016 また、何度でも
武道館の裏から場所は変わり、柊の部屋。
あの後、麗は部活を早退し、その足で柊の部屋まで来たのだ。
先に行ってると言ったのだけれど、弱っている麗に待っていて欲しいと言われてしまえばはいと頷かざるをえないだろう。
放課後とはいえ、部活動をしている者は一定以上居る。なんなら普通に他の生徒とすれ違ったし、遠目に見られたりもしただろう。
それは、柊の穏やかな学生生活を脅かす行為だ。けれど、言い出しっぺは自分だ。ならば、その言葉に反する事をするのは違うだろう。
吐いた言葉は飲み込めない。
「ほら」
座っている麗に、濡れタオルを渡す。
「ありがとう」
お礼を言って、麗は濡れタオルを受け取り、泣きはらした目元に当てる。
「落ち着いたらでいいから聞かせてくれ。何があったのか」
「ああ……」
それから、暫くはそのままだった。
柊はスマホを弄りながら、麗は濡れタオルを目元に当てながら過ごす。
麗とこうして会わなかったのは一週間ほどだ。けれど、こうして部屋に二人居るという状況がとても懐かしく思える。
懐かしむ程、過ぎてもいないのに。
少しして、麗がゆっくりと口を開く。
「私の家は、両親揃って医者なんだ。だからという訳じゃないけど、二人とも結構厳しいところがあってね」
話を始めた麗に合わせて、柊はスマホをテーブルの上に置く。
「可愛い物はダメ、そんなものに現を抜かすくらいなら勉強をしなさい。おしゃれなんて必要ない。ゲームも、漫画も、ドラマもダメ。物心ついた時から、結構、ダメなものが多かったんだ」
なるほどと、柊は頷く。
可愛い物を買えなかったのも、それを家に置いておけなかったのも、両親に怒られるからだったのだ。だから、家に持って帰るのにバレないようにする必要があった。
最初から違和感は覚えていたのだ。
周囲に王子様を演じる必要があるのは分かる。けれど、その周囲に両親も入っていたのだ。
友人が遊びに来るからという訳では無く、両親に見つかる訳にはいかない。最初から、家で可愛い物を愛でる事は出来なかったのだ。
納得している柊を余所に、麗は話しを続ける。
「けど、優しいんだ。怒るって言うよりも叱るって感じだし、旅行だって何回も行った。たまに美味しいレストランに連れて行ってくれるし、剣道の試合だって応援に来てくれたりもする。まぁ、二人とも医者だから、時間が空いてた時だけなんだけどね」
懐かしむように語る麗の口調に偽りはない。麗は、本当に両親の事が大好きなのだろう。
「だから、言えなかった。可愛い物が好き。可愛い服が着たい。って……」
「それは、両親に逆らいたくないから、って事か?」
「いや。単に両親と仲違いしたくなかったんだ。それに、失望してほしくも無かった」
「そんな事で失望するとは思えないけど……」
「父さんも母さんも、今の私に満足してるんだ。成績優秀、文武両道。皆から好かれる王子様。そんな私を、二人とも誇りに思ってる」
誇りに思ってくれているのが嬉しいはずなのに、麗の声音はどこか悲しそうだった。
「二人の期待を裏切りたくなかった。だから、今までずっと我慢してたんだ。けど、私が我慢してる間に、他の子は可愛い物とか付けるようになって……」
「それで、我慢できなくなってあの日カチューシャを付けていた、と」
「ああ……」
そりゃあ、我慢も出来なくなるだろう。
可愛い物を付ける。おしゃれをする。それは女子であれば殆どの者がしたいと思う事だろう。
自分だけそれが出来ない。けれど、周りはそれを普通にしている。そんな環境に身を置けば、我慢なんて出来るはずもない。とりわけ、麗はそういう事に興味があった。なら、なおさらだろう。
「私も、普通におしゃれをしたいと思った。可愛い服を着たいと思った。一時で良いから、普通の女の子になりたいって思ったんだ」
麗にとって、その女の子になれる時間が、柊の部屋だけだったのだ。
「で、その一時の時間を手放したんだ? まぁ、だいたい想像つくけども……」
「合宿中にしろうーとくろうーのぬいぐるみが母さんにばれちゃったんだ……」
ずーんっと沈み込んだ様子で言う麗。
濡れタオルを取って、落ち込んだように項垂れる。
なるほど。だから柊の部屋から物を持って帰ったのがゴールデンウィークの最終日だったのかと納得する。
「ちゃんとベッドの下に隠してたのに……」
「お前は思春期の男子か」
なんで隠し場所が男子のエロ本と同じ場所なんだ。もっとクローゼットの奥とかあっただろうにと少しだけ呆れてしまう。
「ともあれ、それで見つかって両親に怒られた。んで、今までの事洗いざらい吐いたって事で良いか?」
柊が話をまとめれば、麗はこくりと頷く。
麗の話を聞いて、はぁと一つ溜息がこぼれる。
禁止されていた物を買っていて、それがバレて全部柊の部屋から回収した。
話の経緯は分かった。けれど、話を聞いても分からないところがある。
「それなら、別に俺に一言あっても良かっただろ? これこれこういう事情だからもう来れないって言えば済む話だろうが」
「だって……」
「だって何さ」
