メイン 11 秋枝志弦のパーフェクト学種四系講座
現国、数学、英語、物理、化学、生物、日本史。それ等七教科のペーパーテストに次いで、握力、跳躍力、瞬発力、持久力などの体力測定の後、静物画の写生、油粘土での物体造形、ピアノの演奏、リコーダーの演奏、クラシックギターの演奏までを終わらせると、漸く桃子さんは「はい、これで全部ね。お疲れ様。」と、第一夏適性検査とやらの終了を告げてくれた。
「結構な量でしたね……。やってる事は学校と変わんないですけど、これだけ一気に詰め込まれると流石に疲れました……」
長い長い検査の終了に、私は少しだけ気が緩み、苦笑いで疲労を言葉にしてしまった。それでも、桃子さんは困った風を少しも見せずに、ニッコリ笑って「そうよねぇ。急にこっちの都合だけで呼び出して意味の分からない検査だもの。身体の疲労もだろうけど気疲れもあるわよね。ごめんなさい」と、私にスポーツドリンクを差し出してくれた。
「あの! すみません……。そんな積りで言ったんじゃ――」
「あぁ、良いのよ。気にしなくて。本当の事だもの。ハルマちゃんが疲れてるのも本当の事だし。こっちの都合で急に呼び出したのも本当の事。だから、全然気にする事無いの。さ、そしたらその派手な蛍光色のダッサいジャージを着替えてドーナツでも食べに行きましょう。シヅルちゃんにも紹介しなくちゃだしね」
スポーツドリンクを受け取ると、桃子さんの言ってくれた事に申し訳なく思い顔を俯けてしまう。が、桃子さん自身もこのジャージの派手さ加減とダサさ加減を自覚していたと知ると、それが少しだけ可笑しくて、自然と顔が緩んでしまった。
一度桃子さんの部屋に戻り、ダサいジャージを元着ていた制服に着替え直し、「指令室はここの一つ下なの」と言う桃子さんに連れたって、私と桃子さんは二人で五階の指令室へと向かった。階層一階分の短い距離だったけれど、私は道中で桃子さんに問いを一つ投げ掛けた。
「あの、さっきの検査って、何を調べてたんでしょうか?」
出される課題を次々とこなしはしたが、結局何を目的とした検査だったのかは一切明かされなかった。ただ、学力テストと体力テストと、芸術的なものを見られただけ。
「あぁ、そう言えば、ケーキを焼いてもらうのをすっかり忘れてたわね。うふふ、失敗しちゃったわ」
はぐらかす様にそう言って笑ったが、桃子さんはそこかた少しだけ肩を竦めて言葉を発した。
「適性検査をやる前に、『文系、理系、体育会系、文科系、その四つの中で自分はどれに当て嵌まると思う?』って聞いたわよね?」
「……そうですね、聞かれました。私は『運動は得意じゃないですけど他はそれなりです』くらいの事を答えた気がします」
つい二時間ほど前の事だ。忘れる方がどうかしている。
「うん、確かにそうだったわ。それで今さっき適性検査を終わらせて、私の見た感じではまさしくその通りだったと思うわ。『運動は得意じゃないけど、他はそれなり』。とは言っても、私の過大評価じゃ無く、運動以外の文系、理系、文科系の三つはそれなり以上に良く出来てたわ。寧ろかなり良い出来だったと思います」
賢くて可愛い子は好きよ。
そう言って笑い掛けられ、私は顔が赤くなるのを自分で感じ取った。頬が赤くなっているのが分かる……。
「か、からかわないで下さいよ……」
照れや恥ずかしさからそう口をついてみるものの、「私は本心何だけどね」と、私のささやかな抵抗は軽く受け流されてしまった。掴みどころが十分にあるのに、何処を取っても掴めない感じ。
「まぁ、ドーナツでも食べながら詳しい話をしましょう。三時のおやつには間に合わなかったけど、そんな事を気にする必要は無いわ。紅茶にはいつだって幸せが隠し味にされてるし、ドーナツにも常に食べた人を笑顔にする魔法が掛かってるのよ」
満面の笑顔を浮かべながらそう言われると、不思議とこちらにも笑顔が浮かんでくる。きっと桃子さんは他人を自分のペースに乗せるのが上手な人なんだろう。そして、それがそうだと分かっていても、本心からそう言っているのだと分かると、こちらも凄く嬉しい気持ちになれる。
五階フロア、指令室。
桃子さんに同行して後ろをついていただけだが、階段を下りて五階に着いた時点で場所は直ぐに分かった。
装丁は桃子さんの部屋があった六階フロアの廊下と殆ど同じ。白い壁と天井、目に優しそうな蛍光灯の光、毛足の長い真っ赤な絨毯。相違点は二つ、廊下の長さが五階フロアの方がいくらか短いのと、扉の数が突き当たりとその左側にある二つな事。その内の一つ、突き当たりにある両開きの大きな扉。その大きな扉の上に、金属特有の質感が見て取れる、『指令室』と表記された大きなプレートが掲げられていた。これはもう一目見ればそこが指令室だと分かる。流石にそのプレートは支給品だろう。
桃子さんは指令室の大きな扉を開けて入り、私もその後に続く。
指令室に足を踏み入れ、まず初めに驚いたのがその室内の広さ。ヘリコプターに搭乗する為に立ち寄った病院も広かったし、そのヘリコプターの機内も広かったし、桃子さんの部屋も広かったけど、この指令室の広さにも驚かされる。なんというか、今日は色んな事で変に驚いてばかりだ……。上手い表現が出来ないけれど、多分私が通う高校の教室四つをくっつけたくらいか。廊下の白さとは対照的に指令室内は黒が基調とされていた。照明は明るく、床や壁や天井は黒く、その中で際立つ様に、数多くあるデスクとコンピューター類は白色となっている。それ等の他に室内にある物といえば、壁際にこれまた複数の白い棚。漫画雑誌やコミックが中心となり、ハードカバーや文庫本、ファッション誌やインテリア雑誌、ペットの飼い方、数学の参考書、就職案内のフリーペーパー、初めての手品、マンガの描き方、イラスト集、その他諸々。統一性が無く、棚への入り方もバラバラ。参考書と漫画雑誌が同じ棚に入っていたり、あっちの棚に二巻が入っていると思ったら違う棚に六巻が入っていたりする。他にはキャラクターグッズが大量に飾ってある棚があったり、食器が収納されている棚があったり。コンピューター類以外は殆ど指令室の名前に似つかわしくない調度品の数々だけど、それ等がどれだけその場にそぐわない調度品だったとしても、この指令室内で一番目を引くのは、やはりと言うべきか、室内の三面を取り囲むように設置されている、それはもうバカでかい三枚のモニターだろう。汚い言葉だろうが何だろうが、それはもうバカでかいモニターとそう表するしかない。そのバカでかい三枚のモニター、表示されているのは三枚それぞれがどこかの地形のような地図のようなもので、私がかろうじて分かるのは一番右のモニターに表示されている日本列島くらいのものだ。あとの二枚に表示されているのは何処の地図だかは分からない。そんな感じの、私が一言で表すとすれば、それこそ漫画の世界の『秘密基地』といった風の指令室だ。そしてついでと言ってはなんだが、ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐる。香水とかそういう類のものだろうか。気になるほどの事でもないけど、こういう漫画の秘密基地的な場所で甘い香りがするのはとても不思議な感じがした。
「……凄いですね、これ……」
ただただ圧倒されていた数瞬の後、私の口からは無意識の内にそう言葉が発せられた。
