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研究室の小悪魔<恋愛・現代>


「ニュートリノが光速を超えたかどうかはともかく、速いのは確かだよね」


「おー、そうだな」


「しかも物質を通り抜けるらしいよ」


「おー、らしいな」


「人体って、脳だけじゃなくて臓器も記憶を持つって聞いたよ」


「おー、すげえな」


「だから幽霊っていると思うんだ」


「おー、……って、ちょっと待て。だからって何だ? 今の流れはおかしいだろ?」


「えー、おかしくないよ。だって私、これから明日まで旧館の13号室で引き籠りなんだよ? あそこ出るって噂じゃない」


「……ああ、そうか。お前の頭がおかしいんだ。けど面倒くせえからどうでもいいわ。ほれ、とっとと出てけ。俺の邪魔すんじゃねえ」


「えー、つまんない。退屈なんだから相手してよぉ」


 でたよ、このワガママ女。いくら工学部に女が少ないからって、ちやほやされすぎなんだよ。……まあ、確かに小悪魔的な笑顔が可愛いのは認めるが、性格に難ありすぎだろ。


「あのなあ、秋山。俺は今、忙しいんだよ。わざわざ理学部(ここ)まで出張して来てワガママ言うんじゃねえ。さっさと工学部に帰れ!」


「えー、それ何してるの?」


「アグロバクテリウムの培養」


「アグロ……アグロなんとかって何?」


「アグロバクテリウム! 土壌細菌だよ」


「えー、そんなカッコつけた言い方しないで、普通に土壌細菌でいいじゃん。で、それをどうするの?」


「……土壌細菌が感染したことによる植物の生成化学物質の生成量の変化を調べるんだよ。わかったな? じゃあ、もう頼むから邪魔しないでくれ。13号室でニートなんだろ? ここで遊ぶな」


「えー、さっぱりわかんない。それに今は恒温槽の温度下げてるから手持ちぶさたなんだよね。マイナス40度まで下げて、そこから1時間寝かして計測して、10度ごとに80度までで……計測に少なくとも30分かかるから少なく見積もっても20時間はかかるでしょ? レポート提出が明日の17時までだからギリギリなんだよ? 大変でしょ? だから一晩付き合って」


