蓄熱
「もちろん…俺の王国を立ち上げる!高校生活の集大成だ!今日からここが俺の領土だ!」
「うおおおおお!!!!!!!!」
黒崎のマニフェストにより、部員たちのボルテージは最高潮まで高まった。
血の沸騰する匂いが充満する地下空間であったが、その熱にはすぐさま水が差されることになる。
「黒崎さん!RINE来ました!監督の車、校舎から出たそうです!」
「しゃあない…引き上げだ!開拓は明日からだ!」
「まじかー明日はマットでも持ってくるか」
「取り敢えずランタンだな」
「俺は埃無理だから、とにかくマスクを…」
地下空間で響いていた足音や喧騒はやがて地上へと登っていき、重厚な棚が床のコンクリートと擦れる音を最後に消えるのだった。
「あれ、先輩…倉庫の方行ってた奴ら、戻ってきましたね。あんな大人数で一体何を…」
「うちの倉庫は広いからな、大方ポーカー大会でもしてたんだろう」
西田先輩はいつもの涼しげな表情で、素振りをしながらそう答えた。
「今日からは見慣れた光景になるんでしょうね」
ため息混じりにそう答えた俺の横に、奴らはゾロゾロと歩み寄ってきた。
彼らは何食わぬ顔で、俺たち西田派の横に並んで素振りを始める。
数分経つと、やがてゲートの開く音がグラウンドに響いた。
「「おはようございます!!!」」
俺たちは一斉に帽子を取り外すと、深々と頭を下げて快活な挨拶を飛ばした。先ほどまで堕落を貪っていた者たちも同様である。
「おう、しっかりやってるな」
監督は一言だけ残して、ベンチの方へと消えていった。
それから黒崎の指揮のもと、俺たちは練習へと精を出すのであった。しかし……
「すみません!!!」
ある者は簡単なフライを取りこぼす
カキーーン
「玉拾い行ってきます!」
またある者は、投擲された玉を明後日の方向へと打ち返し、木々の中に紛れ込ませてしまった。
「何だ?今日の練習…やっぱり倉庫で…」
「おい!ぼさっとすんな!」
「すみません!」
バットを持つ大柄な先輩に怒鳴られ、慌てて俺はボールをトスした。
さっきミスをしていた奴らも、この先輩と同じく倉庫に籠っていた者たちである。
みんなまるで上の空で、練習にも影響が生じている。やはり何かあったんだ…俺は頭も良くないし、野球もそれなりだけど、こういう嗅覚には自信がある。
そうして今日の練習も終了し、いつも通りの簡単なミーティングが行われた。
「えーでは、明日からも1時間遅れて来るから………」
「来週から新1年生が体験入部に………」
大人である監督は、チームの異変を感じ取ってくれるのではないかと期待をしていたが、呆気なく打ち砕かれてしまった。
西日が差し込み始め、サングラスをかけたその目は節穴なのでは無いかと思わず考えてしまう。
「では、明日からも頑張りましょう!解散!」
「「お疲れ様でした!!」」
短時間の拘束から解き放たれると、部員たちは黒崎の下へと駆け寄り、何やら目を輝かせて話に花を咲かせていた。
「やっぱり……監督…………当分は………」
「見張…………ばっちりで……本校舎の……」
「取り敢えず…………は欲しいっすね………俺が………」
「そこのホーム…………安く買………」
喧騒の中から途切れ途切れで話し声が聞こえる。
まあ、考えても仕方ないか。西田先輩も言うように、スポーツで最も大切なのは個々の実力なのだから。
俺にももうすぐ後輩が出来るのだから、もっと野球が上手くならないとなあ。
と思考を巡らせていた時、後頭部よりも少し高い位置から声をかけられた。
「帰るぞ、松田」
「はい、先輩」
俺たちは並んで、グラウンドを後にする。艶のある石畳で作られた長い階段を下り、自宅よりも清潔なトイレで用を足して俺たちは一般道まで繰り出した。
グラウンドの方を振り返るが、丘の上にそびえ立つその聖域は、外からはその様子を伺い知ることは叶わなかった。
ここで俺は野球部のことを考えるのをやめて、先輩と何気ない会話をすることにした。
「そういえば先輩、今日はベンチで勉強していかないんですか?運動後は定着率が高くなるんですよね」
「ああ、この前買った単語帳、やり尽くしたからな。」
「流石ですね、先輩。俺なんて1年の頃の単語帳もまだピカピカですよ」
「まったく…そういえば松田、この前の休み明けテスト、順位が下がったらしいな」
「そうなんですよ…中間テストも順位下がると、小遣い減らされちゃうんです…」
「やれやれ、松田は2年からは文系選択だよな?やっぱり数学はキツいのか?」
「それもありますね…確率とかはまだ、現実の現象に当てはめて考えれるから理解しやすいんですけど…ユークリッドの互除法とか、数字がワチャワチャしてるの見ると、もう訳わかんなくなっちゃて」
「なるほどな…まあ、お前も仮にもうちの高校に入れたんだから、頑張れば落ちこぼれることも無いだろ」
「だといいんですけどね…というか、先輩はもっと上の高校行こうとは思わなかったんですか?」
「そうだな、担任からは名古屋の高校とかも勧められたけど、北高は野球も強いし、家からも近いからな」
