85. わたしは
「……」
ルピオネが去ってからも、手塩と麗華はしばらく土下座を崩さずにいた。
「二人とも、もうやめろ! いつまでもあんな奴に頭下げなくていいだろ!」
「そう、ですね……」
理里の怒鳴り声で、ようやく彼らは頭を起こした。
「なんなんだあいつは……あんな奴が英雄でいいのか!」
「仕方ありません。神々の戦力という意味での英雄の資格に、人格は関係しませんから」
そう言った手塩の瞳は、魂が抜けたように虚ろだった。
「英雄とは、神々の戦士として認められた者を指す称号にすぎない。人を救うだとか、正義を守るだとか、そんな幻想とは無縁の存在。英雄とは、すなわち神々の私兵にすぎないのです」
「なっ……」
憤慨する理里に、手塩は生気のない表情で語る。
「我々は、オリュンポスの神々には逆らえない。あの時代のギリシャに生まれた時点で、それは決まったことだったのだ。一度信仰すれば神々は裏切りを許さない……そして、神の使いに対してもそれは同じ」
「……うむ」
麗華が、手塩の言葉にうなずいた。
「妾たちは、ギリシャの民。オリンポス十二神の信奉者……生まれたときからそうであった。
人の魂は、自らが信じる神の治める冥府へと赴く。一度死してハデス神の治める冥府に至った時点で、我らの魂は神々の傀儡なのだ」
「なんだよ……なんだよ、それ」
あぜんとする理里に、麗華は続ける。
「英雄の任命にしてもそうだ。通常の魂は輪廻の輪の上に乗り、転生を繰り返すものだが……妾たちは違う。神々によって、『英雄』と見初められてしまった魂なのだ。無論『英雄』になるかどうかには拒否権が存在するが……己が信じる神の与える栄誉を、拒否できる者がどこにいる?」
「そんな……それじゃまるで、英雄ってのは……」
奴隷。
都合よく使われる、神の殺し屋。体のいい傭兵じゃないか。そう理里が言うと、手塩は苦笑した。
「いいえ? 我々はそうは考えない。たとえ実際がどうであろうと、これは栄誉に違いないのだ。神々から直々に称号を授けられ、神々のために戦えるなど……子々孫々に称えられて余りある、これ以上ない誉れだ」
「バカな……それじゃ、あんたたちは……!」
いつまでたっても、自由になれないじゃないか。普通の魂が得られるはずの、自由な生を謳歌できないじゃないか。




