200 2026年5月31日(日)_02 巨神胎動
「浮雲、ちょっといいか?」
相談役の山倉が、施設警備班控室の入口から顔を出した。
どこか困ったような表情だった。
夕方のシミュレーター訓練を終え、退勤準備をしていた浮雲は足を止める。
「どうしたんですか? 山倉さん」
返事をしながら、浮雲は小さく首を傾げた。
山倉が困った顔をすること自体は珍しくない。
だが――
今の表情は少し違う。
困っているというより、
何かを言い出しづらそうに見えた。
施設警備班。
便宜上そう呼ばれているが、
実際には小規模怪異への実力行使を伴う案件全般を担当する部署だ。
文翔館地下において最も現場に近い部門。
そして浮雲平輔は、山形ロボ予備パイロットであると同時に施設警備担当主査でもある。
形式上は班員たちの上長だ。
もっとも、実際に現場を回しているのは前任者である山倉だった。
「まぁ、入れよ」
珍しく歯切れが悪い。
浮雲は黙って後に続いた。
控室へ入る。
その瞬間、違和感を覚えた。
非番の第一班までいる。
狙撃班も含め、全員が揃っていた。
誰も雑談していない。
全員が正面スクリーンを見つめている。
そしてその表情は――
苦虫を噛み潰したようだった。
浮雲は無言で山倉を見る。
山倉は缶コーヒーを一本取り出した。
プルタブを開ける。
一口。
二口。
ようやく口を開く。
「最初はな」
声が重い。
「通り魔に取り憑いたチンケな怪異だと思った」
スクリーンには現場写真。
封鎖線。
血痕。
焼け焦げ、折れた街路樹。
砕けた電信柱。
「パイロット兼任のお前さんに言うほどでもないと思ったんだ」
さらに一口。
「現場だけで処理できると思った」
沈黙。
山倉は視線を落とした。
「それが裏目に出た」
缶を握る。
金属が軋む。
「結論から言う」
ぐしゃり。
スチール缶が握り潰された。
「俺の采配ミスだ」
誰も何も言わない。
「完敗だった」
苦笑、ただし目は笑っていない。
「言い訳のしようもねぇ」
控室の空気が重く沈む。
「児島には報告した」
山倉はスクリーンへ視線を向ける。
「あれはチンケな怪異なんかじゃなかった」
一拍。
「人間の持つ弱者への残酷さ」
さらに一拍。
「嗜虐心」
「支配欲」
「他人の苦痛を娯楽に変える性質」
控室が静まり返る。
山倉はスクリーンに映る現場写真から目を離さない。
「そういったものを異常なほど濃く持っている」
缶コーヒーの潰れた金属が軋む。
「邪神相当の――」
そこで言葉が止まる。
誰も続きを急かさない。
そして山倉は苦々しく吐き捨てた。
「恐らく、人間だ」
誰かが息を呑む。
「被害は重傷者一名」
静寂。
「死者一名」
さらに静寂。
「全員、未成年」
スクリーンに被害者の写真が投影される
「女子高生だ」
その瞬間だった。
空気が変わる。
誰も音を立てていない。
だが全員が本能で理解した。
何かが起きた。
浮雲の表情は変わっていない。
だが。
額の皮膚がゆっくりと裂ける。
その奥から。
赤い第三の眼が開いた。
右腕の筋肉が膨張する。
トレーナーの袖が軋む。
肩口の布地が悲鳴を上げる。
殺気。
怒り。
憎悪。
それらを二百万年圧縮したような圧力。
狙撃班の更家ですら視線を逸らした。
耐性のない人間なら、その場で失神してもおかしくない。
戦鬼。
英雄。
守護者。
そんな肩書きより先に。
浮雲平輔は、
誰かが傷つくことを嫌う男だった。
だからこそ。
怒る。
誰よりも。
数秒後。
浮雲は目を閉じた。
深く息を吐く。
肥大化した腕が元に戻る。
第三の眼も閉じる。
「……失礼しました」
静かな声。
「少し取り乱しました」
そして改めて山倉を見る。
「確認します」
その声はもう冷静だった。
「《会議室》から供与された強化外骨格、
特級エージェント相当の戦闘力を再現可能と聞いていました」
「それをもってしても、ですか?」
山倉は頷く。
「ああ」
