29 『海老川智波は約束を交わして踏み出す』
話がまとまったところで、サツキがカエデに質問した。
「あの。カエデさん」
「なにかな」
「さっき、手を叩きましたよね。魔法ですか?」
カエデは穏やかに微笑んだ。
「やっぱり、サツキくんは気づいていたんだね。そう。ボクの魔法だ。《柏手音撫》といって、柏手を打つと、いろいろな効果を与えることができる。たとえば、さっきの場合は精神を平静にする効果がある」
これによって、クコがしゃべりやすくなったらしい。
「対象は音を聞いた相手。その中から対象者を選定することもできる。音を聞いた瞬間、対象者はその音が聞こえた事実さえ忘れる。他にも、黙らせたり筋力をパワーアップさせたり眠らせたり、ボクの思いのままに効果は変えられる。むろん、できないことも多い。万能の魔法じゃないよ」
「そうでしたか。納得しました。すみません、ありがとうございます」
「いいえ。キミは本当にいい目を持ってる」
「恐縮です」
「サツキくんにならば、娘を任せるに憂慮もない。さて、ナズナ。クコちゃんに聞きたいことがあるなら、早めに聞いておくといい」
さらりと流してカエデがナズナを促す。
うんとうなずき、今度はナズナがクコに質問した。
「クコちゃん……どんなところを旅するの?」
「これから、『風の迷宮』鳶隠ノ里へ向かいます。そこで忍者の方をひとり、仲間にします。そのあとは『世界の窓口』浦浜港へ行き、船に乗り、ガンダス共和国へ。仲間のアテはほかにありませんから、あとはまっすぐアルブレア王国へ向かって大陸横断ですね。あっ、ひとつ忘れてました」
「なに?」
とナズナがクコの顔をのぞき込む。
「ルーンマギア大陸をゆく最中、寄る場所があります。場所はタルサ共和国に面したルーリア海。『幻の秘境』と呼ばれる神龍島へ行かなくてはなりません。そこに、海老川博士という学者様がいて、その方に会うよう博士に言われてまして……」
驚嘆した顔を、その場の全員がしている。その名に覚えのないバンジョーだけはぽかんとした顔だが。
クコは言葉を止めて、思わず聞いた。
「みなさん、どうされました?」
答えたのはチナミだった。
「それ、私のおじいちゃんです。名を、海老川智世といいます。なぜ、会いに行くんですか?」
驚きと興奮、そして期待が入り混じった調子で、チナミが問う。クコは的確に答える。
「わたしを送り出してくれた博士からの助言です。海老川博士から、国を救うためのアドバイスをもらいに行きなさいと言われました。二人は研究仲間なのだそうですよ」
にこりと微笑むクコを見返して、チナミは言った。
「私も行きます」
「え?」
「チナミ……ちゃん……?」
クコとナズナがびっくりしている。だが、バンジョーは豪快に笑った。
「なっはっは! おじいちゃんには会いてーよな。それに、ダチも行くってんなら、そのダチを心配にも思うモンだろ。行こうぜ」
サツキが聞く。
「来てくれるのか?」
「はい」
チナミはしかと答える。
昨晩もいっしょに行動して、チナミがかなり動けることも、扇子による魔法を使えて頼りになることも知っている。ナズナばかりでなく、チナミまで仲間になってくれるのは、とても大きな力になる。
じっとサツキの顔を見上げて、チナミは言った。
「おじいちゃんに会いたい。ナズナのことも心配。それに、サツキさんのまっすぐな気持ちといっしょに進みたいと思いました。ただ、一つ約束してください」
「約束?」
こくりとチナミがうなずく。
「決して、止まらないでください」
「うむ。約束する」
チナミはまた、こくりとうなずいた。
――私は、サツキさんの真剣な顔が好き。助けたいって思う。おじいちゃんも前に言ってた。
チナミは祖父の言葉を思い出す。
『旅をするのに大事なのは、どこへ行くのかじゃない。だれと行くかだよ』
だから、チナミはサツキに頭を下げた。
「よろしくお願いします。私もいっしょに、少しずつ強さを積み重ねて、その道を共にゆきます。終わりのときまで止まらずに」
「よろしく。チナミ」
「はい。サツキさん」
サツキはチナミの強い瞳を見て、意思を強くする。
――止まらないよ。終わりのときまで。俺も積んで積んで、積み重ねてゆく。いろんな強さを少しずつ集めて、前に前に進んでゆく。