「うふふ、凄いでしょー。日本の科学の粋を集めたと言っても過言ではないわよ。ここはね。あんまりコンピューターの部類が多く見えない感じだけど、大きめの機械は全部壁に埋め込んであるの。ビジュアル面も考慮されてるところが流石『特境省』って感じよね。」
……やっぱり経験や環境なんかで同じ物を見るにしても違う印象を持つ事はあるもんなんだな。桃子さんとは違って、私はこの部屋の中を見て機械類が凄く沢山あると思った……。
そこで、私は室内の様相にばかり目を取られていたけど、これだけ広い空間なのに、室内にはバカでかいモニターの前にインカムをつけた人物が一人だけしかいない事に、今更ながら気付いた。話を聞いた限りでは奧海くんや他の私の同級生らしき人が居る筈だったのだけれど……。
指令室内を進み、私はモニター前に居るその人のところまで歩み寄る桃子さんの後ろをついて行った。
「シヅルちゃーん? どうよ様子は? 男の子三人が居ないって事はアメタマかな?」
モニターの前の如何にも高そうな椅子に深く腰掛けている人に、桃子さんは後ろからそう声を掛けた。言いを発する感じから察するに、そのモニターの前の人は女性で、更に先程聞かされていた『シヅルさん』なる人物だと容易に想像が出来る。
「あぁ、モモコさん。おはようございます」
恐らくシヅルさんだろう人は、慣れた様に椅子の支柱をクルリと回転させてこちらを向き、立ち上がると同時にそう口を開いた。
私とほぼ同じ位の身長で、肩口までのセミロングを二つに縛っている。目が大きくて可愛らしい感じが印象的で、薄いピンク色のワンピースの下にジャージを履いた服装。世間一般のセンスとしては受け入れられないかも知れないけれど、私としては有りだと思う。同い年だと言われたら疑える筈も無い風貌で、近しい友人だと私に千佳ちゃんを連想させた。
「講習と適性検査終わったんですね。安西さんもお疲れ様。」
桃子さんにだろうと思っていた言葉は方向を転換されて私へと向けられた。それに続き右手を差し出され、私は握手を求められる。
「『北浦和志弦』です。よろしくね」
……うーん、これは少し判断し辛い。本当にありそうな名前だし、嘘の様に聞こえなくも無い。
「安西春真です。……あの、それは本当の名前で、良いんですか?」
差し出された右手を握り返して聞いてみると、やはりシヅルさんは「あっはは、流石にもうみんなやってるか」と笑い、自己紹介を訂正した。
「本当は『秋枝志弦』って言うの。春夏秋冬の『秋』に木の『枝』で『秋枝』、『志しの弦』で『志弦』。もう一回よろしくね」
そう言って握手を交わし、「こっちは一応片付いたんでとりあえずは今のところ大丈夫です。他の三人ももう直ぐ返ってくると思うんで、お茶でもしながら待ってましょう。」と、私は桃子さんと志弦さんに引き連れられて、一つだけ何も置いておらずまっさらなテーブルへと腰を落ち着けた。
「まぁ、ドーナツでも食べてお茶でも飲みながらお話しましょう。指令室にはコーヒーしか常備してなくて紅茶が無いのよ、安西さんコーヒー飲める? 飲めなかったら他から紅茶持ってくるけど?」
「いえ、大丈夫です。コーヒー飲めます」
「うふふ、それなら良かったわ。モモコちゃんもコーヒーで良いわよね?」
「うん、お願い」
「そしたら、適当にドーナツでも食べながら待っててよ」
志弦さんがそう言ってテーブル上に置いたのは大皿に綺麗に飾り付けられた数十個のドーナツ。ざっと見た感じ三十個ほどか。お店で箱を受け取った時は中身を見ていなかったけど、なるほど数多くの種類が入っていた様だ。
「シヅルちゃんも良い子だから、仲良くしてあげてね」
志弦さんが三つのコーヒーを淹れる為に席を離れると、桃子さんはドーナツを一つ摘みながら、私にそう言って笑い掛ける。
「そうですね。シヅルさんは可愛らしい人だと思います。あぁ、モモコさんは綺麗な人だと思いますよ」
嬉しい事を言ってくれるわね。
桃子さんはそう言って片眉を上げ、手の平をヒラヒラと振って見せた。
「ちゃんと本心ですよ。お二人とも歳が近そうな感じですし。年齢って聞いても良いんですか?」
「あぁ、良いわよ。年齢的な格差もなければ差別的な事も無いしね。私は今年で二十六。シヅルちゃんは二十二かな」
「へー、お若いですね。って言うか、凄く若く見えます」
「お世辞でも嬉しいわ。ささ、ハルマちゃんもドーナツをお食べなさい」
お世辞ではないのだけれど、桃子さんは嬉しそうな感じで必要にドーナツを進めて来る。進められるのなら受け取らない訳にはいかないだろう。それに、お腹も少し空いていたし丁度は良かった。
「それじゃあ、頂きます」
手に取った一つのドーナツ。ミスタードーナツは好きだけど、一つ一つの名称は憶えていなかった。名前は分からないけど、粉砂糖が掛かっており真ん中に穴の空いていないものを選んだ。一口食べると中に甘い生クリームが入っていた事が分かる。……というか、この指令室に入った時に感じた甘い香りがドーナツによるものだったという事を、今に至った時点で理解した。
「どう? 美味しい?」
「美味しいです。あと、甘いです」
甘い物は好きだ。美味しい物なんて言わずもがな。
桃子さんは薄く笑うと、「それは良かった」と首を二度縦に振る。
甘くて美味しいドーナツを食み、志弦さんが淹れてくれるコーヒーを待つ。本当はコーヒーは苦手だけど、図々しくも我が儘を言って紅茶をお願いする程私はまだここの場に馴染めていない筈だ。それに、何と言っても私は今日が初対面。会って間もない人にその場に無い紅茶を要求出来る程、私の神経は太くない。
「さてさて。そしたらドーナツを食べながらの簡単なお話をしましょう。楽しいお話とはいかないかも知れないけど、まぁ、今後の話だね。だけどその前に――」
「っふふ。その前になんですか?」
そう言ったのは私ではない。桃子さんの言いに返したのはお盆にカップを三つ乗せて戻って来た志弦さん。
「はい、コーヒーが二つに紅茶が一つね」
「え?」
「ん? だって、多分安西さんコーヒー好きじゃないでしょ?」
……確かにそうだけど、そんな素振りを見せた積りは無い。……筈だ。それなのに、志弦さんには心を読まれてしまった。何と言うか、ここの人達は容易に人の心を読めすぎな気がする……。若しくは私の心が読まれやすいのか……。ここの職員になるとそう言う技術も学ぶ事になるのだろうかだ……? なんにせよ、私は自分の前に置かれた紅茶を、「有難う御座います。頂きます。」と、一言志弦さんに言ってからカップに口を付けた。
ドーナツも紅茶も、共に甘くてとても美味しい。
「うふふっ、お口に合う様ならなによりよ。それで今後のお話はどうなってるんですか?」
「それの話をする前に私が今の現状を知っときたいのよ。アメタマの反応が出たのよね? それは良いんだけど、何で三人とも行っちゃってるの? 夏の始まりだとしても、そんな理不尽に十メートル級とかは出ないでしょ?」
「アメタマの反応が三つ出ちゃったから三人とも居ないんですよ。モモコちゃんと昨日話してた通り、やっぱり他勢力介入の可能性は濃厚みたいです。詳しい話は出てった三人が戻って来てからの方が良いと思いますね。もう帰って来るって言ってましたけど、連絡貰った感じじゃあ『中核』が『模造品』だったみたいですよ。あくまでももしかしたらですけど、今回の件は結構ヤバい事が絡んでるかも知れないですねぇ」
