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蛙、うろの中。  作者: 里村
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突然ですが、手紙です。



 はっちゃんへ


はっちゃん、ごぶさた、かしら。それとも、昨日も会ったわね、かしら。


何から話せば良いのか…、昨日のあなたを見てから、はやる気持ちで何枚も書きかけては破いて、また書いては破いてって。色々と考えるからそんなことになるんやわぁと思って、要約も見直しもせんと、思ったまんま書きつらねることにしました。分かりにくいかもしれんけど、最後までがんばって読んでくださいね、はっちゃん。


昨日、久しぶりに初美が、病室にお見舞いに来てくれたんよ。

昔から、『誰かに似てるような…』とか『見たことあるような…』とか、そういうことを初美に対して抱いていましたけれど、それは、血の繋がりのある孫だから、親せきや郷里の人の誰かしらに似ているんでしょうと思っていました。現に、初美は生まれた時から、顔立ちはお父さんに似ていたから。時々、無性に思い出しそうな何かを感じていましたけど、それはつまり、肉親の情の一部なんでしょうと思っていたのよ。

それが。

昨日、病室に入ってきた初美を見て、すっかり、きれいさっぱり、忘れてしまっていた人のことが、突然、心の底から浮かび上がってきて、心臓が止まるんじゃないかっていうほど、驚いたのよ。


なんで、忘れてしまっていたんだろうって、そのことに、一番びっくりしました。


混乱してしまったし、どういうことか腑に落ちないこともあるけど、でも、私にとっては、それは事実だったから。そこにあることを結びつけると、結論は、一つしか思い浮かばなくて困ったのよ。理屈じゃないんでしょうね。

もう、生い先が短い身の上だから、それを、事実として受け入れることにしたんよ。


生い先が短いって言っても、悲観してはいないんよ、それは本当に。


価値観って、変わるんよ、はっちゃん。すごく実感しました!

白いショートパンツに、丈も袖も短い淡い水色のTシャツっていうのかしら?そういう服を着て、海で履くような赤いサンダル?ミュールって言ってたかしら?そんなものを履いて、初美が病室に入ってきたの。


だって、その服装は、はっちゃんを初めて見た時のものだったんやから。


『下着で、しかも、地面で、眠ってる女の人がいる!どうしよう、どうしたら良いんやろう、久さんもいるのに、どうしてこんな所で、この人は、こんな破廉恥な服装で!』

はっちゃんをお社で見つけた時、私は心の中で、そんな風に叫んでました。

あの当時は、『下着』だと決めつけた物が、その四十数年後に見ると『服』として見えたんだから、不思議やねぇ…としみじみと感心してしまいました。

あれね、年は、取るもんやね、良いこともあるんよね。


初めてはっちゃんに会ったのは、私が十七歳の頃。

下着(その時はそう思ったの)で地べたで寝転んでいる女の人っていう構図、本当に、衝撃を受けたんですよ、当時。

そして、その時のあなたは傷ついていて、若い私には、気休めのような甘言でしか、慰めることが出来なかったような記憶があります。

ずいぶんと昔のことだから、ぼんやりとしか覚えていないけれど、あなたが傷ついていたことは覚えているんよ。


今では、どんなことで傷ついていたか、分かってしまった気がします。

私は、傷ついたあなたを、この後、祖母として慰めることができないのね。

慰めるどころか、私が原因なんでしょうかね?それが気がかりです。


さっき、近所の方がお見舞いに来てくださってたのだけど、「とあるものを、社の大木のうろの中に放り込んでほしい」っていう妙なお願い、聞き入れてくださいました。

来週、その方の通院ついでにまた寄ってくださるって言うから、その時に仕上げたこの手紙をその方の手にゆだねます。

変なお願いも、『後生だから』の一言で受け入れてもらったわ。

後生って、こういう時、本当に意味を持つのね。


本当は、初美に、書き残すべきなのかな…とも思って、少し悩みました。

だけど、考えてみれば、私が会ったはっちゃんは、これから後の初美なんだなって、気が付いたんよ。

今の初美がこの手紙を読んでも、気味が悪いだけでしょうから。

それに、私がこの手紙を送りたいのも、はっちゃんであって初美ではないのだから。


それで、うろに残すことにしました。


風化したり、虫が着いたり、水に浸ったり、風に運ばれてしまったり、色んなことを想定して、届かないかもしれない、と思ってもいます。


それでも、必然がそこにあるのだとしたら、無駄にはならないでしょう?


