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堕落の前兆

冬の寒さは後退を始め、陽光が球児たちの額を灼き始めた今日この頃…グラウンドには規則正しい足音と監督の掛け声が響いていた。


「26本目!!」

「「はーい!!」」


俺たち野球帽の連隊は、グラウンド中央に設置されたコーンと壁際を何度もジョギングで往復していた。これは練習メニューの1つ、コーン間走である。ノルマの半分を終えたその時、キャプテンの鋭い眼光が2年生に合図を飛ばした。


「……………」


無言でその意図を受け取った彼は、少し不自然ながらも慣れた手つき…いや、足つきでその足をコーンに引っ掛けて地面に倒した。


「すみません!!」


彼の声で、少し後ろを走る別の2年生が次の工程を引き継ぐ。無常にも地面に投げ出された赤明色のコーンを、何食わぬ顔で直立させた。


これは遠目から見れば、単なるリカバリー…しかし、そのコーンは元の位置よりも少しばかり壁側に設置されていたのである。


「ラスト1本!!!」

「「はーい!」」


「よーし!5分休憩!」


その後も彼らのミスとリカバリーは数回ほど続き、僅かばかりの堕落を貪るのであった。キャプテンはコーンを倒した2年生の方に無言で手を置き、悪い顔で笑みを浮かべていた。


そんな様子を見ていた俺は、左を向き、目線を少し上に向ける。そこには、俺の隣で静かに汗を拭く先輩の姿があった。


「西田先輩、最近のコーン間走、全部あれですよ?キャプテンがあれでいいんですか?」

「放っておけ。お前は少し大回りで走れば何も問題はあるまい」


眉毛一つ動かさずにそう告げた、俺の唯一尊敬する西田先輩である。いつも冷静でもの静かだが、野球も勉強も誰もこの人には敵わない、影の実力者である。


「先輩、やっぱり今からでも先輩がキャプテンやってくださいよー」

「馬鹿を言うな、松田。黒崎と九条のやり方は目に余る部分もあるが、優秀で人望もある。もう決まったことなんだ」


平常運転のぶっきらぼうな返事が返ってきた。賢く、何事にもストイックな彼だが、周りへの関心が薄く、近寄り難いのが玉に瑕だ。けど、一番弟子(自称)の俺は、本当は正義感が強く、面倒見のいい先輩の良さを知っている。


「全員集合!」


監督の号令で雑談は打ち切られた。結局俺のモヤモヤは解消されなかったが、そんなものはハードな練習で記憶の隅に追いやられてしまった。


それから数時間、指先からグローブに力を込め、掌でバットを握り締め、練習は終了した。夕日も沈みかけ、今日一日の閉店作業へと移る空の下で、監督がミーティングを行った。


「えーと言うわけで、そこを意識しながら、明日からも頑張りましょう。では、解散!」

「お疲れ様でした!!!」


俺たちは肩の力を抜き、解放感を味わいながら話に花を咲かせた。この部のミーティングはいつも短時間で、熱量を持て余す男子高校生も十分に集中して聞くことが可能であった。名門である我が野球部では、監督の干渉が最小限に抑えられている影響であろう。


「先輩、やっぱりこの部活って放任主義ですよね。進学校では校則が緩いのに似てますよね」


ベンチでゼリーを飲み、単語帳を開く西田先輩に、俺は声をかけた。


「ああ、そうだな。でも、放任主義だから、必ずしも実力が伸びるとは限らないぞ」


俺との会話に注意のリソースを割かれても、先輩の勉強のペースは衰える気配は無かった。


「そうなんですか?」

「ああ、進学校の校則が緩いのは、優秀な生徒は校則で縛らずとも自律が可能だからという側面が大きいんだ。つまり、もともと優秀な生徒だから放任主義が成り立つってことだな」

「ああ!そういう話、聞いたことあります。確か…『卵かけご飯か肉うどんか』ですよね!」

「違う、『卵が先か鶏が先か』だろ」

「ああ、それです!これは俺が昨日食べたものでした」

「まったく…そういえば、さっきのお前の投球のフォームだが…」


その時、帰り支度を終えた監督の声が部員たちを静寂に包むのだった。


「そうだ!先生は明日から、仕事の都合で1時間遅れてくるので、各自でやっておくように!それじゃ!」


それからグラウンドは静まり返り、皆が目線を交差させながら、ザワザワとした空気感を生み出す。

先生の姿が見えなくなり、遠くで微かにエンジン音が聞こえた頃…キャプテンの取り巻きたちは歓喜の雄叫びをあげるのだった。


「うおお!やり!」

「こいつはとんだサプライズですね!黒崎さん!」

「俺この前、寿述海鮮の漫画まとめ買いしたんですよ!持ってくるんで、みんなで読みましょ!」


「いいなあ…寿述海鮮全巻…いや違う!部活中に漫画なんて言語道断です!」

「聞こえるぞ、松田。揉め事なんて時間の無駄だ。やる気のある者だけで練習して強くなる、チーム競技だろうとスポーツはただそれだけだ」


ため息混じりの先輩の声と共に、俺たちはグラウンドを後にするのだった。


与えられた自由を活かさず、あぐらをかいて貪る。頭目たるキャプテンすらも加担して、この組織は腐りかけていた。

翌日から始まる、空白の1時間…


ここから始まる腐敗が、名門野球部を地に堕とす巨悪を育むなど、今の彼らには知るよしも無かった…

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