メートル級とか中核とか模造品とかは分からなかったけど、たった今桃子さんの講習を受けたばかりだったのである程度の事は分かった。あと、そうとうヤバいだろう事も理解出来た。志弦さんのそれを聞いて「三つかぁ……」と呟いた桃子さん。横目で見る限り、とても苦い表情を浮かべている。
「……あの、私って今日は帰った方が良いでしょうか? 何か凄く大変そうな事になっているみたいですし……」
それ等が本当にヤバい事になるのだったら、『特境省』に正式に属していない私がこの場に居る事は、あまり望ましく無いのではないだろうか? そう思って言ってみるも、苦い表情を浮かべていた桃子さんはそれを振り払い、多少の苦笑いが混じっているものの、笑顔を作ってこちらに向ける。
「うーん……、実を言うところそれが一番良いんだけど、事はそれよりワンランク上のヤバさになっちゃってるわね……。『大丈夫! 心配いらないよ!』って言ってあげたいのもやまやまなんだけど、今ハルマちゃんを一人で帰す事すらもちょっとヤバい状況って感じなの。例の三人が戻ってきたらお家まで送らせるから、それまでハルマちゃんの方の話をしましょう。ごめんね」
事態としてどれくらい深刻な状況なのかが私には良く分からなかった。よくある範疇の事態とも取れるし、前例が無い程の事態と窺える節もある。私は結局桃子さんの言いに「……はい。分かりました」としか言い様が無く、また、それに従う他無かった。
「そしたら、まず先にさっきの話の続きをしよう。文系理系ってやつ。それを説明しない事には色々現状を話し様が無いからね」
そう言って桃子さんはコーヒーを一口飲み、志弦さんはドーナツを一つ手に取った。女三人でかしましいみたいな言われ方もするけれど、この場はまずそうなり得る状況じゃあ無い。
「アメタマ並びに他勢力、企業、団体、個人、その他諸々があったりするけど、それ等に対抗する為に、またそれ等を押さえ付ける為に、『特境省』はそれ相応の力を所有する必要があるの。全体としてじゃなくて『特境省』に属する個人の一人一人がね。それを見定める為に行なったのが、さっきハルマちゃんの受けた適性検査になるの。正式には『第一夏適性検査』ね。必要なら第二第三って続くんだけど、ハルマちゃんの場合は今のところそれ等は保留って感じかな」
「? 何でですか?」
「その第一の検査で結果が出辛かったらやる予定だけど、統計的に見てハルマちゃんの解答のしかたや運動能力、芸術センス音楽センスなら第一検査で結果がちゃんと出ると思うの。だから、今のところは必要無しって事。あくまでも統計での話なんだけどね」
「あの、私多分その検査でも運動音痴が露呈しちゃってると思うんですけど、やっぱり運動出来ないとあまりお役に立つ様な事は出来ないんでしょうか?」
昨日の奧海くんを思い出す限りじゃあ、私は彼の様に拳を振るっても対象に当てる事すら出来ないだろうし、それどころか俊敏に動く事も出来ない。あのアメタマと呼ばれる怪物の動きについていけず、対面した時点で卒倒するだろう事請け合いだ。圧倒するどころか十秒も立っていられないと思う……。撃退なんて以ての外……。
この私の心配は実に切実なものだ。『特境省』に属したは良いものの、何の役にも立たなかったらお笑い草。それどころか他の方々の足を引っ張りかねない。
そう不安を口に出すと、桃子さんは少し考える様な表情をして、また一つドーナツを手に取った。一口食べて、咀嚼し、飲み込んでから「そうねぇ」と口を開く。
「私達『特境省』側が無理矢理人員補強の為にハルマちゃんを引き入れる事はしないから、最終的にうちに籍を置くかはその人に任せてるわ。決定権がほぼハルマちゃんに丸投げなのは少し申し訳ないけどね。それでも一応ハルマちゃんのその不安を取り除いておく事を言うとしたら、必ずしも『特境省』の仕事に運動能力が必要不可欠って事は無いわ。現場じゃなくて、ここで情報を送る内勤になる場合もあるし。それに、さっき少しだけ説明したハルマちゃんと同じ高校のコウくん、シンタニくんっていう子がいるんだけど、その子もハルマちゃんと同じ感じの子なのね。運動以外は凄く優秀なの。運動能力があまり優秀じゃなくても、アメタマを圧倒出来るし、他の対抗勢力に十分太刀打ちが出来るわ。それが何故かと言うと、使うのは基礎の運動能力じゃなくて、殆どが『夏』によって得られる身的恩恵だからなの」
「……身的恩恵、ですか……?」
「そ、身的恩恵。基礎がどうたらは関係ないわ。いやまぁ、勿論、正式に『特境省』に籍を置くってなったら実技の講習とかもあるから、それの過程で基礎運動能力はそれなりに向上すると思うけど、それでも結局実戦に置いて重視されるのは『夏』の使い方ね。『夏』を使って他を制圧するって感じ」
「……『夏』を使うって、具体的にどういう事なんですか? もしかしてですけど、少し話が難しくなります?」
「いやいや、難しくは無いわよ。私達が作った『夏』を、自らで取り込むの。『夏』を用いた武器とか鎧って感じの解釈で良いわ。聞くだけじゃ難しいかも知れないけど、やってみれば意外と簡単。『特境省』でちゃんと教えるし、これに関しては出来の優劣みたいな物は殆ど無いし。どの程度出来たとしてもそれは個人個人の特色。私達も教える自身があるし、ハルマちゃんにも出来る保証がある。それの過程で、さっきやった適性検査が必要になっているの」
「うーん、私も最初は全部そういう感じで何にも分からなかったけど、モモコちゃんに教わって、今ではこの指令室をたまーにだけど任されてるわ。だから、安西さんも急ぐ事は無いし、直ぐに色々憶えられるわよ。たぶん」
桃子さんの言いに続いて志弦さんも私のフォローをしてくれる。初対面の私を色々気遣ってくれるだけで、私は申し訳ないと思う反面、何だかとても嬉しい気持ちになれた。
桃子さんは先の言葉を続けた。
「『夏』を使う事によって身的恩恵は受けられる。瞬発力、筋力、持久力、耐久力などなどが、通常の生活を送る上で全く必要じゃないくらい上昇する。凄く安易な例を上げると、か弱き乙女の私達でも、百キロくらいの岩石なら容易に持ち上げられる様になれるわ」
「えっと、百キロって、百キログラムですか……?」
「そ。百キロって百キログラムよ。凄いでしょ?」
『凄いでしょ?』と言われても、今現在の自分が限界で何キロの何かを持ち上げられるのか分からないし、実際に百キロの何かを持ち上げ様とチャレンジした事も無い。実感は湧かないけど、漠然とそれが凄い事なのだろうという事は、なんとなくで分かる……。
「とまぁ、この百キロの岩石を持ち上げられるだけの筋力の例え。個人差はあるけど、『夏』を使えばみんな大体それくらいの事が出来るわよっていう、言わば目安の様なものね。だけど、『夏』での身的恩恵は『夏』を使用出来る者なら誰でも受けられるものなの。それで、そこから更に個人の特色が色濃く反映される方向を見定める為にやったのが、さっき適性検査。何度も言う通り、ハルマちゃんは運動こそあまり出来ないものの、私の見たてからして他の文系、理系、文化系に関してはとても良い成績が出る事が明白だわ。個人の特色は『文系』『理系』『体育会系』『文科系』の四つに分類出来るの。これは『特境省』が百六十年以上続く歴史の中で統計として割り出した結果としての答えね」
…………?
