閑話「暗殺者視点、あの子が欲しい」
かんわ――あんさつしゃしてん、あのこがほしい
一目惚れ、を知っているだろうか。
ある人は一目惚れをした時、その衝撃を鐘の音に例えた。その話を聞いた時は失笑したものだが。けれども不思議と記憶に残った話だった。
どんな音がするのだろうか?“運命”を盲目的に信じられるその音は。
俺は不思議に思ったものだった。
しかし最初に彼女を見た時、俺は確かに聞いた。脳裏に響く鐘の音に似た残響を。
それは祝福を告げる音か、はたまた戦いの火蓋を切る音かは分からないけれども。
あの子を最初に見た時、体が雷に撃たれた衝撃が走った。響く衝撃は頭の中に音となり何かを告げた。
小柄な体、つぶらな黒い瞳、ふわふわしてそうな綺麗な黒髪。小動物のような可愛らしい外見は見る者の庇護欲を駆り立てるだろう。
俺は外見にそんな頓着しない性質であるが、それでも直感的に思ったのだ。
欲しい。あの子が欲しいと。
俗っぽく言えばこれが運命なのかと納得できた。ストンと胸に落ち着いた感情だった。
俺は依頼を遂行した格好のまま路地裏に座り込んでいた。手はベッタリと返り血がついている。まぁ、血で汚れているのは手だけだけど。
誰かに見つかるとか、そんな事は俺にはどうでもよかった。
レンガ造りの古い建物の隙間から見える夕焼けを眺めていた。ただぼんやりと。
オレンジ色に染まる建物と紫も混じる空は少し綺麗に見える。時間が止まっているかのように静かだ。雑踏の雑音も何処か遠くに感じられた。
ふと、大通りの方へ視線を向ける。なんとなく気になったからだ。
掠めた黒。
チラリと見えた黒に俺は目を見開く。それは黒の色を持った少女だった。何物にも染まらない黒の色は少女が持つと不思議と温かみを感じる。普通の町娘と変わらない服装の少女は可愛らしい印象を持てるものの、平凡だ。
少女の方も俺の視線に気づいたのか、足を止めた。ふとこちらへ向けられる黒い瞳。
慌てて俺は顔を下へと逸らす。不躾に見たなんとなく後ろめたい気持ちがあった。
顔を伏せ、膝を抱えていると俺の耳が足音を拾う。俺の無駄にいい耳があの少女の靴音が近づいている事を教えていた。俺の心臓の音もいくらか早い気がする。高揚しているのだろうか、この俺が。
冷酷無慈悲で無感情無表情を地でいく暗殺者の俺が。いっそ笑いたいくらいだ。この死んでいると言われる表情筋が動けばの話だが。
カツリ。靴音が間近で止まる。あの子だ。
俺は思わず顔を勢いよく上げる。あの子を視界に入れた時、俺は驚いた。感じた衝撃の大きさに俺は目を見開く。もしかしたら瞳孔が開いていたかもしれない。
黒色のあの子は俺のいきなりの行動に驚いたのか驚愕の眼差しでこちらを見る。まるでこちらを警戒する子猫のようだ……かわいい。
だからつい、口が滑ってしまった。
「ちょうだい」
「え?」
俺の掠れた声は幸いにあの子の耳には届かなかった。あの子は怪訝そうにこちらを見やる。その様子がますます毛を逆立てる無力な子猫を思わせて俺は顔が緩むのを感じた。俺の表情筋は死んでいなかったのか、なんて馬鹿な事も片隅に考えながら。
手をそのままあの子に伸ばす。この子が欲しい。俺の中でそれはもう決定事項となっていたからだ。
「……どうも?」
あの子は引きつる笑みを浮かべて小首を傾げた。場違いな言葉が微笑ましく感じる。この小動物かわいすぎる。
俺は久しぶりに微笑というモノを浮かべ、
「……うん、よろしく。きみ、俺のところ来ない?」
とあの子の腕を掴んで首を少し傾げる。我ながら甘ったるい声を出して。
ベッタリとあの子の腕についてしまった血を目端に捉え、やってしまったと思っても露程にも後悔は浮かばない。もちろん、あの子がコレを断るなんて許すつもりもなかった。欲しいモノは手に入れる。これ程に欲しいと思ったこともなかったし。
「あの……。無理かなって」
「ん?」
あの子が無理と言った瞬間、俺は怒りを抑え聞き返す。言い間違いだよね?そのニュアンスを短い声に込めた。俺の醸し出す威圧感にあの子は少し怯えている。危ない危ない、ここで怯えさせたら駄目だ。俺は威圧感も怒りも押し殺す。
あの子は少し視線を彷徨わせ、困ったように、
「えっと、そうだ!あの名前聞いてないですよね?名前、教えてください」
とわざとらしく話題を逸らす。あまりのわざとらしさに俺は密かに笑い出しそうになった。こういうのを何て言うんだっけ?馬鹿な子ほど可愛い、か?
