測られる者から、裁く者へ
朝の空気は、夜よりも重かった。
闘技場へ向かう道の両脇に、獣人たちが並んでいる。尾が低く揺れ、耳が鋭く立つ。
向けられる視線は好奇でも敵意でもない。ただ、値踏みするような――「測る」目だった。
スミレの隣を歩くルイは、指先だけが微かに震えている。握り拳を作っては解き、その動作を何度も繰り返していた。
シュンは前を見据え、口を真一文字に結んでいる。
リリナはスミレの一歩後ろで、息を殺すように歩き、
スイレンは相変わらず無表情だが、その沈黙には、尾のない者特有の緊張が滲んでいた。
スミレは何も言わない。
けれど、その瞳には、確かに何かが宿っている。
闘技場の入口に立った瞬間、空気が変わった。
昨日の熱狂の残り香。
汗と土、鉄と獣の匂い。
それらが混ざり合うはずの場所で、今日だけは異様な静けさが支配していた。
中央に立つのは、狐族の少女――獣王。
昨日のような燃え上がる炎はない。
だが、その存在だけで空間が引き締まり、観客席の獣人たちは息を潜めている。
獣王は一度、観客席を見渡し、ゆっくりと息を吐いた。
「今日ここで、負けた方は勝った方の言うことを聞く」
低く、はっきりとした声が響く。
「私が負ければ、獣人族は女神族と魔神族の戦いに参加する。
だが――」
獣王の視線が、スミレを射抜く。
「この者が負けた場合、一生、我らの敵として戦ってもらう」
その瞬間、闘技場を揺るがすほどの雄叫びが上がった。
獣人たちは勝利を疑っていない。
ルイたちは歯を食いしばり、拳を握り締める。
――誰もが、獣王の勝ちを信じていた。
ただ一人を除いて。
「さあ、始めよう」
獣王が笑う。
「どちらが勝っても、文句はなしだよ」
審判が手を上げる。
「始め!!」
合図と同時に、獣王は地を蹴った。
一瞬で距離を詰める、その速度は昨日以上。
――だが。
「……いない?」
獣王の爪が空を切る。
周囲を見回し、反射的に上を見上げた瞬間、獣王の目が見開かれた。
空中。
氷を幾重にも重ねた足場の上に、スミレが立っていた。
「なんだ、あいつ!!」
「逃げるつもりか!?」
「降りて来い!!」
観客席からブーイングが飛ぶ。
獣王は口角を上げた。
「氷で足場を作れば、逃げられると思った?
忘れたの? 私の魔法は――」
言葉が終わる前に、スミレは静かに口を開いた。
『閉じた瞼の 裏側で
小さな光が 揺れている』
歌声が、闘技場に落ちる。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、獣人たちの罵声が飛んだ。
「ふざけるな!」
「歌って何になる!」
だが――
ガルムと獣王、そして仲間たちだけが、異変を感じ取っていた。
(……この歌声、魔力が……)
獣王は歯を食いしばる。
『消えそうで
でも まだ
確かに 生きてる』
空気が震え、氷の刃が生まれる。
歌声に呼応するように、無数の氷片が落下した。
「くっ……!」
獣王は炎を放ち、迎撃する。
だが、氷は消えても消えても、次々と生まれてくる。
『届かなかった 言葉たち
握られた 手の温度』
獣王の額に、焦りが滲む。
「……おい、何かおかしくないか?」
「歌が……戦いを……?」
観客席の空気が、少しずつ変わり始める。
『それでも
ここにあるものを
失ってはいない』
氷は軌道を変え、逃げ道を塞ぐ。
歌声に込められる魔力が、明らかに増していた。
『燃え上れ
抑え込んだ 願いよ
恐れごと
抱いたままで』
「――なら、力でねじ伏せる!」
獣王は炎を一点に収束させ、三尾へと姿を変える。
灼熱の波動が闘技場を包み、氷を次々と溶かした。
「これで――!」
跳躍。
一直線に、スミレへ。
だが。
『燃え上れ!!
壊れそうな 心ごと』
歌が、サビに入った。
見えない壁が、スミレの前に展開される。
音そのものが形を成した、透明な障壁。
『光へ 手を伸ばせ!』
獣王の一撃は弾かれ、その衝撃で炎が散った。
『裁かれず
奪われず
ただ生き抜いた
その事実が
世界を 照らす』
歌が終わった瞬間。
闘技場は、静まり返っていた。
獣王は地に膝をつき、炎は完全に消えている。
勝負は――決していた。