特色とか反映とか、私としては良く分からない方向に話が進んでいるけど、今のところ何をどう質問すればいいのかすらも良く分かっていないので、現状では口を開かない事にした。ちんぷんかんぷんと言うほどではないけれど、豆腐を掴む感覚には似ているだろう。無理に理解しようとすると、それは頭に入って来ない。
尚も桃子さんの話は続く。
「『文系』が得意科目の人は、『夏』を用いて装飾や肉体を変化させる事を主とするわ。同じ様に『理系』は熱力変化、『体育会系』は肉体強化、『文科系』は武具生成って感じになるわね。だから、ハルマちゃんは『体育会系』の特色である肉体強化は殆ど諦めた方が良いけど、『文系』の装飾及び肉体変化、『理系』の熱力変化、『文科系』の武具生成にはかなり長けてるって事になる。ハルマちゃんが正式に『特境省』に籍を置いた暁には、その辺りの『夏』の使い方とか『夏』の生成のしかたとか、それから急にアメタマに遭遇した場合の対処法。実技訓練とか講義とか、当分はその辺りが中心になるわね」
…………。
…………。
…………?
「……あのぉ。ちょぉっとだけ、質問しても良いですか……?」
桃子さんの言いが一段落したところを見計らって、私は自分の要求をそう口にした。「はい、どうぞ」桃子さんはそう言って、志弦さんと一緒に私の言いの続きを待ち、こちらを窺って、口を噤む。
「あの、すみません。よくよく理解出来ない用語が沢山出て来てしまったんですけど……。いや、いえ……あの、装飾とか肉体とか熱力とか、そういう類の意味なら知ってます。だけど、この場合意味は知ってても、多分私の思い浮かべる事とは大分と掛け離れていると思うんです……。あの、要はどういう事なんですか……? 百キロの岩石っていう件までは一応理解出来た積りなんですけど、それ以降の文系理系辺りがサッパリで……」
いざ口に出して言ったは良いものの、ちゃんと話を聞いていたのにも関わらず内容を理解出来ていなかったという事が、桃子さんにも志弦さんにも申し訳なかった。読解力にはそれなりの自身があった筈なのに、自分の思い上がりが恥ずかしくさえ思える。
嫌な顔をされるかと思ったけれど、桃子さんは「……あぁ、そうだよねぇ。いきなり色々言っても分からないよねぇ……」と困惑して慌てふためき、志弦さんは「あはははっ、そうですよ。確かにそうですよモモコちゃん。私も始めてモモコちゃんにそれの話聞いた時全く意味が分からなかったですもん。」と、声を上げて大袈裟に笑っていた。
「あははっ、ごめんね安西さん。モモコちゃんはちょっと説明が不足している場合が多々あるけど、根っこは面倒見が良くて気の良いお姉さんだから許してあげてね。『学種四系』については私も教えられますけど、どうしますかモモコちゃん?」
「……あー、それじゃあ、シヅルちゃんにお願いします。ごめんねハルマちゃん。もしかしてさっき私の部屋で言ってた事とかもおかしなところ無かった? 本当は意味分からないところとかあった?」
「いえ、――いえ! 大丈夫でした! ちゃんと分かりやすかったですから大丈夫でした!」
意図的に言葉をハキハキと喋って誤魔化す。分かりやすかったのは本心だけど、用意した資料を全く使わなかったのには少し驚いた……。でもまぁ、それくらいの事はとやかく言う事でも無いだろうし、私が出しゃばって上げ足を取る様に指摘する様な事でも無い。
「じゃあ『学種四系』の事に関しては私が説明するわ」
その前に一つだけ良い?
志弦さんは私の顔を覗き込んでそんな風に聞いてくる。
「……はい、何でしょう?」
「うふふー、私もハルマちゃんって呼んで良い?」
「……えっと、はい。大丈夫です」
えへへ、やったね。
そう言って志弦さんは子供みたいに笑った。
今日この場所に来てまだ数時間しか経っていないけど、ここの職員の人達はみんな子供みたいに笑うなぁと、そう思った。だからみんな実年齢よりいくらか若く見えるのかも知れない。
「それじゃあ早速ハルマちゃん。『学種四系』の説明なんだけど、さっきやった適性検査は、ハルマちゃんの深層学種を明確にする為のものだったの。深層学種っていうのは、その人が『表面的』にじゃあなくて、『内面的』に得意な学種を指す言葉なのね。例えば、私は中学生の時は国語と英語が大好きだったのよ。物語の中の主人公が何をどう考えているのかとか、英語で文法の配列に意味を見出したりとか、そういうのが得意だったわ。だけど、モモコちゃんに『特境省』に連れて来られて第一夏適性検査を受けた時、おもしろい様に数学と物理が解けたのよね。そりゃあもうおもしろい様に。私は『文系』の国語とか英語とかが好きだったけど、深層学種は『理系』だったの。ショックではなかったけど、ちょっとビックリしたわ。うふふ、それからもう六年くらい経ってるんだけど、こうして私は『特境省』の指令室に腰を落ち着けてるって訳なんだけどね」
「でも、私はその適正検査を受けても、そういう感じにはなりませんでしたよ? 運動は苦手なままでした」
「それはね、ハルマちゃんの得意科目が深層学種だったってだけよ。本当ならそれが普通なんだけど、私の場合は興味と深層が互い違いになっちゃってたのよね。練習無しで球速百四十キロの球を投げれる才能があったとしても、芸術に興味があればその人はきっと絵描きになるわ。そんな感じ。それでもって、その深層学種、『特境省』では大きく分けて四つに分類されるの。
『文系』『理系』『体育会系』『文科系』
ってね。『特境省』ではそれ等四つを総称として『学種四系』。学種の四つの系統。この説明なんだけど、アメタマとかうちの『特境省』の事とかが漫画とかアニメとか、そういう類の絵空事、架空の存在、ファンタジーだと思えた様に、この『学種四系』もきっとハルマちゃんは漫画とかアニメとかの話に聞こえると思う。っていうか、ハルマちゃんアメタマとか『特境省』の事を最初に聞いた時に、『おいおいそりゃあ嘘でしょう?』って思わなかった?」
志弦さんにそう問われ、何だか核心部をいきなり突かれた感覚を覚える。
「……それはもう、大いに思いましたよ……」
……それは、誰だってそうじゃないだろうか……? 漫画やアニメなら信じられる事でも、実際目の前に出されて広げられたら、誰だってそんな物信じられる筈が無い……。
「季節が無いとか、夏を作るとか、アメタマとか、秘密組織とか。だけど、真剣に説明されちゃったら、それはもう、信じるしかないですもんね……」
「あははっ、そうよねぇ。アホみたいな話だけど、モモコちゃんがしてた話も、昨日見たアメタマとかオウウミくんの事とか、全部本当なのよねぇ。二十二世紀にもなってホント、何が嘘で何が真実か分かったもんじゃないわ。だけど、これから私がする話も残念ながら本当なのよ」
それじゃあ『学種四系』、まずは『文系』から。
