24 『鳳雛バタフライ』
足を止めたサツキに、少女は挨拶する。
「はじめまして。アタシはスダレ。澤辻朝里の妹です」
『王都小町』澤辻栖垂。
今年十六歳。アサリの三つ下、サツキより三つ上で、ルカと同い年になる。薔薇の描かれた青い着物が、サツキの中でリョウメイとの会話を想起させる。背は一五七センチ。
気立てのよい笑顔で語を継ぐ。
「リョウメイさん、あのあと不意にいらして。サツキさんのことを気にしてました。『浦浜に、悪いもんがたくさん入り込んでるんや』って言って」
「それが、アルブレア王国騎士ですか」
「はい。たぶん」
町娘のような雰囲気もあり、歌劇団でありアイドルのような存在の割に、随分と話しやすい庶民的な空気を持った子だった。
だからか、サツキは質問した。
「あの。今、影から出てきたように見えたのは……」
「はい。魔法ですよ。リョウメイさんにも推理してみせたそうですね。アタシの魔法は、《影某氏》。影そのものになれるんです。何者かの影に」
チナミの持つ忍者の巻物で使える《影身隠ノ術》とは似て非なる魔法。影に隠れる忍術と違って、こちらは影そのものになれるらしい。
「その魔法で、王都では紙芝居師から絵を……」
「ええ、そうです」
と、スダレは申し訳なさそうに少し照れたトーンで答えた。
「もちろん、もうちゃんと返しましたからね。正確には、リョウメイさんを介してとあるお方の『手』で返していただいた形になりますが。えっとそれから、現在あの場では姉が二種類の魔法を使っているので時間も余裕がありますよ。騎士に追われる心配はもうないかと」
「《集光ライト》ともう一つ。確か……」
「《分光ライト》。姉は一度サツキさんに話したそうですが、覚えてますか?」
「別のだれかに注目を集めるんでしたっけ」
「はい。その通りです」
「《分光ライト》のほうはともかく、《集光ライト》は歌劇団にぴったりの魔法ですね」
「そうなんです。我が姉ながらすごいなって思います。あ、でも誤解しないでくださいね。姉は歌劇団としてはちゃんと実力でやってます。たまにファンサービスが過ぎるときがあって、そうしたときに……」
優しい苦笑を浮かべるスダレに、サツキも笑った。
「なるほど」
「まさか今のような状況で魔法を使うとは、姉も思ってなかったでしょう」
「《集光ライト》で注目を集めて、俺を助けてくれたんですよね」
「ふふ。実はそれだけじゃないんですよ」
スダレは楽しそうに笑った。
「他にも、なにかやっていたんですか?」
「サツキさんが逃げたあと、やってるんじゃないかな。もう一つの魔法、《分光ライト》を」
実は、サツキが逃げ去った直後、アサリは魔法を使っていた。
――さあ、《分光ライト》発動。
アサリはジャストンに向けてこう言った。
「お兄さん、ガタイがよくて強そうですね。どうぞこちらへ」
本人の意志に関係なく、なぜだか引き込まれるようにジャストンはアサリの横まで来てしまう。
決まり悪そうにジャストンが答える。
「騎士だからよ」
そこで、アサリが拍手する。
「すごい」
その声に続けて、周囲の人たちもはやし立てた。
「へえ騎士だってよ」
「どおりで腕も太いわけだな、兄ちゃん」
「やだ強そー」
アサリごと取り囲まれてしまい、ジャストンは声を荒げる。
「オレは遊んでるヒマはねえんだ!」
「お、修業かい」
「えらいねー」
「感動~」
しかしすべて軽く流されて感心されてしまう。さすがの『鋼鉄の野人』も困惑していた。
アサリが左後方を振り返る。
――リョウメイさん。
リョウメイがいた。
手招きされる。
さっとアサリはその場を離れ、リョウメイの元へ行く。
「お疲れさんやな」
「リョウメイさんも」
「どれ。もうちょっと足止めさせてもらおか。うちらの分もな。《八怪学講義》が一つ、《誤怪》」
じゃらっと、リョウメイは数珠を鳴らした。
すると、ジャストンを取り囲んでいた人たちの反応がまた変わった。
