依頼(下)
依頼(下)
わからない。どうしてこうなったのか。俺には、何もわからなかった。
確かに、俺は記憶を失った。しかし、それはたった数日間分の記憶であり、リーキッドファミリー救出作戦(とウィリアムは言っていた)の期間の話だ。
だからそもそも、身の回りの出来事にそこまで劇的な変化はないと、俺はたかをくくっていた。
「あ、それじゃあこっちの荷物はお部屋の方ですね。食器類は……厨房に置きますか?」
「うん、そうね。お願いしちゃおうかしら」
何も聞いてないぞ。内心抗議の声を上げるが、しかし他のみんなは当たり前のように彼女の荷物を運び込む。
まるであらかじめ決めていたことのように、実にスムーズに役割分担して、雑談しながら、笑いあいながら運び込む。こいつらこんなに仲良かったっけ……?
「セシール姉ちゃん、こっちのは?」
「あ、それは私が運ぶわウィリアム。……下着とか入ってるから開けちゃだめよ?」
「あ、開けねえよ!」
「うるさいわよウィル。鼻の下伸ばしてないでさっさと運びなさい」
「伸ばしてねえよ!? っていうかウル! お前はいちいち絡んでくるんじゃねえよ!」
……何が何だかわからない……。なんでセシールが来たんだ。
「? ソルさん、どうしたんですか、ぼうっとして?」
「ああ、レリィ……なあ、ちょっと聞いていいか?」
「? はい、なんでしょう」
「……なんでセシールがここに引っ越してきたんだ?」
朝起きて、軽めにウィリアムと体力錬成して、朝飯を食って歯を磨いて風呂入って上がったら、当り前のようにこの光景が広がっていたのだ。
「え? ソルさん何言って……あ」
言葉の途中で、レリィがしまったと顔を曇らせ、口元を抑える。
「私、言ってなかったですね……」
「……うん。聞いてない」
「ごめんなさいソルさん、実はですね……」
ソルさんが、セシールさんを家に誘ったんですよ、と彼女は言った。その言葉に俺は動揺する。
「み、身に覚えがないんだけど……」
「それは、まあ……記憶を失った期間の出来事ですから」
そういうと、彼女は少し申し訳なさそうに笑う。
「まあでも、昔も一緒に住んでたそうじゃないですか。何の問題もないんじゃないですか?」
「いや、でも……男性が女性に対して一緒に暮らすように誘うのって、この国では婚約と同義みたいなもんなんだぞ?」
「……だからちょっと不満なんですよ私は」
レリィはジトッとした視線を俺に送ると、前髪を少しだけかき分ける。
「まあでも、誘った時はソルさん、そういう意図はなかったみたいですよ? むしろセシールさんだけが慌ててましたけど」
「……いきなりそんなこと言われたら慌てるよな。にしても、その日の俺は何を考えてやがったんだ?」
「……私が訊きたいですけどね」
レリィはそっけなくそう言い放つと、すたすたとセシールの方へ歩き出す。俺は未だに茫然としながらその姿を見送った。
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何事もなく引っ越し作業は終わり、時刻は昼前といったところか。
今日は俺が当番だったから昼食を作っていたのだが、セシールが厨房に現れる。
「やほ、ソル。体の調子はどう?」
「まあまあかな。全快ではないけど、戦えるレベルには回復してる」
「全快じゃないなら休んでなさいよ。すーぐ見え張って無理するんだから」
そう言いながら俺の持ってる野菜と包丁を奪い取り、勝手に調理しようとするセシール。俺は顔をしかめながら、彼女を見下ろす。
「……セシール、包丁使ってる時にそんなことしたら危ないだろ」
「大丈夫よ。アンタの動きはすでに見切っているわ」
「何者なんだよお前は」
「ハーフエルフよん?」
ふふっと笑いながら、サラダ用に用意していた野菜をどんどん刻んでいく。その動きには無駄がないように見えた。
「……腕上げた?」
「まあねー。一人暮らしで結構自分で作ってたし。味も自信あるわよ?」
「……じゃあ、お手並み拝見といこうかな」
「ふふん、見てなさい」
なんだか、昔を思い出す。
俺を闇から引きずりあげてくれた後、こんな風に一緒に料理したり、仕事探したり、何もなくとも散歩したりしたものだ。
俺がジャンからもらった暗殺の仕事をこなす一方で、セシールは服屋を始めた。
最初こそあまり知名度がなかったから売れ行きは良くなかったものの、そのうち徐々に人々の評判を勝ち取り、生活を安定させるほどにまでなっていた。
それ以来、生活サイクルが変わってからは一緒に住むことは少なくなったので、俺とセシールはそれぞれ引っ越した。その時には、俺はすでにガルドと行動を共にしていたから少し広いボロ家を、セシールは一人で住むだけなら十分な家を。それぞれ借りたわけだ。
個人的には、俺の殺しの依頼にセシールを巻き込みたくないという思いがあったからこその別居という選択だったわけだが。
レリィとの約束で、もう人を殺さないと心に決めた今は、その心配は不要になった。だから、同居しても問題ないだろうという俺の提案だったんだ……と思う。
ほかにも色々あったかもしれないけど。
「なんか、……不思議な感じだな」
「そうねー。こうやって並んで料理するのは随分久しぶりよね」
「あのころは、お互いにそんなにうまい飯作れなかったのにな」
「ふふん。私も成長するのよ?」
「ああ、俺もな。今も成長中だ」
「ふふふ」
セシールは嬉しそうに笑うと、今度はオニオンスープを作る準備を始める。