そう前置きして、志弦さんは右手の人差し指をピッと立てた。
「深層学種が『文系』の人は『夏』の使用によって装飾や肉体が変化します。装飾って言うのは今着ている服の事ね。例えば、私が着ているこのワンピース。これの表面が鋼鉄の様に硬くなったり、はたまた熱を全く通さない断熱材になったり、かと思えば全ての衝撃を無効化する衝撃吸収材になったりします」
「ちょっと待って下さい! ……えっと、それって」
ぜーんぶ本当の事よ。
私が全てを言い切るより先に、片眉を上げて薄く笑みを浮かべた志弦さんにそう割り込まれてしまった。
……確かに、私は言いの続きを『本当の事ですか?』と聞こうとしたけど、それは先読みされていたらしい……。もう、事がここまで進んでしまったら、全てを本当だと割り切るしかない様だ。『漫画やアニメなどのファンタジーが現実に存在する筈が無い』という十六年間で培ってきた常識が、『四季の存在の否定』と共に、ボロボロと崩れ去っていくのが、肌で実感出来る……。
「……すみません、続けてもらて大丈夫です」
言うと、志弦さんはニッコリと笑って先を続けた。
「はい。同じ様に、肉体変化は自分の生身の肉体を『夏』の使用によって変化させます。まぁ、装飾変化も肉体変化も同じ様なものと考えて差し支えないわ。例えばこの腕、これを鋼鉄に変えたり強化ゴムに変えたり、大分前に過去の資料を漁った時だと――例えば四十年くらい前の資料には、皮膚を濃硫酸に変えたりしてた人もいたわね」
「……? それって、皮膚を濃硫酸に変えて、その人は何がしたかったんですか……?」
絶対知りたいって程の疑問でも無かったけど、何かを問わないと私の頭が動物の本能で機能を停止させてしまう。
服の素材を鋼鉄に、肉体を変化させる、皮膚を濃硫酸へと。確かに現実社会じゃ有り得ない言葉と事象のオンパレードだ。そんな事が出来るのだったら世界はとっくにどうにかなってる。……だけど、きっとこれは『特境省』に勤める桃子さんや志弦さんや奧海くんにとっては常識であり、少しも常軌を逸脱した事では無いのだろう……。
自我を保つのと話に付いていく事に、私は必死だった。
『その人は皮膚を硫酸にして何がしたかったのか?』という私の問い。その問いに、志弦さんは少しだけ眉根を寄せた。困った様な表情で数瞬思考した後、志弦さんは桃子さんへ目配せする。何かいけない事を聞いたのかも知れない……。そう思った矢先、向かいで口を噤んでいた桃子さんが「んっとね……」と口を開いた
「任せた手前だけど、今のは例えがあまり宜しく無かったわね。……だけど、『特境省』に籍を置いてからこういう事を説明するのもやっぱりずるい事なのよねぇ……。だから、そういう色々をちゃんと知った上で、ハルマちゃんにはうちに在籍するかどうかを決めて欲しいの」
至極真剣な口調と表情の桃子さん。
私のさっきの問いから派生して、一気に真剣身を帯びた話になりだしてしまった……。いや……、もしかしたら、本当は最初から全部、桃子さんや志弦さんにとっては真剣な話だったのかも知れない……。急に沸いて出た様な存在の私に話の軽度を合わせてくれていたのか、もしくは、それ等の話を事実と認識出来ていなくて、私が真剣になり切れていなかっただけなのかも知れない……。
「例えば、警察官や消防士。警察官も消防士も、日々の職務で常に危険と隣り合わせになっているわ。警察官は悪漢に刺されるかも知れないし、消防士も炎に捲かれるかも知れない。それでね、警察官や消防士と同じ様に、『特境省』もやっぱり、常に危険と隣り合わせなのよ。ちゃんと実技講習を受けて知識を身に付ければアメタマにやられるような事は殆ど無いわ。って言っても、この前アメタマにやられて入院しちゃってる職員が一人いるんだけどね。それでも、アメタマにやられるような事は殆ど無い。それで、やっぱり『特境省』にとっても厄介なのは、他の勢力の存在なの。名称が無いから、ここは便宜的に『季節犯罪者』とでも言っておきましょう」
「季節、犯罪者……」
私の言いに、桃子さんは一度首肯する。
「そう。私達『特境省』も『季節犯罪者』達も、共に『夏』を駆使して相対者を撃退しようとするわ。一番良いのは話し合いで穏便に済ませる事だけど、企業、団体、個人、そのどれもが話し合いで解決出来る様な人達ばかりとは限らないのよ。……勿論、『夏』を使用しあった結果、どちらかの命が落される事も過去に実例があるわ。多いとは言えないけど、それは少ないとも言えない……。ここで、今ハルマちゃんが思った疑問、『皮膚を硫酸にしてその人は何がしたかったのか?』に立ち返ると、正確な資料では四十三年前で、その人は関東の製鉄所で働いていた人ね。鉄を溶かす為の溶鉱炉で不正に『夏』を使用していると突きとめた『特境省』は、職員を二人、その製鉄所へと向かわせたわ。本来なら厳重注意と軽度の罰則で済む筈だったんだけど、その人は『特境省』職員の一人に殴り掛かったわ。拳の皮膚を濃硫酸に変えて」
あまりにも桃子さんが淡々と話すので、私も淡々とそれを聞くしかない。話は重石をいくつも乗せたような重圧となり、本来聞く必要など無かった私の問いへの答えは、想像を絶する程の結末が容易に予測出来る……。予測されるその結末に胃が暴れそうになったけれど、それはグッと堪える事に成功した。
桃子さんは話を続ける。
「厳重注意のみを命じられていたから、二人の職員も少し気を抜いていたのかも知れないわ……。結果として、職員二人の内の片方はその製鉄所の人物に抵抗されて、顔面に一撃、腹部に一撃、良い拳を貰ってしまったの。普通の拳ならば良かったけど、その二撃は濃硫酸で出来たハンマーで殴られたのと同じ事。打撃面は爛れて火脹れになり、濃硫酸は皮下組織を破壊して身体深くへと流れ込む。右の眼球と視神経は破壊され、鼻腔も癒着してしまい、腹部に貰った一撃は肝臓と胃をボロボロに溶かした。搬送された病院で処置が施されるも、その二撃を貰ってから二時間もしない内に亡くなったわ。そして、その抵抗した製鉄所の人も、同行していたもう片方の『特境省』職員が殺めたわ。製鉄所の人は当時二十歳、亡くなった『特境省』職員は当時二十六歳、今の私と同い年。製鉄所の人を殺めた『特境省』職員は当時二十三歳。シヅルちゃんの一つ上ね。これは本当に極端な例だけど、『特境省』職員も、治安を維持する警察官と同じく、火災に立ち向かう消防士と同じく、若くして亡くなる事もあるって事なの」
……息を、呑まざるを得なかった。桃子さんは「昨日始めてアメタマと遭遇して、今日初めてここに来てって感じなのに、いきなりこんな重い話でごめんなさい……」と、そう私に向けて一度謝るけれど、「だけどね」と、苦い表情を浮かべながら言いを続けた。話をしている側も、この内容は流石に堪えるのだろう。心痛いた仕方ないとは、こんな時に使って良い言葉なのだろうか……?
