5-3.
およそ一週間後。
並んで学校を出た菫とリオは、下校途中にターミナル駅であるZ駅で下車すると、駅前のコーヒーショップに足を踏み入れた。
制服姿のふたりを目にして、窓際に座っていた女性が軽く手を上げる。
「架純さん、ですか?」
テーブルの前に立ったリオとその後ろの菫に、うんうんと女性がうなずくと、
「霧矢君と甲斐さんですよね」
にこりと笑いかけた。
(想定外……)
ぎこちなくリオと並んで腰掛けながら、菫は相手をじろじろ見てしまわないように気をつける。
「あはは、びっくりされましたよね? こんなかっこで」
銀座の「クラブ・フルール」に勤めていたという架純が笑った。名前はもちろん源氏名だ。
シンプルな黒いスーツに、そっけない白のブラウスと黒のパンプス。額を出してぴっちりと後ろでまとめられた黒い髪。
「就活、ですか?」
直球の菫の質問に、
「コロナで仕事にならなくて」
クラブの売れっ子キャストだったという彼女が微笑んだ。
「お店は六月で辞めました。ちょうどインターンとかの時期だったし」
「ということは、大学三年生ですか?」
リオの言葉にうなずいた架純が、ホットコーヒーに口をつける。
(大学三年生で、バイト先が夜の銀座!)
そういう学生もいると話に聞いたことはあったが、驚きで声の出ない菫の前で、
「あのお店には、二十歳から一年ちょっといたかな。ほんとはもっと続けたかったんですけど」
さらりと架純が言った。
(てことは、大学二年生からお勤めでしたか!)
おとなしそうな普通の女子大生に見える「架純さん」。そんな彼女のあまりに大人っぽい職歴に、菫はあっけにとられる。
とはいえ、さすがは元売れっ子キャスト。薄化粧でもかわいらしい顔で、モデルほどの高身長ではないがスタイルもいい。
「その制服、櫻森ですよね? セレブ高校の。霧矢君ってもしかして」
続きを促すように微笑んだ架純に、
「はい。父はKIRIYAの社長を」
にこやかにリオが答えた。
「けどもちろん、僕にはKIRIYAの採用担当とのつながりとかはまったくないので」
そう続けるやいなや、
「……だよね~」
一気に架純の口調が崩れた。
「はは、ワンチャン期待した。あ、煙草吸っていい?」
ふたりが答える間もなく、架純が取り出した煙草に火をつける。
「あー、今日も疲れたー」
美味しそうに煙を吐き出した彼女が、タイトスカートから伸びる脚を大胆に組んだ。
(うわ)
あっという間にイメージの変わった架純に、菫は仰天する。
(でも、今の方がなんか、魅力的かも)
平凡なベージュのストッキングに包まれた脚が、なんだかピカピカして見える。
そんな架純の態度に動じず、
「お疲れ様です。これ、お約束の」
リオが白い封筒を差し出した。
「あー、これこれ! ありがとー!」
一気にテンションの上がった架純が、その場で封筒を開ける。
「うわ、ゼン君。最高すぎる」
人気男性アイドルグループ「アシュタイト##ベイビー」のメンバー、ゼンの生写真を取り出した架純が、とろけるような笑顔になった。
「ほんとありがと。すごいね、さすがKIRIYA!」
「おそれいります」
リオがにこりと笑った。
「フルールのママさんもアシュベのオタクなんだよねー。担当は違うけど」
架純の言葉に、
「ええ。リーダーのスモッチャさんの生写真で、いろいろと教えていただきました」
リオがうなずく。
「やっぱそういうことか! でも許す!」
眉根を寄せた架純が、
「くー! ゼンくーん!」
写真に頬ずりする。
(いつの間に……)
リオの隣で、菫は目をまるくしていた。
どうやらリオは、KIRIYAのコネで入手したアイドルの生写真を使って、小早川氏の行きつけのお店のママを懐柔したらしい。どうやって架純に連絡を取ったのだろうと思っていたら、そういうことか。
「クラブ・フルールのママさんは、架純さんの連絡先は一切わからないと小早川さんの奥様にお返事されたそうですね」
