010 メーク練習
家のインターホンが鳴る。
時刻は四時。相手が誰であるのかは、考えなくても分かる。
玄関の扉を開ければ、そこに立っているのは制服姿の麗だ。
「やあ」
「来てしまったか……」
「迷惑だったかな?」
「そんくらい、もう分かってんだろ」
言いながら、柊は麗を迎える。
迷惑だと思うけれど、こうなってしまった以上断る事なんて出来ない事も知っている。
申し訳なさそうに笑みを浮かべながらも、麗は家に上がる。
「あ、これお菓子。良かったらご家族の方と食べてくれ」
言って、麗はお菓子の箱を柊に渡す。
「……ああ。別に、気にしなくて良いのに」
「そうはいかないよ。頻繁にお邪魔させていただいているんだ。これくらいは買ってこなくてはね」
「まだ二度目だけどな」
「これからも含めてだ。それに、私の荷物を置かせていただいているのもあるし……」
確かに、他人の家に物を置いて貰っているというのは申し訳無いだろう。何せ、相手の家を物置代わりにしているようなものなのだから。
「まぁ、ほどほどにな……」
「ああ」
流石に、気にするなとも言えない。もし仮に二人が幼馴染で、家族ぐるみで仲良しであれば話は別だろう。柊も気にしないし、麗だって遠慮が多少は無くなるはずだ。
けれど、実際は二人はただのクラスメイトで、一ヶ月も一緒に過ごしていない。友人とも言えない、そんな関係だ。
だから、気にするななんて言えない。柊だったら、絶対に気にするから。
ほどほどにな、なんて曖昧な言葉しか言えない。
二人は柊の部屋に行くが、柊は部屋に入らない。
「着替えるんなら着替えろ。飲み物持ってくるから」
「ああ、分かった」
部屋の扉を閉じ、柊はリビングへと向かう。
前回は自身の死角で着替えたと言われたけれど、健全な男子高校生にはその状況は辛いものがある。先に着替えて貰っておいて、後で自分が入る方が賢明だ。
お茶をコップに注いで、貰ったお菓子を早速開けて、適当な皿の上に乗せる。
そうして少しだけ時間を置いてから、柊は自身の部屋へと向かう。
こんこんこんっとノックをすれば、中からどうぞと返事が返ってくる。
柊が扉を開ければ、そこにはふりふりのエプロンドレスを身に纏った麗が少しだけ頬を赤くして立っていた。
「どう、かな……?」
照れながら、柊に問う。
「ど、どうって……」
麗の質問に、柊はしどろもどろになる。
何せ、女性をドストレートに褒めた経験の無い男だ。可愛いか可愛くないかと問われているのは分かっているのだけれど、素直に可愛いと言える程の胆力など持っていない。
「まぁ、に、似合ってんじゃないの……?」
「そ、そうか……。……ん、そうか? 君はこの間可愛い服を着れば可愛くなる訳では無いと言っていたじゃないか。今日も私はノーメークだぞ?」
「……なら聞くな」
急に素に戻った麗は小首を傾げながら訝し気な視線を柊に向ける。
そんな麗に、先程までのしどろもどろはどこへやら。急に馬鹿馬鹿しくなった柊は、冷たく言い放つ。
お茶とお菓子の乗ったお盆をテーブルに置いて、麗とは対面上に座り込む柊。
「気分が上がってしまったんだから仕方が無いだろ。それに、この姿を見るのは君だけだ。君に感想を求めてしまうのも、仕方ない事だろう?」
「まあ、そうかもな……いや、そうか?」
「そうだとも」
うんうん頷く麗。しかし、柊はそこに違和感を覚える。
「さて、それじゃあ今日こそは勉強をしようじゃ無いか。分からないところは無いか? 今日の授業はちゃんとついていけたか?」
柊の対面に座って、リュックを漁って筆記用具などを出そうとする麗。
「あ、待て待て。今日はやる事がある」
勉強を始めようとする麗を慌てて止める。
「やる事?」
「ああ」
言って、柊は机の引き出しから紙の束を取り出す。
そこには、写真付きでメークの説明と過程が描かれていた。因みに、写真は柊のものである。ぼーっとしている間に撮影されていたらしい。