私がはっちゃんに伝えたいことを書きしたためているという、私にとっての事実が、何よりもの真実として私に残るのならば、それが悔いにならないのですから、無駄だとかどうとかいうことは、もうとっくに、言葉遊びでしかないと思い至りました。


だって、私は生い先が短いのですから!


はっちゃんが二回目に私たちの前にやってきた時、はっちゃんはもう二十九歳だったのよ。私たちにとっては4年後で、私は二十一歳。社会人になったばかりで、妙に無鉄砲なところがあったんよね、今でこそ笑い話ですけど、恥ずかしい時期だったような気がします。


若気の至り、なんて、本当に許してもらっても良いのかしらって思うこともあるのよ。

だけど、そういう時期だったんだもの、許してもらいましょうよ。


私は、職場や近所では、ある程度、猫も被れましたけど、久さんには無理でねぇ。

二歳しか離れていないのに、年上だからって、我がままを言ったのよ、しょっちゅう。はっちゃんがいなくなった年度に仕事を辞めて結婚するって、話したような気がするけれど、どうだったかしら。

予定通り、結婚したとたん決まっていた転勤で、郷里から離れてしまって、話し言葉の違う、売ってる野菜もお魚も雰囲気も違う、そういう場所に連れて行かれてしまって、募る苛立ちを、ぜーんぶ久さんにぶつけていました。

久さんは、飄々としていてね。どうしてもっていう時は、ふっと居なくなって、数時間後に、花の咲いた雑草や、お饅頭や大根や、その度に脈絡のないものを、お土産と称して持って帰って来ていたの。免罪符のようなものだったのかしらねぇ。


だけど、帰って来ないっていう可能性は一度も思い浮かばなかったのですよ。


なぜなら、突然、居なくなってしまったはっちゃんに思いを馳せて、沈んでいた私を久さんは知っていたから。


もうどうしようもなくなったら、突然いなくなるんじゃなくて、ちゃんとお別れを言ってくれる人だと思ったの、だから、久さんとの結婚に前向きでいられたんだと思います。


じゃないと、転勤するのが前提の人に、私はついて行くことはできなかったんじゃないかしらね。


若気の至りで、結婚できたっていう部分も、多いにあるんでしょうね。

初恋だったからね。

のろけるのって、恥ずかしいものね。この年になっても。


二回目の、二十九歳でやってきたはっちゃんは、まだ、結婚はしていないって言ってたの。

だけど、その時も、何か悩んでいたんじゃないかしらって、今なら断言できるのだけど。

その当時は、初恋が結婚へ向けて現実となっていく重責で、ふわふわと浮かれてしまった気持ちと現実的な小さな問題の数々がない交ぜになって、はっちゃんの心には気づけていなかったように思います。

今度こそ、側に居てくれると思っていたのに、また、はっちゃんが居なくなってしまって。どうしてそんな風に思ったのか、今では不思議でしょうがないけど、側に居る人だと、勝手に決めてしまっていたの、はっちゃんのことを。

はっちゃんは、突然やってきて、元に戻れるかどうかっていう不安に苛まれていたんでしょうに。

心の底から、悔いたの。ちゃんと話を聞いてあげていたかしら、私の話ばかりしていたんじゃないかしら、不安な気持ちがいっぱいのはっちゃんに私がやってしまったことは大丈夫だったのかしら。


