心が痛い
神殿内は騒然としていた。
外には数十人のプリースト。それも王都の神殿長の意向で派遣された屈強な男達で、空を飛ぶことには自信があっても、闘うことには自信がないオステンのプリーストは戦々恐々としていた。
そもそも何故このタイミングなのか。王都からは事前の連絡もなかった。
時折、別の神殿のプリーストが挨拶にやってくることはある。だがあの人数は異常だ。きっと数日前に街を抜け出したヴェステンのプリーストが知らせたのだろう。
「神殿長、中に入れないわけにはいきません」
「ぐぬぬ。しかしあの屈強な男たちをどう運べというのだ!」
入口が高いところにあるため、中に入れたくとも入れられない。
しかも今は美しいプリーティアが鳥かごで眠りについているのだ。そんな所を見られたら、どんな事態に陥るか想像もつかない。
「しかし、相手はあの王都のプリーストたちです。帰れと言うわけにもいきません」
「だがどうすれば・・・」
「神殿長、大変です!」
「もう十分大変だ!」
恰幅の良い腹を突き出すように怒鳴りつけると、年老いたプリーストがそんな場合ではありませんと怒鳴り返した。
「騎士団が率先してプリーストたちを運んできました!」
「なにぃ!?」
「あの騎士団長と副団長もいます!」
神殿長はついに膝をついた。肉の塊が冷たい床につくと少し痛かったが、それどころではなかった。
「隠せ」
「は?」
「ニキータとの文を全て処分するんだ! 今すぐに!」
まるで餌を横取りされた豚のように、たくさんの唾を飛ばして怒鳴りつけた。
バッカス・メイフィールドは12歳で異世界へ落とされた少年だ。
神殿内に突如現れた少年に当時は騒然とした。しかし他の世界からやってきたとわかると、神殿の務めを果たすように保護した。
だがここで大きな誤算が生じてしまった。
神殿のプリーストたちは当初、彼が言葉を理解していないと勝手に勘違いしてしまい、説明責任を果たすことなく保護してしまったため、バッカスは彼らを誘拐犯だと思い込んだ。
大きな男たちの言葉は理解できたが、意味までは理解できなかった彼はその後、何度も逃げ出そうとしては高さに恐れをなした。
だがある雨の晩、意を決し木を降りようとし落下。足の骨を折り、背中を強打した。
すぐに発見された彼は簡単な手当てを受けたが医者に診せられることはなかった。
「このままではまた逃亡するのではないか?」
「小さな子どもだから状況が分からないのだろう、可哀想に。だが逃げ出されては困る」
「ああ、困る」
神殿も彼には手を焼いていたのだが、互いの意思疎通が出来ていなかったため、ついに彼は医者に診療されることもなく過ごした。
はじめの数日は痛みで何度も涙が出た。
やさしく頭を撫でてくれた人もいたし、励ましてくれた人もいたが、誰も彼を家に帰してはくれなかった。
だから彼は強く願った。
どうせ帰れないなら、どうせ誰も己の名を呼ばないのなら、もう誰とも口をききたくない。もう誰とも関わりたくない。
強く願うとそれは鳥かごの形をとった。白い綺麗な鳥かごは、以前祖母がもっていたのと同じデザインだった。
バッカスは迷わずそれに入った。入り口なんてものはなかったが、バッカスが近づけば入ることが出来たのだ。
鳥かごの中にはたくさんの花があった。それは祖母が好きだった花だ。バッカスは花を抱きしめて瞳を閉じた。甘い香りが鼻孔をくすぐる。
まるで誘われるように眠りに落ちた彼が、次に目を覚ました時には状況が少々変わっていた。
まず場所が、眠る前とわずかに違う様子を見せた。
眠る前、彼の鳥かごのまわりは閑散としていたが、起きたら花畑になっていた。天井からは太陽が輝き、日が落ちれば月が瞬いた。
どうしたことかと瞬きすれば、遠くから人の気配がした。
「迷い人の少年はもう何年も目を覚まさない。きっと神々のお導きなのだ」
「だが少々おかしなことではないか? なぜ神々は彼を起さないのだ」
「その上、彼はもう何年も姿を変えていない」
「本当に神々のお導きなのだろうか・・・なにかよくない存在なのでは・・・」
「この花、他では見たことがない。なんという名前だろうか」
彼が起きているとは知らないプリーストたちは、好き勝手に話していた。
バッカスはその時、とても悲しい気持ちになった。
ほんの少し眠っただけなのに何年も経っていたなんて。何年も経っているのに、誰もバッカスを迎えに来ないなんて。
家族は、友人は、教師は。きっとバッカスがここにいると知らないのだ。
彼はまた瞳を閉じた。今度はぎゅっと、心の痛みに耐えるように閉じた。
そして次に目を開けた時、彼の前には黒髪の美しい女がいたのだった。




