少年剣士 二
少年剣士 二
あの子供との出会いから数日。すっかり彼のことなど忘れて、俺とセシールは人通りの少ない裏路地をひたすら歩いていた。
「さーて、こんな人通りの少ないところで何されちゃうのかしら私」
「あのさ、ホントはわかってんだろ?」
「当り前よ。言ってみたかっただけー」
そういうとセシールは栗色のフードを取り、短めに切りそろえた髪をふわりと掻き上げる。常人よりも長く尖った耳が一瞬覗く。それこそ、彼女が俺たちとは違う人種である証。そして、彼女がハーフエルフである証だ。
「人混みが怖いから、でしょ? ったく、ジョルジュの酒場に行くなら大通り通って行った方が早いっていうのに」
「わかってんなら言うなよ。俺だってこの体質何とかしたいんだよ、恥ずかしい……」
「はいはい、みんなが怖いからレリィちゃんに手をつないでもらってなきゃ歩けないんだもんねー、ソル君は」
「……バカにしてるだろお前」
笑顔でえげつない悪口を吐くセシールに、俺は肩を落としながらひたすら酒場を目指す。
セシールの言う通り、俺はまだ人混みを一人で歩くことはできない。一般人が怖いから。というのも、奴隷時代にいろんな人に暴行されたっていうのが理由だったりする。すべての人がそうだったというわけではない。頭では分かっている。でも、あの時のことを忘れることはできない。
あの目を。
忘れられない。
「ま、そうは言っても心配はしてんのよ? いくらなんでも、人混みに出ただけで顔色真っ青、手の震えは止まらない、思考もうまくまとまらなくなるなんて。一種の病気か、呪いとしか思えないわ。……ソル?」
振り向いたセシールが俺の異変に気付き、俺の手を握る。震える右手が、少しずつ落ち着いていき、何とか呼吸の仕方を思い出す。
「ご、ごめん……ちょっと、思い出して……」
「……今のは私が悪かったわ。ごめん」
そういって、セシールは俺の手を引いてゆっくりと目的地に向かっていく。いくらか落ち着いて、ようやく歩幅がセシールと同じくらいになる。
「……ありがとう、落ち着いた」
「そ」
短く返事をして、セシールのぬくもりが手から離れる。
「……厄介な、体質よね。……体質、っていうよりも心の傷、って言った方がいいかしら」
「……ごめんな、迷惑かけて」
「謝んなくていいわよ、あんたは悪くないから。それに、迷惑っていうなら、私よりもレリィちゃんに言ってあげた方がいいんじゃないかしら?」
「……そう、だな」
「真に受けないの。……レリィちゃんだって、アンタのこと迷惑だなんて思っちゃいないわよ、ばかちん。」
そうは言ってくれているが、それでも俺はいつかちゃんと謝罪と、お礼をしないといけないと思う。
セシールはもちろん、レリィにも。彼女達に、俺の心はどれだけ救われているか。とても感謝してもしきれるものじゃない。
恩返しをするのなら、少なくとも俺が生きている間は、そばにいる人たちを少しでも笑顔にしてあげたいと思う。
「ほら、そろそろ酒場が見えてきたわよ……あら?」
「? どうかしたの、セシール?」
「……あれジョルジュよね? なんか、子供と言い争ってない?」
「は?」
前方を見れば、強面の中年と、見覚えのある冒険者風の少年が何かを言い合っているようだ。
大きな声で何かを主張する、短い茶髪の少年に対し、ジョルジュが説明するように何かをいい、それに対してまた少年が声を張り上げているみたいだった。
「……あの子、酒場に入りたいみたいね。子供のくせに」
「ここから会話が聞こえるのか?」
「ま、ハーフエルフだし。このくらいは余裕よ」
そういいながら、セシールは二人のところまで歩き出すので、俺もそのあとに続く。
「だからさ、何度も言ってるじゃんか! おいらはただ、情報を集めたいだけだって!」
