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40. お兄ちゃん救出作戦

新章突入。

野球はしばらくお休みになります。



 ここは倉庫だろうか、分厚いコンクリートの壁に囲まれた、だだっ広い空間に、資材やら段ボール箱やらが積まれている。

 拉致された敬は、転移魔法でここに連れ込まれた際、したたかに抵抗を試みたせいで、眠らされてしまった。

 今は椅子に縛り付けられ、その上から緞帳のような厚手の布で、足首の辺りまでぐるぐる巻きになっている。


 椅子に固定された敬の前に豪奢なソファが置かれ、紅いバスローブを身に纏った黒髪の若い女性が寝そべって、気怠げに敬を眺めていた。

 未成年のようにも見える幼げな顔立ちだが、その姿は妖艶で、どこか禍々しさを感じる。


 女性は長い黒髪をゆっくりと掻き上げながら座り直し、ソファの前でひざまずいた男に視線を落とした。

 ひざまずいた男はアニキと呼ばれていた若頭、そして黒髪の女性こそが、異世界では魔王の右腕と呼ばれた女、リーファであった。




 リーファがアニキを真っ直ぐ見下ろして、口を開く。

「ふうん。お前以外の奴らみんな、この子の妹にやられた、てわけね」

「はっ、ひとり連れてくるのがやっとで――も、申し訳ありません」


 アニキが頭を垂れたのは、謝罪の意味だけでなく、リーファの右脚がアニキの左肩にずしり、と置かれたからだった。

 盛大にはだけたバスローブから、形の良い太ももが露わになる。

 

「お前たちには、わたしのマナを分けてあげた筈よね」

「はっ、そのとおりです」


「それが妹ひとりにほとんどやられて、わたしがお前に付与した転移魔法がなかったら、兄のほうだって連れて来られなかった」

「――返す言葉もございやせん……」

 唇を噛みしめながら、アニキが頭をなおも垂れる。


 武闘派で知られた暴力団の若頭とあろうものが、こんな小娘に刃向かえないのは、屈辱以外の何物でもなかった。

 しかし組長の家族を人質にとられるという、もっとも卑怯な手段で脅されていては、リーファの駒となって動くしか道はなかった。




「いいよ、わたしの認識がちょっと甘かったんだ。魔族のマナを授かったお前たちが、むざむざ人間にやられるなんて、思いもしなかった……で、その妹ってのは何者なんだい? そいつきっと、普通の人間じゃないよ」