「今日はこれを使ってメークの練習をする」
「この写真……まさか君?」
「そこには触れなくて良い。いや、頼むから触れないでくれ……」
「分かった……」
げんなりした顔で言う柊に対して、何かを察したのか素直に頷く麗。しかし、その視線は写真と柊を行ったり来たりしている。
「でだ。これはメークの手引きだ。これをベースに学んで、後は自分で調べて試行錯誤をするしかない」
「へぇ…………えっ!? これ本当に君なの!?」
ぱらぱらと紙をめくって、最後の写真を見て麗は驚き眼で柊を見る。
「残念ながら……」
「むぅ……私より可愛いとか……」
「俺と比べてどうするんだ……」
「だって、君は男だろう? 男の君の方が可愛いだなんて……」
「それはお前がメークして無いからだろうが。それに、可愛くなる努力もしないで可愛いものを羨むのは筋違いだ」
「自分で可愛いって認めてるし……」
「言葉の綾だ。ともかく、今日はメークの練習だ。勉強はまた今度頼む」
「……分かった。でも、私化粧道具持ってないよ?」
「だと思ったよ」
言って、今度はクローゼットからメークセットを取り出す。
「なんで持ってるの?」
用意周到さに驚きながらも半ば呆れたような顔で柊に問う。
「不要なやつを貰ってきた。全部未使用らしい」
このメークセットは葉奈から貰ったものだ。葉奈は演劇部のメーク担当ということもあって、こういった化粧道具を自分でも買っているのだけれど、お店の人と仲良くなったらしく、たまに試供品を貰ったりもするらしい。
このメークセットの中身は全てその試供品だ。もっとも、ずっととっておいたものなので、真新しい物では無いけれど。
「とりあえず、これでメークをするぞ。最初は失敗するだろうけど、回数を重ねれば形にはなるだろ」
言って、柊はメークセットを広げ、麗の前に置く。
「……うん」
目の前に広げられたメークセットを見て、麗は嬉しそうに頷く。
しかし、俯きがちだったため、その顔を柊に見られる事は無かった。柊も準備をしていて麗の表情など見ていなかったけれど。
「よし、じゃあやるか」
「あ、ああ」
準備が終われば即座にメーク開始だ。
しかし、メークをするはずの麗は緊張したような面持ちをしている。
「どうした?」
「その……恥ずかしながら、初めてのメークに尻込みしている……」
「まぁ、最初は皆そんなもんだろ。慣れるまでは失敗もするだろうし」
「違う、そうじゃないんだ……」
リップバームを手に取って、麗は悲し気な表情を浮かべる。
「少し、怖いんだ。私には、こういう物は似合わないんじゃないかって……ずっとそう思っていたから」
「……化粧をして可愛くなれなかったらどうしようって事か?」
「有り体に言えば、そうなる」
頷く麗を見て、またもや違和感を覚える。
可愛い物が好き。麗はそう柊に言ったけれど、それが全ての本質では無い気がしてならない。
もちろん、可愛い物が好きだから、自分を可愛く着飾りたいというのも理解が出来る。そのために可愛い服を着て、メークを勉強して、似合わないかもしれないと尻込みするのも分かる。
けれど、本当に可愛くなれない事が怖いのか? それが、麗の本音なのか? そう勘ぐってしまう自分がいる。
「……いや、物は試しだったな。それに、せっかく君が用意してくれたんだ。やるだけやってみるよ」
「あ、ああ。そうだな。こういうのは練習ありきだからな」
麗の事をもっと深く考えようとして、やめる。
考えてどうする? 今以上に手を貸すのか? それはしないって決めたばかりなのに。
自分が出来る範囲を逸脱するな。身の程を弁えろ。お前は、自分が思ってる以上に出来る範囲は狭いんだ。
そう自分に言い聞かせて、柊は麗についての思考を放棄する。
メークの手引きを見ながら、たどたどしい手つきでメークを行う麗。
「何か分からない事があったら聞いてくれ。といっても、俺も分からない事の方が多いけどな」