「仮にそうだとしても、未成年者を店に入れるなんて普通はしねえ。それに、お前さん見たところ冒険者だろう? そういうのは、冒険者ギルドにでも行ってくれ。ここは子供の来るところじゃないんだ」
「だーかーらー! 酒は飲まないし、話を聞くだけだって行ってるだろ!?」
「どこで何を聞いたか知らんが、情報を聞きたいだけで店に入れろなんざ通らねえよ。そもそもそんなのうちの客にすらならねえんだからな。わかったら、とっとと他を……」
そう言いかけて、ジョルジュは俺たちの存在に気付いたようで、こちらに視線を向ける。
「おお、セシール。ソルも一緒か。助けてくれよ、このガキがしつこくてな……」
「ガキガキっていうな! おいらはもう一端の冒険者だ!」
そう叫ぶのは、先日会った少年剣士。名前は確か……。
「ウィリアム、だったか? 何やってるんだここで?」
「? あ! あんたこの前の!」
ウィリアムが、敵意むき出しで俺を睨み付ける。
「なんだ、知り合いか?」
「まあ、そんなとこ。訳あって嫌われてるけどね」
ジョルジュの疑問に適当に答えて、俺はセシールとともに店の中に入ろうとする。
「おい、待ってくれ! 俺も中に入れてくれよ!」
「だめだって言ってるだろ!」
「んだよ、放せってば!」
そんな声を聴きながら、俺たちはそれを無視して店内に入り、扉を閉める。
「珍しいわね、あんただったらあの子も入れてあげたいとか言い出すと思ってたのに」
セシールがそう言いながら俺の方を見て笑う。
「いや、ちょっとね。あの子、俺のこと嫌いみたいだし。俺もあの子、そんなに好感持てないし」
「……やっぱり、珍しいわね。アンタが他人を嫌うなんて」
驚いて目を大きくするセシール。表情がコロコロ変わって忙しい奴だな、なんて思う。
「……俺だって、好き嫌いくらいはあるよ。せめて、あの子が謝ってくれるなら許そうかとも思ってたんだけどさ」
「ふーん。なんかあったんだ、やっぱり。ま、私は逆に安心したかな?」
「なんでだよ?」
文句を垂れる俺に、セシールが顔を近づけてこう言う。
「いやね、嫌いなものがあるってことは、周りや自分を大切にしているってことだと私は思うのよ。だってそうでしょ? 自分が傷つきたくないとかこういうことしたくないとか、他人を守りたいとかそんなことしてほしくない、とか。理由は様々だけど、そういうのがあるから何かを嫌いになったりするんじゃないかな、と」
セシールの言わんとしていることが、イマイチ伝わってこなくて、俺は首をかしげる。じれったそうにセシールは頭を掻く。
「んーと、だからね? 最近のアンタ、なんでもかんでも許しすぎっていうか、寛容すぎっていうか……自分のことなのに無頓着というか……そういうの、ちょっと心配だったのよ」
そうは言われても、心当たりもないしなあ。俺は腕を組んでセシールを眺めることしかできない。
「ほら、ケルヴィンに報復もしないでそのまま兵士に突き出しちゃったりとか、ウルに殺されかけたのに今は一緒に住んでるとか。そういうのが、心配だったわけよ」
「んー。そうでもないと思うけどな……割と言いたいことは言ってるつもりだし、自分が許せなかったら納得できるまで許すつもりもないし……考えすぎじゃないのか? 心配してくれるのは素直にうれしいけど」
「……ん、まあそうね。どうもあの子供のことは嫌いみたいだし。そういうの見られて安心したわ」
「考えすぎじゃないかなぁ」
そんなことを言って、俺たちはようやく店内のカウンター席を目指して歩き出す。視線の先では、すでにジャンが酒瓶からグラスに中身を注いでおり、一人でちびちびと飲んでいるところだった。
「よ、ジャン。この前はありがとな。引っ越し手伝ってくれて」
