027 2026年4月22日(水)_06 親子の会話
夜。
片桐一葉は、布団の上に転がったまま、スマホを見つめていた。
妹との通話が終わっても、
画面はまだ、暗くならない。
胸の奥に、
小さな棘みたいな違和感が残っている。
——母は、会議にいなかった。
父はいた。
若林も、児島も、石原も。
あの地下の、ありえない場所に。
なのに、母だけが、いなかった。
父とは職場結婚と言っていた。
今ならわかる。接点はここしかない。
一葉は、深く息を吸って、
通話ボタンを押した。
二回目のコールで、つながる。
「……もしもし?」
母の声。
いつも通りで、
それが、逆に怖かった。
「お母さん。起きてた?」
「起きてたわよ。
今日は、遅かったんでしょう?」
一葉は、一瞬、言葉に詰まる。
「……ねえ。
なんで、今日の会議、いなかったの?」
沈黙。
ほんの一拍。
電話の向こうで、
湯呑を置くような、かすかな音がした。
「……そんな話、誰に聞いたの?」
「お父さん、いたよ。
浮雲さんも、帰ってきた」
言った瞬間、
母の息が、止まったのが分かった。
「……帰ってきた、って」
声が、わずかに低くなる。
一葉は、天井を見つめたまま、続ける。
「黒い人。
みんな、泣いてた。
お父さん、抱きついてた」
しばらく、何も返ってこない。
「……お母さん?」
長い沈黙のあと、
母は、静かに言った。
「私はね、
あの場所に“戻らない側”なの」
「……なに、それ」
「役割よ」
一葉は、眉をひそめる。
「なにそれ、ゲーム? RPG?」
小さく、笑う気配。
「似たようなものかもね」
母は、少し間を置いて、続けた。
「あの人のこと、
私は、ちゃんと知ってる」
「……え」
「あなたが、生まれる前から」
一葉の指が、スマホを強く握る。
「……どういうこと」
母の声が、
少しだけ、遠くなる。
「あなたね。
本当は、名前、まだ決まってなかったの」
「え?」
「予定日より、少し早くなるかも、って言われてて。
みんな、ばたばたしてた」
一葉は、布団の上で、身を起こす。
「そのとき、
あの人が言ったの、親友の娘だからって」
> 『もし、明日、生まれるなら。
> その子、“一葉”ってどうですか』
母は、ゆっくりと、言葉をなぞるように続ける。
「一枚の葉っぱでも、
ちゃんと風を受けて、
空を向くから、って」
喉が、鳴る。
「……なにそれ」
「あなたらしいでしょ」
一葉は、笑おうとして、
うまく笑えなかった。
「……なんで、そんな人が」
「最終決戦に、行く前だったから」
母の声が、ほんの少しだけ、震える。
「戻ってこないかもしれないって、
分かってたから」
一葉は、スマホを、額に押し当てる。
「……じゃあさ」
「私の名前、
あの人の“置き土産”みたいなもんなの?」
電話の向こうで、
母が、静かに否定した。
「それは違うわ」
「“祈り”よ」
静かに、でも、強く。
「生まれてくる誰かが、
ちゃんと、この世界を見られるように、っていう」
一葉は、目を閉じる。
頭の中に、
今日見た、黒い影法師みたいな姿がよぎる
27年間、いや、200万年間?戦い続けた人
「……お母さん」
「なに?」
「なんで“戻らない側”なの?」
また、沈黙。
そして、母は、少しだけ、正直な声で言った。
「……私はね」
「いろいろ疲れちゃったの」
「帰ってくる人事、
待ち続けて、
居場所を、残すのに」
一葉は、鼻で、小さく息を吐く。
「……なにそれ」
「うちの家系、
短気でしょ」
少し、笑う気配。
でも、一葉には、分かった。
母は、
あの地下には、
もう二度と、
戻らないのだと。
「……浮雲さん」
一葉が、ぽつりと言う。
「……どんな人だったの」
母は、少し考えてから、答えた。
「不器用で、
無口で
お人よしで
人のことばっかり見てる」
「それでいて、
無責任な人」
一葉は、苦笑する。
「……最悪」
「でしょ」
母も、笑った。
通話が、切れる。
暗い部屋に、
スマホの画面だけが、残る。
一葉は、天井を見上げて、つぶやく。
「……なんでさ」
「私が、
その“後任”なんだろ」
窓の外で、
夜風が、カーテンを揺らす。
遠く、どこかで、
“箱”が、静かに、眠っている。
そして、
一枚の葉っぱみたいな名前の彼女は、
もう、戻れない側の風に、
足を、少しだけ、踏み出していた。




