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プロローグ 2

 むかしむかし、『ドラえもん』という漫画がありました。


 内容はと言うと、何をやっても駄目な少年の元に『ドラえもん』というロボットが未来からやって来て、お腹についている便利なポケットから様々な道具を出して少年を助けてくれる。

という、なんとも夢のあるお話。


 私もドラえもんは大好きだし、お話自体にもとっても引かれる。ドラえもんのキャラクター自体も好きだし、その少年や、他のキャラクター達にも魅力を感じる。


 とても大好きな漫画の一タイトルだ。


 ……だけど如何せん、どうしても残念な事が一つだけある。


 それは――



 ドラえもんがやって来たという未来は『二十二世紀』として描かれているが、私の暮らす今の時代が、

 既に『二十二世紀』だという事だ。



 ドラえもんが描かれたのが二十世紀の後半として、その時にはこんなに夢のある二十二世紀を思い描いていたのかと思うと、現代の二十二世紀で暮らしている私は心底申し訳なく思う。


 二十二世紀なんて、こんなに夢のある未来じゃない。


 たとえば、二十世紀の後半から二十一世紀の前半に掛けて、コンピューターや電子機器などの性能が飛躍的に上昇し、一躍ネット社会に貢献したのが携帯電話とパソコンである。と、私の通っていた小学校中学校の日本史及び世界史の教科書に載っていたけど、この二つ、二十二世紀でも何一つ変わった様子が見受けられない。


 実際、科学技術の進歩はそんなもんだ。


 携帯電話とテレビが薄くなるばかりで、パソコンも画面を大きく本体を小さく、そして回線を早くといった程度。二十一世紀後半から二十二世紀の前半にかけて電子書籍がなかなか流行ったみたいだったけど、結局本の媒体は紙が一番ってところに落ち着いたし、映像もブルーレイから進歩してない。3Dテレビも大して普及はしていない。ああいうのは今でもお金持ちの娯楽だ。まぁ、映画は軒並み3Dになってはいるけど、私は2Dのが好きだ。目が痛くならない。

 四次元ポケットから出て来るような道具も開発されていない。

 簡易的なプロペラ装置で人は空を飛ばないし、光を浴びせただけで物体はサイズを変えないし、時間旅行も出来ないし、ドアを通っただけで瞬間的な移動も出来ない。勿論、車も空を飛ばない。

 そういう二十二世紀を夢にはみるけど、そうは言っても何でもかんでもが新しいものに取って変わってしまうのは、少しだけ悲しい気もする。例えば電子書籍の件にしてもそうだ。一歩間違えば紙の本が無くなっていたところだろう。

 だから、私は二十二世紀の時代で暮らしているけれど、ドラえもんは出来なくて良かったと思う。

 タケコプターも、スモールライトも、タイムマシンも、どこでもドアも、二十二世紀には必要なかった。


 進歩は、きっと今くらいが丁度良いのだろう。


 きっと時代は、自分の許容量に自然と合わせる形で進歩しているに違いない。今はまだ、携帯電話とテレビが薄くなるだけで良い。パソコンも回線の速度を追求する程度で良い。ブルーレイディスクで十分だし、3Dテレビは自宅にはいらない。本の媒体も紙が一番だ。

 時代が必要だと判断したら、きっとドラえもんの時代に追いつくのだろう。タケコプターで自由に空を飛んだり、スモールライトで荷物の整理が出来たり、タイムマシンで時間旅行が出来たり、どこでもドアで瞬時に場所が移動出来るようになるに違いない。

 それに、実は二十二世紀、科学の進歩以外にも、ドラえもんの描かれた二十世紀から変わっていない事や、逆に改善された事だって沢山ある。例えば、陸地の砂漠化がストップして、緑が育つようになった。オゾンの層が徐々に再生していっている。海が綺麗になった。など、これまでの自然に対しての取り組みが効を奏したのか、最も低迷期だった二〇二〇年辺りと比べると、かなり改善されているらしい。


 そして、日本にはまだ四季が残っている。


 自然破壊によって一番危ない状況にあった二〇二〇年の頃は、本当に日本から四季が無くなるのではないかって事が話に上がっていたらしい。そりゃあ、私はまだ生まれる百何十年も前の話だけど、それだって気にならない訳は無い。実際問題私にとって、科学技術の発展よりも、自然豊かな日本が守られる方がよっぽど重要だ。