「えっと、あの……」
勝手に話が進んでクコは慌てていた。
「そういうことでしたら、チナミさんのお家にも寄って、ご両親に許可をいただかなくては」
「うむ。確かにそうだ」
同行を決めたチナミを見て、サツキも勝手に仲間になった気でいたが、このまま出発するわけにもいくまい。
一行は海老川家にも立ち寄った。
チナミの両親、海老川智寛と海老川夏波。
父は『名人』と呼ばれる将棋指しであり、元将軍家の指南番をしていた。特にナズナの父カエデは将棋にも関心があったため、二十年来の仲でもあった。
――つまり、俺とクコとルカが買った《気分転換扇子》を使ってる『名人』とはこの人だったのか。
二人からの挨拶を受けてサツキはそれに気づいたが、今は雑談しているときじゃない。
クコは二人に今一度説明をした。
ナズナの両親も、我が子が旅立つことをトモヒロとナナミに話す。
我が子チナミと幼馴染みにして同い年のナズナが旅立つことを聞かされると、トモヒロとナナミも意を決したようだった。
チナミの顔を見て、これは折れないな、と悟ったのが決め手である。
送り出す決意を固めると、トモヒロが言った。
「チナミ。お父さんから餞別だ」
「餞別」
チナミが父を見上げると、トモヒロは奥から箱を持ってきた。箱を開けると、中には刀が入っていた。柄は水色、鞘は黒色。
「お父さんの刀だ。良業物五十振りの一つ、『冷泉飛鳥』。やや小ぶりに見えるが、軽くてよく疾る。切れ味も保証する。飛ぶように駆けるチナミが持つにはちょうどいい刀だ」
「いいの?」
「もちろん。こんなときのために、手入れしてきたんだ。持っていきなさい」
「わかった。ありがとう」
話がまとまると、みんなそろってバンジョーが作った特製の昼食をいただいた。ナズナとチナミにとっては、アルブレア王国奪還までに家族と食べられる最後の食事であった。
食事中、しょうゆの入った瓶をチナミが求めて、カエデに言う。
「おしょうゆください」
「どうぞ」
人数がいるから二人の席は離れている。しかし、カエデがとんとしょうゆの瓶に触れると、瓶が消えてテーブルの中央に移動した。元々しょうゆの瓶が載っていたトレイの上にある。
「ありがとうございます」
「今のは?」
サツキがチナミに聞くと、ナズナと二人で教えてくれる。
「《還手》という魔法です。触れた物体を、元あった場所や時間に還すことができます」
「お、お父さんは、壊れた物も……直せます。お父さんの、もう一つの魔法、です」
どうやらカエデは二つも魔法を持っていたらしい。
カエデがにこりと微笑み、付け加えるには。
「対象は物体のみ。時間と場所を同時に還すこともでき、距離の制限はないが、時間の制限はボクが生まれた時まで。物体は転移するように消えて元の場所に還る。また、場所の対象を人に設定することもできるよ」
「なるほど。用途がたくさんある魔法ですね」
また、カエデはにこりと微笑み、みんなが別の話題でしゃべる。
昼食後。
家の外に出た。
馬車の前で別れの挨拶をする。
「チナミ、おじいちゃんによろしくね」
「またおじいちゃんにいっぱい遊んでもらいなさい」
母ナナミと父トモヒロにそう言われて、チナミは意気込んだ顔で答える。
「了解。任せて」
今度はナズナの両親が言う。
「クコちゃん、チナミちゃん、みなさん。ナズナをよろしくお願いします」
「ナズナ、あなたは一人じゃないのよ。みんなと力を合わせてね。そうすれば、きっと大丈夫だから」
「うん。いってきます」
名残惜しい顔をする親子だが、目でわかり合っているようでもあった。
「『士衛組』の活躍を祈っています」
代表してカエデが最後にそう言って、士衛組の六人は「行って参ります」と挨拶を返した。
この日、同時に仲間が二人増えた。
音葉薺と海老川智波。
幼馴染みの少女二人が、共に旅立つことになった。
天都ノ宮ではナズナとチナミのほかにバンジョーも仲間に加わったし、一気にメンバーが六人になり、追い風が吹き旅の勢いを増しているような、そんな気配をサツキは感じていた。
馬車に乗る際、背中を押すような風がサツキに吹きかかったように思った。時代の風は、きっと追い風だ。
「次は、玄内先生の家だな」




