第2話:HP5の絶望と、魔王の知恵
意識が戻った時、俺は腐葉土の上にいた。
鼻、ではない。嗅覚器官がない。
だが、確かに『匂い』を感じた。
湿った土。カビ。そして...血の鉄錆び臭さ。
俺はスライムだ。
身体という概念が消え、ただの半透明のゼリーになっていた。
名前:ヴェイリス
種族:スライム#0001
レベル:1
HP:5/5
MP:0/0
攻撃力:1
防御力:0
素早さ:1
スキル:なし
ユニークスキル:
――前世の記憶、か。
それだけが救いだ。
俺は元・魔王ヴェイリス。レベル999。
大陸の半分を灰にした《終焉の黒炎》。
勇者聖騎士団を単独で壊滅させた化け物。
そして、勇者に247回殺された。
剣で。魔法で。罠で。毒で。
あらゆる死に方を知っている。
だからこそ分かる。
このHP5は、詰みだ。
野のネズミですらHP8はある。
俺は、雑魚の餌だ。
ぷるっ...
悔しさのあまり、身体が震える。
だが、すぐに思考を切り替える。
嘆いてもHPは増えない。ならば、頭を使え。
247回死んだ経験がある。
勇者の動きは、すべて頭に入っている。
罠の仕掛け方、奇襲の角度、致命傷の位置。
力がないなら、知恵で殺せばいい。
まずは状況確認。
周囲は薄暗い森だ。木漏れ日が、葉の隙間から差す。
遠くで鳥の鳴き声。近くで...何かが草を食む音。
視界を上に上げる。スライムには目がない。
だが、身体全体が感覚器官だ。光と影を感じ取れる。
一メートル先。茶色い影。
耳が長い。鼻がぴくぴく動いている。
――ノラウサギ。レベル1。HP3。
俺より弱い。
ならば、殺せる。
問題は、どうやって。
攻撃力1。素早さ1。スキルなし。
正面から行けば、爪で引き裂かれて終わりだ。
よって、答えは一つ。
暗殺。
魔王たる俺の、本職だ。
ぷにゅ...ぷにゅ...
音を立てないように、身体を揺らす。
スライムは水だ。水は音を消す。
一メートルずつ、距離を詰める。
奴は気づかない。夢中でクローバーを食んでいる。
残り五十センチ。
ここからが本番だ。
スライムの身体は、形状を変えられる。
薄く、広く、膜のように。
俺は自分の身体を、ウサギの真上まで伸ばした。
太陽の光を遮る。影が、奴を覆う。
――今だ。
重力に任せて、落下する。
ぽとっ。軽い音。
「ピィッ!?」
ウサギが暴れる。鋭い爪が、俺の身体を切り裂く。
HP4...HP3...
痛い。死ぬほど痛い。
だが、247回死んだ俺が、ここで離せるか。
消化液を、全て吐き出す。
スライムの酸は弱い。だが、粘着力は高い。
ウサギの鼻と口を塞ぐ。
「ギュ、ギュッ...」
もがく。暴れる。
HP2...HP1...
そして、動かなくなった。
――終わった。
身体から力が抜ける。
というか、力というものが最初からない。
だが、熱いものが込み上げてきた。
勝利だ。
転生して初めての、勝利。
――は?3?
通常、レベル1のモンスターは経験値1だ。
なのに、3?
理由はすぐ分かった。
『格上相手への勝利時、経験値ボーナス』
俺はHP5で、HP3の敵を殺した。
格上ではない。だが、精神的には格上だった。
247回の死を背負った魔王が、スライムの身体で殺した。
システムが、それを評価した。
――分裂?
意識を集中させる。
身体が、二つに分かれる。
左半分。HP4。
右半分。HP4。
二体になった。だが、合計HPは減っている。
リスクが高い。だが...
二つの視点。二つの思考。
これは強い。圧倒的に強い。
俺は笑った。声にならないが、心の中で。
フハ...
スライムの分際で、何ができる?
そう思っていた勇者の顔が目に浮かぶ。
見せてやるよ。
HP8の魔王が、この世界をどう蹂躙するか。
まずは、もう一体のウサギを探すか。
いや、その前に。
森の奥から、獣の足音が近づいてくる。
ずしん、ずしん。重い。
木の葉が揺れる。
そこに現れたのは――
灰色の毛並み。赤い目。
牙が、月明かりに光った。
レベル:5
HP:40
――格上、すぎる。
だが、逃げない。
逃げるのは、死んだ247回のうち、たった3回だけだ。
残り244回は、殺しに行った。
二つの身体で、同時に笑う。
『来いよ、雑魚』