リオの言葉に、
「そりゃそうだよ。修羅場とか困るじゃん」
当然という顔で架純が答えた。
「あのお客さんとはマジで何もなかったけどね、あたし。他の人もそうじゃないかな。けど、奥さんとか彼女さんはなかなか信じないからなー、そういうの」
「他の人も、というのは?」
リオの質問に、
「店で嫌われてたからさー、あのおっさん」
架純が鼻の頭にしわを寄せた。
(そうなんだ……)
倫香の話からも決していい印象は持てなかった小早川氏が、行きつけのお店のキャストからも好かれていなかったと知って、菫はなんだか納得する。
ふと、自分がまだ飲み物に手をつけていなかったことに気づいて、菫は慌ててマスクを外した。
その途端、
「うっわー、甲斐ちゃん、ほっぺツルツル!」
向かいの席の架純が歓声をあげる。
「すっぴん? すっぴんだよね? かわいー」
「……あ、ありがとう、ございます」
菫は頬を赤らめた。
至近距離から美女に褒められて照れくさいが、嫌な気分にはならない。さすが元接客業。
「いいなー。あたしもこんな時代に戻りたーい」
「いや、全然おきれいです、架純さん」
焦る菫に、
「甲斐ちゃんも霧矢君もかわいいけど、夜系バイトはやめといた方がいいよ? まあ、言われなくてもやんないだろうけどねー」
架純がうんうんとうなずいた。
「そりゃ時給はいいけどさー、困ったお客さんっているからね。あのおっさんとか、マジ厄介だったよ」
顔をしかめて煙草をもみ消すと、架純が一口水を飲む。
「小早川さんのこと知りたいんだよね? あたしもそんな詳しくは知らないけどー。とにかく、行儀悪すぎて嫌われてたよ。最後は出禁になったし」
「出禁?」
目をまるくした菫の隣で、
「なにかトラブルが?」
リオが静かに尋ねた。
「とにかくウザかったんだよね、あのおっさん。セクハラとか暴言とか。風俗の話もよく聞かされたし」
架純が嫌そうに言った。
「結局、遊び慣れてなかったんだろうねー。余裕なくてつまんないし、ケチなのにすぐ『俺は客だ』って偉そうにして。いくら出せばヤらせるかとか聞いてくるし。ただ、あの水晶玉の件であたしはちょっと贔屓されててー」
「“幸運の石”のことですか?」
リオの質問に、
「そうそう、そんな名前だった!」
架純が手を叩いて笑う。
「前のお店で、メンヘラっぽいお客さんにプレゼントされて処分に困っててさー。ちょうど、去年の今ぐらいかな? あのおっさんに『“幸運の石”持ってるんですよあたしー』って話したら、まさかの欲しいとか言い出して」
笑いすぎて出た涙を拭きながら架純が言った。
「前のお店」とは、十八の頃から働いていたキャバクラのことらしい。
「そんで、次にあの人がお店来たときに渡したら、超喜んでた。運とか気にするお客さん多いけど、あんなすぐ信じる人初めてだよ。マジウケる。けどそれで、あたしはじゃまなもの断捨離できて、小早川さんは欲しいもの手に入って、ウィンウィンじゃん? 珍しくバッグとか買ってくれたし」
機嫌よく言った架純が、すぐまた顔をしかめた。
「けどあの人、今年の春頃かな? 派手にやらかして。あたしはその日休みだったんだけど、セクハラっていうかもう暴力みたいな? すごかったらしいよ、何人も巻き込んで。で、ついに出禁。うちはそんな大きいお店じゃないし、コロナでも来る人って貴重だから大目に見てたんだけどさ。やりすぎたね」
「大変でしたね」
リオの言葉に、菫も眉をひそめてうなずく。
お店で暴力って、一体何を。
「そっからはもう、あの辺のお店は全部出禁扱いだから六本木とかに流れたって噂。あたしも辞めたから知らないけど。連絡先も消したし」
架純が肩をすくめた。
話を聞き終え、リオと菫は席を立った。
「ありがとうございました。就活、頑張ってください」
「ありがと。ゼン君の写真も」
もう少しゆっくりしていくという架純と別れて、ふたりはコーヒーショップをあとにした。




