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第4話 魔王リリスの謁見


玉座の間は、異様な静けさに包まれていた。


ユアンは両脇を魔族の衛兵に固められ、黒大理石の床に膝をついている。背後ではベリルが一歩下がり、主人への礼をとっていた。


頭上を見上げれば、天井は闇に溶けるほど高く、無数の魔法灯が星のようにまたたいている。壁面には歴代の魔王と思われる巨大な肖像画がかけられ、そのすべてが冷たい目でユアンを見下ろしていた。


そして正面――。


七段の階段をのぼった先に、黒曜石で造られた玉座があった。


「面を上げよ、人間」


声は、少女のものだった。


ユアンが恐る恐る顔を上げると、玉座に腰掛けた一人の少女と目が合った。年の頃はユアンより一つ二つ下――いや、外見だけの話だ。背中まで伸びた銀髪が魔法灯の光を反射して淡く輝き、紅玉のような瞳がじっとユアンを見下ろしている。


何より息をのんだのは、彼女の頭部に生える二本の角だった。闇を固めたように黒く、先端だけが鋭く尖っている。それは彼女が人間ではないことの、疑いようのない証だった。


「我が名はリリス。この魔王城の主であり、魔族を統べる者である」


魔王。


その言葉からユアンが想像していたのは、もっとおぞましい姿だった。巨大な体躯、歪んだ顔、血に飢えた咆哮。教会で教えられた魔王像は、そんな怪物じみたものばかりだったからだ。


だが、現実は違った。


目の前にいるのは、ただ美しい少女だ。冷たい美貌には人間味こそないものの、それさえも彼女を人形のように見せるだけだった。


「ベリル」


リリスは、ユアンから視線を外さずに言った。


「報告を」


「は。昨夜、魔の森での偵察任務の帰路、この人間が瀕死で倒れているのを発見しました。毒を持つ魔物に襲われた痕跡がありましたが、回収時にはすでに傷は塞がっておりました。自己治癒とは思えません」


「自己治癒ではないと?」


「はい。捕虜本人の供述によれば、ユニークスキル《完全回復》によるものと」


《完全回復》――その言葉が発せられた瞬間、玉座の間の空気がわずかに動いた。衛兵たちが小さくざわめき、玉座の左右に控えていた文官らしき魔族たちが顔を見合わせる。


「完全回復……なるほど」


リリスは玉座の肘掛けに頬杖をつき、初めてユアンを正面から見据えた。


「して、そのユニークスキルとやらは本物なのか」


「それをこれから確かめる次第です」


ベリルが一歩前に出た。


「リリス様。この人間は、つい先日まで勇者パーティーに所属していた白魔術師だと言います。回復魔法以外は一切使えないという理由で追放されたと。しかし、もし彼のスキルが本物であれば――」


「ベリル」


リリスが片手を上げ、ベリルの進言を制した。それから彼女は玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を下りてくる。近づくたび、空気が重くなる。ユアンは自分の心臓が早鐘を打つのを感じた。


リリスはユアンの正面で立ち止まった。手を伸ばせば届く距離だ。彼女の背はユアンより頭一つ低い。それなのに、見下ろされていると感じるのは、彼女の纏う圧倒的な存在感のせいだった。


「人間。そなたの名は」


「……ユアン、です」


「ユアン。我は人間が嫌いだ」


さらりと言い放たれた言葉に、しかしユアンは不思議と傷つかなかった。彼女の声には、憎しみというより、もっと別の――諦めにも似た響きがあったからだ。


「人間は魔族を殺す。我の民を焼き、我の地を奪い、それでいて我らを『悪』と呼ぶ。そんな種族を、生かしておく理由はない」


リリスの右手に、黒い魔力が収束していく。それが一振りで人間一人を消し飛ばせるだけの力を持つことを、ユアンは本能的に理解した。


「――だが」


リリスの瞳が、わずかに揺らいだ。


「ベリルがそこまで言うなら、試してみる価値はあるやもしれぬ」


彼女はそう言うと、自身の胸元に手を当てた。


次の瞬間だった。


リリスの端正な顔が、苦痛に歪んだ。彼女はその場でよろめき、とっさに玉座の肘掛けに手をつく。


「リリス様!」


ベリルが駆け寄ろうとするのを、リリスはもう片方の手で制した。その指先がかすかに震えている。


「……問題ない。いつもの発作だ」


違う。そう言いながらも、リリスの額には脂汗が浮かび、血色の良かった唇がみるみる青ざめていく。彼女は胸元をぎゅっと掴み、歯を食いしばって痛みに耐えていた。


その姿は、さっきまでユアンを処刑しようとしていた冷酷な魔王のものではない。もっと、こう――。


(――痛みに耐えてるだけの、普通の女の子だ)


