7 『天空スインギー』
玄内は風の吹くまま気の向くまま、山上公園に来ていた。
――良い風だ。
潮の香りが染み込んだ空気を胸に吸い、公園内を歩く。
適当に座れる場所を探していると、ベンチを見つけた。
――ここでいいか。
ベンチに腰を下ろす。
海が望める長いベンチである。
いかにも港町らしい風情を楽しめる場所に座り、玄内は甲羅の中から包みを取り出した。
――やっとご対面。
包みを開けると、ふわあっと湯気が立ち上る。
――あいつらがいる前じゃあ、一人だけ食後の甘味を楽しむなんてできねえしな。
グルメな玄内だが、彼なりの体裁というものがあるらしい。
湯気の下にあるのは、ふっくらとしたあんまん。
――あんまんよ。はじめましてだな。あの二人がやってる『戸来屋』の肉まんとシュウマイは、昔から至高の一品。だが、今日はあんまんにも挑戦。道場破りだ。
まずは、あんまんを二つに割る。
――これこれ。すごい湯気。あんまんは肉まん以上に中身が熱くなる。何度舌先を火傷させてきたことか。
ニヤリと口元をゆがめ、自分の食事手順を楽しむ。
「いただきます」
それは口に出して、玄内は一口食べる。
――ほう。顔くらいにでかいあんまんだから、大味の可能性も考えていた。だが、どうだ。こいつは口に入るや、しっとりと上品に挨拶をしてくるじゃねえか。甘すぎないがまったり口に広がる。
プーアル茶を飲み、短く息を吐く。
――この大きさだし、荒削りな若いカンフー使いと戦うつもりで食い始めたが、老師の丁重な挨拶から始まり、手取り足取り教えてもらってるみたいな感じだ。
ふと、玄内は横に不思議な存在感を覚えた。
視線を向ける。
そこには、少年が座っていた。
同じベンチの端と端。
少年は、髪を後ろで一つに束ねている。年の頃は、サツキと同じくらい。柔和な顔つきだが、目が澄み渡り、天性の勘が働く玄内には、彼がただ者でないとわかる。持ってる刀も最高位のものである。
だが、今はそんなことは関係ない。
少年の手にもあんまんが握られていたからである。
――お。ここにもいたか。老師に学ぶ門下生が。
向こうも玄内に気づき、にこっと微笑む。
「どうも」
「おう」
互いにあんまんをちょいっとかかげて挨拶。
「雰囲気ですねえ」
「だな」
言葉をそれだけ交わし、玄内は思い出す。
――そうだ。こいつ、王都で会ったのか。あのときはお面かぶってたから顔は見てねえが、この空気感は間違いあるまい。それに、刀が同じだ。忘れるはずもねえ。
王都ではぺんぎんぼうやのお面で顔を覆っていた少年だが、今はそのお面はつけてない。
――刀も一つ、増えてやがる。天下五剣に加えて、良業物『戸和安寧』か。扱いにくい刀を持つたぁ、妙味があるじゃねえか。
玄内は海を見つめたまま口を開く。
「甘いもんは好きか?」
「ええ。そりゃあもう」
「へっ」
「ははっ」
また二人は笑い合い、あんまんをほおばり、無言で食べる。
――つかの間の同志よ、おれは行くぜ。
すっと玄内は立ち上がり、少年に小さく会釈して立ち去った。
少年は会釈を返し、海を眺めながらあんまんをほおばる。
「おいしいなあ」
視線だけ歩き去るカメの背中へと切り、つぶやく。
「いなせだねえ。あの人。王都でもお会いしたが、なにか心境の変化でもあったかなァ。ますます、興味深いねえ」
波止場に、岬のように突き出した場所がある。
岬は船の停泊がしにくいため、灯台が置かれるケースが大半だが、ここにも白い灯台があった。
『くじら館』
実は、船である。
岸にくっついて存在する小島のようでもあるのだが、人工的な流線形はまさしく船であり、くじらを模した形状になっている。また、白い灯台はくじらが潮を吹くのをイメージしていると言われている。
