奴隷少女 十三
十三
一瞬だった。
しまった。
そう思った時にはもう何もかも遅かった。
見えない風の刃は、呆気なく彼女の元に届き、その綺麗な黒髪を揺らす。そして。
「キャアアアアーーー!!!」
少女の、激痛を訴える悲鳴が室内に轟く。
両手で顔面を多い、床に倒れる少女。
俺はその場に武器を投げ捨て、彼女の元へ走った。
「レリィッ!!!」
「ううぅぅ……」
彼女は小さくうずくまっているだけで、こちらの呼びかけには答えてくれない。よほど激痛なのだろう。何とか手当をしないと。ああ、でも薬は少ししか持ってきてない。足りるだろうか。いや、これだけ広い倉庫だ。探せばもしかしたらたくさん出てくるかもしれない。でもまずは、少しでも彼女の苦痛を和らげないと!
「傷を見せろ、レリィ。」
俺がそういうと、レリィは痛がりながらも何とか手をどけて傷を見せてくれる。
額から右頬にかけて、切り傷が付けられていた。それ自体は大して深い傷ではない。
しかし、問題は、その傷が瞼も傷つけていたことだ。下手をしたら、最悪眼球に傷がついているかもしれない。そうなれば、失明する可能性もある。
俺のせいだ。
俺があの時、躊躇わずにケルヴィンを殺していれば。
自分の内に湧き上がる罪悪感と吐き気がするほどの殺意を押し込め、レリィの治療を優先する。といってもできることは少ない。
自然治癒力をわずかに高める霊薬と、傷薬くらいしかない。後は綺麗な布で押さえておくくらいしか。とにかく、まずは霊薬を……。
「旦那ァッ! 後ろだっ!」
掠れたガルドの声が聞こえたと同時、俺の背中に鈍い痛みが駆け抜ける。
「クハハハ! よそ見しちゃあダメだろ!? 兄さん!」
ケルヴィンが、ここまで歩いてきて、俺の背中を斬りつけたらしい。
「ふはは! ほら、兄さん! そんなガキは放っておいて! もう一度やるよ! 仕切り直しだ!」
そう言いながら、再び距離を取ろうとするケルヴィンだが、途中で足を止める。
「……兄さん? 無視しないでよ。ほら、やるよ兄さん。」
今はそれどころではない。背中が斬られようが、刺されようが、どうでもいい。
レリィの治療が最優先だ。
薬瓶の蓋を開けて、彼女に飲むように促す。その間に、俺は傷薬をきれいな布に塗布する。綺麗な布を瞼の上にかぶせて、傷薬が目に入らないようにし、その上から先ほど塗布した薬を貼りつけ、包帯で巻いていく。。
「無視すんなよおおお!!!」
再びッケルヴィンが叫び、斬りかかってくるが、俺はそれを素早く振り返り、、素手で刃を受け流す。
「は……?」
一瞬何が起こったか理解できなかったのか、ケルヴィンは間抜けな声を上げる。
「……そんなに死にたいなら今から殺してやる!」
もう、俺はこいつを許すことができなかった。
半年前、奴隷だったケルヴィンを解放し、家族として一緒に生活するようになって。
いろんなことを教えようとしても、殺しの技術意外に全く興味の示さないこいつを、それでも俺は、いつかきっとわかってくれると思って、今まで手を尽くしてきた。
でももう無理だ。我慢できない。
こいつは、ガルドを半殺しにし、レリィまで傷つけた。その上、家族に戻る気もない。
それどころか、俺の家族をくだらないとまで言いやがった。
許さねえ。
ケルヴィンに頭突きをかます。奴の前歯が吹き飛ぶ。俺の額から血が流れる。それを無視して、鼻目掛けて拳をたたきつける。
ケルヴィンの鼻が砕ける。蹲りながら、四つん這いで出口に向かおうとしている。
逃がさねえ。
背中を踏みつける。何度も何度も踏みつけ、みぞおちにつま先をめり込ませる。動きが止まる。俺は跨って、再び顔面を殴打する。腕で顔面を守られる。無視する。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。
「ソルさん!」
気が付けば、俺の背中に、レリィがしがみついていた。
ケルヴィンは、俺の下で虫けらのようにぼろぼろになって、わずかに息をしていただけだった。
「それ以上やったら、死んじゃいます! 家族なんでしょう!? まだ、やり直せるんでしょう!? こんなの、……ダメです……!」
レリィは泣きながら俺の背中に顔を埋める。俺は振り上げていた手を下げる。
そうだ。
こいつは、俺が救う。そんなことを思って。
かつて俺がそうやって救ってもらったように、こいつを救ってやろうと思って。
そんな厚かましくもおこがましい、驕った優しさで、俺はこいつを買ったんだ。
そして今、自分でどうにもならないと決めつけるや否や、俺はこいつを殺そうとした。
他の奴隷商達と、今の俺。
一体何が違うって言うんだ?
……何も変わらない。
そういう奴等から、ケルヴィンを。
奴隷たちを守ろうと思って。
俺みたいなやつを一人でも減らそうと思って。
なのに。
今俺がやってることは……。
「……ごめん。」
俺は謝った。
誰にだろう。ケルヴィンに? レリィに? それとも自分自身に?
ごめんなさい。もう一度謝り、彼女と向き合う。
俺はレリィを抱きしめる。むしろ、すがりつく。
泣きながら何かに赦しを乞うように、ただ、謝り続けた。