ユアンの胸の奥が、かすかに疼いた。


「……リリス様、その傷は」


ユアンの口から、自然と言葉がこぼれていた。


「もしかして、聖属性の武器でつけられた傷ではありませんか。それも、かなり古い」


リリスの紅玉の瞳が、見開かれた。


「……なぜわかる」


「傷の痛み方で、なんとなく」


ユアンは嘘をつかなかった。彼はこれまで、数えきれないほどの傷を癒やしてきた。切り傷、打撲、骨折、毒、呪い――傷にはそれぞれ固有の「痛みの質」がある。聖属性の武器による傷は特に、独特の疼き方をすると経験で知っていた。


「もし、俺に治療させていただけるなら」


「黙れ、人間」


リリスが鋭く遮った。だが、その声に先ほどの冷徹さはない。


「……三百年前の傷だ。あらゆる魔族の治療師が匙を投げた。当代の魔王である我が、人間などに身体を許すとでも思うのか」


三百年。


ユアンはその数字に絶句した。三百年もの間、この少女は――いや、この魔王は、毎日この痛みに耐えてきたのか。


「……ベリル」


リリスは壁に手をついたまま、短く命じた。


「この人間を牢へ。処遇は後ほど決める」


「リリス様」


「聞こえなかったのか」


ベリルは一瞬だけ躊躇したが、やがて「御意」と短く答え、衛兵に目配せした。


ユアンは両脇を抱えられ、立ち上がらせられる。連行される間際、彼はもう一度だけリリスを見た。


リリスは玉座に背を預け、ぐったりと目を閉じている。その横顔には、三百年分の疲労がにじんでいた。


(俺の《完全回復》なら、きっと治せるのに)


ユアンは心の中でそうつぶやき、それから――自分の胸の奥に生まれた感情に、自分で驚いた。


恐怖でも、諦めでもない。


これは。


(……助けたい、だ)


パーティーを追い出された夜と同じ気持ちが、ユアンの胸の奥で静かに灯っていた。


---


牢は、思ったより清潔だった。


地下ではなく、城の西棟にある窓つきの一室。鉄格子は嵌められているが、床には藁ではなく布が敷かれ、木製の簡素な寝台まで用意されている。捕虜というより、客人に近い扱いだった。ベリルの配慮だろうか。


ユアンは寝台に腰を下ろし、小さく息を吐いた。


「俺、生きてるな」


ぽつりとつぶやく。


パーティーを追放されてから、まだ一日も経っていない。なのに、ずいぶん遠くまで来た気がする。勇者リオン、エルナ、ルーチェ――つい昨日まで一緒に旅をしていた仲間たちの顔が、遠い過去のように感じられた。


そして、魔王リリス。


「三百年前の傷、か」


ユアンは自分の両手を見つめた。


この手で彼女の痛みを消せるのか。理論上は可能なはずだ。《完全回復》は状態異常や呪いを「なかったこと」にするスキル。どれほど古い傷でも、聖属性の呪いが絡んでいても、原理は変わらない。


だが、リリスがそれを望まないなら――。


考え込んでいると、牢の外から足音が聞こえてきた。軽く、リズミカルな足音。衛兵のものではない。


「……誰だ」


ユアンが顔を上げると、鉄格子の向こうに、ひょっこりと顔をのぞかせた者がいた。


ぴんと立った猫耳。いたずらっぽく光る大きな瞳。口元には、好奇心と警戒心を等分に混ぜたような笑み。


「あ、動いてるにゃ。生きてるにゃ」


猫耳の少女は、鉄格子に手をかけてしゃがみ込み、じろじろとユアンを観察し始めた。


「お前、人間なんだって?あたし、人間って初めて見たかも」


「お前は……」


「あたしはフィア!魔王城のメイドで、ついでにスパイ部隊のエースなんだにゃ!」


胸を張って言うことかどうかはわからないが、フィアと名乗った少女は、とにかく人懐こい笑顔でユアンを見つめていた。


彼女が来たことで、ユアンの牢獄生活はどうやら、思ったより退屈せずに済みそうだった。


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