ここに、ナズナとチナミはやってきていた。
「くじらの背中に、乗ってるみたい」
「だね」
この『くじら館』は、一つの小さな町のようにあらゆる生活機能を備え、常に浦浜の波止場にあり続ける。
いくつもの商業施設が入り、買い物を楽しめる。
浦浜の観光名所でもあった。
屋上――つまり甲板はイベント会場にもなっており、くじらの背中で様々なイベントが開催される。
四月十三日。
本日ここは、ジャズのコンサート会場になっていた。
「楽しい音楽……」
「うん」
ナズナは特別ジャズを好んで聞くほうではないが、どんな音楽も興味があるし好きだった。
自然と身体が音楽に乗って動いているナズナを横目に、チナミがぽつりと言う。
「私、ジャズはわからないけど、良い曲だね」
「ふふ。わたしも、わからないよ。演奏してる人が……うまいんだと思う」
「そっか」
チナミは周囲を見回す。
――やっぱり、外国の人が多い。
ジャズはメラキア合衆国が起源だと言われている。晴和王国では、この浦浜がジャズを全国に広める拠点にもなってる。メラキアなど海外からの船が多く出入りする影響である。王都の近くだと、光北ノ宮もジャズが盛んで、毎晩どこかでジャズの演奏会が見られる。
数曲を聞き終えたあと、ナズナは言った。
「もう少し、『くじら館』見て行く?」
「大丈夫。外に出よう」
と、チナミが言ったとき。
声がした。
「ワオ! あいつらじゃないアルか?」
不穏な気配に、チナミはもう巻物を口にくわえていた。
くノ一の衣装と髪型に変身する。
口にくわえると変身できる巻物なのである。巻物がポッと消えて、足先から順番に変身していく。下から順番に上へと向かって変身して、最後に髪型が変わって額当てが装着された。
「見つけたアル! 士衛組!」
相手は二人。どちらも女騎士。アルブレア王国騎士の紋章が衣装にワンポイント入っていることから、まず間違いなく騎士だと思われる。
ナズナはビクッと身体を震わせる。
「ち、チナミ、ちゃん……騎士が」
「わかってる」
振り返って、チナミはただでさえ小さいのに姿勢を低くして構えてみせた。
アップテンポなジャズが流れ始める。
周囲の人々は変身して忍者になったチナミを見て、ショーかなにかと勘違いしたのだろう、歓声が起こる。
「WOW! ニンジャ!」
「おもしろそうだな」
「なんか始まったみたいだぜ」
みんながみんな、チナミの変身を喜んでいる。
「ナズナ、飛んで」
「うん」
まずはナズナを飛ばせて敵との距離を作り、主な戦闘はチナミが受け持つ。そんな算段である。
空を飛べる魔法は、世界中でもほとんどの人間が使えない。だからか、また歓声が起こった。
「飛んだ!」
「すげー!」
「がんばれー」
二人の女騎士は舌打ちして、地上にいるチナミに向き合う。
「ワタシは『レッドヒットマン』水知留黒」
「アタシは『モノクロの暴走列車』浦町矢春」
ルックロウとヤーバルは、チャイナ服風の衣装をまとっており、他のアルブレア王国騎士とは雰囲気が違った。二人共、黎之国とアルブレア王国のハーフだった。年は共に二十代前半といったところ。背はルックロウが一六二センチほど、ヤーバルが一五五センチほど。ヤーバルの肩にはパンダのぬいぐるみが乗っている。
「先制、《麻ボール》!」
素早くルックロウが投球した。
投げた物は、魔力の玉。
――赤い魔球。
ただの玉ではないと瞬時に読み取ったチナミは、弾むような身のこなしで避け、続いて投げられる玉も連続で避ける。
そのうちの一球が、観客の男性にぶつかった。
「おっと。あれ?」
腕にぶつかった客は痛みや衝撃さえ感じた様子はないが、腕を押さえる。
「うわ、なんかしびれる」
それを見て、チナミは「なるほど」とつぶやいた。
得意げにルックロウがまくしたてる。
