熟年騎士の血管が心配。
太陽の光が反射して木々を照らす森の中。水の流れる音が心地よく響き、大地の躍動感を伝えてくれる。
女は水辺で楽しげに歌っていた。
誰も名前を知らない、だのに耳に残る不思議な旋律。白い肌と豊満で形の良い乳房を透明な水が流れ落ちる様は、息を呑むほど美しい。
少し離れた木の傍には浅黒い肌の男が瞳を閉じ、腕を組んで立っている。腰には二本のナイフ。護衛として付き従っている彼は、その歌声に聞き惚れていた。
まるで絵画の世界だ。美しいものに溢れた場に相応しい、優しく温かな空気。
こんな幸せな時間がいつまでも続くことを願っていた。しかし、静かで厳かな世界はあっけなく壊された。
一瞬にして肌を刺すほどのピリピリとした空気が場を包んだ。護衛役のゼノンが音もなく腰のナイフを一本抜く。姿勢を低くして構える姿に隙はない。
そして男は現れた。
王立騎士団の副団長を務めていた経験があり、今尚現役で、若き王都のエメランティス神殿長・ヨシュカ・ハーンの護衛を務める熟年の騎士アロイス・リュディガーが、美しい女を前に苛立ちを隠すことなく立つ。
相手が美しかろうが、同じ世界の人間でなかろうが彼には関係ないのだ。たとえ、彼女が全裸であっても。
「いやだわ、こんなに堂々と見つめられると、わたくし、照れてしまうわ」
ふふ、と鈴を転がすような笑みを浮かべながら、しかし女は言葉とは裏腹に毅然とした態度を見せた。
「早く服を着なさい。はしたない」
吐き捨てる男に、眼前のゼノンの眉がはねた。
「それからそこの。殺気を隠す気がないなら久々にこの老体が遊んでやろう」
「私はあなたと違い、プリーティアの邪魔をすることは出来ませんので。神殿に御用がおありならば、案内いたしましょう」
ゼノンは淡々と言いつつ構えを解除した。そっと白いタオルを差し出す。
日課である水浴びを邪魔された百合は、ゼノンが持っていたふわふわのタオルを受け取ると、アロイスの目の前で体を拭き始めた。
「あなたは先程わたくしにはしたないと言ったけれど、わたくしたち西の神殿の者は男も女も関係なく水浴びをするわ。あなたのつまらない常識で語らないでくださる?」
水分を含んだ黒髪が太陽の光に反射してキラキラと輝き、白い肌は真珠のようだ。
「・・・それは失礼した。だが、私が見ているのに気にも留めないとはどういうことかな?」
「あなたは侵入者よ。わたくしの入浴を邪魔した挙句、わたくしの身体をジロジロとみる失礼な人だわ。そんな相手に何故、わたくしが礼を尽くさなければならないの?」
女の瞳は優しく細められていたが、どこか冷たかった。邪魔をされたことを怒っているのではなく、はしたないと吐き捨てられたことが気に入らないようだ。
「・・・重ねて失礼した。だが、本日我々が到着することは知っていただろう」
「聞いていないわ」
「聞いていないはずはない。鷹便で文を送ったはずだ」
「知らないわ」
「・・・知らないはずはない。あなたの件で来ているのだから」
「わたくしは呼んでいないわ。あなたが勝手に来たのでしょう」
男たちはそれぞれ、彼女から視線を外していた。素肌を見たくせに、着替えまでは見られないと思ったのだろう。ワンピース姿になった女に、アロイスがホッとしたような顔を作った。
「召喚を無視したのはあなただ」
「あらだって、危険じゃない。どうして危険を冒してまで王都に向かわないといけないのかしら? わたくしには懸賞金がかけられているのよ?」
「だから私たちが来たのではないか!」
「あらそう。ところで、私たち、というのはどういう意味かしら?」
とうとうアロイスが絶句してしまった。
女はアロイスが答えるまで動く気はないようで、そんな女の足元にゼノンが膝をついた。壊れ物を扱うように優しく丁寧に拭いていく。
その光景を見てアロイスが更に表情を硬くした。
「・・・・なにをしている」
「足を拭いているのです。ああ、そろそろ爪を整えましょうか」
「・・・なぜ、足を拭いている」
「このまま歩くと泥だらけになってしまいますから」
そう言うと、彼はストッキングを取り出した。
「我々はあちらを向いておりますので」
「ありがとう」
何故女物のストッキングを取り出すのか、そもそもどこに隠し持っていたのか。あまりにも自然に行うことから常習的にやっていることなのか。それは男としてどうなのか。先程爪を整えるとか言っていたが、いやまさか!
アロイスには聞きたいことがたくさんあった。しかし聞いたら絶対に後悔するような気がして、彼は口をつぐんだ。
「ところで、あなたはいつまでそうしているつもりかしら?」
その質問に、ついにアロイスがキレた。
「王都まで来られないというから、我々が参上したのにあなたはいったい何をしている!」
森中に響き渡る程の怒声に動物たちは驚き逃げ出した。