「はあ!? 何言ってんだ!?」


「こんな可愛い女の子が、あんな人気のない旧館の実験室で一人夜を過ごさないといけないんだよ? かわいそうじゃない。危ないじゃない」


「知るか!」


「しかも、旧館裏の林で火の玉見たって目撃証言があるんだよ?」


「それは動物か何かの死骸から発生したリンが自然発火しただけだ」


「真夜中にすすり泣く女の人の声が聞こえたって証言も」


「それはどっかのバカップルがヤッてるだけだ」


「男の人の呻き声も」


「それもバカップルだ」


「もう! 佐々木には夢がない!」


「そんなもんに夢があってたまるか! 俺の専攻は遺伝子だ。幽霊なんてどうでもいいんだよ」


「えー、遺伝子組み換え幽霊とかあるかもよ?」


「ねえよ! それはいったい、どこのバイオハザードだ! そもそも何でこんなギリギリまでレポート仕上げてねんだよ?」


「だって、どの恒温槽も予約がいっぱいで使えなかったんだもん」


「だったら早くから予約しとけよ。レポート提出期限なんてみんな一緒なんだから、混み合うのはわかってたろうが」


「えー、忘れてたんだもん。13号室のだって、博士課程の先輩に無理言って、今日だけ空けてもらったんだよ?」


「じゃあ、その先輩に付き合ってもらえ」


「えー、よくは知らない先輩だもん。直接頼んでくれたのは殿だし」


「よし、決まった。殿に付き合ってもらえ」


「……殿は今日デートなんだって。だから無理だよ」


 今まで小悪魔的だった秋山の顔が、急に寂しげなものに変わる。そうなると俺はもう何も言えない。

 秋山はたぶん殿が好きなんだ。そのことに気付いたのは一年ほど前で、ついでに俺が秋山を好きなんだってことも自覚した。

 俺の中学時代からの悪友である殿――外岡(とのおか)と秋山は工学部システム工学科、俺は理学部生物化学科、だから秋山とは殿を介して仲良くなった。

 その殿は俺様で暴君な性格なくせにモテるが一途で、高校卒業前に出来た彼女と今も仲良く続いてる。で、殿に片想いを続ける秋山に片想いを続ける俺。……不毛過ぎる。


「……今日は夕方の5時からバイトだから、戻って来るのは10時前になるぞ?」


「うん! ありがとう! じゃあさ、晩ご飯適当に買って来てよ。私がお金だすからさ」


「当たり前だ、バカ」


 顔を輝かせて喜ぶ秋山はマジかわいい。ああ、くそ。これが惚れた弱みってやつか。

 今日は家でゆっくり借りてたDVDでも見ようと思ってたのに。




   ◇ ◇ ◇




「だああっ! もう、無理! 俺はもう寝るから、お前頑張れ。おやすみ」


「えー、寝ないでよぉ。幽霊が出たらどうするの?」


「そしたら起こしてくれ」


「えー、ホラー映画とかだと、そういう時って絶対起きないじゃん」


「起きる、起きる。すぐに起きるぞー」


「えー、すごい投げやり。佐々木ってば、冷たい。そんなんだから、彼女できないんだよ」


「ほっとけ、バカ」


「ていうか、なんで彼女作らないの?」


「……モテねえからだよ」


「えー、それは嘘だよ。合コンでいつも気が付いたら女の子と消えてるって聞いたよ?」


「……誰だ、その摩訶不思議情報の発信源は」


「んー、丹羽君」


 くそ、丹羽かよ。余計なことばらしやがって。いつもじゃねえよ、ムカツク。あいつから借りたエロDVD、彼女(工藤さん)に渡して返してくれるようお願いしてやる。

 密かな復讐を決意してると、秋山が更に訊いてきた。


「で、何でその子たちと付き合わないの?」


「……出会ってすぐの男にホイホイついて来る女とマジメに付き合えるか」


「えー、それは偏見じゃない? 一目惚れとかだってあるし」


「それこそねえよ。一目惚れって、究極の見た目至上主義じゃねえか。勝手に理想化して押し付けて、勝手に幻滅するんだよ。面倒くせえ。そしていい加減に寝させろ」


「えー、意地悪」


 片想いの相手に、こんな話はあんましたくねえ。

 自分の恋愛話もしたくねえけど、秋山の恋愛話も聞きたくねえし。

 13号室は半分物置状態になってて、ゴチャゴチャしてる。隅にあった埃っぽいソファの上の物をどかして横になったけど、窮屈で寝苦しい。

 古い恒温槽だから音もうるさく、それ以上に秋山がまだ解放してくれねえ。


「ねえ、佐々木は就職するの? どうするの?」


「……俺はこのまま院に進むつもり。物理が苦手で生物に逃げたけど、思いのほか面白くてはまった。……秋山は?」


「私は就職かな。このまま上がってもつぶしがきかなくなるし、お姉ちゃんの仕事みたいなのがいいなと思ってる」


「ああ、秋山の姉さんって確かこの大学のOGだったか?」


「うん、そう。仕事がすごく楽しくて気が付いたら嫁き遅れてたって。去年結婚して、今は産休中。ちょっと前に会社の夏期レクのバーベキューに参加させてもらったら、お姉ちゃんの上司の松木さんってマネージャーさんが、是非おいでって言ってくれたから受けてみようと思ってる。松木さん、すごくカッコいいんだよ。しかも4ヶ国語もしゃべれるんだって!」


