38. それぞれの打ち明け話
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パーフェクトあり、落雷ありで、普久島にとってほとんど良い事のなかった試合が終わった、明くる日。
野球部の練習は休みで、素振りとトレーニング程度の軽い個人練習も終え、早めに帰宅した道雪と亜蘭の家に、清司がテイクアウトの寿司を持って現れた。
「うをー、寿司だあ」
「今夜で帰るからね、お別れの挨拶ついでに、一緒に食べようと思って」
「どうぞどうぞ、散らかってますが」
幼い頃から寿司といえば、実家の民宿で作る海鮮ちらし。
それはそれで美味なのだが、握り寿司に対しては、憧れに近い感情があった。
そんなわけで道雪はもちろん、亜蘭も大喜びで、清司の差入れは大成功である。
突然の寿司来訪に、今夜の食卓は賑やかなものとなった。
「あー、うまいー、んー、うまいー」
「ドーセツやめんね、みっともない」
「良いんじゃない。そんだけ喜んで食べてくれると、寿司も幸せだよね」
道雪がひと口食べる毎に雄叫びを上げるので、亜蘭は恥ずかしそうに、清司と一緒に苦笑いをする。
「川田さん、今日帰るんですか――東京でしたっけ」
「うん、出身は東京だけどね、今日はその事でも話があるんだ」
清司が亜蘭の目を覗き込むように見つめ、やがて道雪に視線を移し、再び亜蘭に戻した。
「俺ね、君たちの言うシーナ――愛ちゃんの同居人なんだ」
「えっ」
「んんっ、んがんぐ」
寿司を頬張っていた道雪が、吹き出しそうになったのか両手で口を押さえ、ゆっくり味わいながら飲み下す。
「かっ、川田さんはシーナと、どういうご関係ですかっ」
口の中のものを綺麗にしてから血相を変えて立ち上がったのだが、客観的にはかなり間抜けなタイミングであった。
「保護者代わり――だね。愛ちゃんはお兄さんの敬くんと一緒に、上司の養子になってて、4人で一緒に暮らしている。俺は住み込みで働いてるんだ」
「住み込み……って、川田さんとこも旅館か何かですか」
「いや、寺だよ」
「それで川田さんは――シーナは、どけん寺に住んどるとですかっ?」
清司は本職である警官の眼で、道雪と亜蘭を観察する。
好奇心で瞳を輝かせている亜蘭に対し、道雪は明らかに平静を失っている。
秘密を抱えているのは、やっぱり道雪の方だろう。
――ほんとこの子たちは素直で、分かり易いなあ。
さて、ここからどうやってドーセツくんから情報を洗いざらい引き出すか。
ここからが腕の見せ処である。
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「実は串馬まで来たのは、学校の調査だけじゃなく、もうひとつ目的があって、だね」
道雪の質問に清司は応えず、話を続けた。
「さっきも言ったように、俺は愛ちゃんたちの保護者だ。ちょっと事情があって兄妹に危害が及ばないよう、文字通り保護している。そんな中で、愛ちゃんの消息を尋ねるコメントが、動画サイトやジャズ喫茶の掲示板に、数回あった――あのコメントを書いたのは、どっちかな」
「あっ、あたしです」
亜蘭がはっきりと応えた。
「亜蘭ちゃんは、愛ちゃんとどこで知り合ったの?」
この時代だ、SNSなどで交流があったとしても不思議はないだろう。
「いいえ、あたしは愛さんと会った事、一度もないです」
「スマホとかで遣り取りした事、あるとか」
「ないです」
「んー。じゃあさ、亜蘭ちゃんはどうして、愛ちゃんを知ったのかな」
「えーと、その……ピアノ上手に弾く、えらしか子だな、と思って……」
途端に亜蘭の歯切れが悪くなり、チラチラと道雪を何度も見つめる。
ふたりで秘密を共有している事、そしてそれは道雪の秘密である事を、清司は確信した。
「――愛ちゃんはね、今年の春、交通事故に遭ったんだ」
清司は話題を変えた。
「不思議な事故だったよ。目撃者は多かったのに、加害者のトラックはとうとう見つからなかった。死んでもおかしくない事故状況だったけど、愛ちゃんの身体はまったくの無傷で、しかし意識だけが戻らなかった」
「意識が? 愛さん、大丈夫なんですか?」
「うん。一ヵ月後、何の前触れもなく意識が戻って、すっかり元気になってるよ」
ほっとしたように見つめ合って胸を撫で下ろす、道雪と亜蘭。
傍から見ていて微笑ましい光景だった。
「で、さ。愛ちゃんが事故に遭った日と、意識が戻った日。その記録を照合してみると、道雪くんが行方不明になった日、見つかった日と、まったく同じなんだよね。良く分からないけど、何か縁があるのかなあ、て思ってさ」
清司の言葉に、道雪が息を飲むのが分かった。
道雪が何か話そうとしたが、清司は機先を制して話を続けた。
「愛ちゃんは意識が戻った後、少し変わったように見えた。以前は暇さえあればピアノを弾いている、大人しくて繊細な子だったけど、積極的で、自分のやりたい事をはっきりと言うようになった。ピアノは続けてるけど、驚いた事に野球を始めてね――」
「野球部ですかっ、ポジションはどこですかっ」
道雪に訊かれて清司はしまった、と思った。
少し情報を与え過ぎた、高校野球をやっている女子は最近は増えたとはいえ、まだまだ総数は少ない。