その後は、結婚して子どもが生まれて流れるままに流れたような数年だったような気がします。その日常のおかげで、はっちゃんへの後悔もずいぶんと薄らいでゆきました。


幸せだったのよ、思い返すと。

好きな人と結婚して子どもができて添い遂げられて。

それなのに、その最中は、慣れない環境や、子どもの夜泣きや、縁者のいない土地での子育てや、近所付き合いや、そんな色んなことで、すり減っていたけれど。


そうそう、さっき、この手紙を書きながらうたた寝をしていてね、夢を見たんですよ。


久しぶりに、久さんが出てきてくれてねぇ。

結婚した当時の面影だったんよ。ときめきって、取っておいたわけじゃないけど、こんなおばあちゃんになっても存在するのねって思いました。

その夢の中で、久さんが言うんですよ、『あれ覚えてる?』って。『あれって何?』って聞くとにっこりとほほ笑んでうやむやにして、また同じ会話をして。堂々巡りだったんですよ、夢の中では。


それが、目が覚めたとたん、あなたとの思い出を、また一つ思い出したの。


あなたは、三度、こちらにやって来るんですよ。まだ、知らないだろうけど。


でも、その思い出も、私の見た自分に都合の良い夢のような物なのかもしれません。


本当かどうか、分からないわ。

この手紙が、はっちゃんに届くかもしれないっていう浅い希望と同じくらい、その思い出した記憶も、夢で会った久さんの言葉から連想した幻想かもしれないですし、本当のことかもしれませんし。だけど、今の私の中では、はっきりとした事実とも言えるんですよ。


結婚して2回目の引っ越しをしたのは、身重の時期だったの。

実家に帰ろうかとも思ったんですけどね、それをしてしまうと戻ってこられない気がして。誰も知らない土地で、生まれたばかりの子どもと二人で、帰宅の遅い主人を待つ生活なんて、一度、温かい環境に身を置いてしまうと、どっちが良いかなんて明白でしょう。

だから、意地になって。

年の離れた弟も、まだ小学生だったから、母に来てもらうこともできなくてね。

当時、奇遇にも、清ちゃんが電車で一時間ほどの所に住んでいたから、予定のない週末には、泊りがけで手伝いに来てくれていたのよ。一年間も!もう清ちゃんにはその頃から頭が上がらなくなってしまったんですよ。

それでも、平日は一人でやるべきことは多くってねぇ。

夜は頻繁に起きて母乳をほしがる子どもの世話をして、久さんの朝ごはんの準備をして、自分もなんとか嚥下して、昼間は子どものご機嫌を伺いながら掃除やたくさん出るおむつの洗濯や買い物や夕ご飯の準備をして、ほとんどの時間を子どもを背負って過ごす毎日で。

気づくと、体中が段々と重たくなってきて。そうやっていると気持ちも沈んでしまって。

思い返せば数か月のことだけど、それでも、なんだか自分の体が自分のものじゃないような気持ちで毎日を過ごしていると、とても疲れてしまったの。

何時頃からか…子どものことだけはやろうって決めて、自分のことは後回し。ご飯は用意するのが面倒だから朝たくさんおむすびを作っておいてお昼から夜にかけて食べて、久さんにはお願いして、夜ご飯を外で食べて帰ってもらっていました。

あれで母乳がよく出たなと、自分を叱ってやりたいくらい、当時の食事は適当に済ませてしまっていたんですよ。

久さんにも、文句なんて言わせないで、私の適当な生活に付き合わせてしまって。

あなたのお父さんが六ヶ月くらいの頃、夜泣きの頻度が、そりゃぁひどくって。

それまで以上に私は弱ってしまっていたの。

おんぶしていると眠ってはくれるし機嫌も良かったから、その日も、子どもをおぶって、ぼんやりと縁側に座っていたの。

すると、ガラガラと重たいものを入れた台車のようなものを押す音が段々と近づいてきて、家の前で止まったわ。また、物売りの恐い人が来たに違いないと、恐る恐るそこを覗いてみると、はっちゃんがいたの。