「ワタシは『レッドヒットマン』。魔法は《麻ボール》。魔力の玉を投げて、ぶつかった相手のぶつかった場所をしびれさせる魔法アル!」
「もしこれが口に入ったら……」
と、意味ありげにほくそ笑むヤーバル。
そこで、《麻ボール》が観客の女性の口に入った。
「辛っ! イヤーン! 全身がしびれるぅ!」
大げさなリアクションだが、倒れた女性の身体が動かなくなり、痙攣でもしたようにピクピクする様を見れば、その効果が本物だとわかる。ただ、喜劇的にも見えるリアクションのせいで、観客たちはそれが演出かなにかだと思ってしまう。
――変な魔法。
チナミは忍び刀のように背中に回している良業物五十振りの一つ『冷泉飛鳥』を抜刀した。
「辛そう」
短い感想に、ルックロウはニタリと笑った。
「辛いに決まってるアル! 食わせてやるネ!」
「いらない。私、甘党だから」
「生意気アル!」
『レッドヒットマン』ルックロウが両手に《麻ボール》を握って構え、チナミは下段に構える。
すると、ジャズはますますテンポを上げて音色が激しくなっていった。
このショーを盛り上げようとしているのか、演奏に力が入る。観客たちも熱気を高めていった。
ナズナがこのジャズに合わせるように歌った。
「力があふれる……! ナズナ、ありがとう」
応援歌。
《勇気ノ歌》
歌って、魔力を高め、筋力を上昇させる。
この歌のおかげでサツキは王都でオーラフ騎士団長と勝負できたといっていい。カイエンとの戦いのときも、この歌があったからこそ、相手の動きについていけた。それだけ影響力がある。
――あの肩に乗ったパンダは、意味不明。魔法かもだし、要注意。
投球と回避の戦いになり、チナミは避けながらも敵に接近して斬りかかった。
が。
相方のルックロウを守るように、ヤーバルが剣を抜いてチナミの攻撃を受け止めた。
「軽い剣のコトよ」
チナミはすぐさま後退し、その間に投げられた数個の玉も軽やかに避け、扇子を取り出して舞わせた。
「《砂塵演舞》」
合図がなくとも、その技を見れば、ナズナも逃亡のための技だとわかる。
砂の目隠しを使った遁甲術。
二人は遁れる。
このチナミ一流の魔法によって、さっさとくじらの背中から離れた。
くノ一の如き挙動で、チナミは『くじら館』の外壁を走る。壁走りで船の側面を駆け降りる。一方、ナズナは空を飛んで船の側面を伝うようにした。
「逃げられるかな……?」
「微妙」
ナズナの疑問に即答し、チナミは壁を強く蹴って前方に飛んだ。これにより、上から落ちてきた数個の《麻ボール》を回避。《麻ボール》は落下運動を続ける。
「さすがに動きがいいアルね!」
「士衛組の『小さな仕事人』海老川智波と『天空の歌姫』音葉薺! 話以上アルよ!」
飛んだチナミをナズナが抱え、
「仰向けに」
「うん」
指示を受け、ナズナはくるっと身体の向きを変え、二人は仰向けになる。
チナミは扇子を一つ振り上げた。
「《疾手》」
すると、落下してきた《麻ボール》が上昇気流に乗り、加速度をつけて勢いよく空に飛んで行った。
そして、チナミと同じように壁から降りてきていたルックロウに一直線。
「うそ!? ヤバイアル」
「呼んだアルか?」
「ヤーバルじゃなくてヤバイって言っ――アイヤーっ!」
ベチン! と強烈な音を立てて、《麻ボール》が顔面に当たった。ルックロウがうめく。
「顔面がしびれるアルー!」
うめきながらルックロウは口を大きく開いていた。そこに、急上昇してきたもう一つの《麻ボール》が吸い込まれてしまった。
「痛いアルあむ!」
「ルックロウ!」
相方を心配するヤーバル。
「アイヤァァァァァァアー! しびれるアルぅ!」
絶叫。
さっきより1オクターブ高い声で叫び、身体をピクつかせて落下するルックロウ。