「でも誘っといてなんだけど、こっちに移ってきて良かったのか? 店とか、せっかく繁盛してたのに」
「何よ、私がこっちに来るのが不満?」
「そうは言ってねえだろ?」
「うん、知ってる。お店は大丈夫よ。一応お得意先のお客さんには引っ越すってことと、そのうちまたお店始めるってことは説明してるから」
それでちょっと時間かかってたのよねー、とセシールはつぶやく。
「それから、私もこれから手伝うから」
「……何を?」
「奴隷解放。資金貯めるためとはいえ、ちょっと今まで頼りすぎてたとこあるから」
セシールはそういうと、俺の方を振り向く。
「それに、ジャンとも相談してね。いい考えがあるのよ」
「いい考え?」
「うん。今日くらいに、アイツここに来るらしいからさ。その時に話すわ」
「そっか。……ありがとな」
それっきり、特にお互いは言葉を発しなかった。
気まずい感覚は特になかった。ただ、そこにお互いがいるだけ。ただそれだけ。
何かの本で読んだけど、確か沈黙が苦じゃない相手とは良好な人間関係が築けるとか何とか。そんなのを読んだ気がする。
その本の書いていることが本当なら、ちょっぴり嬉しいと感じる。セシールとは、仲良くしていたい。俺の数少ない親友で、恩人だから。
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何事もなく食事を終え、各自が特訓やら家事やらで時間をつぶす。俺は自分の装備の点検をしながら、適当に過ごしていた。
「んー……」
今は投擲用のナイフの本数や性能をどうしようかと考えていたところだ。
現在使用している投擲ナイフは、折り畳み式にしている。片手でも取り出し、組立ができるようにバネを使っているのだが、それだと斬撃には向かない。刺突攻撃には十分な性能を発揮してくれるのだが、切りつけるような使い方だと、バネが弱くてほとんど使い物にならなくなる。かといってバネを強くし過ぎると今度はおさまりが悪くなって、すばやい取り回しができなくなる。扱う俺自身も操作を間違って怪我をする危険も増す。
現状コンパクトに収まっているし、携行しやすいから好んで使っているものの、投げる専用というのであれば別にコレでなくても構わないわけで。
かといって武器屋等で売っているものだと、頑丈に作られている分かさばる。結果、本数を少なくしなければベルトに収まらない。
「現状二十本、だけど一般のナイフだと多くて八本ってとこか……」
刺突攻撃でも、急所に当たればそれで仕留めることができるし、仮に仕留めきれなかったとしても無力化くらいはできるかもしれない。隙を作るのにも役に立つ。が、攻撃性は通常のナイフに比べて遥かに劣る。
どうしたものかと思案するも、自作のナイフも市販のナイフも一長一短、と言うべきか。
「たくさん携行できて、その上頑丈で、軽量なナイフ……」
ないな、とつぶやいて俺はひとまず現状の装備のままにすることにした。
装備をすべて点検、壊れた自作ナイフは修復し、できないものは破棄、新たに製作・補充を行う。メイン装備の腰のダガーは刃こぼれしていないか確認し、軽く研いで手入れする。
それが一通り終わると、俺は最近始めた内職に取り掛かる。人形制作、という、少し変わった仕事だ。
机の上に使えなくなった紙を敷き、その上で木材をナイフで削っていく。いま注文を受けているのは、鳥の木像だ。
鳥獣図鑑を机の片隅に置きながら、木を黙々と削り出す。こういう細かい作業は、割と好きだったりする。
しばし削り出しに夢中になり、その小鳥の数が十五に差し掛かった頃、部屋の戸を叩く音が部屋に響く。
「ソルさん、いますか?」
「レリィか。どうした?」
「ジャンさんが来てますけど……」
「ジャンが?」
そういえば、料理中にセシールが今後のことでジャンから話があるとか言っていたかも。
そんなことを思いだし、俺はドアを開ける。
「ジャンは今どこに?」
「え、と、なぜか食堂に……」
「……今行くよ」
俺はそれだけ言うと、机の上の物を、敷いていた紙でまとめて包み、部屋の隅に追いやる。
ナイフベルトを着け、黒の外套を纏うと俺は食堂へと足を進める。
「おっすソル。調子はどうだ?」
「まあまあだよ」
「そいつは良かった。そうそう、お前に依頼が来てるぜ」
「……依頼?」
食堂に入るなり、ジャンがそう言い放ったことに俺は首を傾げる。
「……仕事の紹介じゃなくて?」
「ああ、依頼だ。お前宛のな」
そう言ってジャンは話を切り出そうとするが、夕食の支度をしていたセシールが厨房から顔を出す。
……本当は今日俺が料理当番だったのだが、セシールが安静にしてろというので変わってもらっていたのだ。
「ちょっとジャン。依頼っていきなり言っても分かんないでしょ」
「ん?……ああ、そういえばその話してなかったな」
「そうよ。それに、全員集めて話した方がいいんじゃないの?」
「? お前ら、何の話をしてるんだ?」
その話と言われてもピンと来ない。
「まあ、それも含めて話す。……ひとまず先に言っておこう」
ジャンはそういうと、勝手に机の上に置かれていたクッキーを頬張る。
「依頼は死神からだ。とあるものを取り戻してくれ、だとよ」
その言葉に、俺は一瞬言葉を詰まらせる。
死神……ヴァンデルト・アーベル。
俺の恩人で、育ての親で、師匠でもある、問題児のおっさん。
また無理難題や、碌でもないことに違いないと考え、俺は大きなため息を一つついた。