「昨日アメタマに遭遇してしまったって事は、ハルマちゃんもこれ等の話に無知ではいられないわ。まだ籍を置くかも決まっていない子にこういう類の事は話す必要無いんだけど、シヅルちゃんが肉体変化の例えでそれを出したのも、ハルマちゃんがその問いをしたのも、タイミングが良かったの……。なんっかいも謝るし、嫌な気分にさせちゃったのも、ごめんなさい。……だけどね、『特境省』に籍を置くかはハルマちゃんに委ねてるけど、アメタマや『特境省』や『夏』に関しての事を、不運にもそれ等に関わってしまった人に説明するのは、私達『特境省』側の義務なのよ。……だから、ごめんなさい」
…………あぁ。
……私はその話を聞き、身体が震えるのを必死で抑えた……。
高校一年の十六歳。将来的な事もまだ定かではない。生き死にについて考えた事が無い訳ではないけど、実際には自分はまだまだ死ぬ事は無いと思っている。……それなのに、『特境省』では二十歳そこそこの人が硫酸で溶かされたり人を殺めたり……。吐いたら楽になるだろうか? 泣いたら許してもらえるだろうか? ゾワゾワと身体の中を駆け上がって来る恐怖により、一瞬だけ頭の中にそういう思考が横切った。……けれど、私は胃の内容物抑え込み、浮かび上がって来そうな涙を堪えた。
吐いてもきっと楽にならないし、泣いてもきっと何にも許されないだろう。それに、この目の前に座る桃子さんや志弦さんも、そして奧海くんも、最初はこの感覚を体験している筈だ。私にだって、我慢出来ない筈が無い……。
「……大丈夫、……です。……大丈夫です。問題ありません。確かに、少しショッキングな話でしたけど、大丈夫です。受け入れられる範囲の話です。続けて下さい。私は、大丈夫です。『学種四系』でしたっけ? ちゃんと受け入れられます。聞けます」
志弦さんの淹れてくれた紅茶のカップに手を掛けて、一口を飲む。
手が震えを起こさない様に、気持ち腕に力を入れる。
大丈夫だ。多分震えていない。
震えていたとしても、それは桃子さんや志弦さんが気に掛けてくれる様な事じゃあない。それに、私の胸中なんて隠さなくてもとっくに見透かされているかも知れない。それでも、私は大丈夫だと言おう。平常を装って大丈夫だと言い、桃子さんと志弦さんの話を聞く事が、今私に出来る唯一の事だ。吐いたり泣いたりする事は、今私がするべき事じゃあない。
「……じゃあ、途中で気分が悪くなったりしたらちゃんと言ってね?」
志弦さんはそう前置きして、私に笑顔を向けてくれた。こういう時に笑顔を向けてくれるのはとても心強いし、なにより嬉しい。
私はそれに頷き、志弦さんは桃子さんと目配せをした後に話の先を続ける。
「……えっと、じゃあ話を戻します。『文系』はそんな感じ。装飾の材質や服装そのものを変化させたり、肉体を別の何かに変える感じ。それで、次は『理系』ね」
『文系』の話始めと同様に、志弦さんは右手の指を人差し指と中指をピッと立てた。
「『理系』は熱力変化。『夏』の熱を違うエネルギーや事象に変化させるの。例えば、『夏』の熱を電気に、水に、炎にって、安直に言えばゲームや漫画で言う魔法みたいな感じかな? だから、『夏』の熱を衝撃とかに変化出来ればかめはめ波だって撃てちゃうのよ。うふふっ、凄いでしょ?」
…………?
「……『カメハメハ』って何ですか?」
一瞬、志弦さんと桃子さんが凍りつく。また何か不味い事を聞いてしまったかと思うと、「……かめはめ波知らないの?」と、志弦さんが大層驚いた風に問うてきた。
「……えっと、すみません。『カメハメハ』知らないです……」
「ドラゴンボールって漫画知らない?」
今度は桃子さんからの問い。
何故桃子さんと志弦さんがそんなに驚いているのか分からないが、『ドラゴンボール』なる漫画タイトル、私は残念な事に見た事も聞いた事も無かった……。
「……すみません。知らないです……」
唖然とする桃子さんと志弦さんの二人は「やっぱり女の子は知らないのかなぁ?」とか「二百年以上前の漫画だから仕方がないのかなぁ?」とか頻りに呟いていたけど、流石に二百年以上前の漫画じゃあ私には知る術が無いと思う……。寧ろ、二百年以上前の漫画を何故に桃子さんと志弦さんが知っているのかが疑問だ。――と、そう思って見たけど、よくよく考えればミスタードーナツも二百年以上前からある老舗の様なものだ。良い物はいつになっても新しいの法則で考えれば、その『ドラゴンボール』なる漫画、相当に面白い漫画なのかも知れない。
「うーん、じゃあ、かめはめ波の事はとりあえず忘れちゃって頂戴。『理系』は『夏』の熱を他のエネルギーに変化させるって感じね。そんで、次は『体育会系』」
志弦さんが薬指を立てて三本の指を示したところで、「あの、話止めちゃってなんですけど、また質問良いですか?」と、私はまたも出しゃばって挙手し、志弦さんの言いを遮った。
「お、どうぞ。気になった事はどんどん質問してくれて良いからね。私も質問してもらった方が助かるわ」
志弦さんがニッコリ笑ってそう言ってくれるので、挙手した事で内心ビクビクしていた私は、少し安堵する事が出来た。
これは、純粋な疑問。
「さっきの肉体変化で皮膚を硫酸に変えたって話なんですけど、それと熱力変化ってどう違うんですか? 素人考えですけど、『夏』を硫酸に変えて、それを拳で叩きこんだって言う感じでも取れると思うんですけど……」
問うと、志弦さんは一度手の平を『パチン!』と鳴らしてから私を指差し、「良い質問だわ!」と、声を大きくして私に言う。
恥ずかしながら、私は手の平を鳴らした『パチン!』の音に驚いて、身体をビクリと跳ねさせてしまった。
それはもう、恥ずかしいったらありゃしない……。
「良い質問! それは凄く良い質問だわ! 凄く良い質問なんだけどっ! それには明確には答えられないのよねぇこれが……。」
「……どういう意味です?」
姿勢を正してそう聞いてみるが、志弦さんは顎に手を当てて小さな声で「うーん」と唸って見せる。本当に困っているのか、はたまたそれはポーズなのか。程なくして志弦さんは重そうに口を開いた。
「いやぁね、なんせ資料がもう四十年以上も前のもんだし、当事者は二人とももう『特境省』にはいないしねぇ……。一人はさっき話した硫酸で亡くなったし、もう一人の製鉄所の人を殺めた職員も、大分前に退職してるしね。過去の資料を漁ってみても、結局は当時の報告書を読み返して、他の資料と照らし合わせてってくらいの事しか出来ないからさ。だから、今のハルマちゃんの疑問にだけ答えるとしたら、『文系』の肉体変化でも『理系』の熱力変化でも、どっちでも硫酸に変化させる事は出来るの。ただし、熱力変化で『夏』の熱を硫酸に変化させた場合、その製鉄所の人も自分で『夏』の熱を変化させた硫酸で拳を傷付ける事になるわ。その製鉄所の人を殺めた方の職員が提出した報告書を見る限りでは、その硫酸で加害者側の拳が爛れて無かったのが確認されてるから、それじゃあ『文系』の肉体変化だったんだろうって事。それでも、『理系』の熱力変化で『夏』の熱を硫酸に変えて、その上で『文系』の肉体変化で拳を酸に強い何かしらに変化させたって事もあり得るわ。憶測でなら何とでも言えるけど、結局報告書を見ただけじゃあ正確な識別は出来ないって事ね。如何でしょうか?」