短い返答。
「特注品二体」
「対物ライフルを構えた更家」
「それを相手に逃げ切られた」
山倉は指を二本立てる。
「二回だ」
控室が静まり返る。
浮雲の目が細くなる。
「……もう一体ありませんでしたか?」
山倉が苦笑した。
「あれか」
「あれは復帰する予定の綾ちゃん用だ」
「特級一位相当の性能が出る」
そこで肩を竦める。
「その代わり操縦難易度が異常だ」
もう誰も彼を見ていなかった。
彼だけが敵を見ていた。
そして。
「映像を見せてください」
怒りは消えていない。
だが。
もう暴れてはいない。
獲物を探す狼ではなく、
敵を理解しようとする戦士の目になっていた。
---
スクリーンを見つめる浮雲たちを含め、
文翔館地下ドック全体に警察無線が割り込んだ。
『真室川町付近で異常気象を観測。上空より巨大落下物を確認』
浮雲が眉を顰める。
巨大落下物。
その単語だけで嫌な予感がした。
続けて無線が流れる。
『先日より発生している通り魔の目撃情報です。場所は――幸町。山形駅前』
山倉が舌打ちした。
「同時かよ……しかも夕方か」
最悪のタイミングだった。
日曜日とはいえ、山形駅前には人が集まる。
買い物帰りの家族連れ。
部活動帰りの学生。
インバウンド観光客。
夕方特有の人の流れが、駅前に滞留する時間帯だ。
通り魔が本物なら被害は拡大する。
もし怪異なら、なおさらだ。
控室の空気が張り詰める。
誰もが頭の中で担当区域を洗い直していた。
真室川。
山形駅前。
どちらも放置できない。
そして。
どちらも、人手が足りない。
「山倉さん」
浮雲は即座に言う。
「真室川はどちらにしろ俺が対応します。可能な限り急行します」
「……すまん」
山倉も迷わない。
その瞬間。
ドック内スピーカーから児島の声が流れた。
『対象は成層圏より上。位相遮断領域の外に存在する可能性があります』
空気が変わる。
誰もが意味を理解していた。
位相遮断領域の外。
そこは当の浮雲が二十七年前に命がけで築き上げた檻の外側。
怪異が怪異として最も強く在れる領域。
神性存在が本来持つ権能を制限なく振るえる場所だった。
児島の声は続く。
『また同様の異常気象への対応が青森、秋田でも発生、
戦闘の結果、秋田所属のオルグガイストが左腕を損失』
ざわり。
誰かが息を呑んだ。
オルグガイスト。
東北防衛機群でも屈指のパワータイプ。
正面から殴り合うことを前提に設計された重装甲機だ。
並の怪異なら踏み潰せる。
神性存在ですら真正面から受け止める。
その機体が――
左腕を失った。
控室に沈黙が落ちる。
誰も「どんな敵だ」とは聞かない。
そんな質問に意味はなかった。
問題は敵の種類ではない。
オルグガイストが損傷した。
その事実だけで十分だった。
『以上を踏まえ』
児島が淡々と告げる。
『“会議室”の支援で酒田港沖にて回収後、
岩手県北上山地地下――国際リニアコライダー施設にてオーバーホール中だったグレートフレームを、
本施設へ射出移送します』
ドック内が静まり返る。
誰も言葉を発しない。
だが。
全員が理解し始めていた。
児島はさらに続ける。
『なお本案件については、先ほど“グレート山形ロボ起動条項”に基づき』
『国家安全保障会議』
『防衛大臣』
『内閣総理大臣』
『衆議院議長』
『参議院議長』
『最高裁判所長官』
『以上全ての承認を取得済みです』
『本条項は、平成十一年以来初の発動となります』
沈黙。
長い沈黙。
やがて、
誰かが思わず呟く。
「……つまり?」
浮雲がスクリーンを見上げる。
その表情は静かだった。
静かすぎた。
「グレート山形ロボの出番か」
地下ドックの誰も歓声を上げなかった。
喜ぶ者もいない。
安堵する者もいない。
ただ。
誰もが立ち上がっていた。
グレート山形ロボが動く。
それが何を意味するのか、
全員知っていた。
眠れる巨神が――
起動する。