「おお、ソル。セシールも来たか。まったく、遅いぞお前ら」
「おいすージャン。いやいや、ちょっとソルに路地裏に連れていかれちゃってね」
「おい、事実だけど言い方ってもんがあるだろう」
一連の会話に、ジャンがくくくっと笑う。
「まあ、冗談は置いといて……このメンバーで集まるのも久しぶりね」
「ああ、まあな。ちょっと提案したいことがあってな」
「提案?」
そう尋ねるが、ジャンは肩をすくめてはぐらかすだけだ。
「ああ。まあ、ジョルジュが来たら話すさ。……で、あいつはまだガキに手こずってるのか?」
「ああ、なんかまだ粘ってたな」
「ふーん。酒場に、しかもこんなちんけな酒場の情報屋に、一体なんの用事なんだろうな?」
ジャンはそういって、グラスの中の、明らかに粘度が高すぎる、そのどろりとした琥珀色の酒を飲みほす。
「うげえ、あんたそれ気持ち悪いわよ」
「バーカ、蜂蜜90パーセント入り蜂蜜酒なめんなよ。めちゃめちゃ美味いんだぞ?」
「ほぼ蜂蜜じゃないのよ。甘すぎて胸焼けしない?」
「いやいや、そこはかとなく酒が効いていて、意外とあっさりと飲めるんだなこれが」
「ホントなの? ……んー、私も飲んでみようかしら」
すこしセシールが乗り気になってる。いやいや、どう考えてもアレはやりすぎだし、体に悪いだろう。あんなもの飲んだら、明日までまともに動けなくなるぞ……。
「……なあ、セシール。悪いことは言わないからやめとけよ。せめて、まともな酒をいくらか飲んでからにした方がいい」
ジャンに誘われるまま蜂蜜酒という名の蜂蜜を飲もうとしていたセシールに、俺は待ったをかける。というのも、昔これをジャンに飲まされたことがあり、しばらく味覚が戻らなかったからだ。
そんな俺の提案も聞き入れられず、酒を飲んだセシールがぎゃあぎゃあ喚きだした時だった。
「すまん、待たせた」
「いだだだだ、殴んなセシール……おお、ジョルジュ。ちょうどよかった! 助けてくれよ、セシールが暴れてて!」
「お前が妙なもん飲ますからだろ?」
そういって、ジョルジュは笑いながらカウンターの向こう側に移動する。その笑顔が、どこかくたびれているような気がするが……。
「でよ、揃ったことだし本題に入って……」
「いや、今日はその話はなしだ」
「はあ? なんでだよ! ていうか、そもそもジョルジュ! あんたが言い出したことだろうが!」
「……お客が来ちまったからな」
そういって、ジョルジュは俺たちに後ろを見るように促す。俺は振り向いて後ろを向くと、そこには先ほどの少年がいた。えらくむすっとしていて、ふんぞり返っている。
「……なんでこの子が?」
小声でジョルジュに尋ねるが、彼はいかつい眉毛を下げて、困ったような顔で俺に話す。
「結局、説得できなかったんだよ。このまま居座るぞ、とか、あることないこと言いふらすぞ、とかよ」
「……真に受けたのか?」
「まさか。噂話なんぞ回されたって、それは嘘だって俺が言えば、そんなもの何とでもなる。ただ、それがめんどくさくてな。情報に高値をつけて、追い払っちまった方が早えと思ったんだよ……」
なるほど。確かにそっちの方が楽だろうな。納得して、俺は度数の低いアルコールをジョルジュに注文する。すぐにグラスに氷が入れられ、酒瓶ごと俺に寄越す。
注いでくれないことに一言文句を言いながら、自分で酒を注ぐ。
「あんたたち情報屋に、聞きたいことがあるんだ。金は持ってる。話を聞いてくれないか?」
少年がそんなことを言い出して、ジャンとジョルジュは話を聞く体制に入る。と言っても、ちょっと少年の方に身を乗り出してるだけで、二人は追い返すつもりのようだけど。
「あんたたち、竜教団について知ってることはないか?」
「……竜教団?」
