1 婚約破棄
全26話で、1話目は8/16の18:00に、
8/17からは、8:00と18:00の1日2話づつで更新してゆきます。
変更がなければ、最終日8/28は3話更新の予定です。
よろしければどうぞお付き合いください。
三階まで吹き抜けの高い天井から下がった無数の硝子飾りが、光を反射してチラチラと輝いている。
一階の広いエントランスホールから二階フロアへ続く豪華な大階段にも雪の結晶を精密に模った飾りが取り付けられていた。
王都の名門アリュースリンク学園で冬期休暇前に毎年行われる、粉雪祭でのダンスパーティ会場の飾りつけだ。
そこに並ぶ大勢の生徒たちはみな制服姿だった。
本番を一週間後に控え、今日はそのダンスパーティの流れについて、全生徒での最後の総練習なのだ。
物の配置や飾りつけで時間がかかり、下校時間は少々過ぎていた。
二階フロア、大階段の上に一人の女子生徒が立った。
豊かな銀の髪を丁寧に結い上げた、氷のように美しい公爵令嬢エメリエラ・ノルテカッタだった。
「会の流れは今やっていただいた通りになります。あとは、本番に備えて各自ご用意ください。閉門時間までには学園を出るように……」
生徒会副会長の彼女は穏やかでありながら良く通る声で、階下の全生徒に向けて言った。
生徒会や関係委員以外の生徒は、今日はこれで解散となる予定であった。何事もなければ。
と、彼女の声しか聞こえないホールに無遠慮に扉が開く音が響き、会場の視線は一斉にそちらへ向けられた。
三年の侯爵令息モイゼス・モンタンドとその取り巻き達だった。
多くの視線を集めて取り巻き達は少々怯んだ表情になったが、先頭にいるモイゼスは不機嫌そうな顔つきで口元だけを無理矢理笑ませている。
金色の細かなウェーブヘア。澄んだような青い目。端正な顔立ちで長身。
条件だけなら絵にかいたような貴公子であるのに、今日は顔色が悪く、その不貞腐れた表情のために少し品性が欠けて見えた。
「何の用かなエメリエラ。私は君の代わりにうけている罰則で、本来なら今日までこのフロアに入れない事になっているのだよ」
ホールを満たす生徒達へ目をやりながら、モイゼスはわざとらしい程穏やかな口調で言った。
「まだ総練も終わっていないんじゃないのか?順序だてて物事を進められないならわざわざ呼び出してはいけないね。皆に迷惑がかかるだろう」
普段から何かと理由をつけてエメリエラに生徒会の仕事の多くを任せてきた生徒会長は、首を振り苦笑いで階下から彼女を見上げた。
エメリエラはその彼の顔をみて、ふんわりと微笑み返した。
表情を殆ど表に出さない完璧令嬢と言われるエメリエラの、その微笑みに会場中が小さくざわめいた。
「わたくし達、確信していましたの。今朝お知らせした急な呼び出しでも貴方がたがここへ来ることに」
彼女は顔を上げ、全生徒に伝えた。
「みなさま申し訳ありません。あと少々、これから始まる茶番にお付き合いくださいませ」
そしてある名前を呼ぶ。
「ピオニア・バンガッセ男爵令嬢」
二階フロアの端に控えていたピオニアの心臓が、ドッと一つ大きく鳴った。
「大丈夫」
隣に立っているエメリエラの従弟、サリムが彼女にそっと言う。
頷き、ピオニアは前に足を踏み出した。
呼ばれてエメリエラの隣に立ったのは、男子生徒……の制服をまとった少女だった。
数日前まで腰に届くほど長かったピンクブロンドの髪は、今は少年のように短い。
愛嬌ある目尻をした琥珀色の瞳より皆の視線を集めるのは、ぶたれて紫に腫れあがった片頬の痛々しさ。
彼女に続き数人の女生徒達が進み出てきてピオニアとエメリエラの後ろに立つ。
エメリエラは隣に立ったピオニアの、緊張した背中にそっと手を当てた。
そして翠青の瞳を鋭く細めてまた階下の令息達を見下ろし宣言した。
「モイゼス・モンタンド公爵令息、並びにそのご学友の皆様方。わたくし達は、今この時をもって婚約を破棄いたします」
二人の後ろに立つ女子生徒達は皆、モイゼスの取り巻きの婚約者達だ。
ホール中がどよめいた。
物語のように始まったことの始まりは、また物語のようなエンディングを迎えようとしている。
いや、これが始まりなのか。
口々に囁きあう生徒達は不安と好奇心に満ちた目で交互に二つの陣営を見る。
その中でも視線はピオニアへ向かうものが多い。
「――何を言っているんだ?」
モイゼスは突然突きつけられた言葉に眉を震わせた。
エメリエラはいつもの涼し気な微笑に戻り、繰り返した。
「婚約を破棄すると申し上げました。私の声が聞き取りずらかったら近くの生徒に教えてもらってくださいませ。ほかの皆様のお耳にはちゃんと聞こえていますわ」
