾も腰のすわりが悪い……
許す。無礼は全て不問としよう。オリュンポスの神々にも、特に報告はせんよ」
やがてそう告げた彼女の顔は、狡猾な笑みに歪んでいた。
「さて、吾はそろそろ帰るとしよう。鎧の処理もせねばならんし」
「ちょっと待てよっっっ!!!!」
「……あ?」
少年の声が、響きわたる。
理里だ。理里が、最後の力を振り絞って、あらんかぎりの声をあげた。
「おまえ……黙って見てりゃ上等じゃねえかよ! こいつらがどんだけ頑張ってたか知ってんのか! 犠牲者を減らすために、敵である俺たちとも手を組んだ! 部下を救いたい、でもできないからオレに殺してくれって頭を下げた! それでようやく全部うまくいったんだよ! それを、それを全部無駄にしやがってお前、許されると思ってんのかよッッ!!!!」
黙っていられなかった。
理里は全て、全て全て見てきたのだ。手塩がどれだけ勇気の必要な決断をしたのか。この大事件の収束に向けてどれだけ頑張ってきたか。それを理里はずっと、間近で見ていたのだ。
その同盟者がやってきたことがすべて水泡に帰した。この赤い女のせいで。あげく、この女は彼らを侮辱した。そんな理不尽が許されていいのか。
だが。
「……ああ、思うが?」
当然のように、彼女はそれを肯定した。
「神は正しい。神は絶対だ。オリュンポス十二神の意思こそこの世界の正義なのだ。それを疑う余地などないだろう?」
「てめえっ……!」
理里は立ち上がろうとする。が、足が動かない。身体はもう限界だった。
「本来であれば、こやつらも罪に問われているところなのだぞ? 下賤な怪物と手を組んだ罪でな。だが、神々はこやつらの判断の合理性を認め、これをお許しになった。
むしろ彼らは感謝すべきなのだ。わたしの槍が、自分の首を飛ばさなかったことにな」
「でもヒッポノオスは死んだ!!」
「ああ。それが神々のご意思だからな。神に反逆しようなど、おまえたち獣にも劣る愚かしさだ……いや、同じか。貴様らも神に反逆していることには変わりなかったな、あーっはっはっは!!!」
女が、切れ長の目を細めて嘲笑する。理里は、怒りを抑えきれなかった。
「おまえ、ゆるさないぞ……! 絶対に俺が倒してやる! この左眼で、お前を石に変えてやる!」
「やってみるがいい。貴様が一歩でも動けるならな? あーっはははは!!」
そう、意地の悪い笑い顔を浮かべて、ルピオネは理里たちに背を向けた。
「どこ行くんだよ、まだ話は終わってねえぞ!」
理里が叫ぶが、ルピオネは一瞥もくれずに歩み去っていく。
「その首いますぐ撥ねても構わんが、それは私の役目ではない。そこにいる凡骨どもの役目だ……管轄外の仕事はしない主義でね。いずれ命じられたなら、その時は相見えようじゃないか。
ではさらば……ああ、そうだ。しばらくしたら面白いものが見られるから、それまで意識を失うなよ? あっはははは……」
"鎧"を担ぎ、嗤って去る彼女の背には、蠍の刺青が刻まれていた。
「ルピオネ、覚えたぞ……! おまえの顔も、名前も、その刺青も!!!」
理里は歯を食いしばり、去りゆく星将を睨みつづけていた。




