それは治るものなのか
神殿から派遣された二人は当初、騎士団にて寝起きするように要請されたが断った。診療所で患者の傍で眠ったのだ。それには診療所の人間が驚いた。
原因不明の病の患者の傍で眠ることを、診療所の人間すらしなかったからだ。
朝から晩まで二人は一生懸命患者に話しかけた。一見近寄り難いが、話しかければきちんと答えてくれる、力持ちで頭のいい浅黒い肌の男は瞬く間に人々の心に入り込んだ。
誰にでも優しく、そしてなにより美しい女に心奪われないものはいなかった。時にはその美しい声で歌を歌い人々を歓喜の渦に落とし、死んだように眠る患者を見届けると満足そうに頷く。
全員を強制的に眠らせている間、病について調べたり休憩をとったりと忙しいのだ。
そんなこんなで一週間程経ったある日、診療所に一人の男が現れた。後ろには騎士団のメンバーが並んでいる。
「フラジール、久しぶりですね」
「プリーティア、ご無沙汰しております。本日は王都より参られた錬金術師をお連れ致しました」
スッと前に出たのは、元は濃紺だったはずのマントをほこりなどで汚した細身の男。
「診療所に入る前に、そのマントを脱ぎなさい。この先に居るのは体が弱った方たちです。一切の汚れは持ち込まないで」
女の言葉に男が一瞬動きを止めて、ジッと見つめてきた。
「フラジール?」
視線と最低限の言葉だけで命令する女に何故か心ときめきながら、最近部下の視線が痛いなと考えるフラジールだ。
「お預かりします」
フラジールは丁寧な口調で男に近寄った。男も素直にマントを脱いで彼に渡した。
「錬金術師長より依頼を賜った。主に植物の研究をしている、セスだ」
赤茶色の髪に黒に近い紺色の瞳の美少年だが今にも死にそうな顔色だ。これでは誰が患者かわからないほど青白い。
「わたくしはプリーティア。ユーリと呼ばれているわ」
フラジールがえ、という顔をした。本名ではなかったのかと。
「中の様子を確認する」
「その前に全員手洗いうがいを徹底して。いかなる汚れも持ち込まないでと言ったはずよ」
神殿の二人が来てから診療所は一気に変わった。
まず全てを清潔に保つよう、手洗いとうがいを徹底させ、汚れたシーツは手分けして洗い、順次患者たちの身体を温かいお湯と布でふくと、新しいパジャマに着替えさせる。水は全て殺菌消毒してから使用し、栄養価の高い、しかしあまりおいしくはない麦を主食にした。料理はすべてユーリが担当し、麦とは思えない美味しいスープやパンを作っていった。荷物運びはもちろんゼノンが担当している。一袋二十キロは超えている麦の袋を一度に二つ持ち上げて運ぶので、子供たちのあこがれの的だ。
騎士やセスは言われた通り井戸の傍に新たに設置された洗面台で手を洗った。
しばらくして戻ってきた彼らはどこか疲れたような顔をしていたが、診療所に入った瞬間、ハッとしたように目を見開いた。
「馬鹿な! あれだけ酷かった患者が・・・」
「環境が悪かったの。環境を整えて栄養価の高い食事をとって、きちんと睡眠がとれれば大丈夫よ」
セスは、またしてもジッと女を見つめた。
「病の原因は」
「科学的に調べたわけでないから、明確なことは分からないわ。けれどきっと、空気が汚染されたことが原因で喘息を引き起こしたのではないかと思うわ」
ゼンソク? 男たちはそろって不思議そうな顔をした。
喘息とは気管支、気道が炎症をおこしており、健康な人に比べると気道が狭く、空気が通りにくくなることだ。炎症がおこっている気道はとても敏感で、正常な気道ならなんともないホコリやたばこ、ストレスなどのわずかな刺激でも狭くなり発作がおこるとされている。治療は発作をおこさないための気道炎症の治療が中心となり、ドクターによっては完治するともしないとも意見がわかれている。
大気汚染や化学物質、逆に清潔すぎる環境も良くない。
夜間や早朝に症状が出やすく、眠っていても症状で目が覚めたり、風邪を引いたときなど体が弱っている場合など注意が必要だ。また、気圧の変化や季節の変わり目にも注意が必要で、中には頭痛薬などの薬品で喘息を引きおこすこともある。
花粉やダニ、カビやペットの毛など原因は様々だ。
「それは治るものなのか」
男にしては少々高い声に、女は首を横に振る。
「私は医者ではないから完治させることは出来ないわ。でも発作が起こりやすい時期や時間帯などはわかるから、注意を促すことは出来る」
「詳しくきかせろ」
「いやよ」
命令口調な男のそれを、ばっさり切り捨てた女に全員が固まった。
「・・・何故だ」
「あなたに命令される理由はないし、先ほども言った通り科学的根拠がない。わたくしの勘違いかもしれないわ」
「迷い人の知識は常に我々を助けてくれた」
ふっ、女がバカにしたように笑った。
「ゼノン、このお馬鹿さんを追い出してちょうだい」
「はっ」
細身のセスは軽々とゼノンに担がれてそのまま外に放り出された。
呆然としたセスはしばらくそのまま放置された。
「フラジール、まずは皆に顔を見せてあげて。騎士が来てくれたと知ったらみんな安心するわ。その後は奥の部屋で話を」
「わかりました」
騎士達もぞろぞろ入っていくが、中ではそれぞれ患者に声を掛けたりして場を和ませた。
驚いたのは一番症状が酷かった少年たちが回復に向かっていることだった。
フラジールは目頭が熱くなるのを感じた。
「きしさま、こんにちは」
「きしさま!」
「きしさま、きてくれたの?」
子供たちがベッドの上から嬉しそうに笑顔を向けた瞬間、フラジールの防波堤は瞬く間に決壊した。
「・・・さあ、みんな、騎士様はまだお仕事があるの。あとで一緒に絵本を読みましょうね」
見るに堪えない顔になっているフラジールに内心引きながらも、彼女はいつも通り優しい笑みを浮かべた。