「何のつもりか知らないが……はは、君達に婚約を破棄する権利などあるわけがないだろう。流行の物語ばかり読んで勘違いしてしまったのかな?全く困ったお姫様たちだ。まあそれでも一応君たちの我儘……ああいや失礼、理由を聞かせてもらおうかな」
動揺を飲み込みながら肩をすくめ両腕を大きく広げて、モイゼスはこのフロアにいる生徒達の総意のように言い放った。
「何のつもり……。そうですわね、年に一度の粉雪祭を全生徒が安全に楽しく過ごすためですわ。楽しみの邪魔になることは早めにに片づけたいのです。理由についてはいくつかございますわね」
モイゼスに『困ったお姫様』とされたエメリエラの口調は変わらず、微笑みを湛えたままだ。
「一つ。流行の小説によくある登場人物に特徴が似ているからと、ピオニア嬢が入学した時から様々な虚偽の噂を流したこと。それとわたくしがピオニア嬢に嫉妬して様々な嫌がらせをしているという噂も流したこと。その他の噂も。本当は一つの噂につき一つの理由にしたいところですが、沢山あり過ぎて時間がかかってしまいますから、『噂』という括りでこの場でのみ一つと数えますわ」
エメリエラは指を一つ立てた。
「二つ。ご自分の思い通りにならないピオニア嬢に腹を立て、事あるごとにそちらの御学友がたを使って嫌がらせをしたこと」
二つ目の指が立つ。
モイゼスは「馬鹿馬鹿しい!」と鼻で笑った。
「今ならまだ許してあげるから、発言を撤回しなさい」
「今ならと申されましても、まだ私が話している最中ですよ」
言いながらエメリエラは三本目の指を立てた。
「三つ。わたくしがピオニア嬢に嫉妬し嫌がらせを仕掛けたと見せかけるために、御学友に暴漢の真似事をさせ彼女を汚そうとしたこと」
エメリエラの言葉にその時のことがフラッシュバックしかけ、ピオニアの指が震えた。
背中に回されたエメリエラの手が、宥めるように小さくピオニアの背を叩く。
それに気を奮わせ、ピオニアは小さく深呼吸をしてモイゼス達を見た。
サリムもピオニアの隣に立つ。
王家に次ぐ力を持つノルテカッタ公爵家は代々銀髪だ。
姓は違うがエメリエラの従弟である彼もその色を受け継いでいて、ピオニアの両隣を銀の一族が守る形になる。
「戯言にしても限度があるぞ。証拠は―――」
「証拠は、私が。後程」
ピオニアが手を上げる。
隣のエメリエラが微かに目を見開き「え?」と小さく聞き返した。
ピオニアはエメリエラへ「昨日まで集めていたのです。黙っていて申し訳ありません」と小さく囁いた。
ピオニアからの証拠、と聞いた取り巻き達から誰ともなくヘヘッと小さくが笑いが起こった。
「ピンク髪からの証拠?」
「股を開いて処女の証拠でも見せてくれるってことじゃないか」
彼らはクスクスとしながら周囲の生徒達を見た。
自分たちと同じく笑っていると思ったからだ。
が、すぐに予想とは違い冷ややかな視線に囲まれていると知る。
周りの冷めた反応にしょんと黙り込む男子生徒達を見て、ピオニアの中にまだこびり付いていた足が竦むような感情は、すうっと引いていった。
――あんなにも威張っていたのに、あの人達は周りに味方がいないとまるっきり小者なんだ。
「四つ。自分たちが騒ぎを起こしても大事にならないよう、何人かの先生方をモンタンド家の名を使って押さえつけましたわね」
――自衛しなかった君にも問題があるよ。わかるよね?
助けを求めて駆け込んだ職員室で担任から言われた言葉がピオニアの脳裏によみがえる。
もうモイゼスが言葉を挟まなくなったのを確かめてから、エメリエラは五本目の指を立てた。
「五つ。これは今まで上げた内容と比べると全く大事ではないのかもしれませんが、わたくし個人の感情で入れさせていただきましたわ、モイゼス様。入学してからの三年間……中間考査、期末考査、その他の一斉テスト、どれも常にあなたが首席となっておりますが、これもモンタンド家の名を使って使って記録を書き換えていらっしゃますわね。この三年間の考査で本当の主席はわたくし。あなたはずっと二位で、今年からは一斉テスト時の首席はわたくし、二位はピオニア嬢となっています。三位がサリムで……モイゼス様は十六位でしたわ。首席は決定事項だからと、ご自分の実際の点数を確認など、なさっていなかったのでしょう」
ピンクブロンドの男爵令嬢への嫌がらせとエメリエラへの噂に対する罪だけだと思っていた生徒たちは、最後に撃ち込まれた事実にまた騒然となった。
エメリエラが上げた罪状について、このフロアにいる生徒達のほとんどが、何かしら見た、聞いた記憶のあるものだった。
一つ目のなら、……私はこう聞いたわ。
あの時……三つ目の。逃げる彼女とすれ違ったんだ、ぼく………。
最後の、試験結果が嘘だったっての、どういうこと?
止まらなくなった騒めきの中でモイゼス達は立ち尽くしていた。