「もしかして兄ちゃん、有名人?」
「ほんとかよ!?」
「おい、握手してくれい」
「あたしは筋肉触ってみたーい」
「お姫様だっこしてー」
「おれもお姫様だっこしてくれよぉー」
リョウメイが歩き出し、アサリに言った。
「ほな、行こか」
アサリは呆れたような苦笑いで、
「すっかり誤解してますね、みんな。リョウメイさんはほんと、やることが容赦ないなぁ」
とつぶやいた。
――ああいうの嫌いそうな人に、あえてやるんだもんなあ。
アサリの半歩前を歩くリョウメイが愉快げに言った。
「いやあ、サツキはん偉い第一歩を踏み出したな」
「なんの話ですか?」
「ほんの数日前の出来事や。世にもまれな軍事的才能を持った人間が、初めてその才を揮った。これはのちにつながるもんでな。今はまだ『鳳雛』でも、いずれは鳳凰となる器ってことやねん」
「鳳雛……つまり、鳳凰の雛ですか」
と、アサリはつぶやき、
「そういえば、軍事的才能を持つ者は非常にめずらしいそうですね」
「特に軍事司令官としての才能やな。この開花の一歩目をつかんだみたいやけど、どうやらサツキはん、その才を最大に生かす翼――あの『神速の剣』に、まだ出会ってないみたいやしな。リラはんもな」
「リラもいるんですよね、この浦浜に……」
「せや。ただ、うちでもわからへんのが、二人だけいてな。それでも、その『いたずら好きな星』が動くだけで物語が好転するから不思議なもんやで」
「『トリックスター』明善朗と福寿笑」
「『最果ての村』すなわち星降ノ村からやってきて、いつも突拍子もなく現れては舞台を踊り回る『星降の妖精』。あの二人がサツキはんについてる以上、大丈夫やと思う」
「ですね。オレも話したことはありませんが、そんな気はします」
「ただな。みんなにとっての最良の形になるには、まだ運命の歯車が噛み合ってへんねや」
「でも、そうなるんでしょう?」
「なるみたいやなあ。今、うちらがサツキはんを助けたことで。けど、うちらにとってトウリはんだけは好敵手やから、敵に塩を送ることにもなるんかな。そして、あのウサギはんも今回こそは縁がつながるみたいやわ」
「バタフライ効果みたいな話ですね」
「世の中なんでもそうやで? 風が吹けば桶屋が儲かるっちゅうてな。寓意的なようでいて、数字の上でもはっきりわかるんや」
「数字の上?」
「船の席の数は、決まってるからなあ」
「……」
アサリには、なんとなくリョウメイの意図がわかる気がした。
――リラ。いつになるかわからないけど、お姉さんに会えるといいね。まったく、リョウメイさんにはこの先に、なにが見えているんだろう……。
場所は変わって。
スダレは、サツキに言った。
「《集光ライト》はいつも姉に降り注ぐんですが、中にはそのライトにいっしょに入る人もいるんですよ。《分光ライト》は、そんなふうに注目の視線をおこぼれとして分け与える。つまり、その他人を目立たせるんです」
「じゃあ……今頃は、ジャストンが目立っている、と?」
「たぶんですが」
くすっとスダレは笑った。ついサツキも笑ってしまう。
「それは迷惑な話でしょうね。ジャストンにとっては」
「はい。きっと」
「あの。俺はこのあと、リョウメイさんとアサリさんにお礼を言いに行ったほうが……」
「いいえ。その必要はありません。自分の出会いを大事にしてください。予定通り、仲間と合流を」
「わかりました。お二人にも、ありがとうございましたとお礼を伝えてください」
「はい」
「それと、どうしてみなさんはわざわざ俺を助けてくれたんですか?」
「どうしてでしょうね。アタシはあんまり頭がよくないので、ちょっと察することはできませんが……。たぶん、サツキさんを気に入ったからです。風が吹けば桶屋が儲かるそうですよ」
「はあ……」
ことわざの意味はわかる。だが、それだけの情報ではよくわからなかった。これ以上は考えても無駄だと悟り、サツキはスダレにお辞儀した。