大きな乳母車に、荷物をたくさん入れていたわ。


驚いて声も出ない私に、はっちゃんは「交代よ」って言って、自分が持ってきた風変わりなおんぶ紐を出して、私の代わりに背負って「昼寝しておいで」って言ってくれて。まるで白昼夢のように思えて、私はうなずいてすっと眠ってしまっていました。

そのまま、縁側で。

目が覚めると、もう辺りは薄暗くなってたわ。

その時、本当に久しぶりに、何時間も続けて眠れたの。

そして、家の中に味噌の良い香りがして、お腹がぐうって鳴ったの。食欲が湧いたのっていつぐらいぶりかなぁって思っていたような気がするわ。

台所に行くと、はっちゃんが割烹着を着て立っていて。

その時に気が付いたのよ、はっちゃんが妊娠していることに。

「あら、はっちゃん、身重なの?」って聞くと「そう。あと二ヶ月で出てくる」って言ってましたよ。「お腹にさわるから、おんぶ代わる」って言うと「妊婦だからって重たいもの持たない生活できるわけないでしょう。大丈夫」とか、そういうことを言っていたように記憶しています。

そして、夕方には、庭で採れたきゅうりとわかめの酢ものと味噌汁と焼き魚と炊き立てのご飯が出来上がって。

二人で食べたの。

食べながら色んな話を聞いてもらって、とっても楽しく過ごしたように思います。


その時に、こんなことを言われたの。


雪ちゃんから手紙をもらったよ。お鍋でご飯を炊いて、きゅうりの酢の物を何日分も作り置きして、その当時のお金を持ってきた私が魚と豆腐を買ってきて、夕食を作ってくれたって。その時、雪ちゃんは産後で気持ちが沈んでて、そこに妊婦の私がやってきたって。そこに書いてあったの。半信半疑だったけど、こうやって来ることができたってことは、そういうことなんだろうなって思う。他にも、色々と使えそうなもの用意して持ってきたから、使えるようなら使って。私も、旦那の世話があるから、これ食べたら帰るね。


そんな風なことを言って、にっこりと笑っていたわ。


はっちゃん、あなた、自分のお父さんをおんぶしたのよ、笑っちゃうわね。

私は、その日、久さんの帰宅を待ったの。とても、久しぶりに。


玄関で三つ指ついてお迎えしちゃいました。驚いていたけど、私の表情を見て、喜んでいたような記憶があります。

久さんも、はっちゃんが来てくれたって聞いて、私の様子に納得していたように思うわ。

信じてくれていたのかどうか…分からないけど、その日を境に、私が元気になっていったから、久さんにとっては、それが何よりのことだったんじゃないかしら。それとも、どう転んでも、飄々としているような人だから、私の戯言に付き合ってくれていただけだったのかもね。


何年一緒に居ても、分からないことはたくさんあるけれど、あなたに会えて良かったと思っている、それは、久さんも同じだったんじゃないかしら。


すっかり記憶から抜け落ちてしまっていたけれど、あの日、あなたが来てくれたことに、とても感謝しています。


そして、側には居られないけれど、あなたの幸せを、心から応援しています。

泣いても笑ってもため息をついても、前を見て歩いていってほしいの。

自分を大切に、愛する人を大切に。

そして、私たちの幸せがあなたなしではつかめなかったのだから、あなたにも平凡な幸せを手に入れてほしい、そう願います。

ずっと側にはいれれないけれど。

いつかは、あなたの横にきっと立ってくれていると思うのよ、あなたの幸せを願う人が。


それを伝えたくて、これを書き残したかったんです、あなたに。


夢のような話だったでしょう。

最後まで読んでもらったこと、とてもうれしく思います。

私の一方的な我がままに付き合ってくれてありがとう。


ありがとう、はっちゃん。


では、また会いましょうね、はっちゃん。














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