「ふーん。よかったな」


 松木って誰だよ。どうせおっさんだろ。

 なんて考えてもなんとなく面白くない。というか、全く面白くない。

 だけど、やっと堂々と酒が飲めるようになったばかりの俺が、いわゆる大人の男と争って勝てるわけもなし。俺、英語も物理も苦手だし。

 まだ秋山は何か言ってたが、もう応えなかった。

 不貞寝なんてカッコ悪いけど、なんつうか……とにかく空しい。これはあれか? 秋だからか? そうに決まってる。




     ◇ ◇ ◇




「やあやあ、真面目に働いてるかね? 佐々木君」


「うるせえ、帰れ」


「えー、お客に対して冷たい。酷い店員だ。店長呼べー!」


「そうだ、この無礼者め!」


「黙れ、酔っ払いども」


 くそ、なんでわざわざ俺のバイト先に殿と来るんだよ、この女は。

 腹が立って二人を睨みつけたら、殿が不敵に笑い返してきた。

 ああ、くそ。殿のこういうとこムカツク。俺の気持ち知ってて、わざとだよ。


「俺は別に酔ってねえよ。レポート提出記念にみんなと研究室でちょっと飲んだだけだ」


 殿はそう言って、メニューをぼんやり眺めてる秋山をチラリと見た。


「さて、では俺はこれから由香里と愛を育まねばならぬゆえ、秋山のことはお前に任せた。もうバイト終わる時間だろ? では、良きに計らえ」


「はあ!?」


「殿、もう帰るの?」


「おお、またな」


 軽く手を振って去って行く殿を、秋山はすがるように視線で追いかける。

 んだよ。俺にどうしろってんだ。


「で、ご注文は?」


 苛立った声で注文を訊くと、秋山はまたメニューに視線を戻して黙り込む。


「……決まったら、そこのベル押せ」


「待って、行かないで」


「秋山……こっちは仕事なんだよ」


「……わかってる。でも、決められないから、佐々木が決めて」


「はあ?」


「いいから、いいから。何か飲み物プリーズ」


「……」


 飲み過ぎてんのか、秋山の様子はいつもとどこか違う。

 幸い今日は店も空いてるし、ドリンクを運んでから店長に頼んで少し早めに上がらせてもらった。


「秋山、帰るぞ」


「……うん」


 そもそも何で俺がこいつを送ることになってんだと思ったが、やっぱり今日の秋山は様子が違って放っておけない。

 それから駅へ向かってると、秋山が急に俺の腕を掴んで引き止めた。


「佐々木、そっちじゃない」


「は? お前、JRだろ?」


「そうだけど、今日はこっち」


 そう言って、秋山が俺を引っ張って行ったのは、道を一本入った裏通り。

 って、ちょっと待て。ここはまずいだろ?


「私、気分悪いの。だから休憩する」


「はあ!?……お前、どれだけ飲んだんだよ?」


「そうでもないけど、休憩したいの。心配しなくても嫌なら何もしないから、ね?」


「いや、おま、それ、おれ……」


 いや、お前、何言ってんだ? それは普通、俺のセリフだろ?

 と言いたかったが、言葉にならなかった。

 こいつの中で、俺はそこまで安全なのかと思うと、空しくなってくる。

 もうどうでもよくなって、妙にテンションの高い秋山とご休憩どころか、ご宿泊を選択。


「すごいね! お風呂、ジェットバスだよ? コスメグッズも揃ってるね!」


「おー、そうだな」


「モーニング無料だって! しかも和食と洋食が選べるよ?」


「おー、よかったな」


「じゃ、お風呂入って来るね!」


「おー、……って、秋山、体調は大丈夫なのか? 酔ったまま入ると危ねえぞ」


「あ、うん。じゃあ、えっとシャワーだけにして気を付ける」


 急に大人しくなって、秋山は風呂に行ったけど、大丈夫か? なんかおかしくね? 危ういっつうか、なんつうか……。

 って、なんで俺が悩んでんだ。アホらし。

 バスローブ姿で出てきた秋山から目を逸らして、俺もシャワーを浴びる。

 体は正直に期待してるし、もうやっちまうかと半ばやけくそになって風呂から出たが……。


「さて、では致しますか」


「はあ!?」


 ソファに座って、テレビを見ていた秋山のいきなりの言葉。

 そのつもりにはなってたけど、この直球には驚くしかない。

 なんか色々欠けてる。こんなんでいいのか?


「……やらないの?」


 うろたえる俺に秋山はベッド際に立って、どこか不安そうに訊いた。

 たまに見せる、こういう顔に俺は弱い。

 もちろんここまで来て、やらない訳もねえし。


「いや、やるけど」


「そっか」


 ちょっとほっとした様子の秋山がなんだかいつも以上に可愛くて。

 なんか色々高まってきた。

 けど、秋山は勢いよくベッドに飛び込むと、大の字になって俺を見上げ……。


「へい、ばっちこーい」


「うわー、萎えるわー」


 だから、なんだ? この状況、この態度。

 まあ、それでも当然やるけど。

 それで……それから……。






「お前……初めてなら、そう言えよ……」


「まあまあ、よいではないか、よいではないか」


「よくねえよ」


「……やっぱり嫌だった? どこかおかしかった?」


「ちげーよ、バカ!……そうじゃなくて……何で俺なんかに……」


「そんなの……佐々木の方がバカだよ、バーカ!」


「はあ!?」


「なんで私がいつも遠い理学部まで遊びに行ってたと思うの? 佐々木が好きだからに決まってるじゃない。なのに全然気付かないんだもん。だから実力行使だ、バカ!」


「バ、バカバカうるせぇよ! 俺は……てっきり、お前は殿が好きだと……」


「えー、殿? 確かに最初はいいなって思ったけど、殿を知れば知るほどないよ。有り得ない。本気で好きになったら絶対苦労するもん。現に由香里さん、大変そうだし。ただ、あれだけ愛されたら幸せだろうなって、いつも憧れてもいたけど」


「……確かに由香里さんは苦労してるよな。あの殿に捕まったばっかりに……。けど、お前は殿のこと言えねえよ。横暴な性格なんて殿にそっくりじゃねえか」


「うん。だから佐々木も苦労してるでしょ?」


「……」


 だめだ、くそ。なんか色々やられた。

 悔しいけど、小悪魔的に笑う秋山はやっぱり可愛くて。

 俺はこれからもっと苦労するんだろうなと思ったが、今更だし、もう諦めた。




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