「ああ、分かった」
頷き、真剣な眼差しでメークを進める。
流石にメークしているところをまじまじと見るのも失礼だと思い、柊は視線をスマホに落とす。
適当にSNSやネット小説を流し見る。
麗は柊に何も尋ねてくる事はなく、黙々とメークを続ける。
静寂だけが室内に満たされる。
静かになったところで、柊は思う。
よくよく考えたら、この状況はやはりおかしいなと。
クラスの女子が自分の部屋で着替えて自分の部屋でメークをしているこの状況。普通であれば心躍るイベントだろう。青春の一ページに加えてしまっても良い。
けれど、まったく心躍らない。
着替えだって言ってしまえば麗の自己満足だし、メークだってその範疇だ。
今回の件、柊にとって得は無い。むしろ、労力しか使っていないし、なんなら収納スペースも使われている状況だ。
青春を求めて高校に進学した訳では無い。男女の甘酸っぱい恋愛模様にだって興味は無いし、そんなものに希望は抱いていない。そんなもの、もう捨ててしまっている。
だから、この状況に異様さは覚えても、色めきは無い。
柊にとって全く身にならない時間だ。
「ふぅ……」
一つ小さく息を吐いて、柊はリュックから筆記用具などを取り出す。
今回の件で柊に得があるとすれば、それは麗が勉強を教えてくれるという事だけだろう。
であれば、せめてもの抵抗に勉強でもしよう。赤点を余裕で回避できるくらいになれば、落ち着いて授業を受ける事が出来るだろうし。
問題集を出して、ルーズリーフに問題を解いていく。真面目にメークをしている麗の手前、自分だけゲームをしたりマンガを読んでいるのは気が引けるという理由もあるけれど。
いや、麗は好きな事をやっているので柊が遠慮をする必要も無いのだけれど、どうにも、真面目にメークをしている麗を見ているとそういう気にもなれない。
そうやって暫く勉強をしていると、不意にとんとんと肩を叩かれた。
「どうした?」
ペンを置いて麗の方を見る。
そして、思わず息を呑む。
「ど、どう……かな?」
恥ずかしそうに視線を下げながら、麗はそう尋ねる。
最初だから、失敗をすると思っていた。大きく失敗をする事はなくとも、ところどころおかしなところがあるだろうと、そう思っていた。
しかし、実際のところそんな事は無かった。
麗は柊が用意したメークの手引きの通りに完璧にメークをしていた。
メークをした麗は綺麗系というよりも可愛い系へと雰囲気を変えていた。
そう。息を呑む程に、麗は普通に可愛い女の子となっていた。
今までだって女の子だとは思っていたけれど、王子様というイメージからかけ離れた麗を見てしまえば女の子だという事を強く意識せざるを得ない。
それくらい、麗は可愛い女の子になっていた。
「……かわ……ったな。うん、見違える程だ。本当に初めてか?」
思わず可愛いと言ってしまいそうになって、どうにか言い繕う。
麗は可愛いと言ってほしかったのだろうけれど、柊にはそういうのが限界だった。
しかし、麗にはそれだけで十分だったようだ。
にこっと花が咲くように笑う。
「そうか!」
「あ、ああ。てか、鏡見ながらメークしてたんだから、それくらい分かるだろ?」
「自分の評価ではなく、他人の評価が欲しいんだ。その方が安心する」
笑みが少しだけ陰る。けれど、それも一瞬の事。直ぐにいつもの涼し気な笑みに戻った麗は、柊の隣にやってくる。
「そう言えば、勉強をしていたんだな。分からないところはあったか? 世話になってばかりだからな。最初に言った通り、私が勉強を教えよう」
「お、おう……ありがとう」
隣に来た麗にどぎまぎしつつ、柊は分からなかったところを麗に教える。
麗は丁寧な説明で柊に説明をする。
こうして、思ったよりも早くメークは終了し、その後は普通の勉強会になった。
翌日の小テストで高得点を取れたのは余談である。