「あーやっぱそれなんですね」
「通勤や通学の時間だって、結構バカにならないもんだぞ。例えば大学の4年間、毎日30分電車に乗って通学するとするだろう?その時間で毎日ショート動画見てた奴と、英語のリスニング聞いてた奴と、どれだけ差が生まれると思う?」
「ストイックですね。大人はみんな時間を大切にしろって言いますよね」
「先人たちの言葉は大切だからな。俺たちも大人になれば、もっと大人の言うこと聞いておけば良かっと後悔するんだろうな」
いつしか雑談がしんみりとした話題になってしまった。そうして夕焼け空の下で少しだけ沈黙の時間が訪れる。
気がつけば俺たちは本校舎まで辿り着く。何か話しかけようかと思ったが、俺が思わず発した声で沈黙が破られることになった。
「あ……!」
「うん、どうかしたのか?」
俺の目線の先には、俺と少しだけ顔立ちの似た女子生徒が、友人に向けて手を振っていた。
「じゃあね!私こっちだから!」
彼女の姿を見て、先輩も俺の様子に納得したようだった。
「あー玲奈さんか。同じ高校だったんだな」
彼女が友達の方から視線を外し、振り返ると自然と目線が合ってしまった。
一瞬の沈黙の後、俺たちは口を開く。
「あ、お兄…ちゃ…」
「お、おおう…友達できたみたいで、良かったな…」
兄妹と言えども、学校で生徒同士として会うとなかなかに気まずいものだ。兄弟のいない人には分からないかもしれないが、親と同じ会社でバイトをすると思えば、想像がつくのではないだろうか。
「あ、西田さ……じゃなかった!西田先輩!お久しぶりです!」
「うん、半年振りくらいかな?俺はうるさく言わないから、昔と同じように呼んでくれればいいさ」
俺の一つ下の妹、松田玲奈。今年からの新入生だが、西田先輩とも俺の家で何度か顔を合わせたことがある。玲奈は先輩にかなり懐いていたようで、学校で先輩に会えることを楽しみにしていたようだった。
今も俺の反対側で先輩の横にくっつき、笑みを浮かべながら話かけていた。
「西田さん…お兄ちゃんが迷惑かけていませんか?」
「おい、玲奈!」
「まあ…迷惑というほどのことはないけれど…玲奈さんも新生活は順調かな?」
「はい!もうRINEのグループも3つも作っちゃいました!」
「馴染めているようで何よりだよ」
「でも、まだ1週間ちょっとなのに、もう告白してくる男子がいて…」
「流石だね…それで結果は?」
「勿論断りましたよ!!せっかく西田さんと同じ高校に入れたんですから!!」
(いや、その発言はほぼ告白だろ!)
という言葉を寸前で飲み込む俺だった。先輩は朴念仁なので気付かないし、気付いても顔色一つ変えないのだろう。
2人が並んでいると身長差が目立つ。妹は少し首を傾け、自然な上目遣いで先輩と目線を合わせていた。
「西田さんは、毎日お兄ちゃんと一緒に帰ってるんですか?」
「ああ、家も同じ方向だからね。さっきも松田の成績について話していたところだよ」
「ギク!」
「いや、お兄ちゃん、それ口で言うやつじゃないんだよ。でも成績か…私も受験終わってから遊んでばかりで…」
「そうか…そう言えば2人とも、晩御飯は?」
「えっと…今日は母が夜勤なので、作り置きがあるはずです。」
「じゃあ、途中でショッピングモールでお茶でも飲んで行こうか。2人とも軽く勉強見るから。」
「いいんですか!西田さん!やったー!!」
「金も出すから寄っていこう」
「いいんですか、先輩?」
「気にするな。また春休みに叔父さんの仕事を手伝ってきたからな」
そうして俺たちはショッピングモールへ足を運ぶのだった。しかし………
「じゃあ、遠慮せずに好きなもの’’取ってきて’’いいからね」
「じゃあ…私はこのクッキーで!」
「あ、じゃあ…俺はこの袋菓子を…」
「よし、俺は会計してくるから。飲み物は向こうで買おう」
そう、俺たちが今いるのは、ショッピングモール内のオシャレなカフェなどではない。一階にでかでかと展開されたスーパーである。
そうして俺たちはイートインコーナーでプリントや参考書を広げていた。
「ここのスーパーよく来るんですか?」
「うん、ここのスーパーはイートインが素晴らしいんだ。席も広々としていて、コーヒーの自販機も200円以下で30分は飲める量が出てくる。」
「たしかに…コンビニで同じ量を買ったら倍近くかかりそうですね!とってもお得です!」
そう言って、妹は紙コップを手に取り砂糖とミルクだらけのコーヒーを口に含んでいく。
「しかも、砂ー場ックスコーヒーのブランドだから味も申し分無いからね。しかも緑茶とほうじ茶は何杯でも無料だし、トイレも清潔。カフェとかよりも経済的だし、学校帰りによく来ているよ」
「すごーい!やっぱ西田さんは賢いなあ!」
いや…奢ってもらった身で言うのもなんだが…年下の女の子を誘って入った店が、まさかスーパーのイートインだとは…
玲奈は気にしている様子も無いし、きっと本心からああ言っている。玲奈がモテるのも、こうした性格も大きいのだろう。
しかし今日は、完璧超人に見える先輩の思わぬ一面を見た日であった。