「はっ、染谷愛、例の証拠を持ってトンズラした公安の娘でして……ううっ」

「そんなことはもう分かってるよ、この役立たず」

 リーファは右脚にわずかに力を入れただけだったが、それでもアニキの肩がめきめきと音を立てて、顔が苦痛に歪んだ。


「ま、いいわ。敬だっけ、この子が目を覚ましたら、妹が何なのか口を割らせなさい」

「はっ」

「証拠と引き換えの大事な人質だからね、殺すんじゃないよ」

「はっ、分かりやした」


「それじゃあわたしは、ちょっと遊びに行ってくるよ」

「…………」

 にやりと笑ったリーファの、好色そうな顔を見上げたアニキは、咄嗟に目を背ける。

「あーあ、連れてきたのが妹の方だったら、わたしも楽しめたんだけどなあー」


 アニキの噛みしめた唇から、つっと血がこぼれた。

 リーファの表情を察するに、また組長の一人娘の処だろう。

 この化け物が相手では、箱入りのお嬢様がどんな目に遭わされているのか、分かったものではなかった。


 だがアニキの立場では、意見することさえも叶わない。

「いって……らっしゃいやせ……」

 バスローブを残して、転移魔法で消え去ったリーファにかしずきながら、かろうじて声を絞り出した。




「おい、始めるぞ。早くしろ」

 倉庫に残されたアニキが、携帯で連絡を取ってすぐに、別室で控えていた構成員たちが、バタバタと走りこんで来る。


「遅えぞ、この野郎」

「へいっ、すいやせんっ」

 理不尽な言いがかりではあったが、リーファの悪意ある命令を矢面に立って受け止めているアニキに、文句を言える筈がなかった。


 縛り付けられたまま眠っている敬の椅子を、構成員ふたりに抑えさせ、アニキがぽきぽきと指を鳴らしながら近づいていく。

「殺さなきゃあ何やってもいい、てお達しだ。徹底的にやるぞ」

「へいっ」


「いつまでっ、呑気に寝てやがんだよっ」

 邪悪な笑みを浮かべたアニキが、リーファから受けた仕打ちの鬱憤を晴らそうと、握り拳を作って、敬の頬目掛けてパンチを繰り出す。


 だがその右ストレートは、敬に届く事はなかった。




 ビシッ。


 アニキのパンチが横凪に払われたかと思うと、ぼおっと白い光が敬との間に割って入ってきて、やがてくっきりと人間の形となった。


 現れたのは、長い銀色の髪をなびかせた、絶世の美女。

 そして一糸纏わぬ姿で、アニキを真っ直ぐ睨んでいた。




 以前のアニキなら、何が何だか分からず「痴女かよっ」とか叫ぶ処だが、リーファに組を乗っ取られ、顎で使われている今では、一瞬でほぼすべてを理解した。

 ――このスケはリーファと同じ、異世界の人間。

 転移魔法を使って、ここまで瞬間移動してきた。


 そして銀髪の美女から放たれる神々しいまでのオーラは、きっとアニキやリーファと対極の位置に立っている者であろう。

「お兄ちゃんに、何するのっ」

 彼女がすかさず繰り出した掌底を鳩尾付近に受けながら、アニキの頭はカシャカシャと目まぐるしく計算を始めた。


 女性の放った掌底とは思えないほど、その衝撃は凄まじく、アニキの身体は後方数メートル先まで吹き飛ばされ、凄い音を立てて段ボールの山にめり込んだ。




「このヤロー、何てことしやがるっ」

「やっちまえっ!」

 野太い怒号が倉庫に響き渡る。


「待てーっ! この女に、手ぇ出すなっ」


 色めき立つ構成員たちを制止したのは誰あろう、掌底を食らって悶絶したアニキだった。

 そしてよろよろと美女の元へ近付くと、ガバッと土下座した。


「お願いしますっ! 俺たちを、この組を助けてくだせいっ!」


 白いオーラを盛大に放出しながら、戦闘態勢に入っていた美女は、突然の土下座に戸惑い、拳の振り下ろし処に困惑の表情を見せていた。

「えっ……ごめんなさい、状況が全然飲み込めてない……それにどうして私、シーナになってるの?」


 転移魔法を使った影響なのか――それ以外に原因は考えられないが――愛はシーナに、その姿を変えていたのだった。




「おい、この方に何か、着るものを」

 シーナの前に跪いた状態で、アニキが指示を出す。

「へいっ」

「ありがとう――やだこれ、リーファが着てたでしょ」

 構成員のひとりが紅いバスローブを渡すと、シーナは美しい顔をわずかに歪めた。


浄化リフィック

 その手から放たれた魔法により、バスローブは薄いピンクへと色を変えた。




 バスローブに袖を通すシーナの前で、アニキは訥々と、組が陥っている悲惨な状況を訴え始めた――もちろん自分に都合の悪い事は全部隠して、である。

 以前から昵懇にしている権力者の依頼で、裏の仕事をしていた事、1ヵ月前に突然現れたリーファに組を乗っ取られた事、少なからぬ構成員が人間では無いものに変えられ、組長の家族を人質に取られ、いいようにこき使われている事、などなど。


「お兄ちゃん――この子を攫ってきたのも、リーファの命令?」

「はい。正確には、とある方からの依頼ですが……組長を通してそっち方面にパイプを作り、政治の中枢に入り込む。つまり最終的に日本を乗っ取るのが、あの女の狙いだと思いやす」

 組の乗っ取りは、踏み台に過ぎない。

 目的を果たしたら、組ともども、蟻のようにひねり潰される。

 リーファの手駒として働きながら、アニキはそれを実感していた。


「日本征服――リーファならそこまで、やりそうね……」

 シーナになった愛は、跪いたアニキに背を向け、敬を縛り付けていた縄をほどいて、ぐったりした敬を抱き上げている最中であった。

 そしてアニキに向き直ると、その澄んだブルーの瞳でまっすぐに見つめた。


「リーファは、斃す。斃さなくちゃ、この国がヤバいよね」




「……! ありがとう、ございやすっ!」

 再び平伏しようとするアニキを、シーナは冷たく見つめたままだった。


 シーナには、アニキの魂が見える。

 自分さえ、この組さえ助かれば良い。

 そのためにシーナを利用する魂胆が透けていたし、その魂もどうしたらここまで汚れられるのかと思うほど、汚れきっていた。


「――ねえ。この子のお父さんに、お母さん……椎名夫妻を殺したの、あなたたちだよね?」

「…………」

 下を向いたまま応えないアニキ。

 シーナもそれ以上、問い質そうとはしなかった。




「リーファは、斃すよ。それは約束する」

「……」

「でもあなたたちの事情は、まったく別の話。闘いになっても、あなたたちに一切の配慮はしないから、そのつもりでいて」

「…………」


 そう言うが早いか、シーナと敬の身体が、ぼおっと白銀のオーラに包まれた。

 転移魔法を使おうとしているのは明らかだった。

 そしてふたりは、その着衣を残してすっかり消え去った。


「舐め……やがって……」

 アニキはひざまずいた姿勢のまま、鬼の形相でその様子を見送った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 『証拠と引き換えの大事な人質だからね、』 両親がが殺された理由はこの証拠かもしれないけれど、リーファ、異世界にいたんじゃないの? シーナが転移する前に殺されていたんだし。 しかも、敵が人街み…
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