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207 2026年5月31日(日)_08 人類 対 邪神の下僕

遡ること十数分前。


「綾……帰国早々ですまん」


片桐綾へ深紅の外骨格を装着しながら、早川真は俯いたまま口を開いた。


「調整だけは完璧にしておいた。だが、操作系はすべてマニュアルになってしまった……」


綾は肩の装甲を軽く動かし、動作を確かめる。


「これが、《会議室》の特級上位層との模擬戦闘を想定した欠陥機ね」


一拍。

静かに尋ねた。


「でも、着用者は誰も死んでいないんでしょ?」


「ああ」


真は苦々しく頷く。


「死者はいない。ただ……ことごとく半身不随だ。全員、今も治療を受けている」


綾は真っ直ぐ真を見つめた。


「でも、これは"私"用に調整してくれたのよね?」


「理論上は完璧だ。だが……」


言葉が続かない。


綾はふっと笑った。


「大丈夫よ」


「真さんはメンタルの強さだけは信じられないけど、メカニックとしての腕だけは世界一なんだから」


真は肩を落とし、小さく苦笑する。


「……返す言葉もない」


最後の装甲が固定される。

深紅の外骨格は、改造ハイエース強襲輸送指揮車の固定アームへ接続された。

綾は軽く拳を握り、サーボの反応を確かめる。


「ところで、この子の名前は?」


真は端末へ視線を落としたまま答える。


「MR-OA-008Maximum 《Macha》」


「マッハ……ケルト神話の女神だったかしら」


綾は静かに頷く。


「縁起がいいわね」


深く息を吸う。


「――片桐綾、準備完了」


「発進できます」



---


現在。

簡易局所位相固定を展開したかすみ公園。


深紅の外骨格が残像を残して駆ける。


フード男、植田弦の分身体、その一体へ深くボディブローを叩き込み、

その反動のまま瞬時に跳躍。


もう一体へと鋭いかかと落としで地面へ沈めた。


「どうせ神気で防ぐか、回復するんでしょ?」


綾は間髪入れず拳を振るう。


「そんな暇、あげないけど!」


深紅の外骨格が嵐のような連撃を浴びせ続ける。


---


「「陽葵!」」


スーツの女性、加藤華に応急手当を受けている陽葵とカルのもとへ、

心愛と星奈が駆け寄る。


「陽葵……あれ、お母さん……?」


陽葵は脚を押さえながら苦笑した。


「……ぽいね。なんであんな格好してるんだろ」


心愛は戦場から目を離さない。


「多分、あの人、私と同じ。テレキネシスを使ってる」


一拍。


「私より、ずっと弱いけど」


星奈と陽葵が同時に振り向く。


「……え?」


心愛は深紅の外骨格を見つめたまま、小さく息を呑む。


「あんな滅茶苦茶に動いて、多分十か所以上……いや、それ以上を同時に操ってる」


「全身の小さなスイッチやレバーを、一切手を使わずに念動力で操ってるの……」


一拍。


「出力は私の方が明らかに上。でも――」


心愛はゆっくりと首を横に振る。


「私には絶対できない」


「あんな精密な同時制御」


陽葵が首を傾げる。


「そんなにすごいの?」


心愛は頷いた。


「普通は一つ動かすだけでも集中力を使うの」


「それを、全身を高速で動かしながら、十以上を同時に制御してる」


「水面に波一つ立てずにコップを動かすぐらいの精密作業だよ」


「しかも戦いながら」


「……化け物だよ」


陽葵と星奈は顔を見合わせる。

言われている意味は、まだよく分からない。


だが一つだけ、はっきりと理解した。

目の前で戦っている陽葵の母親は、

自分たちの想像を遥かに超えた技量の持ち主だった。


---


ジャージにフルフェイスメルメットの山部と、

黒いスーツの老人、山倉は無言で頷き、

それぞれ植田の分身体2体に一瞬で近づく。

途中、山倉の歩法が切り替わる。


直線ではない。

九つの方位を刻むような、不規則でありながら規則正しい足運び。

植田は鼻で笑った。


「爺さん、ラジオ体操でもしてんのか?」


そういって山倉の頬をナイフで切り裂く。


「ほう」


山倉は口元だけ笑う。


「まだ喋れるか。なら心神喪失で無罪って線は無しだな。僥倖」


猛攻の中、静かに印を結ぶ。


「天蓬、天芮、天衝、天輔、天禽、天心、天柱、天任、天英。」


「清陽は天なり、濁陰は地なり。」


「伏して願わくば守護諸神、加護哀愍したまえ。」


「急々如律令。」


「最近は略式ばかりだったからな。」


「たまには正攻法でいくぞ。」


九つの歩が完成する。


「奇門遁甲――陰遁。」


その瞬間。

植田の神気の障壁が、音もなく揺らいだ。