「……申し訳なかったんだ。君に貰ったしろうーとくろうーが……父さんに没収されたから。事情を話してたら……もう少し私が上手くやってれば、せっかく君が私のために取ってくれたぬいぐるみを取られる事も無かったのにって……」
泣きそうな顔で麗は言う。
とどのつまりは、せっかく取ってくれたぬいぐるみを父親に奪われてしまった事が申し訳なく、その上後ろめたく思っていたという事だろう。
だから、理由を言いづらかった。
麗の話を聞いて、なんだそりゃあと思ってしまう。
「なんだそりゃあ……」
思うだけでは無く、口からついて出る。
まぁ、しかし、確かに他人から貰った物を没収されると言うのは堪えるだろう。それこそ、他人を慮れる人間なら特にだ。
けれど、それくらいで柊は怒ったりはしない。もっと上手く隠せよと思わないでも無いけれど、思ったところでその程度だ。それに……。
「……よし、行くか」
言って、立ち上がる。
「行くって、どこに?」
小首を傾げて尋ねる麗に、柊はなんの気負いも無く言う。
「ゲーセン」
時刻は五時半を過ぎた辺り。
まだ部活動をしている生徒も多いけれど、帰宅部であれば今の時間であればそこら辺をうろついていてもおかしくはない。
そんな中、柊は麗を連れてあの日行ったゲームセンターへと来ていた。
「なぁ、何をするんだ?」
「失った物を取り戻すんだよ」
言って、財布に入っていたお札を全て両替機で小銭に代える。
そして、向かう先はただ一つ。
そう、くろうーとしろうーのぬいぐるみの入った筐体だ。
柊は迷う事無く五百円を投入する。
「お前はすっごい気にしてるだろうけど、俺は全然気にしてない。お前も悪いだろうけど、止めなかった俺も悪い。もうちょっと、お前の状況を考えれば分かる事だったからな」
ヒントは幾つもあった。それを聞く機会だって幾つもあった。それをしなかったのは、柊が嫌がったからだ。それ以上踏み込むのを、柊が躊躇ったからだ。
踏み込むのを躊躇ったのには柊なりの理由がある。けれど、言い訳はしない。躊躇ったのは、事実なのだから。
そこまで考えて、柊はあの日の事をちゃんと謝っていない事に気付いた。
「……それに、この間はごめん。あんな風に言わなくても良かったって、反省してる」
「この間って?」
「だから……俺がお前に怒鳴っただろ? 友達なんていらないって」
「ああ……いや、あれは私も悪かった。君の気も知らないで、勝手な事をしちゃって……」
なら、おあいこって事で。
そう言おうとしたけれど、それは少し違う気がした。
麗の気遣いは極自然なものだ。お世話になっている相手に対して何か出来ないかと思うのも、極自然な事だ。
理由も話さずに麗の気遣いに対して怒鳴って否定をしたのは柊だ。柊にとって触れられたくない部分だったのは事実だけれど、だからこそもっと冷静になるべきだった。
だって、友人を作らない理由を、柊は麗に話すつもりは無いのだから。
あそこまで激怒してしまえば、何かがあるという事を悟らせる原因になってしまうのだから。
ともあれ、あそこまで怒鳴る必要は無かった。と、今なら思う。
もう一度謝るのも違う気がする。だから、柊が今思っている事を素直に伝える。
「……今はそういうのに消極的なんだ。だから、もう触れないでくれると助かる」
「分かった」
柊の言葉に、麗は素直に頷く。
自分でも自覚できる程弱った声が出ていたからか、それとも今回の事を負い目に感じているからかは分からないけれど。
「けど、積極的になったら言ってくれ。私は全力で協力するから」
しかして、ただ頷くだけで終わらなかった。
しっかりとした意志の感じ取れる目で、麗は柊に言う。その目は、決して負い目だけで言っている訳では無い事をうかがわせた。
「ああ。その時が来たらな」
とは言うけれど、その時が来る保証なんて無い。今は、このままで満足しているのだから。
そんな風に話をしている内にくろうーのぬいぐるみが取れる。
もうすでに結構な額を使ってしまっているけれど、まだ軍資金には余裕がある。
迷わず、五百円を投入する。
それから、なんどもトライアンドエラーを繰り返して、柊の財布がすっからかんになった頃に、ようやくしろうーを取る事に成功した。
「よっと……ほい」
柊はしろうーとくろうーを取り出すと、麗に渡す。
「まぁ、こんな風に雑談混じりでも簡単に取れる訳だ。没収されたくらいで落ち込むなよ」
なんて格好つけるけれど、何千円も投入しているところを見られてしまっている。何より、来た時よりも随分と寂しくなった財布の中身も見られてしまっているので、そんな格好つけた言葉は滑稽なだけだ。
けれど、麗にはそれで十分だったようだ。
泣きそうな笑顔ではにかみながら、麗は二つのぬいぐるみを抱きしめる。
「馬鹿だな、君は……」
「知ってる。俺って、成績そんなに良くないんだ。だから、また家庭教師してくれると助かる」
「ああ……ああ……」
頷きながら、麗はぬいぐるみに顔を埋める。
泣いているようだったけれど、それが悲しくて流している涙じゃない事は、柊にも分かった。
だから、ちょっと照れ臭かった。