 一時期は無くなるかも知れないと言われていたのに、今でもこうしてちゃんとあり続けている春夏秋冬。


 春も、秋も、冬も、その三季のどれも素敵だけれど、私は何と言っても、やっぱり『夏』が好きだ。

 小学生の時に行った夜の海には怖い思い出があったけど、それでもやっぱりみんなで行くと楽しかった。カブトムシも取りにいったし、お祭にも行った。中学の時もあまり変わらないけど、プールに行くのも楽しかったし、山にも行ったし、甲子園中継にかじりついたりもした。


 ふふっ、懐かしいなぁ……。


 まだ懐かしむ程に遠い過去じゃあない筈だけど、それでもそれ等を懐かしく感じられる。

 海、昆虫採集、お祭り、プール、山、高校野球中継。

 小学校と中学校の『夏』の思い出と言ったらこんな感じ。

 後は色々、夏休みだから、宿題やったり、ラジオ体操に行ったり、テレビの特番で怖い話をしていたり、スイカを食べたりアイスを食べたり。それでもまだ語り尽くせないくらいだけど、小中学生時の夏の思い出と言ったら、まぁそれくらいか。


 そして……、高校に入学した私。


 小学校中学校とは違い、私の『夏』は高校に入学して激変した。

部活がどうとか、勉強がどうとか、進学がどうとか、塾だとか模試だとか追試だとか予習だとか復習だとか、そういう激変の仕方だったらまだ良かったかも知れない……。


 高校に入っても、夏は好きだ。


 例えば、私は海が好きだ。

 十六歳になると、小学生の時に見ていた海とはまた違う感想が出て来る。当時怖いと思った夜の海は、今では何だか物悲しくも思えるし、朝方に見る海はとても綺麗だ。

 だから、私は海が好きだ。


 例えば、私はお祭りが好きだ。

 たった一日だけしか開催されないが、それでもその限られた時間の中で人々の活気がこれでもかと溢れ出て来る。出店が賑やかで、行きかう小中学生や親子連れがみんな笑顔で、自然とこちらも笑みがこぼれてしまい、こちらにも楽しさが伝わってくる。

 だから、私はお祭りが好きだ。


 山も好きだし、プールも好きだし、昆虫採集は行かなくなっちゃったけど、高校野球中継も好きだ。


 そして……、


 私は『奥海昴(おううみすばる)』に出会った。


 夏に『奥海昴』と出会い、

 夏に『奥海昴』を知った。


 彼の行動原理は『夏』に起因していて、『夏』は彼のアイデンティティーと言っても間違ってはいないだろう。


 彼は海に愛されていて、

 彼は山に愛されていて、

 彼は、『夏』に愛されている。


 私は、彼が羨ましかった。


 そして、私は彼を誇りに思う。

 私がどんなに困難な状況に陥っていたとしても、彼は私を助けてくれた。


 高校に入学して六月に入った頃、クラス内で行われた席替え。

私は彼の隣になった。


 出会ったのはその時。

 知ったのはもう少し後。


 クラスメイトは、教師は、その他の人は、彼に良い印象を持っていなかった。

 友達の千佳ちゃんは『……ハルちゃん隣の席オウウミくんでしょ?』と心配そうにしていた。

 友達の沙世ちゃんは『運が悪かったねぇ、ハル』と私の不運を嘆いた。


 私もきっと、出会った当初、彼の事を快く思っていなかっただろう。


 友達の千佳ちゃん同様、隣が彼で心配だったし、友達の沙世ちゃん同様、自分の不運を嘆いた。


 何で私が……。

 どうして私が……。

 そう思った。


 だけど、私は彼を知った。


『奥海昴』を知った。


 彼が悪い人じゃないと知った。

 彼が心無い人間ではないと知った。

 彼にはしっかりと人としての血が通っている事を知った。


 そして、

 彼が『普通』ではないという事も知った。


 私は『夏』が好きで、

 同時にきっと、『奥海昴』の事も好きだ。


 彼は『夏』をどう思っているだろう?


 彼は『私』をどう思っているだろう?


 私は彼に『夏』を好きであって欲しいし、

 出来れば、彼に『私』を好きであって欲しい。


 だから、

 私は夏を好きでいられる。


 そして同時に、

 私は『夏』を好きでいられる。


 そう、だからきっと、


 これは、私が夏を嫌いになるお話……。








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