「そうだ、ここ十年くらいで結成された、怪しげな宗教団体だ。なんでもいい、知ってることを教えてくれれば……」
「知らねえな」
ウィリアムの言葉を遮りながら、ジャンがぴしゃりと言い放つ。
「そんなわけないだろ! ほかの情報屋に聞いたら、その手の話はここの酒場で聞けって言われたんだ! 知らないわけあるかよ!」
「……おい、坊主。お前今いくら持ってる?」
ジャンがそう問いかけると、少年は腰のベルトから金貨袋を取り出して、それをジャンの目の前の机にたたきつけるように置く。
「百二十ゴールドと、七十シルバーだ」
「お話にならねえな」
ジャンはそれだけ言うと、金貨袋を少年の胸元に押し返す。驚いたような顔をした少年だったが、すぐにその顔は憤怒に塗り替えられる。
「なんでだよ! これだけの大金だぞ!」
「舐めんなガキが。それっぽっちで話せるような情報じゃねえ。何をしようとしてるのかは知らねえし、んなこたあどうでもいいが、他所を当たれ。それがダメなら自分で探しな」
「この野郎!」
少年は抜剣すると、それを構える。それに対して、ジャンは一切動じない。酒場内には、一気に不穏な空気が立ち込めて、あたりで酒を飲んでいた客は怪訝そうな顔をしている者、さっさと帰る者、逆に煽り立ててくる者。ウィリアムはそれらを一切無視してジャンに脅しをかける。
「最後の警告だぜ、情報屋。奴らの情報を吐いてもらおうか」
「脅しのつもりか? 悪いがそんなことで口を割るようじゃ情報屋なんざ勤まってないんでね。ガキの浅知恵で早まったことをするもんじゃねえよ」
「言わせておけば!」
少年は剣を振り上げると、それをジャンに向かって振り下ろす。それに対してセシールが手のひらをウィリアムに向けるが、それよりも速く俺の方が動いた。
袖口からの折り畳み式の隠しナイフ、それをすばやく組立て、ウィリアムの正面に飛び込んで彼の首筋にあてがう。
「は……」
「いい加減にしろ、ウィリアム」
俺はできるだけ声に怒気を孕まないように気を付けながら、息を呑むウィリアムに語り掛ける。
「世の中にはルールがある。金が足りないならどうにか工面して出直すか、別の手段を考えればいい。それもしないで駄々をこねるだけなら、小さい子供でもできる。お前はただの子供だ。自分のわがままを無理やり押し通そうとする、な。……そういうやつは嫌いだ」
「てめえ、言わせておけば……」
ウィリアムが飛びかかってきそうな勢いだったので、俺は首に押し当てているナイフをほんの少し横に動かす。
「っつ!」
「……頭の悪い子供も嫌いだ。状況をちゃんと見ろ。お前は今身動きをすれば死ぬ。それどころか、俺の気分次第でいつでも死ぬ。この状況でお前がとるべき行動は、一か八かの攻撃じゃない。さっさと武器を収めて命乞いをするか、変な意地を張ってここで死ぬかだ」
俺はそういって、ウィリアムの傷口にさらにナイフを強く押し当てる。一瞬痛みに表情を歪める少年だったが、彼はそのまま武器を収める。
だが。
「……んなよ……」
「?」
「おいらを、見くびんなよ!」
その刹那、ウィリアムは首のナイフを顧みず、自ら飛び込んでくる。そして同時に、一度鞘に納めた剣を、高速で抜き放ち、目にもとまらぬ速さで横一文字に薙ぎ払う。
(抜剣術!?)
飛び込んできたことで、彼を誤って殺してしまう危険があると思った俺は、左手のナイフをひっこめる。それと同時に、腰に差していた鋼鉄製の短剣を右手で抜き、ウィリアムの剣閃を受け止める。子供の体から発せられたものとは思えないような衝撃が右手を駆け抜け、同時に少年は飛びのいて距離を放す。
「……あんた、何もんだ?」
「……ただの子供だと思ってたけど……どうも面倒くさくなりそうだな……」