そんな相方を抱き止めようとするヤーバルに、チナミは風を送る。
「《砂異眠演舞》」
「さっきと違うアルか」
警戒したヤーバルがさっとルックロウから離れる。
「え?」
ルックロウは飛んできた砂に気づくのに一歩遅れ、
「くぴー」
と眠ってしまった。
「この砂、目に入ると眠る」
手に砂を持ってそう言うと、チナミはまた扇子を舞わせた。
「じゃ」
挨拶して、砂嵐を起こす。
だが、相手には聞こえない声でこう言っていた。
「《砂塵演舞》」
今度の砂はただの砂。
逃げ失せるための目隠しでしかない。眠らせる効果など持たないが、ヤーバルにはこの砂が眠りか煙幕か、その機能の判別がつかない。
砂嵐が起こると、ヤーバルは目をつむった。
「くそっ! 厄介アル!」
そろそろ空中戦も終わる。
ナズナはチナミを抱え、途中で手を離す。そのとき、「ナズナは上空に」とチナミにはささやかれ、ナズナは「うん」とうなずいた。
チナミは空中で膝を抱えくるくると回転して着地し、
「《潜伏沈下》」
と小声で唱え、ドロンと地面に溶け込む。
ナズナは急上昇して砂煙を突き抜け、くじらの背中にまで戻る。
そのあと、ヤーバルが着地してみると。
「砂嵐も止んだアル。……あれ? ルックロウ? どこアルか」
どこにも、ルックロウの姿はなかった。
ヤーバルは叫ぶ。
「やられたー! やられたアル! ルックロウもさらわれた! 逃がさないネ!」
肩に乗せていたパンダのぬいぐるみをつかみ、ぽいっと前方に向かって投げた。
「《自転車友達・大熊猫謝謝》!」
すると、ぬいぐるみが自転車になった。
パンダをモチーフとした不思議な形状の自転車。まるで遊園地やデパートの屋上にある遊具、キディライド機のようである。あるいはパンダカーがより近いだろうか。
『モノクロの暴走列車』ヤーバルは自転車にまたがる。
「ちゃあああああ! 《大熊猫加速》!」
自転車はエンジンが搭載されているかのような猛スピードで波止場から離れて町へと消えて行った。
一方、波止場の地面。
地中に潜むチナミからは、魚眼レンズのように地上の様子が見える。視認可能範囲からヤーバルが消え、そろそろいいかと思って、鼻から上だけ地面から出して様子をうかがう。
ヤーバルがいなくなった。
それを確認して、身体ごと出てきた。
最後に右手を引き揚げると、足首を握られたルックロウがいた。
落下してきたルックロウが、地面にぶつかる直前、その身体を受け止めるようにして地面に引きずり込み、《潜伏沈下》でいっしょに沈んでいたのである。
ルックロウは眠ったままだったが、地面に潜っている間に呼吸ができなくなって、気を失ってしまっていた。
チナミは『レッドヒットマン』ルックロウの手足を縛り、波止場の先にくくりつけておいた。みの虫みたいにつり下がっている。
くじらの背中から遠くを見ていたナズナがふわっと降りてくる。
「どう?」
聞かれて、ナズナは答える。
「大丈夫。もう……見えないよ」
「了解」
額に手を伸ばし、チナミは額当てを外した。額当てがボンと小さな煙と共に巻物に戻る。変身が解かれ、チナミの髪型や服装もマリンルックに戻った。
ナズナはトンと足を地面につけて着地する。
「サツキさんに、報せたほうが……いいかな?」
「だね。合流するときに言おう。敵の数もわからないし、どこでどう戦闘が始まるのか、すれ違いで戦わずに済むかもわからない。もしかしたら、もう他でのバトルが始まってる可能性もある。急ぐ必要はない」
「じゃあ……」
「うん。まずはぺんぎんぼうやミュージアムに行く」
二人は予定を変更することなく、目的地に歩を向けた。
浦浜の先端で始まったこの騒ぎは、波紋のように、この港町全体へと広がってゆく。