陰遁。


"解"へ至る遁法。


防御も、結界も、位相すら一度ほどいてしまう術。

山倉は流れるように踏み込む。


一星。


正拳。


二星。


振り子突き。


三星。


刻み突き。


四星。


貫手。


五星。


発勁。


六星。


掌底。


七星。


通背拳。


八星。


裏拳。


九星。


「――仕舞だ。」


流れるように両手へ小型拳銃ヘルキャット。

超至近距離。

九ミリ弾を四発ずつ叩き込む。

弾丸へ刻まれたハガラズのルーンが、解かれた神気障壁を貫通する。


衝撃。


二体の頭部へ着弾。

同時に、弾丸一発ごとへ乗せた式神の拳がそれぞれ炸裂した。

山倉は打撃の衝撃に呻くうち一体の胸倉を掴み、静かに告げる。


「抵抗できない奴を甚振るのが好きらしいな。」


「なら、自分がされても文句は無いよな?」


回復を始めたもう一体に放り投げる。

植田が血を吐きながら笑う。


「ジジィ……今度はこっちの番だ……」


その瞬間だった。

周囲を見回した植田の表情が凍る。


九枚の符からそれぞれ鬼が姿を現す。


「いつ……」


山倉が肩を竦める。


「禹歩を踏みながら仕込んでおいた。」


鬼たちもまた禹歩を刻む。

九体が九宮を占める。

術式が閉じる。


空間が引き延ばされ九十九の鬼影が、公園の一角を埋め尽くした。


だが。


実体を持つのは九体のみ。

残る八十一は術式が生み出した影。

ただし、本体と同じ圧を放ち、同じ殺気を纏い、植田の感覚を狂わせる。


「俺の奇門遁甲の陣から、出られると思うな。」


終わりの見えない猛攻が、植田たちへ降り注いだ。


---


ジャージ姿の山部は、内股で奇妙に構える。

まるで猫が前足を掲げたような、頼りない猫パンチ。

植田達が嗤う。


「コスプレしたおっさんがぁ!」


二体のハンマーとナイフが同時に襲いかかる。

ジャージの袖が猛攻で千切れ、構えが崩れる。


だが、次の瞬間。

ヘルメットの額が淡く輝いた。

異世界の拳王たちの戦闘記録を宿す、本物の賢者の石。

H.A.C.O.でヒヒイロカネの端材を加工し、専用の固定具へ換装したことで、

山部との同期率は飛躍的に向上していた。


ハンマーが振り下ろされる。

その刹那。

山部は地面を這うように身体を沈める。


紙一重。


回避と同時に、神気の障壁ごとボディブローを叩き込む。

その反動を乗せた渾身のアッパー。

背後から迫るナイフ。

振り返らない。

そのままの姿勢で放ったバックキックが男を吹き飛ばす。

スイッチ。

左右の構えが一瞬で入れ替わる。

ローキック。

回し蹴り。

流れるような連撃。


「あなたが……」


山部の声が震える。


「うちの生徒達を傷つけ……」


一歩。

さらに踏み込む。


「あまつさえ――命まで奪った!」


怒りが溢れる。

普段は穏やかな山部の瞳から、迷いが消えた。


「大人は……」


拳を握り締める。


「子供たちを守るためにいるんです!」


「私は――」


さらに一歩。


「あなたを、許すことができません!」


その咆哮とともに。

山部の背後へ、狼頭の人型のオーラが実体を結ぶ。

まるで長き眠りから目覚めた拳王が、その身へ重なったかのようだった。


額の賢者の石が眩く輝く。


歴代拳王たちの戦闘記録が一気に流れ込み、山部の身体を書き換えていく。


同時に山部の動きがさらに一段、加速した。

拳を守るため山倉が手配した精神感応素材製のグローブも淡く発光する。

意思に呼応するように拳へ吸い付き、衝撃を余すことなく敵へ伝える。


一歩ごとに地面が鳴る。


一撃ごとに空気が裂ける。


流星のような拳撃が、二体の植田複製体へ容赦なく降り注いだ。


---


ネイビーブルーの強化外骨格が低く滑空する。

施設警備班第二班班長、髙橋哲也。

一気に間合いを詰めながら、冷静に敵を観察する。

ハンマーの攻撃が塗膜を削る。


「瞬間移動じゃない……」


一拍。


「複製体が交互にか。種が分かれば対処できる」


次の瞬間。

右腕が唸る。

下から抉り込むように放たれた杭打機が、植田の腹部へ深々と突き刺さった。


――ドンッ!


衝撃波が地面を震わせる。

杭の側面には、一文が刻まれていた。


"The light shines in the darkness, and the darkness has not overcome it."


――John 1:5


『光は闇の中に輝いている。闇はこれに勝たなかった。』


植田が苦悶の表情を浮かべる。

その瞬間。

もう一体が髙橋の死角へ回り込み、ナイフを振り上げた。


パァン!