「スダレさん。ありがとうございました。では、失礼します」
「はい。またいつか、お会いできる日を楽しみにしてますね。あ、そうでした。これをどうぞ。リョウメイさんからです」
「貝殻……?」
「もうじき、鳳雛が鳳凰になるために必要な翼と出会う。そのとき、もしその翼を得ることを迷ったらこれを聞くようにと」
「聞くって、貝殻に耳を当てればいいんですか?」
「はい。それは《波ノ記憶》といって、歌劇団の仲間が作った魔法道具です。蓄音機になっていて、リョウメイさんからのメッセージが記録されています。風を送れば音が再生され、また風を送ると音が止まります。息を吹きかけるだけでも大丈夫です」
「なるほど。わかりました」
そういえば、王都の喫茶店でこれを使って音楽を流している『喫茶あいの』があった。サツキは思い出したが、今それを言っても意味はないだろう。
「それでは、サツキさん。いってらっしゃい」
「いってきます」
スダレはにこにこと手を振り、サツキを見送ってくれた。
サツキには今いる場所もよくわからなかったが、海は見える。海沿いの道に向かって歩いた。
大通りを歩いていると、細い路地からするすると蟹歩きしながら出てきた少女がいた。
少女はニヤニヤしながら蟹歩きをやめ、向き直る。
見覚えのある顔だったので、サツキは声をかけた。
「……そんなところで、なにニヤニヤしてるんだ?」
へんてこな構えを取る少女。警戒しているのか、コミカルな動きで手を手刀にして聞き返される。
「あ、あんたこそ、こんなトコでなにしてんのよ? 城那皐!」
「別に」
短く答えた。
少女は黒いセーラー服、黄色いリボン、ニーハイの黒い靴下、そして頭にうさ耳のカチューシャをつけている。いつもの望遠鏡を入れたバッグは宿屋とか別の場所にでも置いているのだろう。
浮橋陽奈。
サツキがこの浦浜に来て号外を見てから、引っかかっていた人物である。
――あの新聞の号外について、聞くべきか……? いや、首を突っ込むのは主義じゃない。
最初に、地動説に関する号外のことを聞こうとしたが、その話題はやめた。別件を思い出したのである。
――そうだ。王都で借りたハンカチを返さないと。あと、ハンカチのお礼に、田留木城下町でお土産を買ったんだ。
ハンカチを取り出そうと思ったが、ヒナはなにかを疑うような眼差しでジロジロとサツキを見ていてなんとなく身動きが取れない。
「やっぱりあんた、なにかが他の人と違う」
勘が鋭いのかなんなのか、ヒナはそんなことを言った。サツキは思わず閉口する。ハンカチを返そうとしていたのに、そんなことさえ言い出しづらい。
「怪しい」
サツキもさすがに少し困って、
――人のことをジロジロ見てるそっちのほうが怪しいと思うが。
と言いたいが、別のことを言うことにした。
「ヒナ」
「サツキ」
同時に、ヒナもサツキになにか言いかけた。
「なにかね?」
「あ、あんたこそなによ?」
「……」
ヒナに聞き返され、サツキは考える。
――なにか言い出しにくいことでもある様子だな。やっぱり、号外のことだろうか。初めて会ったときも、それでクコに突っかかっていたしな。
考えていると、ヒナは言った。
「サツキ。あたしは今日、あんたのせいで変な騎士に追い回されて大変だったんだから」
「それはすまないことをしたな」
「ふん。まったくよ。あんたに聞きたいんだけど、いいかしら」
「あの騎士たちのことか? 事情があって……」
「そんなことはどうでもいいの! もっと大事なこと!」
真剣なヒナの瞳を見て、サツキは促した。
「どうぞ」
「あんた、地動説を――」
そこまで言って、ヒナは口をつぐむ。周囲の視線が気になったのである。ちょうど号外にあった話題を白昼堂々していたら、往来の関心を集めること必至だ。
サツキは周囲の視線とヒナの表情を読み取り、
「砂浜へ行こう」
と歩き出した。