可愛いのには変わりないので俺はそれに乗ってあげる。それにあの子の名前も知りたいし。
その名前を知りたい気持ちを抑えきれず俺は口を開く。
「名前……。きみは?」
「ハナコです。ハナコ・スミス」
「ハナコ?……変わってる。…………ハナって呼んでい?」
「ど、どうぞ」
引き気味に俺の提案を受け入れてくれるあの子、いやハナに俺は気分が高揚する。だからか、俺は普段は絶対に教えない本名を教える気になった。自分でも積極的すぎてらしくないとは思うが、このはやる気持ちは抑えられない。
俺は、そっと囁くように告げる。
「俺、イン。よろしく」
「イン?」
「そ、俺の名前」
なんだかハナが人名と認識していないようなので俺は付け足すことにした。余談であるがこの国の人名は基本長ったらしい。ファーストネーム、ミドルネーム、ファミリーネームと続くのが当たり前。本当に長いと5行じゃ収まらないフルネームも存在するのだ。だからハナの戸惑いも当然と言えた。
俺は首を傾げながら、呟いた。
「聞き覚えない?……そっか、じゃあ『幻影の暗殺者』の方があるかな」
「え?」
「それ俺ね」
「ファ!?」
衝撃の事実!! と言わんばかりのハナの表情に俺は内心可笑しくて堪らなかった。パクパクと開閉する口は魚を思わせて更に笑いを誘う。
俺は笑いをかみ殺して(表情には出ていないだろうけど)、
「もう一度聞こうか?」
ゆっくりと立ち上がる。暗殺者としてはちょっと殺気を出すなんて朝飯前だ。見下したハナの顔は驚きを浮かべていて、微かな怯えも滲ませていた。
「ね?ハナ。俺のところに来ない?」
俺は微笑を浮かべ、ハナに止めの一言を告げる。ハナにも分かるだろうな、コレ断ったらいけないって。断られる事を想像するだけで俺の目は勝手に鋭い光を、殺気を帯びる。
ハナは、生まれたての小鹿のように震え、
「……ハイ」
とがくがくと首を縦に振った。
……やだな、俺の傍から逃げなければ怖い事はしないよ?うん。
かわいそう、とかわいいは言葉としては似ている。だからか、俺はハナが可愛くて仕方ないのだ。
「ハナ、かわいい。……たべちゃいたいくらい」
ついこの口から漏れでた本音にハナは驚き固まる子猫のような顔をした。
俺は酔っているんだろう。運命の鐘の音に似た残響に脳髄が痺れたような恍惚を感じたのだから。
……かわいそうな、ハナ。きっと俺から逃げられない。だって逃がさないってこの俺が決めたから。
希望を捨てきれない瞳でこちらを見るハナを俺は抱き上げた。
ハナをこの腕と同じように囲って、大事に、大切に閉じ込めよう。俺は静かに決意をした。
一歩間違えばアウト。いやこの時点でアウトですかね?