「じゃあ、見た目だけじゃあ容易な判断は出来ないって事ですか?」
「まぁ、そうなるわね。とは言っても、こんなに複雑に色々出来る人はそうそういないし、みんなやってる事は結構単純よ? 今話した事だってさっき言った通りに私の憶測に過ぎないし、結局は『夏』をどう使うにしても強い方が勝つだけだもの。力にしろ知恵にしろ。もっと言うと、『夏』は自然発生じゃない限り殆ど遺伝の傾向が強いからね。他者から受け継いだり薬で無理矢理って事もあるけど、結局は使ってみなきゃ自分の『夏』がどんなもんかは分からないわ。ハルマちゃんがもし隔世遺伝だったとしたら、『文系』『理系』『文科系』のどれか、もしくはその組み合わせがおじいちゃんかおばあちゃんから遺伝してる筈。仮にハルマちゃんの祖父母が『文系』で装飾変化を主としていて、更に装飾の鋼鉄化を主軸としていたのなら、ハルマちゃんは殆どそれしか出来ないって事になる。装飾の変化でもそれ以外はほぼ出来ないと思って良いわ。過去の資料を漁ればハルマちゃんの家系の方が何処かにいるかも知れないわね。まぁ、他者からの継承と薬物による強制覚醒は除くとして、自然発生だった場合はやってみてのお楽しみって感じかな」
遺伝か、もしくは自然に発生したか。なんにしてもやってみなければ分からない。か……。
自分にも漫画みたいな力がある。と……。
百キロの岩石と同様、いまいちピンと来ない感はあるけれど、それでもきっとそれは本当なのだから仕様が無い……。あと、気が付くとテーブル上の大皿に乗っていたドーナツが半数以上無くなっている。私は殆ど手を付けていないので消費者は桃子さんと志弦さんなのだろうけど、ここの職員の人達の主食はドーナツなんじゃないかと思うくらいの食べっぷりだな……。若しくは『甘いものは別腹』という定型句に準じているのか…。
「……ありがとうございます。多分、理解しました。大丈夫です」
一応『多分』の部分を強調してみたが、志弦さんはそれで納得した様頷いて、
「うん、それじゃあ次は『体育会系』ね。」と、三本の指をピッと立てた。
「『体育会系』はもうその名の通り肉体強化ね。その名の通りって言っちゃったけど、単純に筋力を増強したりするのも肉体強化だし、跳躍力を強化するのも肉体強化。あとは、視力や聴力、嗅覚なんかを常人より研ぎ澄ませるのも肉体強化になるわ。変な例を出すと、味覚なんかも肉体強化の範疇に入るわね。それで、さっきのハルマちゃんの疑問に沿う例題になるんだけどね、『文系』の肉体変化で腕を鋼鉄にするっていうのがあったんだけど、それと似通って、『体育会系』の肉体強化で、腕の筋肉や皮膚を鋼鉄の『様に』硬くする事は出来るわ。同じ様でもやっぱり少し違うのよね。その場合、『文系』はたんぱく質や脂肪を鋼鉄にしてるけど、『体育会系』はたんぱく質も脂肪もそのまま。ただただ鋼鉄の『様に』硬くしてるってだけ。まぁ、それぞれ長所もあれば短所もあるわね」
「長所と短所ですか?」
「そう。この場合、鉄は簡単に錆びるけど、タンパク質と脂肪は簡単には錆びないもの」
……またサラッと怖い事を言われた気がする。例によって、過去百何十年かの報告書とやらを遡った見た場合、『鉄を錆びさせる』ような何かしらを使う人がいたって事だ……。
って、そんな事を考える辺りがもう漫画脳なんだろうなぁ……。世のお母さんは子供の漫画脳を心底御心配されている様ですけど、これはもう漫画であり現実であるから……。まぁ、色々仕方がないんだろうなぁ……。
「じゃあ、これで『学種四系』の最後、『文科系』ね」
志弦さんは右手の人差指から小指までの四本をピッと立てて、口を開く。志弦さんの言う様にこれが最後ではあるのだろうけれど、これを聞き終えた時点から私の始まりとなる訳だ。
「『文科系』は武具生成。『夏』の熱を使って武器を生み出す。生み出すって言うか、作るって言った方が正解かもね。なんせ『生成』って言うくらいだから。刃物とか、重火器とか、鈍器とか。大体はその三つのどれかだね。過去の資料漁れば、他にも鞭とか爆弾とか、あと拷問器具とかも出て来ると思うけど、まぁ、その辺りも稀な感じだね。用途が狭くて上手く使える様な物じゃないわ」
……まぁ、話をする上でそのうち出て来るだろうとは思っていたけど、とうとう、ファンタジー要素の中に、現実味を帯びた単語が出て来てしまった……。つまりは、刃物だったり、重火器だったり、鈍器だったりと、そういう単語……。濃硫酸とか、鋼鉄とか、百キロの岩石とか、それ等ならまだ現実にそれ程近く無い存在として軽視出来るけど、テレビで見て本で読む、それと分かる明らかな危険物は、やっぱり聞くだけでも怖い……。
刃物に、重火器に、鈍器、ねぇ……。
「取り敢えずこれで全部なんだけど、総合的に何か質問があったら受け付けるよ? 無かったらまたモモコちゃんにタッチするけど?」
「……いえ、大丈夫です。特にはありません。――あぁ、特にはありませんけど、でも、一つだけ良いですか?」
「えぇ、質問以外でも何でも良いわよ」
「私もシヅルさんって呼んで良いですか?」
一瞬、志弦さんはキョトンと目を丸くするが、直ぐにニッコリと嬉しそうに表情を歪めて、「うふふ、大歓迎よ」と、可愛らしい感じに笑った。
その後の説明は再び桃子さんに託され、今後私が『特境省』に在籍した場合、『特境省』に在籍しなかった場合の二通りの説明を受けた。在籍する様になった場合、私はいくつかの訓練と講習を受け、慣れない内に現地に赴く際は最低でも三人のチームを組んでの行動となるらしい。授業中の呼び出しは極力避けられるらしく、大学への進学も問題ないみたいだった。在籍しない場合でも座学の方はある程度受ける事になるらしく、夏場にアメタマに遭遇した場合や『夏』に関しての違和を感じた場合、直ぐにその場から逃げて『特境省』に一報を入れるという、感覚としては警察に通報する一般市民的立ち位置になるらしい。
「まぁ、出来る事なら仲間が増えれば嬉しいけど、私達も無理強いは出来ないしね。裏組織って言うのは大抵がそんなものだし。これまでの説明にご理解いただければ幸いですって感じかな」
桃子さんはそう言ってこれまでの説明を締め括り、私は大分と温度の逃げてしまった紅茶を一口飲んでからそれに首肯した。
一通りの説明が終わり、大皿の上のドーナツが綺麗に無くなって、話題が私の高校生活についてに移行したところ、程なくして指令室の出入り口が開くと、どやどやといった風に男の子が三人室内に入って来た。
「うぃ、戻りましたよ。モモコさんシヅルさん」
そう言ったのは奧海くん。