野球選手として愛の名前が知られるようになったら、たちどころに所在が分かってしまうだろう。
「――俺はね。愛ちゃんが意識不明の間に何かがあった、そう考えるようになってきたんだ。俺の想像もつかない事だけど、愛ちゃんとドーセツくんの間で接点があったとしたら、その時だったんじゃないかな……ドーセツくん、教えてほしい。君は行方不明の間、どこに居て、何をしてたのかな?」
そうなのだ。
異変があったとしたら、その一ヶ月間しか考えられない。
愛の肉体は病院にあったわけだから、直接に会っていた事は否定出来るが、説明のつかない何かがあった、その可能性を探ろうとした。
寿司を御馳走してくれる人に、悪い人は居ない、道雪は決心した。
「――分かりました。川田さんは信頼出来る人だと思います、全部話します……」
しかし道雪がポツリ、ポツリと話した真相は、清司の想像を遥かに越えていた。
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「勇者アランに……聖女シーナ? 行方不明だった一ヵ月で10年間の旅をして、えーとえーと、魔王を倒して別の世界を救ってきた……そういう事なのかい? ――まるでコンピュータゲームの世界だね」
「信じられんかも知れませんが、夢とかじゃなくて、あれは確かにもうひとつの現実だった、俺はそう思っちょります。そこで俺とシーナは、その――亜蘭、ごめんな」
「いっちゃが、いっちゃが。ドーセツの気持ち、あたし分かっとる」
道雪と目を合った瞬間、亜蘭がにっこり微笑んで話を促した。
「俺とシーナ――愛さんとは、向こうの世界で、恋人同士でした」
「ドーセツのあんぽんたんが、結婚の約束までしてきたよねー」
「あんぽんたんは言い過ぎじゃろがっ。あん時はこっちの記憶、全然なかったもん――多分、女神さんに消されてた」
「あはは、結婚とは、なかなか重いねえ――それにしても神さまって、居るんだな。ドーセツくんが会ったのは、女神さまだけ? 他の神さまとか、仏さまは居なかった?」
仮の姿とはいえ、寺の業務に携わっている清司としては、気になる処であった。
「俺たちが会ったのはひとりだけでした。他の神さまは居らんかったけど、こっちに戻らず神にならないか、という誘いは受けました」
「ふうん。向こうは神さまの定義が、少し違うのかも知れないね」
「――愛ちゃんもドーセツくんに、逢いたがってると思うよ」
少し間を置いて、清司が再び言葉を継いだ。
「いきなり野球をやる、なんて言い出したのも、そのせいじゃないかな」
「別れる間際に思い出したんです。俺、野球やっとって、甲子園で逢おう、っち」
「そうそう、福島県まで、それらしき人を探しに行った時もあったなあ」
「福島県! ――あー、高校の名前も思い出したんですよぉ、フクシマっち。そいはむぞなぎぃ事しました」
「改めて訊くんだけど。昨日ドーセツくんが、雷を斬ったように見えたのは」
「はい、白状します。俺、斬りました。勇者時代は雷を自在に操ってたんで、俺が呼び寄せた雷がセンターの人ん当たりそうになったんで、斬って散らしました」
「なーん。あんたそんな事出来って、ひと言も言わんかったがね」
「そいは亜蘭が雷おじいから、遠慮しとったとよ……」
「したらそれは、雷切だねー」
「向こうじゃ雷光剣っち呼んでたけどな……」
「ううん、雷切。あんたやっぱり、立花道雪の生まれ変わりなんだよ」
「それ人ん前で言うなっち。恥ずかしいから」
「じゃあ時々、愛ちゃんが不思議な力を出してるように感じたのは、気のせいじゃなかったのかな。掌からボオッ、て光が漏れてたように見えたのは――」
「そいはきっと、聖女の魔法ですが。そっかあ、シーナも聖女の力、残っとるとですね」
現実離れした事を和気藹々と話しながら、清司は思いを巡らせていた。
勇者の道雪に、聖女の愛。
全貌は不明だが、彼らの超能力があれば、奴らを一網打尽に――いや俺は、何て事を考えてるんだ。
大人のドロドロは、大人で片をつけるべき。
下手したら殺し合いまであるような案件だ、彼らに重荷を背負わせてはいけない。
「――そいで川田さん、愛さんはいったいどこに住んどるとですか」
「そこなんだけど、ドーセツくん」
清司が身を乗り出して、道雪をじっと見つめる。
「君は愛ちゃんに、一刻も早く逢いたいと思っている」
「はい、その通りです」
「愛ちゃんもきっと、ドーセツくんと同じ気持ちだと思う――しかしこの件だが、いったん俺に預けさせてくれないかな」
「……どういう事ですか」
「愛ちゃんとそのお兄さんは、とある事件に巻き込まれている。俺たちは、ふたりの身を護るために保護してるんだ。ドーセツくんが迂闊に逢いに行くと愛ちゃんたちだけでなく、君にも危害が及ぶ可能性がある」
「俺は、一向に構わんですよ」
「君が構わなくても、俺たちが構うんだよ――それにそうなると、亜蘭ちゃんまで危険になると思う。ドーセツくんは、亜蘭ちゃんを完璧に護れる自信が、あるかい?」
「…………」
「頼む。必ず連絡はするから、時が来るまで、待っててくれないかな」
「――時が来るとは、いつ頃になりますか」
「ごめん、いつとは確約出来ない。必ず逢わせるから、俺を信じてくれないか」
「分かりました……」