乾いた銃声。

二体目の植田の左腕が肩口から弾け飛ぶ。


狙撃班班長、更家景三。

ビル屋上からの狙撃だった。


特中弾。


狙いは殺傷ではない。

再生速度を落とし、行動を封じる。


髙橋は追撃しない。

一歩退き、冷静に距離を取る。


左脇からサブアームが展開される。


保持していた拳銃が火を噴いた。

連続して撃ち込まれる制圧射撃。

狙いは致命傷ではない。


再生の阻害。

二体の行動を封じることだけを目的としていた。


「更家さん、左を抑えます」


イヤホン越しに短く告げる。


『了解』


返事はそれだけ。

十分だった。

髙橋の視界。


長瀬のスマートグラス。

那須のドローン。

敵味方の位置情報。


そのすべてがリアルタイムで、更家へ送られていた。


屋上の更家。


中継役の長瀬と那須。


そして髙橋。


四人は離れた場所にいながら、一つの矢として敵を穿つのであった。


---


傷ついた陽葵たちへ。

植田の分身体二体が、猛攻をかいくぐり一直線に迫っていた。


「止まれ!」


加藤華が SIG SAUER M18 を連射する。

乾いた銃声が公園へ響く。


しかし。


弾丸を受けても二体は止まらない。

神気による再生を前提とした肉体。

致命傷にならない限り、歩みは止まらなかった。


「残り約百二十秒……」


カルが静かに立ち上がる。


「僕が出ます」


止血を終えたカルは、竜骨剣を地面へ突き立てた。

淡い蒼白い光が走る。

陽葵、心愛、星奈、加藤を包み込むように、水の障壁が展開された。


「カル! 武器なしで無理だよ!」


陽葵が叫ぶ。

カルは穏やかに微笑んだ。


「大丈夫です。」


「お師様の形見がありますので」


腰のポーチ――恐らくはマジックバッグへ手を伸ばす。

ゆっくりと一本の刀を抜いた。

緩やかな反り。

結晶化した透明な刀身。

まるで水滴をまとっているかのような、美しい輝き。


「お師様が魔王討伐時、共に戦った刀。」


「ムラサメマルです。」


静かに刀を構える。


「今から僕は"騎士"ではなくなります。」


一拍。


「師から教わった、相手を斬るための技を使います。」


「見苦しい戦いをお見せすることを、お許しください。」


その言葉を待っていたかのように。

ハンマーを持った植田が飛び込む。


――だが。


男の身体が前へ崩れた。


「なっ……?」


いつ蹴ったのか。

カルの足はすでに引き戻されている。

脛だけを正確に撃ち抜いていた。

体勢を崩した瞬間。

ムラサメマルが一閃。

右腕が宙を舞う。


無力化。


間髪入れず。

もう一体がナイフを投擲する。

カルは刀身では受けない。


柄で弾き。

踏み込みながら鍔で顔面を打ち据える。


怯んだ一瞬。

返す刃で袈裟懸け。


「え……?」


陽葵は息を呑む。

いつものカルではない。

受けて、受け流し、反撃する騎士の剣ではない。


避ける。


崩す。


牽制する。


そして、一撃で戦闘能力を奪う。


演舞のように美しく、それでいて容赦がなかった。


「歩法――天狗疾駆。」


カルの姿が揺らぐ。


速い。


嘗て第二公園で見せた踏み込みとは、比べ物にならない。


だが、それだけではない。

頭がぶれない。

肩も揺れない。

踏み込みは、人の認知の"谷"だけを正確に踏み抜いていた。


視線は確かに捉えている。

それでも、身体が追いつかない。

目が動きを捉える。

脳がその軌道を予測する。


だが。


カルの歩法は、その予測だけを静かに裏切る。


一歩。

また一歩。


認識の隙間を縫うように踏み込み、気づけば懐へ入り込んでいる。

それは特別な剣技ではない。

歩法が生み出した、ごく単純な斬撃。

それだけで十分だった。

植田の分身体たちは、動きを認識できない。


理解した頃には、もう遅い。

左右の腕が迷いなく斬り飛ばされる。


再生が始まる。


だが、その再生が終わるより早く。

カルは再び懐へ入り込み、二体を完全に無力化した。


「あの人……」


星奈が思わず呟く。


「さっきより、全然強い……。」


「動きが、目で追えない。」


かすみ公園に集う一同の視線をカルは一瞬だが奪った。


カルはもう、騎士ではなかった。

そこに立っていたのは。

かつて魔王を討伐パーティーの一人、

数多の戦場を生き抜いたサムライマスター浮雲平助の剣を受け継ぐ、一人の剣士だった。


そして。

邪神の僕と、人類。

戦場はようやく、拮抗した。

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