入って来た三人、全員が見知った顔ではあったけど、奧海くん以外の二人は顔を知っているだけで名前は分からなかった。それでも、確かに高校の同じ階層で顔を見た事はあった。何故だかは分からないけど、三人が三人とも、高校指定のジャージに身を包み、大きめのタオルで濡れている髪を拭いている。奧海くんは私に気が付くと右手を軽く上げて示し、他の二人は私に気が付くと、『なるほどな』みたいな、やけに納得した様な表情を浮かべた。
「うん、お帰り。シヅルちゃんからそれとなく話は聞いてるから、とりあえず対策だけ練ろうか」
桃子さんはそう言って三人を手招きすると、奧海くん以下二名は私達の囲むテーブルへと歩み寄り、空いている席に適当に腰を下ろした。
「あーあー、安西さんか。うん、確かに確かに、校内で見た事あるわ。偶然かどうかはわっかんねぇけど、同じ高校に、しかも同学年で四人も『特境省』が揃うたぁ稀有なもんだね全く。笑い話にもなんねぇなこりゃあ。くはははっ」
椅子に座るなり笑い話にもならないと言って笑ったのは、髪の毛を短く切り揃えた釣り目の方の男の子。
「不運だったね安西さん。とは言っても、ぼく等からしたら幸運なのかな? 人員不足だし人は散ってるし、今時期から基礎を固めとけば八月から実働出来そうだしね。安西さんにとっては不運かも知れないけど、『特境省』はいつでも受け入れられる体制の筈だよ。ま、それもまずは安西さん次第だけど」
肩を竦めて薄く笑いながらそう言ったのは、ミディアムヘアーのくせっ毛を弄る、気持ちタレ目の男の子。
双方に色々言われたが、如何せん見覚えはあるものの名前が分からない……。少し困ってしまい言葉に詰まっていると、「……あんた達、まずは自己紹介とか出来ないもんなの?」と、桃子さんがそう気を利かせてくれた。
「……えっと、こっちの感じ悪そうな方が日夜和日郎くんね」
桃子さんがそう言うと、髪の毛を短く切り揃えられた釣り目の男の子は、「どうも、感じ悪そうな日夜和日郎です」と申し出る。
「そんで、こっちの一見感じ良さそうに見えて実は腹ん中真っ黒なのが森谷紅介くん」
ヒヤくんに次いで桃子さんがそう紹介すると、「腹ん中真っ黒の森谷紅介です」と、くせっ毛でタレ目の男の子は手の平をヒラヒラと振って私に答えた。
「日々の夜を和ます日郎で日夜和日郎です。多分モモコさんとかに先手打たれてると思うけど、これはちゃんと本名だから。どうぞよろしく」
「そんじゃあぼくは、森の谷を紅く介錯で森谷紅介だね。ぼくの方も本名なんで、どうぞよろしく」
日夜くんと森谷くんはそう言って薄い笑みを浮かべた。
先に本名だと言ってくれるととても有難い。名前を疑わずに済む。新谷くんの方はそれっぽいけど、日夜くんの方はともすれば疑って掛かっていたところだ。
「安西春真です。同じ高校みたいなので、よろしくお願いします。それじゃあ私は、安心の西は春の真っただ中ですね」
言うと、私の言いが可笑しかったのか、志弦さんは薄く笑って、「ふふふっ、良いわね。それ。可愛い感じで似合ってると思うわよ」と、私に返してくれる。照れ臭い気もするけど、自分の名前を褒められるのは悪い気はしない。
日夜和日郎くんと、森谷紅介くん。
二人ともとても人当たりが良さそうな感じだ。自己紹介を済ませただけの簡単な邂逅だけど、笑った感じでそうと取れる。だけどそれと同時に、やっぱり一癖はありそうな感じは手に取れて分かった……。
自己紹介が一区切り付き、この場に居る人全員の顔と名前が分かったところで、「さて、それじゃあ各々の自己紹介も済んだ事だし、今回の対策と検証でもしましょうかね?」と、この場を仕切る様に桃子さんは手の平をパンパンと二度鳴らした。今日初めて『特境省』に来た私がいきなり本格的な検証とか対策とかの話し合いに同席していて良いのかと思っていると、「それについてなんですけど」と、奧海くんが挙手をしてそう発言した。
「ん? なんかある?」
「流石にいきなり安西さんを同席させるのは些か問題な気がします」
言って、奧海くんは私に目を向けると、片眉を一度だけクッと上げる。『何かのサインだろうか?』と思ったが、私はそれを『そう思うだろ?』という解釈で捉えた。事実、私も少し自分の立ち位置を見失っている感がある。今のところ『特境省』に籍を置くか置かないかの狭間で宙ぶらりんの私は、この場でその検証と対策を聞いていて良いものかどうか分からない。
「いきなり色々非日常的な事を流し込まれすぎて安西さんも疲れていると思います。お互いの自己紹介も済んだ事ですし、今日のところは一度解散ってのはどうでしょうか? 検証と対策を話し合ってたら六時を回っちゃうかも知んないですし、完全に暗くなる前には帰したいですし」
奧海くんの言いに桃子さんも「うーん確かにそうねぇ……。」と、納得している風に頷く。
「まぁ確かに、こういう事態は予期してたとしても、流石に今回みたいな件は範疇じゃ無かったわねぇ……。まぁ、そうね。今日のところは一度解散しましょう。とは言っても、今日の内にまたさっきの奴が出たら連絡するからね? そしたら、きみ等三人、明日の放課後にもっかいこっちに来なさい。検証と対策は明日に持ち越しましょう。そんで、ハルマちゃんにも少なくとももう一回来て欲しいんだけど、お時間いつが空いてるかしら? 部活動とか入ってたりする?」
「あ、いえ。部活は入って無いです。私も明日来れます。放課後で良いんですよね?」
「うん、助かるわ。明日は放課後で良いからね。あと、今日の分の午後からの欠席は『特境省』で公欠扱いにしてあるから心配はいらないわ。『特境省』の仕事をしながら皆勤賞だって取れるのよ。一応ね」
……何処でどういう圧が掛かった結果として『特境省』で公欠扱いに出来るのか分からないけど、取り敢えず私は「有難うございます」と言っておいた。……凄いな『特境省』。
「うーん、今のところアメタマの反応も無いし、雨も降って無い。と。帰るなら今の内ね。サジさんに藤子病院まではヘリ飛ばしてもらうから。気を付けて帰りなさい。あと、男の子三人はハルマちゃんをちゃんとお家まで送ってあげる事。良いわね?」
「うぃ」
「あいさー」
「分かりました」
三者三様で適当な返事が発せられる。
今日のところはこれで帰宅出来る様だ。
大いに疲れたし、未知の事柄に触れ過ぎた。今日は帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、ゆっくり寝よう。
奧海くんと日夜くんと森谷くんは一度指令室を出て、制服に着替え直してから再登場した。その様子がお色直しみたいで少しだけ面白かった。
「それじゃあ、また明日ね」
「ばいばいハルマちゃん。また明日」
屋上で見送ってくれた桃子さんと志弦さんに手を振り返し、私達四人はサジさんの操縦するヘリコプターで帰路に発った。
今日突然連れて来られたこの場所『特境省』。明日もまた『特境省』に行くと思ったら大変だとは思う。だけど不思議な事に、億劫だとか、嫌だなぁとか、面倒臭いとか、そういう否定的な考えは、一切持たなかった。




